King in tower of ivory
摩天楼の最上階に蝙蝠が飛び込んでからずっと、喧騒が止まなかった。
窓ガラスが割れ、飛び出した身体が空に投げ出される。落ちそうな男の胸ぐらを、遅れて出た手が捕まえた。
一本の手だけで支えられた男。動揺してしかるべきなのに、彼は無表情だった。なにせ彼には顔がない。
彼の顔は漆黒。黒い骸骨の面が顔に癒着した男。その名は、ブラックマスク。
「落とせよ。その手を放して、俺を落とせ! バットマン!」
ブラックマスクは、自らを支えるバットマンに、落とすことを強要する。しかしバットマンは、無言のまま動かなかった。
バットマンの背後、部屋の中には戦闘能力を失った手下達が転がっていた。
ひとしきり叫んだ後、ブラックマスクは落ち着いた声色で、バットマンに改めて尋ねた。
「俺は正気だぜ、バットマン。だから、ブラックゲート刑務所に送られるんだよな。……そうだよな?」
ぐっと手に込められる力、ブラックマスクの身体が引き寄せられる。髑髏の仮面と蝙蝠の覆面、その距離は肉薄となった。
「私は司法ではない。その判断を下すのは別の人間だ」
「なら、お前の予想でいい。さあ、言ってみろ」
バットマンに、一瞬だけ躊躇いが生まれた。
「アーカムだ。お前は、アーカム・アサイラムに送られる」
精神病院アーカム・アサイラム。精神に異常をきたしたフリークスが送られる、異常を閉じ込めたパンドラの箱。
異常の行き着く先にして、異常が唯一正常に暮らせる最後の地。
「そうか、ならば!」
隠していた拳銃を抜き放つブラックマスク。ブラックマスクは銃口を殺害には向けず、自殺に向けた。自らのコメカミに、銃口を押し当てる。
バットマンの拳がブラックマスクの顎を叩く。崩れ落ちるブラックマスクの手から拳銃を奪い取るバットマン。
前のめりに崩れ落ちたブラックマスクの口から恐怖と無念の声が漏れた。
「アーカムに入り、惨めな死が確約されるぐらいなら、俺はせめて、華々しく……」
こう言い残し、気絶するブラックマスク。嘗てアーカムに入った経験のある男が、アーカムを極端に恐れていた。
施設の警備や職員も、フリークスにとってはボロの錠前にすぎない。その気になれば、いつでも出て、ゴッサムで復活できる。
アーカムに入ることは敗北であっても、終わりではない。だがブラックマスクは、終わりであると嘆いていた。
駆けつけるアーカム市警。ブラックマスクと手下を確保し、現場検証を始める。
バットマンは既に部屋から消えていた。摩天楼の風を頼りに、闇を飛ぶ。
今のアーカムは、あり方として正しい。異常の棲み家ではなく、異常を封じる場所にまったくもって正しいあり方だ。
ただ、これは本当に正しいのだろうか。なにせ、アーカムの歪みを正したのは、正真正銘の歪んだ天才である。
一層歪んだのを、正しいと錯覚しているだけではないのか。バットマンの疑念は一層強くなっていた。
バットマンが会いに来た。アーカムの所長はその報告を受けた途端、治療中の患者をほっぽり出して、出迎えの準備を始めた。
治療はいつでも出来るが、蝙蝠は向こうが会う意思が無い限り、絶対に会えない。ならば当然、優先すべきは蝙蝠だ。
「いよいよか。いよいよ、ヤツが私に、頭を垂れる日が来たか」
画期的な治療法を編み出し、一躍総責任者の座についた新所長を、バットマンはずっと認めず顔も見せなかった。
だが今日、ついに彼が会いに来たのだ。傲慢で、正義という言葉を自慰の材料としている男が敗北を認めたのだ。
所長は眼鏡を外し、ワラのマスクを被る。彼を出迎えるにあたってこのマスクは、タキシード以上の正装である。
白衣もついでに着替えようとして思いとどまる。そこまでやってやる必要はない。むしろ、服は白衣のままにし、自分が所長であることを演出してやるべきだ。
ワラのマスクに白衣。これこそ、今のジョナサン・クレインが取るべき格好。
「ようこそ、バットマン! 我が象牙の塔へ! アーカム所長のスケアクロウ自ら出迎えようではないか!」
象牙の塔から転げ落ちたカカシは、歪んだ国へ辿りつき、ついに国王となった。
誇らしげなカカシの王を前に、蝙蝠は苦り切った顔を隠そうともしなかった