アメコミカタツキ~激ファイト! 水着メリュジーヌVSデッドプール~

※こちらのSSは2023年冬コミにコピー本として出したものの、ホームページ掲載版です。なので、情報やネタの鮮度は当時基準となっております。

 後に彼女はこう語った。

「勝ち負けで言ったら、当然僕の勝ちだけどさ。初めて、勝負に勝って試合に負けたってのを味わったよ」

 そう口にする彼女の苦々しさも、これまた新鮮な表情であった。
 なにせ彼女は、生まれてこの方、最強なのだから。

                  ◇

 2023年、ハワトリアの夏。虚数の海に消えたBB、サバフェス正常化委員会による弾圧混じりの規律、アルトリア縛りという枷、崩壊によるループが繰り返す日常、多すぎる黒幕、謎の神性の存在――
 平穏という字がまったく似合わない夏休み。だが、多くの英霊が事態に悩み奔走する中、彼女は事態に関わりつつも、一人平穏を過ごしていた。日がな高級ホテルプリスティンのビーチで寝そべることも、最強である彼女には許されるのだ。
 上半身も下半身も、危ういところが見えてしまいそうな際どい水着。軽くまとっている上着も、腰の両脇から生えた羽根も、際どさを隠すには心もとない。
 だがしかし、幼き肢体に秘められた、圧倒的な実在感に、何よりも儚く美しい肌に髪に顔立ち。美術品でありながら、どんな武器をも超えた圧があるという、矛盾を極めた存在。そんなものに、下品や下卑なんて形容詞がつけられようはずがない。
 妖精騎士ランスロットこと、メリュジーヌ。満を持して水着サーヴァントになった彼女は、夏を満喫していた。
 仕えるべき女王よりハワトリア唯一の海上保安騎士の名を授かったメリュジーヌだが、午前中はホテルのVIPルームでまどろみ、午後はこうしてビーチで日光浴を楽しむと、実に優雅な一日を過ごしている。
 もちろん、海上保安騎士である以上、誰かが溺れたらすぐ助けに行く。だが、そもそも頑強なサーヴァントが溺れることなんて、ほとんどない。それに、海は入るとベタつくので、あまり入りたくない。
 いつもは潔癖なまでに真面目で張り詰めた妖精騎士であるメリュジーヌだが、夏の空気に当てられた結果、常に余裕を持ち、おおらかに人と接する海上保安騎士になってしまった。正体は超越種である原初の竜であるのだから、むしろ夏の姿のほうが本性に近いのかも知れない。
 そんなのんべんだらりとしたメリュジーヌであったが、今日はわずかながらにテンションが高かった。現にビーチ仕様のリクライニングチェアに寝そべりながらも、うつ伏せになってぱたぱたと足を動かしている。まるで、親からのプレゼントを待ちきれていない子供である。

「ふんふ~ん 今日はマスターとデート♪ ボーっとして、その後はこの島全部のアトラクションを楽しんでー。待ちきれないなー」

 マスターと書いて、つがいと読む。
 メリュジーヌは、今日ホテルプリスティンに来る予定のマスターを待ちわびていた。
 メリュジーヌだけでなく、数多のサーヴァントと契約している、カルデアのマスター。今現在仕事に任務にたまに遊びと、ハワトリア中を東西奔走している。そんなマスターが、今日はホテルプリスティンにやって来る。
 本音で言うならば、すぐにでもマスターを拉致して、ずっと隣に居て欲しいものの、竜種独特の感覚で将来的にマスターと恋人になることを確信しているメリュジーヌに、焦りはなかった。長命種独特の呑気さとも言う。
 メリュジーヌの座るリクライニングチェアの脇に並ぶ、同型かつマスター用のリクライニングチェア。準備は万全である。別にマスターはホテルプリスティンに来るだけで、メリュジーヌに付き合うことは約束していないのだが、万全である。
 顔をうずめ、その時を待ちわびるメリュジーヌ。そしてついに、隣のリクライニングチェアに、誰かが寝そべった。

「マスター! 待ってたよ!」

「ドーモ、メリュジーヌ=サン。ニンジャスパイダーマンこと、デッドプール=サンです。ブラックフライデーセールのお陰で、全巻買えました。ワザマエ!」

 メリュジーヌは隣にあらわれた謎の不審者の胸ぐらをつかむと、腕の力だけで遠くにぶん投げた。
 水平線の向こうまで吹き飛ぶ、全身を赤いタイツで覆った謎の不審者。もしかしたら、ルルハワの外まで吹っ飛んでしまったかも知れないが、気にすることもないだろう。
 メリュジーヌは変なのが寝そべってしまったリクライニングチェアをタオルで拭くと、いろいろと全部忘れた。

「ふんふ~ん 今日はマスターとデート♪」

 鼻歌、テイク2である。

「カーッカッカ!」

「サメー!」

 奇抜な笑い方をするデッドプールが、FGOの珍妙生物の一体ことサメ兵士を、マスター用のリクライニングチェアにどかっと置く。デッドプールの手には、デカい中華包丁が握られていた。

「これからテメエはずんばらりんとさばかれて、サメの丸揚げだぜぇ! それも、生きたまんま丸揚げする断末ザメの油地獄だ!」

「サ、サメェ!?」

「ガガガー! 俺ちゃんもやったことはないけど、この間の割引セールで鉄鍋のジャンを全巻買ったからできるだろ! あん? 時事ネタっつうか、ついこの間あった話をネタにすると、後で後悔するぞって? いや大丈夫だって、今回はフットワークの軽さが売りのコピー本だから! その場こっきりだから許されるってのが……えー! 今回、ホームページに再掲されてるのかい!?」

