オーバー・ペネトレーションズ#3-2
女は実験の成功を噛み締めるものの、男の表情は暗かった。
「成功はしたようだけどさ。ホントにあの三人で、よかったのかねえ? そもそも、こんなことをして、よかったのか」
「あの三人ならやってくれる。こう言ってもらいたいですね。是非は今更です」
「そうだな。元より、俺はそんなことを言える立場じゃなかった」
世界を救う希望にして、自分の情けなさの代償にして象徴。死にたくなる気持ちを必死で抑え、男は物事を成すために、動き始めた。
オーバー・ペネトレーションズ#3-1
隣町で不可思議な窃盗事件が発生している。こんなことを聞きつけたラーズタウンのヒロイン、オウルガールはウェイドシティに翼を向けた。
数時間後、オウルガールは窃盗犯を見つけることになる。彼は、夕焼けに染まる大学校舎の屋上で、体育座りしていた。ただ彼は、黄昏ている。
「お前がやったのか」
「ああ」
男の隣には、財布の山があった。これは全て別人の財布、ウェイドシティ住人の物である。本日正午、街を歩いていた住人、全ての財布がスリ盗られた。中には、物理的に不可能な条件下でスられた物もある。ただの巨大スリ組織の暴走では、片付けられない事件であった。
「警察のデーターベースに、お前の顔は無かった」
「今日が初犯なんでねえ」
「初めてのスリで、この量、しかも捕まっていないどころか姿も見られていない。いったいどうやれば、こんなスリ業界の歴史を塗り替えるような事が?」
「こうやったんだよ」
「なるほど。良く分かった」
オウルガールは苦々しさを隠さぬままで、納得した。
スリの手には、大量のポケットが付いたベルトがぶら下げられていた。オウルガールが使う様々なガジェットが収納されたユーティリティベルトだ。この状況下で彼は、厳格なスーパーヒロインからスリを成功させてみせたのだ。
「この間、田舎に帰った時、ちょっとした事故にあってね。なんか気が付いたら、速くなっててさ」
並々ならぬ速さ、尋常ならざる速さによって。
「木登り? その年で?」
奪い返したベルトを腰に巻き直しながら、オウルガールは訝しげに聞いた。
「いっしょに事故にあった従兄弟は重態寸前の重症。向こうの両親大激怒で、従兄弟に会わせてくれねえの。アイツはまだ入院してるのに、俺はこうして。情けないよ」
タハハと笑う彼は、本当に後悔しているように見えた。速さと言う能力を手に入れたのに、弱気。前代未聞のスリを成功させても、この男には高揚感の欠片も無かった。
「出来るかなっと思って試してみたら、出来ちまった。次はこの街の女のケツを全部撫でてもやろうか。そう思っていたら、隣町のヒロイン様が来た。これって、運命ってやつかね」
「運命?」
「この屋上に誰も来なければ、本当にケツを撫でに行っていた。警察が来たら、そのまま素直にお縄につこうと思っていた。悪党がスカウトにでも来たら、俺もスーパーヴィランってヤツにでもなろうと思っていた。ところが、来たのは予想外の、隣町のヒロイン様だった。この流れで行くなら、俺の行き先は分かるだろ?」
フフフと、オウルガールは軽く笑った。思わず男も笑う。
表情を突如一変させたオウルガールは、男の腕を取り、関節を締め上げた。
「痛ー!」
「こうなれば、いくら速くとも逃れられまい」
「逃げる気なんか無……痛!」
「正義の味方が迎えに来たから、正義の味方になるとでも? 脳天気が過ぎる。私はそんな上等な者ではなく、このコスチュームには悲惨や陰惨が嫌というほど纏わりついている。そんな者に、貴様は本当になりたいのか?」
「そいつあ、悪かった。だけどさ、俺はあんたが、正義の味方にしか見えなかったんだよ。だったら、俺がなる。コスチュームを着て、自分が出来ると思う、自分にしか出来ない、正しい道を選んでやる」
脂汗を流しながら、男は綺麗過ぎる理想を口にする。しばらく男を観察した後、オウルガールは、男を開放した。
「イタタタタ。流石はラーズタウンの守護者、強いなあ!」
「勘違いするなよ? お前を認めたわけではない。まずその、自分にしか出来ないことをやってもらう。試しに奪った財布を、全て元の人間の懐に返して来い。話は、それからだ」
「そりゃそうだ。OK、分かったよ。10分もあれば、十分だ」
