オーバー・ペネトレーションズ＃３−７

• 2013.03.11 Monday
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　残されたヒカルは、頬をポリポリと気まずそうに掻いた。
「気付かれたかな」
　最後のあの顔、オウルガールの顔はおそらく、全てを察してしまったからこそのやりきれなさだ。流石は世界最高の探偵と、ヒカルはオウルガールを褒め称えた。
　やけにゆっくりと車椅子を動かし、ヒカルは転移装置がある部屋に向かう。部屋に入るとまず、壊れた転移装置が目に入る。あちこちが爆発し、焼け焦げた転移装置は、もはや修復不能だった。
「俺、またアイツに嘘ついちまったなあ……」
　二度と彼らの世界と、この世界が繋がることはないだろう。また呼ぶなんてこと、あるわけがない。だが、ヒカルがノゾミについた嘘は、これだけだった。後は、本当のことばかりだ。
　コンソールの前に立つ、ヒナタ。彼女の左腕は霜がかかったまま、コンソールに触れている。ヒカルはヒナタを後ろから掴み、自分の胸中に引き入れる。腕だけでなく、彼女は全身が冷たくなっていた。
「頑張ったな。まあほら、俺も頑張ったけど」
　蓄電システムに繋がる、手回し式のダイナモ。足はともかく、まだ手は動くヒカルは、自身の光速をずっと転移装置に長年注ぎ続けていた。アブソリュートが指摘した、エネルギーの不足と、街ひとつ焼き尽くすオーバーヒートの問題は、この二人が自分の枯れかけた能力を注ぎ込むことで解決していたのだ。
　だが、能力を搾り出した代償は大きかった。ヒカルは最近、自分の動きが、やけに遅く感じる。手足の動き、五感の反応、心臓の鼓動。光速を絞りつくした代償か、単に全てを投げ捨てたことへのバチが当たったのか。もはや、そんなことを考える速さも残っていない。
　ヒカルは天井を見上げる。彼が見ているのは、ウェイドシティ。嘗て、平和のために駆け抜けていた、愛すべき街の光景だった。一人ではなく、二人で駆け抜けている、有り得ない光景。
「俺みたいになるなよ……違うな。俺達みたいになるなよ、だ」
　何も付け加える必要がない従兄弟の死に様に一つだけ文句をつけ、ヒカルは遅い動きでまぶたを閉じた。