 メリュジーヌのパンチにより、再び吹っ飛ぶデッドプール、そして謎のサメ兵士。時事ネタは許されたとしても、メリュジーヌは許してくれなかった。

「なんなんだろう、アレ。僕をイラつかせるために作られたホムンクルスか何か?」

「お前はイラつくってよく言われるけど、よく言われる以上、もう俺ちゃんは全人類をイラつかせるために生まれた存在と言ってもいいんじゃないかな」

 いつの間にか、デッドプールはまた戻ってきていた。あれだけ景気よく吹っ飛んで、どうやって即座に戻ってきたのだろうか。そもそも、メリュジーヌのパワー+アロンダイトを変形させたメリケンダイトのパンチをくらって、こうしてピンピンしているのもおかしいのだが。ガッツと不死身に定評がある黒髭でも、退去もしくは成仏する攻撃だ。
 本当に変な存在だなと、メリュジーヌはわずかにデッドプールへの興味を持つ。デッドプールもまた、メリュジーヌのそんな視線に気づいた。

「じゃあ、もう一度最初から説明するね。銀幕大スターとなった俺ちゃんは、MCU入りもしたし、ローガンも出るし、これでデッドプール3も安泰だぜ! と滅茶苦茶に気ぃ抜いてたんだけど、キャプテンなマーベルご一同や生臭い海の男の映画がひっでえことになってるのを見て、おっとこりゃマズいなって。だからこうして、弱小サークルの同人誌にも出て、草の根活動をコツコツと」

「うーん……メリケンダイトキック!」

 ああ、これはバーサーカーだ。会話をするだけ無駄なタイプのバーサーカーだ。そう判断したメリュジーヌの横蹴りが、デッドプールを襲う。普段は剣を使うランサーという立ち位置だが、海上保安騎士のメリュジーヌはルーラーであり、その武器はステゴロである。ルーラーは殴るものと、どこぞの聖女が証明したのだから仕方ない。

「U!」

 再び吹き飛ばされるかと思ったデッドプールだったが、なんと今回は二振りのニンジャソードと謎の掛け声で、メリュジーヌの蹴りをそらした。背中に背負った二振りの刀は決して飾りではない。
 続けざまに、今度はメリュジーヌの拳が振るわれる。

「M!」

 再びデッドプールはニンジャソードにてメリュジーヌのパンチをそらす。そらしたとはいえ、あまりの威力だったのだろう。デッドプールは無事でも、ニンジャソードの刃にヒビが入った。

「E!」

 それでもデッドプールは、諦めずにニンジャソードを振るう。メリュジーヌのパンチラッシュをさばくのと引き換えに、二振りのニンジャソードは粉々になった。

「H!」

 飛び退いたメリュジーヌの腰にあらわれた鉄の翼。翼から放たれた複数のミサイルが、銃弾にて撃墜される。デッドプールの二丁拳銃は、どこかの百発零中の戦神とは違い、百発九十中くらいには当たる。

「A!」

 デッドプールは、再び襲いかかってきたメリュジーヌの蹴りを、強引なゼロ距離射撃で弾く。爆発に近い音がしたものの、壊れたのはメリュジーヌの足でなく、拳銃の銃口であった。

「えーい、めんどくせえ! RA!」

 「U」「M」「E」「H」「A」「RA」と、謎の呪文を叫びつつ、メリュジーヌの攻撃をブロッキングしてみせたデッドプール。竜の攻撃をこうも捌いてみせたのは、快挙である。会場も大歓声だ。
 だが、今度のメリュジーヌのアッパーは、ガード不能でブロック不能、つよつよドラゴンらしいチートな一撃だった。

「グワー!」

 メリュジーヌのアッパーにより、再び射出されたデッドプール。海の方に飛んでいったのを見て、メリュジーヌは背を向ける。今度は着水まで確認した以上、三度目の帰還はないだろう。
 ふと、メリュジーヌは、腰の翼に僅かな重みを感じる。

「うわ。信じられない」

 いったい、いつやったのか。メリュジーヌの翼には、リング上に繋げられた、複数の手榴弾が引っかかっていた。ピンを始めとする安全装置など、当然全部解除されている。
 直後に起こった爆風が、メリュジーヌごとビーチの地形を変えた。

                  ◇

 デッドプール。どの武器を使わせても一流、頭はおかしいものの、戦いに関しての頭脳と嗅覚は並外れた傭兵である。
 だが、もっとも厄介なのは、ヒーリングファクターと呼ばれる再生能力であった。たとえ、腕を吹き飛ばされても、脳みそを削られても、そしてドラゴンに本気で殴られても数分で回復してしまう、無茶苦茶な再生力である。
 回復を終えたデッドプールは、海にぷかぷか浮かびつつ、ビーチで起こった爆発を見届けていた。

「たまや~ってな。さてと、龍殺しの伝説は作ったし……」

 ここでデッドプールは、自分と同じようにぷかぷか浮いているサメ兵士の存在に気がついた。おそらく、さきほどさばこうとした個体だろう。
 デッドプールは、サメ兵士の腹をぺしぺしと叩く。

「おい起きろー、お前が気絶してる間に、俺ちゃんは児ポ法ギリギリのドラゴンにひとあたりしてきましたー」

「サ、サメぇ!」

 ガバっと起きるサメ兵士。普通のサメのように無表情ながらも、その顔は恐怖に染まっているように見えた。

「やあ、デッドプールさんだよ! いやいや、食べないよ? ビビってるサメの肉は固くてしょうがないって、鉄鍋のジャンに書いてあったし。あれ? それダチョウだっけか? ダチョウ兵士っていたりしない? そもそもお前らなんなの? ネイモアの管轄?」

「サメぇ?」

 デッドプールに様々な疑問をぶつけられ、ハテナを浮かべるサメ兵士。そもそもこのサメ兵士がなんなのか、数多のマスターもサーヴァントもよくわかっていない。創造主ですらよく考えていないかも知れないし、ものすごい伏線があったりするかもしれない。
 キーーン――と甲高い音が、水面を震わす。

「あら? 鳥か、飛行機か、いやハイペリオンかしら?」

 呑気なことを言うデッドプールの間近を、ガトリングガンの弾幕が横切った。
 慌てて潜るデッドプールとサメ兵士。サメはそのまま潜って逃げられても、陸上生物のデッドプールはすぐに浮かぶしかなかった。