「駄目だ。5分でやれ。5分経っても来なかったら、私は帰るぞ」
「うへえ、厳しー。俺、そういうのに慣れてない、文化系なんだけどなあ」
ぶつくさ言いながら、男は光速の世界に消える。オウルガールの目では捉えられない速さであったが、財布の山はどんどんと小さくなっていた。何度も往復して、持ち主の下に運んでいるのだろう。
もし積み上げられている物が爆弾なら、あと数分で爆発する状況ならば。オウルガールは仮定し、考える。彼ならば爆弾をこの調子で安全な所まで全て運べる。オウルガールの場合、どうにかして被害を抑えるかの算段しか出来ない。爆発は確定事項だ。
このように、彼にしか出来ないことがあると言うのは、事実であった。オウルガールは事実を認め、彼の能力も評価する。人格は、全く現状、評価していなかったが。あの軽さは、どうにも受け付けられない。
きっと理想の道は一致しても、友情は永遠に築けぬだろう。そんな事を考えながら、オウルガールは5分間、待ち続けた。彼はなんとかリミットの2秒前に、戻って来た。
「驚いた。弾より速い男だな」
帰るつもりでいたオウルガールは、男の速さだけを、賞賛した。
この出会いから数日後、この男、スメラギ=ヒカルはコスチュームを纏い、バレットと呼ばれるヒーローになる。オウルガールの予想通り、ウェイドシティの守護者となった彼と、ラーズタウンの守護者であるオウルガールの間に友情は成り立たなかった。出会ってから、バレットが死ぬまでの間に。築かれたのは、もっと太く、重い絆だった。
このように、オウルガールの予測は良く当たるのだ。
オーバー・ペネトレーションズ~バレンタインSP~
2月13日。ウェイド・HSの教室で、ノゾミは黄昏ていた。
「バレンタインデーかー……」
周りの情景が、嫌でも愛の日の前日であることを知らせる。今日になるまで、ノゾミはこのイベントの存在を忘れていた。なにせノゾミは、ウェイドシティを守る光速のヒーロー、バレットボーイ。イベントを楽しもうとしても、犯罪行為が一度起これば東西奔走。知っていようがいるまいが、イベントをゆっくりと楽しめる身ではなかった。
「どうしたんですか? やけに黄昏て」
クラスメイトであるヒムロが声をかけてくる。彼女の手には、チョコではなく物理の教科書があった。まあ当然、13日にチョコを渡すような義理は誰にもないが。
きっとヒムロは今日も一つ学問を究めさせてくれるのだろう。彼女は、ノゾミに勉学を教えることを楽しみにしていた。ノゾミの一心不乱な集中力が、彼女の好みに合致しているらしい。
「ん? いや、なんでもない」
「今日は13日ですからね。今日男性は、当確がついてウキウキか、明日が読みきれなくてソワソワか、とてもガッカリな顔をしてるかの、どれかです」
「分かってるなら、いじめないでくれ。頼むからさ」
「へ? アテがないんですか? いえすみません、ノゾミくんならてっきり、チョコの一つや二つは……。女子の間でも、評判悪くないみたいですし」
「その評価はありがたいけど、昔はともかく今はなあ。評判が悪くなくても、特に仲がいい人もいないし、おそらくチョコが貰えるほど良いワケじゃない。俺は、憂鬱側の人間だよ」
陸上部でバリバリのエースをやっていた頃はそれなりにチョコも貰えたが、引きこもり生活を得て、次の年のチョコは0。引越ししたこともあって、過去の人気は何処かにすっ飛んでしまった。
「なるほど。ウキウキかソワソワなら放っておこうと思いましたが、ガッカリですね。なら明日、救いの手を差し伸べてあげます。だからせめて、ウキウキになってください」
「……へ?」
ノゾミは、ヒムロが何を言っているのか、良く理解できなかった。色恋沙汰から、あまりに縁遠い女性から、いきなり妙なことを言われたせいだろう。
「いらないんですか? チョコ」
「いる。うん、スゲエいるわ。やっべえ、ウキウキだ!」
「ついでですけどね。バイト先で、手作りチョコを作って売るので」
ヒムロのバイト先は、メキシカンバーのエル・シコシス。メキシカンなのに、バレンタインに平然とかこつける辺り、ホントに分けのわからない店だ。
「わーい、ソワソワだー」
ノゾミの感情が、微妙にランクダウンしていた。
「喜んでもらえるなら、何よりです。明日あげますから、ちゃんと学校に来てくださいね。じゃあ、今日の授業を始めましょうか」