この世界は、超人のいない世界になった。

　クローズの札がかかっていても、エル・シコシスの店内は騒がしかった。磨きぬかれた看板が、カタリと揺れる。
「よし。余はヴェリアンに帰るぞ！」
「待て待て！　手が足りん今、そちらに帰られては店が立ち行かなくなる！　お待ちを、女王！　殿中にござる！　殿中に！」
「殿中ではなかろう。ここは、エル・シコシス。メキシカンバーではないか」
　母国に帰ろうとするキリウを、キリカゼが必死に止めるものの、キリウのパワーをキリカゼが止められるわけがなく。ズルズルと、張り付いたまま店内を引っ張られて行く。外に出したらアウトというルールが、なんとなく出来ていた。
「我が親友が消え、何より余が恋するバレットボーイも消えた！　ならば、この街にいる道理はなかろう！　母国に帰り、部下を使った人海戦術で二人を探す！」
「拙者も友達！　拙者も！　だからお待ちを！　帰るのはお待ちを」
「ふむ。ならば一緒に連れて行こう。今となってはキリカゼも、大事な友だ」
　キリウはキリカゼの腰に、ガッシリと手を回した。
「そ、それでは更にマズいことに！　マイスター！　お前の音楽で、女王を落ち着かせろ！」
　キリカゼはＭ・マイスターに救援を求めたものの、彼女はカウンターの隅で呑んだくれていた。
「ははは、このダメ人間に何か用ですか〜？　ううっ、キリカゼやアブソリュートなら、一人で動いていても追いかけてくるのに、あたしだけスルーって。そりゃあないよね。ちくしょう、ちくしょう、ボーイのバカぁ！」
「駄目だこれは！」
　一人が行方不明、一人が帰り支度、一人が呑んだくれ。看板娘のウェイトレスが、キリカゼ以外使用不能。メキシカンバー、エル・シコシス最大の危機であった。
「フッ！　どうやらワタシの出番のようですネ！」
「店長！　カッコ付けて、まるでお助けキャラの如く壁に寄りかかるより先に、やるべきことがあるでしょう！？　店が潰れて一番困るのは誰とお思いか！？」
「ワオ。マジで怒られタ。イヤー、こうなれば仕方のないというワケで、覚悟を決めましたよ、ワタシ。こうなったら、古参の実力、見せてあげましょウ」
　店長が動く。思わず、店内の皆の動きが止まる。経験による自負と自信。錆びついたのではない。ただ動いていないだけだった店長の能力が、久方ぶりに日の目を見ようとしている。
　ゆっくりと仰々しく動き始めた店長は――。
「キャー！」
「ギャー！？」
　いきなり上から振って来たアブソリュートの下敷きにされた。
「イタタタ……だいたい同じ所って、確かにだいたいですね！　だいたい！　まさか横座標ではなく、縦座標までズレるとは思いませんでしたけど！」
「我が友ー！」
「わぷっ！？　キ、キリウ！？」
　キリウが潤んだ目でアブソリュートに抱きつく。下の方から「ぐぇ」という潰れたカエルのような声が聞こえたような気がした。
「大丈夫か！　怪我はしてないか！　コスチュームがボロボロではないか！　誰にやられた！　余は心配していたのだぞ！？　余は、余は……」
「ああもう、泣かないでください」
「ねえキリウ！　あたし、魅力的だよね！？　ファクターズのガッカリ担当じゃないよね！？」
「なんでそんなに酔っ払ってるんですか、マイスター」
「助かった。本当に助かった……」
「あ。はい。良くわかりませんけど、キリカゼさんが助かったのなら何よりです」
　少し離れていただけなのに、やけに懐かしい。この三人が居ない世界に、一時いたせいか。潰れていないエル・シコシスで、こうして三人と話すこと。実は途方もなく幸せなことなのだと、アブソリュートは現在を噛み締めていた。
「それにしても、一日消えていただけで、大げさですね」
「む？　一日？　何を言っている。一週間も消えておいて」
「一週間？　ちょ、ちょっと待ってください。一週間？」
　向こうの世界に居たのは、精々小一日だ。なのにキリウは鼻をすすりながら、一週間だと言う。どうにも、キリウが嘘をついている様子はないし、嘘をつく意味もない。
「え？　そっちも酔っ払ってんの？」
「一週間だ。紛れも無く、一週間だ。ほら、サイバネティック電子時計」
　キリカゼに日付入りの時計を見せられ、アブソリュートは現在が一週間後であることに、納得せざるを得なかった。この世界と向こうの世界では、どうやら時間にずれがあったらしい。まあ、数百年や数千年のズレがなくて、良かった。
「それにしても、ウェイドシティにはいなかったようだが、何処に行っていたのだ？」
「ウェイドシティに居たような、居なかったような……」
「あーでも、その様子だと、知らないみたいだね〜？」
「この一週間、アブソリュートとバレットボーイ、ついでにオウルガールまで居なかったことにより、今ウェイドシティは、非常に面倒な事態になっていてな」
「面倒……？」
　こういう言い方は何だが、平行世界への移動ほどに、面倒で妙な事態は、思い当たらなかった。