「ブハッ! マスク! マスクのまま、水泳するの無理! 鼻と口にぴったり貼り付くから、普通に死ぬ! 流れ弾にヘッドショットくらうよりキツい!」

 ナイフで頭に入った弾丸をえぐりつつ、叫ぶデッドプール。そんなアホの摘出手術を見下ろす、小柄な影があった。

「いつも、装備を使い切る前に相手が潰れちゃうんだけど、それぐらい頑丈なら全部使い切ってもいいよね?」

 当たり前だが、あの程度の爆発、メリュジーヌにとってはなんでもなかった。せいぜい、逆鱗にホコリがかかった。要はイラっとしただけだ。
 黒い水着から、白い水着を飛び越し、完全武装モードへ。高速飛行を可能とする鋼の蒼き翼に、ガトリングガンやミサイルといった火力を装備。それでいて、ガトリングガンの直殴りや尻尾による強烈な攻撃による格闘戦も可能と、もはや存在自体が規格外の戦闘機である。おそらく人類が滅びるまでの年月をすべて戦闘機の研究につぎ込んでも、この域に達することはできまい。
 そんなアロンダイトの怪物が、ホバリング状態でデッドプールを見下ろしている。

「正直、本気になったら負けだっていうのはわかっているけど、これから僕には大事な用があるからね!」

「大事な用? 俺ちゃんと絡むよりも大事なことなの?」

「なんでこの状況で、自分を比較対象にできるのかがわからない。これから恋人との用事がある。これ以上、言わなきゃいけないかな?」
 ちょっとイラッとしたのもあるが、この生き物をさっさと片付けないと、マスターとの時間が減ってしまう。メリュジーヌが換装してきたのには、そういう理由もあった。
 そんな生き物であるデッドプールは、唐突な一言を差し込んできた。

「でも、マスターはもういないじゃない」

「――なんて?」

 目を見開き、絶望的な顔をするメリュジーヌ。すぐに我を取り戻すと、ホテルプリスティンとの通信回線を開く。

「もしもし? メイド長? もしかして、もうマスター来たりしてる? ええっ! 帰った!? だってまだ僕と……珍しくビーチで誰かと楽しそうに遊んでたから、邪魔しちゃ悪いと思ったって? いやちょっと待って。いくらなんでもそれはつがいとして竜の心がわからなすぎっていうか。掃除で忙しいから切る? 待って!」
 メリュジーヌに構わず、プツンと切れる通信回線。これからマスターとのイチャイチャタイムに突入するはずだったのに、その予定は全部吹き飛んでしまった。別に確固たる約束はしていなかったものの、吹き飛んでしまった。
 いったいコレは、誰のせいなのか。

「おいサメ! 頑張れサメ! お前の頑張りに、俺ちゃんの命が! なんならMCUの今後がかかってる!」

「サメー!」

「サメーじゃねえよ! お前らそもそもなんなんだよ! アットゥマも誰だお前って聞いてくる謎生物だよ! 頑張れ! 生き延びたら、お前を名誉ボブにしてやるから!」

 全責任を負うべきデッドプールは、再び捕まえたサメ兵士の背中に乗って逃亡中だった。サメ兵士のおかげもあって、モーターボート並のスピードで逃げているが、今のこの状況におけるモーターボートは鈍亀より頼りなかった。

「着艦しなくても、あれぐらいは捕まえられるかな」

 本来は、カタパルトを必要とするフォーメーションである。だが、あの程度の速度なら、自力飛行をスタートとしても十分捕まえられる。
 メリュジーヌは、外部に展開している武装を、通常時のフェアリーパックから、火力と機動力を重視したドラゴンパックへと換装。えっちらおっちらと逃げるデッドプール(とサメ兵士)に照準を絞る。

「スプライト・アルビオン!」

 虹を架ける、無垢なる鼓動。マッハの速度によるオールウェポンアタックが、デッドプールを襲った。

 この日、ホテルプリスティン洋上にて、カルデアの記録でも上位に数えられるほどの、大爆発が起こった。

                  ◇

 ホテルプリスティンには主がいる。その主は、最も豪華な自室にてメイド長からの報告を聞いていた。

「帰還したメリュジーヌは、現在自室にて就寝中です。ふて寝ですね」

「ご苦労。海で暴れたせいで、随分とビーチが汚れたようだ。起きたら、清掃作業に駆り出すように。多少は働いてもらわないと、いい加減ビーチから追い出したくなるからな」

 筋骨隆々、たくましいメイドランキング上位のバーゲストに、妖精國の元女王にして現ホテルプリスティンのオーナーであるモルガン。時刻は遅いものの、二人は夜空を背に優雅なティータイムを楽しんでいた。

「のんべんだらりと過ごすメリュジーヌを苛つかせ、多少働かせることができ、なおかつカルデアの支配下にいない人材。カウンシル・オブ・モルガンズで紹介された時は半信半疑だったものの、あのデッドプールという男はいい仕事をしてくれたものだ。おかげで私も、邪魔が入ること無く、マスターとの逢瀬を楽しむことができた」

 マスターと書き、我が夫と読む。カルデアのマスターも大変だが、奪い合うサーヴァントも大変である。
 本来、モルガンのものであるはずのプライベートビーチにて、主以上にビーチを満喫しているメリュジーヌ。そんなメリュジーヌをからかい尽くしたデッドプールを呼んだのは、他ならぬモルガンであった。ビーチを我が物顔で使うなら、多少は働いてみせろというメッセージである。とはいえ、最強種であるメリュジーヌに迷惑をかけ、足止めもできる存在は、なかなかに探すのが難しかった。
 だが、そんなデッドプールの話より、もっと気になる単語が、モルガンの発言にはあった。

「失礼ですが、そのカウンシル・オブ・モルガンとはいったいなんでしょうか?」

「平たく言うなら、全次元のモルガンが集い話し合う評議会のようなものだ。自称征服者が、全次元の自分自身を集め、身の程知らずの評議会を開いているのだ。魔女モルガンにできないはずがない」

「なるほど」

 これは深く言及するとマズい組織だと判断したバーゲストは、無理やり納得する。カウンシル・オブ・モルガンでどんな光景が繰り広げられているのかは知らないが、きっと全次元のアーサー王が渋い顔をする光景に違いない。