サボりぐせどころか、サボリが出席日数の半数以上を占める天才少女に、きっちり学校に来いと言われるという矛盾。そんな矛盾に構わず、ノゾミは迅速にノートを開いた。ヒムロの放課後レッスンを受け始めてから、ノゾミの成績は絶賛急上昇中だった。
2月14日、バレンタイン当日。ヒムロは主人の居ない席を見て、静かに怒っていた。
「せっかくチョコを持って来て、一時間目から出席してるのに……当の本人が休みとは、どういうことでしょうね」
あれだけウキウキでソワソワしていたくせに、ノゾミは欠席していた。
不機嫌なヒムロは、チョコの行き先を考える。あそこで物干しげにしている、ノゾミの友達にくれてやるか、それとも机にでも入れておくか。どれもちがいますねと結論づけ、ヒムロはきっちりと青赤の紙ラッピングされたチョコを、鞄にしまった。
その頃、ノゾミはと言うと。
「ハーッハッハ! 俺の夢の為に、消し飛べバレットボーイ!」
「うるせー馬鹿!」
バレットボーイが、一撃でインパクトを倒す。バレンタイン当日、今日は朝からずっと、ノゾミはバレットボーイとしての自警活動を続けていた。なにせ今日に限って、やけに犯罪者が暴れている。偏執小銭狂マネー・セント。下水道の王者ホールキング。処刑拳士ケルベロス。そしてこの、衝撃波の使い手インパクト。出るわ出るわの、有象無象の犯罪者共。学校へ行くヒマなんて、あるわけもない。
「ひ、ひどいぜ……。俺のウリである衝撃波、まだ出してないのに」
「知るか! だいたいお前、朝一で出てきて、今日二回目だろ! 警察につきだしたのに、なんで二回目よ!」
「ふっ。今日に限っては、俺の脱獄のスパンも早くなる。バレットボーイ、貴様の速度を超える程にな!」
ビシィ!と指を突きつけた一瞬で、インパクトは再度ボコボコにされた。ボーイによる、光速の一人リンチだ。
「こんだけやりゃあ、今日一日は動けないだろう……」
ズタボロのインパクトを放置し、ボーイは学校へ向かおうとする。忙しかったせいで、欠席の連絡も入れられなかった。授業はともかく、昨日のウキウキやソワソワと裏切る訳にはいかない。
帰る気でいたボーイめがけ、弾丸の如き小銭が飛んで来る。同時に、スコップの先端が、アスファルトの地面を突き破ってボーイを狙う。横と下からの攻撃を、ボーイはなんとか回避した。
「セント! ホールキング! お前らも二回目かよ!?」
小銭を武器とするのは、セント。スコップ、しかも地面からとなるとホールキング。小1時間前に倒した筈の二人も、インパクトと同じように復活を果たしていた。これでは、ボーイの衣装を脱ぐことも出来やしない。
ノゾミも必死だったが、何故か今日はヴィラン達もやけに必死だった。
オーバー・ペネトレーションズ#2-2
「もう、勝てないねえ。次は」
キリウの入った棺桶を見て、バレットはそんな感想を述べた。
「ならば、次がない所に送り返そう。母国に送り返してしまえば、きっとおいそれと帰ってはこれまい。どんな王でも、身内の恥の再出国は許さない」
オウルガールも、暗に認めていた。もはや街に、この怪物を閉じ込められる檻は無いと。
「ならいいけどさ、なんかその内、パワーアップして帰って来そうで怖い。自ら、女王になっちゃったりして」
「嫌な事を言うな。もしそうだとしても、私とお前が居れば、次も大丈夫だ」
「そうだね。居れば、大丈夫だ。もう一人じゃ無理だ。一人だったら、俺は逃げるよ」
「お前にコスチュームをずり下ろされた時、キリウは本気で怒っていた。小賢しい男め、これぐらいで余が恥ずかしがるか! 次は、目が合った瞬間殺されるな」
「目があったら、死ぬより先に石になるけどね。どうもファクターズとはある程度仲良くやれても、キリウとだけは上手く行かないなー」
「犯罪者に色目を使うな」
「ヒーロー仲間には?」
「……馬鹿」
拗ねるオウルガールを見て、バレットは嬉しそうに笑う。笑ったまま棺桶に近づくと、こっそり棺桶めがけ呟いた。
「という訳で、勝ち逃げさせてもらうよ。悪いね」
ガタガタと、棺桶が大きく揺れる。余計なことを言うなと、オウルガールはバレットを、軽く小突いた。
このしばらく後、バレットは見事勝ち逃げに成功した。死ぬことにより。