　座標が微妙にズレたアブソリュートとは違い、バレットボーイはまともに裏路地に戻ってきた。見慣れた路地の様子に、まず安堵する。ゴミを漁っているクラスメイトなど、居る筈もない。
「帰って来たんだよな、俺。帰って来たんだ―！」
　ぐぐっと背伸びをする、ボーイ。街の様子どころか、深呼吸で吸う空気さえも懐かしかった。速さには流石に飽きたと、ボーイは普通に歩いて表通りに出る。
「ギャハハ！　逃げろ逃げろー！」
「ふふふ。逃げるのならば、それなりのチップを置いて行ってもらうのである」
　何か、見慣れた二人が一緒に暴れていた。
「あれ？　俺、帰った来たんだよな……？」
　ガトリングガンを回すアインや、硬貨を人々から奪い取っているマネー・セント。ついさっき、何処かで見たコンビだった。
「あん？　お、おい、アレ！」
「なんと、バレットボーイではないか！？」
　一体と一人も、疲れた様子で自分たちを見るボーイの存在に気がついた。
「アインにセント。お前ら、二人共牢屋に……そもそも、なんで組んでいるんだ？」
「ケッ！　一週間もありゃあ、新しいボディの入手も、脱獄も上手く行くってもんだぜ！」
「なに。我々も、ファクターズを真似ようかと思ってね。犯罪者同士のカルテル。悪くはない」
　アインとセント、カルテルというには極小すぎるが、面倒なコンビであることは間違いない。
「二人でカルテルも無いだろ？　せめて、もう一人ぐらい……インパクトなんか、誘ったら直ぐ乗るんじゃないか？」
　あまりの健気なカルテルに同情し、思わずボーイは勧誘を提案してしまう。結果、敵が増えるというのに。
「お、おう。インパクトもメンバーだったんだが」
「彼は、普通に警官に捕まってしまってね。実は彼。結構な歳で、既に君と同じくらいの大きな娘もいる。我々も次に彼に会った時は、引退を薦めてやろうかと」
「そうしてくれ。まさか、あっちの世界以上の驚きを、今更突きつけられると思わなかった」
　インパクトが実は子持ちである。衝撃度とやるせなさだけなら、オウルガールの正体がタリアであることさえ越えている。
「正直、一度家に帰って寝たいんだが、お前らを放って置いちゃあ、寝入りが悪い」
　ボーイは疲れを隠し、アインとセントに立ち向かう。隠している内に、疲れは自然と消滅していった。どうやらまだ、ゴールドとの勝負によって生じた猛りが残っていたらしい。
「そうでなくっちゃあ、面白くねえよな」
「やはりオウルガールより、ボーイですな」
「最後に一つ聞くが……お前ら、もし俺が最強のボディや希望通りのオリジナル貨幣を作ってやるって言ったら、どうするよ？　俺に従っちゃったりする？」
「最強のボディねえ。それで、テメエをすり潰してもいいなら」
「夢は己の手で叶えるもの。その程度で懐柔される我輩ではないよ」
「そうか。なんか安心したよ。お前らは、それでいいんだ」
　結構、本気で安心しながら、ボーイは一体と一人めがけて突っ込んだ。

　オウルガールは、当たり前のようにラーズタウンの屋敷に戻った。一度荒廃した姿を見てしまったせいか、やけに屋敷が豪華に見える。
「お帰りなさいませ。お嬢様。お食事はいかがなさいますか？」
　アズルール家にタリアが生まれる前より仕え、オウルガールとしての活動の協力者でもある執事は、突然の主の帰還に驚きを見せず、平然と出迎えた。
「今は食べたい気分じゃないな」
「一週間もご不在だったのです。栄養バランスも崩れていましょう。さらに見慣れぬそのお召し物、一度繕いませんと」
「一週間？　そうか、一週間か」
　オウルガールは、時間のズレをあっさり受け入れた。受け入れてしまえば、やるべきことは簡単だ。
「食事は後回しだ。まずは着替える。着替えた後、ラーズタウンの見回りに向かう」
　一週間も自分が不在だったのだ。この街の至る所で、おそらく悪意のヘドロが渦巻いている。手早く確認するついでに、自分が帰って来たことを知らしめなければらならない。
「ならば、合間に摘めるサンドイッチをご用意しましょう。ウェイドシティまで回られますか？」
「いや、いい。あの街は、バレットボーイに任せた。今は自らを優先する」
　執事にとっては一週間だが、それでも見違えるくらいに、オウルガールがバレットボーイを見る目が変わっていた。恐怖の忌避から、しっかりとした信頼に。主の成長を知り、執事は目を細めた。
「ああ。そうそう。来週、一日フリーの日を作っておいてくれ。その為なら、どれだけ予定が詰まっても構わないから」
「かしこまりました。ですが急なご不在により、元よりスケジュールがパンク寸前です。差し支えなければ、目的を聞かせてもらいたいのですが」
　オウルガールがこうして、休日を申し出ることは珍しかった。逆に執事が休暇を薦めることは、何度もあったのだが。
「行かなければならない所がある。絶対にだ」
　譲れぬ、主の意思であった。
「承知しました。なんとか、空きを作りましょう。ですが、覚悟をお願いします」
「覚悟することには慣れているよ」
　ついさっきも、全てを知りながら、あえて知らぬふりをするという覚悟を決めてきたところだ。その哀しみも含め、清算せねばならない。一週間で、なんとか街を一週間前の状況まで立て直して。
　オウルガールは己を先送りにし、守護者としての使命を優先した。

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