「あのデッドプールを紹介したのは、向こう風に言うなら、アース616のモルガン……いや、モリガンだったか? とにかく、別次元のモルガンだ」

「ところで陛下、もう一つお聞きしたいのですが」

「身長190センチ♪ 体重120キロ♪ 巨体が吠えるぞ 地を行くぞ♪ その名はつよでかメイド その名は~バーゲスト! いやー、シーハルクもタイタニアもデケえ! と思ってたけど、さらにふっとくて美人! ねえねえ、今度はそっちが俺ちゃんの世界に来ない? うわーもう、ガンマ線とか浴びて、上乗せマッスルしてみない!?」

「いったいいつまで、この客人を置いておくのですか?」

 一見瀟洒なメイドとしての己を保っているものの、バーゲストの内から放たれているのは、暴威であった。
 モルガンたちのお茶会の脇で、キャッキャとはしゃいでいるデッドプール。頭が半分吹っ飛び、右腕がどこかにいって、脇腹がえぐれ臓物がちらちらしていても、とにかく元気であった。

「サメー」

 同じく生き延びたサメ兵士も、ポリポリとなにかをかじっている。かじっている物体が、成人男性の右腕に見えるのは気のせいだろう。

「そうだな。役割を終えた以上、即座に帰すべきだ」

 そう言うと、モルガンは上等な紅茶を口にする。一秒、十秒、返答を待つバーゲストには、とても長い時に思えた。
 モルガンが紅茶を飲み終えたところで、バーゲストは発言する。

「もしかしてなのですが……ひょっとして、喚び方は聞いたものの、返し方を聞いていなかったりするのでしょうか」

 まさかそんなことはないだろう。そんな感情がありありと込められたバーゲストの質問を聞いたモルガンは、目を夜空にやりつつ答えた。

「別次元とはいえ、流石はモルガン。悪辣なのは、変わらぬようだ」

 即日発送可能、しかし返却は不可能。人はそれを、厄介払いと呼ぶ。

「ねえねえ、ドクター・ドゥームって知ってる? 向こうのモルガンとデキてたらしいんだけど。なんなら紹介しようか? 素顔は俺ちゃんと同じくらいイケメンで、独裁国家の国王っていう優良物件だけど。一回さー仲人とかやってみたいんだよねー。スパイディやキャップより、既婚者の俺ちゃんの方が向いてると思うんだよね。あれ? スパイディは既婚者だったっけ? メフィストの悪意が、俺ちゃんを襲う!」

 モルガンが一瞥した途端、暴言を越えた何かを発したデッドプールはピチューンと消滅する。でもきっと、気がついたらまた戻ってくるのだろう。なにせ、最強であるメリュジーヌですら殺しきれぬ男である。
 残酷な失敗は何度も経験してきた。それとは毛色の違う、無様な失敗とはこういうものなのか。モルガンは改めて学んだものの、その代償はしつこくもまったりとして馬鹿みたいにデカそうだった。

~了~

  

バレンタインのおまじない

 僕にとってのバレンタインデーは、チョコを貰える日であり、姉さんのたわごとを聞く日でもある。いや、たわごとはいつもか。
「ふう、あたたかい。ウェルカムトゥようこそコタツパーク……今日もドッタンバッタン……できるわけがない! コタツで大騒ぎするやつなんて、シベリア送りだ。コタツの愛をかみしめろー……」
 何年たっても、この人は変わらない。若干、口調が変わった気はするけど。バレンタイン当日、業務用チョコをたんと買ってきて、コタツでだらだらしながらポリポリかじっている。それに付き合っている僕も、きっと変わっていないのだろう。
 なんとなく点けているテレビも、今日はなんだか茶色とピンクの占有率が高い。ワイドショーできらびやかなアイドルが出演者たちに甘い声で甘いチョコを配っている。なんだかまぶしすぎて、目を背けたくなってくる。
「うんうん、つらいよね。人間、だんだん輝きを失って、それと反比例で輝いている他人を見るのが辛くなっていくのさ」
 わかるよ、わたしはよくわかるよと、姉さんの顔は朗らかな優しさに包まれていた。同意したが最後、あのままこちらの足を引っ張って、輝きなき暗黒の世界に引きずり込むのだろう。人間、輝きを失うと狡猾に老いていくのだ。
「なに、その同情の瞳……ああもう、わたしもあの娘たちみたいに、本気出すかな」
「あの娘たちって?」
 思わず問いかける。姉さんはコタツにつっぷしたまま、軽く答えた
「そこのTVにいる娘たち」
 テレビでは、未だバレンタイン企画が続行中であり、今はアイドルグループが手作りチョコと格闘中であった。
 なるほど、バレンタインはこうやってだらだらするのが毎年恒例、「枯れる」の三文字が似合う女性が、楽しそうにきゃぴきゃぴやっている、僕よりも若くてファンもごまんといるアイドルと自身を並べているのか。むしろ、本気を出すとは、すなわち同じ土俵。アイドルにでもなる気なのか――
 ならば、弟としては、なんとか協力してやるべきだろう。
「握手会のサクラ、10人ぐらいなら用意できるから」
「え? なんでわたしがアイドルに? ああでも、こんな導入で始まるアイドルものって、結構多くない?」
 コタツから顔を上げた姉はきょとんとした顔をしていたが、だんだんまんざらでもない風になっていく。
 ああ、もうこうなったら正論をぶつけるしか無いだろう。
「最初から握手会をサクラでどうにかしようって話が出てきている時点で駄目じゃないかな」
「ですよねー」
 再びコタツにつっぷす姉。ああよかった、勝率一桁の戦いに挑むのを止めることができて、本当に良かった。
 まあそれはそれとして、疑問はあるわけだが。
「あの娘たちみたいな本気って、結局何?」
 いったいこの人は、どんな本気を出す気でいたのだろうか。
「そりゃあ、バレンタインのおまじないに決まっている。アイドルはみんな、おまじないを知っているからね」
 姉さんの回答は、いつもどおり聞いてもよくわからないものであった。

 

 ずずっとブラックコーヒーをすすり、ビターチョコを口中に投げ込む。
 見ているだけで苦い顔になりそうな取り合わせを楽しんだ後、姉さんは改めて口を開いた。
「芸能……っていうと新しいイメージがあるけど、芸の道はずっと昔から。他人から視線を集める生業は、たぶん古代からある。たとえば、アマテラスを引っ張り出すために宴会を盛り上げた、アマノウズメとかね」
 天の岩戸に閉じこもったアマテラスの注意をひくために、扉の前で繰り広げられた大宴会。アマノウズメは踊り子として皆を盛り上げ、結果、アマテラスは宴会の騒ぎが気になりすぎて、岩戸を開けた。服を脱いでまで踊り続けたアマノウズメは、日本最古の踊り子にしてストリッパーだと、聞いたことがある。
「当然、大きな注目を集めるには、本人たちの並々ならぬ努力が必要となってくる。歌に踊りに……きっとそのレッスンの厳しさは、本当に不変なものなんだろうね。でも、あと一歩で足りない、素質も鍛錬も十分なのに注目を集められない。そんな時に頼るのが」
 思わず、姉さんの答えを待たずに、台詞が口から出てきた。
「おまじないってこと?」
 姉さんはゆっくりとうなずいた。
「神頼みは0から10を叶えるものではなく、9を10にするべきもの。人事をつくしても足りないときにこそ、頼るべきなのよ。だから、不確かで移ろいやすい他人の視線を相手にする芸事の人間は、同じく少し足りない部分を補ってくれるおまじないの確かさを知っている。形や職業の呼び方は変わっても、脈々と誰かを伝って、おまじないはあり続けているのよ。芸能プロダクションに伝わっていれば、そこのアイドルみんなに伝わるからね」
 踊り子、巫女、アイドル……他人の視線を浴び続けねばならない彼女たちの中には、おまじないがあった。きっと、統治者が変わって戦争があっても、その系譜が途絶えることはなかったのだろう。
 でも、そう考えると、不思議な気持ちになってくる。今、こうしてつけっぱなしのTVに映っているアイドルグループ、自分はその一人のファンだ。あのちょっと気弱そうで、芸能界の荒波に必死で抗おうとしている感じがたまらない。その頑張っている姿を見ていると、なんだか頑張ろうという気になってくる。
 だが、ひょっとしたらこの気持ちは、おまじないによるものなのかもしれない。彼女の頑張りはきっと嘘ではない。それはわかっている。でも、僕の彼女を応援したいという気持ちはもしかしたら、おまじないで生じるナニカに与えられたのでは。そんな懸念が浮かんでくる。得体の知れないナニカの衝動が、自分を突き動かしている。そう考えてしまうと、なんだか不気味で……。
「まあ、今の話、半分くらい嘘なんだけどね」
 ビターチョコを噛み砕いた姉の口から、苦味と無情さが同時に出てくる。アイドルの頑張りは嘘じゃなかった。
 でも嘘は、目の前にあったのだ。

 

 ホワイトチョコを口の中で舐める。普通のチョコよりも柔らかく大きな甘みは、妙な嘘でささくれだった心を癒やしてくれた。
「ごめんごめん、あんまりも真面目に聞くから、話が盛り上がってついね。芸能人もみんな、おまじないとまではいかないけど、きっと縁起ぐらいはかついでいるじゃない? だって、人気が大事で、足りない何かを補いない商売ではあるんだもの」
 ぶーたれて横になっている僕に、姉さんは声をかけてくる。こちらが相手をする気も無いとばかりに返事をしなくても、姉さんは勝手に喋り続けていた。
「でも、きっと今、そっちが感じた不思議さ。自分の中の気持ちや衝動に手を付けられたのではと疑う心。それが、おまじないの怖いところなんだろうね。だって、一度頼ったら、きっと疑い続けてしまうのだから」
 確かに、さっき、ほんの一瞬だけど、僕はTVの無効のアイドルと、自分の気持ちを疑った。
 姉さんはため息をついて、再び語り始める。
「もし、どんな人の心でも惹きつけられるおまじないがあったとしましょう。そのおまじないを使って、意中の人の心を繋ぎ止められた。めでたし、めでたし。物語だったらこれでいいんでしょうけど、実際はこの先が本番なのにね」
「だろうね」
 おまじないで恋が成就する。おまじないの効果を示す逸話なら、これでいいのだろう。だが、これは恋愛の始まりであり、おまじないをかけた方とかけられた方、二人の物語はこれからなのだ。
「もし、順風満帆で上手くいっても。もし、突然フラれても。もし、段々と心が離れていっても。おまじないのおかげ、おまじないの効力が薄れた、おまじないのせいで。感謝も悲しみも恨みも、ぜんぶ自分たち以外のナニカにぶつけることになる。一度頼ってしまえば、もう心が離れられない。おまじない、漢字で書くと『呪』がついてお呪い」
 好きでたまらなくておまじないをかけた相手よりも、そのおまじない自体に心が向いてしまう。本末転倒と言うには、あまりに悲しい。
 0から10を叶えるものではなく、9を10にするべきもの。頼ってもいいけど、決して頼りすぎず。しばらくしたら、忘れてしまうぐらいの距離感で。それぐらいが、いいのかもしれない。
「あ」
 唐突に、姉さんが驚く。
「どうしたの?」
 今まで無視してたが、思わず聞き返してしまった。
「いま、テレビ見てたら、アイドルグループのメンバー全員の手首に、何か書いてあるのが見えてね。あの紋様は、何処かの本で見たことがあるような……」
「マジで!?」
 思わず起き上がり、TVをまじまじと見るが、既に番組は別のコーナーに移り変わっていた。彼女たちの出番は終わったのだろう。
 いくらTVじっと観ていても、そこにあるのは芸人がアツアツおでんの早食いをしている姿だけだった。
「今の話も嘘だよ」
 またも、自分が嘘をついたという姉さん。でもその語気は、なんだかやけに空虚に思えた。
 そんな姉さんが差し出したチョコミルクを受け取って、荒々しく噛じる。
 最初は味がしなかったけど、だんだん口の中に、チョコらしい甘みが広がっていった。

 ~了~
 

アメコミカタツキ~マキジと学ぶブラックパンサー~ 改

※去年末の冬コミ(コミックマーケット91)にて配布したおまけペーパーを、加筆修正したものです。

蒔寺「道行く人が、ブラックパンサー、ブラックパンサーと口々に語っている。黒豹改めブラックパンサーの時代来ちゃったかー。まいったにゃー」

三枝「蒔ちゃん、それって、映画シビル・ウォーの……」

氷室「少し黙っていよう、由紀香。いけるトコまで調子に乗らせておいてから、ガーッと。人がフリーフォールのようにテンションが落ちる姿を見てみたい」

三枝「それ、結構定期的に蒔ちゃんやってるよね!? 調子に乗ってのズコー! だよね!?」

蒔寺「世界よ、これが黒豹だーっ!」

蒔寺「……」

氷室「うむ。全てを知って予想通り、テンションが紐無しバンジーの如き勢いで落ちたな」

三枝「そう言えば、ブラックパンサーってどんな人なんだろう? 映画のCMだと、蒔ちゃんみたいにすっごく速く走ってたよ」

氷室「まさに黒豹だったな。どれ、コミックスでの設定を少し調べてみるとしようか」

ブラックパンサー

ブラックパンサー

本名、ティ・チャラ。アフリカの王国ワカンダの王であり、アフリカ系黒人ヒーローの魁。黒豹を模したスーツの各所や爪には希少にして超硬度、ワカンダ原産の金属ビブラニウムがふんだんに使われており、高い防御力と攻撃力を誇る。ティ・チャラ本人もオリンピック選手クラスの身体能力とノーベル賞級の頭脳を持っており、ビブラニウムの加工製造やクリーンエネルギーの開発など、彼に率いられた科学陣によりワカンダの技術力と軍事力は世界トップクラス。人格も品行方正で、市井でもごく自然に暮らせる柔軟性も持っている。王妃の座が空いていると知れば、アフリカ中から美女が押し寄せるモテ度であり――

氷室「いやはや、自国特有の鉱物の世界最高の権威が王自身というのは、実に隙が無い。貴重な資源を開拓者に騙し盗られてきたアフリカに、最も求められる能力と言えようぞ」

蒔寺「なんだこのチートは! パンサーなのにチーターってズルくねえ!? コマンド、上上下下右左AB!?」

氷室「だがやはり、納得いかないな」

蒔寺「おう。言ったれ言ったれ、盛りすぎだって」

氷室「何故アメリカ人の考えたアフリカのヒーローという状況下で、ゴリラモチーフではないのかと!」

蒔寺「そこかよ!」

三枝「あれ? でもブラックパンサーのライバルに、マン・エイプっているよ?」

マン・エイプ

ブラック・パンサーVSマン・エイプ

本名:エムバク。ブラックパンサーがアメリカでも活動するようになり、ワカンダを留守にする機会が増えたその時、部族の同胞エムバクの野心に火が点いた! エムバクは聖獣ホワイトゴリラを殺害。ゴリラの血肉を喰らい、ホワイトゴリラの毛皮を着ることでゴリラパワーに覚醒。禁教ホワイトゴリラ教団のゴリラ教祖となり、信者と共に、ワカンダの王座を虎視眈々と狙う。戦え、マン・エイプ!

三枝「この解説、さっきのブラックパンサーの時と、明らかにテンション違うヨ!?」

蒔寺「なるほど! 黒豹なブラックパンサーの対だから、白猿のホワイトゴリラか! 待て! パンサーのライバルってゴリラでいいのか!?」

氷室「あなたは一体何度―― 我々の前に立ちはだかってくるというのか! ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ!」

蒔寺「それにしたって、黒豹のライバルはゴリラかー。アタシにも心当たりはあるぜ。なっ?」

美綴「いきなり肩抱いて、なっ? じゃねえよ、テメエ」

氷室「蒔の字よ、それは無礼というものだ。人間の皮を被ったゴリラとゴリラの皮を被った人間は同類ではなく、むしろアイデンティティを賭け対立する者同士ではなかろうか」

蒔寺「あっ……! ゴメンな、マユ・エイプ!」

美綴「はっはっは、お前ら、明日からすり潰したバナナしか食えない身体にしてやろうか?」

美綴「何かと思えば、アメコミのゴリラの話か。アメコミのゴリラと言えば、DCコミックスのゴリラ・グロッド。最近では実写ドラマにも出たし、超高速ゴリラにもなった」

ゴリラ・グロッド(ドラマ版)

ゴリラ・グロッド(光速)

氷室「超高速ゴリラ……またアメリカ人は新たなゴリラ概念を生み出したのか……」

美綴「アニメのバットマン:ブレイブ&ボールドでは、あのジョーカー以上の出番で、ついにはジョーカーを押しのけて最終回の敵に。時には仲間と一緒に歌ったり踊ったりで大活躍だ」

グロッド&クロックキング&ブラックマンタ

蒔寺「ゴリラの熱いアイドル活動。略してゴリカツ……」

沙条「ゴリラのコミックスと言えば、早撃ちとゴリラパワーで戦うゴリラのガンマンが西部劇の世界で生きる、Six-Gun Gorillaって作品があってね。これがなんと1939年の作品で、この間著作権が切れた結果、パブリックドメインになったんだ。きっとそろそろ、英霊扱いになるよ?」

シックスガン・ゴリラ

シックスガン・ゴリラの日常

ゴリラ大暴れIN西部

氷室「公的なゴリラのガンマン。またも新しい概念だ。しかし、しれっと話に入ってきたな」

三枝「あれ……? わたしたち、最初からゴリラの話してたんだっけ……?」

アメコミカタツキ~氷室の天地で学ぶゴリラキャラ~ 完

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こうして彼女は本を読む

 休憩室の扉を開けた瞬間、神谷奈緒は己の目を疑った。
 太めの眉を不審げに歪めた後、もう一度扉を閉めて、開く。それでも信じられない光景は変わっていなかった。よしもう一度閉めようとした所で、困惑の原因である女性が、奈緒の存在に気づいた。
「……どうしました?」
 鷺沢文香。同じプロジェクトに参加したこともある、顔見知りのアイドル。長い前髪から除く蒼い瞳が、不思議な行動を取り続ける奈緒を、じっと見つめていた。先程まで、彼女が手にする書籍に向けられていた瞳だ。
 そしてこれもまた、おかしい。
「いったいアタシ、何処で世界線を越えたんだ……」
 異世界か平行世界に迷い込みでもしたのかと、奈緒は本気で悩み始める。
 文香の特徴といえば、本の虫であることだ。一度本の世界に没頭してしまえば、文香はおいそれと帰ってこない。なのに、今、文香はあっさりと、彼女にしては本当にあっさりと、奈緒の存在に気がついた。まずこれが、おかしい。
「ひょっとしてアレか、晶葉が持ってきた発明品、電話とレンジが合体している怪しいやつをいじったのがまずかったのか!?」
「……ひとまず……落ち着いて下さい……」
 そして更におかしいのは、文香が手にしている書籍。書籍は書籍でも、それはデジタルな書籍。文香は、紙の本ではなく、真新しいタブレットで電子書籍を読んでいたのだ。これがまず、奈緒を混乱に陥らせるほどに見たことのない光景だったのだ。
 
「……ふう」
 ソファーに座った奈緒は、水を飲み息を吐きだし、ようやく落ち着くことが出来た。
「……大丈夫ですか?」
「ん。ああ、平気平気」
 奈緒はコップを置くと、心配そうにしている文香に無事を伝えた。
 文香は、いきなり奈緒に頭を下げた。
「……すみません」
「え? ど、どうしたんだよ!?」
「……驚かせてしまった……みたいで……」
「ああ。いや、別にそっちが謝ることじゃないって。ただあんまりに何時もと違ったからさ。本を読む姿はよく見ているけど、紙じゃなくてタブレットで読んでいるのを見るのは始めてだったから」
 文学部に通う大学生でもある文香は、叔父の書店で手伝いをしている際、プロデューサーと出会い、アイドルにスカウトされた。アイドルとなった今でも、彼女は書店の棚卸しを手伝っている。何冊もの本を抱えて歩く姿も、今では事務所の名物だ。この経歴からして、文香には本のイメージがあった。それも、昔ながらの、紙の本の。
「これは……ありすちゃんに借りました……」
「だと思ってたよ」
 文香が紙の本なら、橘ありすはタブレットだ。小学生アイドルの一人であり、情報や効率を好み、常に背伸びしているように見えるありす。でも、その内に秘めているものは、子供らしい可愛らしさと愛おしさだ。ユニットを組んだこともある文香は、そんなありすの内面を露わに出来る存在であった。
「それにしたって、電子書籍か。あそこのアレ、全部読んだってわけじゃないんだろ?」
 奈緒の視線が、自然と休憩室の片隅に移る。そこは、各アイドルの趣味の品が置いてある場所だ。キャッツのバットと、“ご自由にどうぞニャ”と書かれた箱に入っている大量の猫耳の間に、文香が持ち込んだ本の山があった。
「……半分は読んでますが……まだ半分残ってます。でも今日は……電子書籍に挑戦してみようかと……まだ……操作に慣れていないので……すらすらと読めないのですが……」
「ああ。だから挙動不審なアタシに、気づいたのか」
 操作に慣れていないことが、文香の没入感をとどめていたのだろう。
「……やはり……慣れないことは難しいです……」
「わかる、わかる。アタシもゴスロリとか、ホント似合わないし、慣れてなくてさー」
「……え?」
「なんだよ、その意外そうな顔は」
「でも……慣れていないことは……楽しいですね……」
「おい。普通にスルーか。おい」
「……私は……紙の本が……好きです……」
 文香の仕切りなおしを前に、奈緒は追求を諦める。ある意味、話すことが苦手な文香の、成長の証である。
「……内容だけでなく……紙をめくる音に感触……インクの匂い……どれも好きです。本棚を見て……じっくり探すのも……電子書籍には……私が本で好きなところが……ありません……」
「だろうな」
「……でも……電子書籍にも……いいところがあります。高価だったり手に入りにくい本が……誰でも読めて……それにこのタブレットの中に……数十冊が入ります……本は……重いです……」
「ああ、この間、この部屋掃除しようとした菜々がスゴイことになってたよな」
 17歳とは思えないほどしっかりものな、自称ウサミン星から来たアイドル安部菜々。先日菜々は、この部屋を掃除しようした際、文香の本を一気に持ち上げた結果、腰がグギィ!と逝ってしまった。アレは思い出すにつけ、大惨事だった。
「中に刻まれている物語は……紙の本でも電子書籍でも……かわりません。紙の本が好きだからと言って……電子書籍が嫌いになる必要も……ありません……。大事なのは……色々な人が色々な手段で読めることです」
 文香は、何処まで行っても、本好きであった。彼女は、形だけではなく、その本質も愛している。
「……こうやって電子書籍を読むことで……貸してくれたありすちゃんのことや……電子書籍が好きな人の気持ちが……わかるような気がします……わたしは……色々な人のことが……わかりたいです。だって……私は……」
 文香の前髪が揺れ、素顔が露わになる。文香の素顔を見た奈緒は、思わず息を呑んだ。
「皆さんにわかってもらう、アイドルなんですから……」
 アイドルである自覚を得た文香の柔らかな笑顔は、気圧されるほどの魅力に満ちていた――
 
 数時間後、奈緒は何時ものファーストフード店にて、休憩室であったことを話していた。
「ってなことがあってさ。あの時だけは、なんだかアイドルとして負けた気がしたよ」
「分かるために踏み出すこと、そして分かってもらうことか」
「両方が揃うのが、大事なんだろうね」
 奈緒が所属するユニット、トライアドプリムスのメンバーである北条加蓮と渋谷凛は、奈緒の話に聞き入っていた。
「私たちも、アイドルとして踏み出さないとね。凛」
「そうだね加蓮。他人の気持ちになることか……わかった、今日は奈緒の気持ちになって。玩具がついてくるセット買って来るよ」
「私の分もお願いね。奈緒の気持ちになるですよってね」
 凛と加蓮は、いい笑顔でこんなやり取りをしていた。
「お、お前ら、そう来るのかよ!? なんだよ、このオチー!」
 イジられた奈緒が、思わず悲鳴を上げる。顔を赤くして困る奈緒、彼女もまた、アイドルとして相応しいだけの、可愛らしい様相を見せていた。

Escape play of a wolverine

 極寒の雪原を、少女が歩いていた。吹きすさぶ風も冷気もものともせず、ただひたすらに、一直線に歩いて行く。寒い、冷たいを通り越した、痛い吹雪。それでも黒髪の少女は、構わず前へ前へと進んでいく。
 ふと、少女は足を止める。彼女の周りを、白い獣が取り囲んでいた。狼の群れが牙を剥き出しにして、わざわざこちらにやって来た獲物を待ち構えていた。
 狼の存在に気づいた少女は歩みを止め、逆にその鋭い瞳で狼を睨みつけた。狼以上に獣らしい目に見据えられ、群れの若い狼が自然と退いて行く。だが、ボスを始めとした歴戦の狼は耐え切り、包囲が瓦解するまでにはいかなかった。
 突如、空気が切り裂かれる。切り裂いたのは、爪。少女の手から出現した二本の鉄の爪が、狼を逆に威嚇していた。
「……やるかい?」
 脅しではなく、本気。彼女は獲物ではなく、同じ獣として狼達に立ち向かおうとしている。少女の強烈な殺気に当てられた瞬間、包囲は崩れ、狼は三々五々に散らばっていった。
「ふん。つまらない」
 勝者となった少女が、逃げる狼を追うことはなかった。
「てっきり、このまま追っていくのかと思った。あの人なら、そうしてるだろうしね」
 少女の後ろから出てきた、これまた別の少女。ピンク色の大きなゴーグルを上げ下げしながら、気安く語りかける。
「私は、そこまで獣じゃないから」
「確かにね。ローラは、臭くないから。オッサンでもなく動物でもなく、女の子の匂いがするもの」
「アンタと比べて、付き合いが長くないからね。逆に付き合いが長いだけあって……そっちは時折臭うよ、ジュビリー。ニオイが、移ってるんじゃない?」
「嘘!」
 クンクンと自分の身体を嗅ぎ始めるジュビリーを見て、ローラ、別名X-23が苦笑する。同じ東洋人の少女であり、超人種ミュータントである二人。X-MENにも名を連ねる二人は、きちんとした目的と行き着く手段を持って、この雪原を歩いていた。
「行こう。もうそろそろ、目的地だ」
 ローラが鼻をひくひくとさせ、雪原に残る僅かな臭いを嗅ぎ当てる。獣性だけでなく、獣以上の優れた嗅覚と直感を持つローラこそ、目的の物を探し当てる手段だった。
 しばらく歩く二人、やがて先行するローラの足が止まった。
「ここだね。アイツは、この先に居る」
「なるほどね」
 二人の目の前にある、白い壁。うず高く積もった雪が、行き先を覆い隠していた。ローラは爪で雪を削るものの、その壁はいかんせん厚かった。
 カリカリとネコの爪とぎのように雪を削るローラを、ジュビリーがどける。
「よかった。ここまでローラにおんぶにだっこだったからさ」
 ジュビリーの開いた両手の間で、火花が散る。虹色のカラフルな火花は、吹雪に負けずずっとスパークし続けていた。
「最後ぐらい、私の見せ場があってもいいよね!」
 弾ける火花が、熱気となり目の前一帯の雪を溶かす。ジュビリーの能力である、爆発性の火花の放出。威力ならば目眩ましから爆発まで、範囲ならば一人から集団まで、ジュビリーの火花には華麗な見た目以上の器用さがあった。
 雪が溶けた先に、ぽっかり空いた黒い穴。二人は警戒しつつ、目の前の洞窟に足を踏み入れる。灯り代わりの火花を出そうとするジュビリーを、ローラが止める。無言の抗議をするジュビリーに対し、ローラもまた無言で洞窟の先にある灯りを指し示した。
 音を立てず、灯りに向かって歩く二人。やがて、灯りの正体も明らかになる。
 煌々と燃えさかる焚き火。切り分けられ、串刺しとなった鳥肉が焼かれ、良い匂いを醸し出している。ちょうど良く焼けた一本を、焚き火の前に陣取る小柄で毛むくじゃらな男が、むしゃむしゃと食べていた。
「お前ら、来たのか」
 二人に背を向けているのに、男は誰が来たのか察していた。彼の鼻は、ローラ以上だ。
「ようやく見つけたよ、ローガン」
 ジュビリーが男の名を呼ぶ。
 ローガン。コードネームをウルヴァリン。X-MENの重鎮でありながら、アベンジャーズにも所属している、不老のミュータント。アダマンチウム製の爪に獣性、不死身の再生能力ヒーリングファクター。その闘志で、強力な相手や苛烈な戦場に挑み続けてきた、歴戦の勇士だ。
 ジュビリーは長い間、ウルヴァリンと共にあり、ローラはウルヴァリンの遺伝子を継いだ者。この二人の少女は、ウルヴァリンと縁深い二人でもあった。
「X-MENのみんなが、アンタを探している」
 ローラはウルヴァリンが逃げぬよう牽制しつつ、ウルヴァリンが追われていることを告げる。
「そうだろうな」
 仲間である筈の、ヒーローたちに追われている。そんな裏切りとしか思えない状況でも、ウルヴァリンは平然としていた。平然と、過酷に見える現状を受け入れている。
「でも、わたしたちが一番最初に見つけて、良かったよ」
 優しい笑みを浮かべるジュビリー。ローラとジュビリーも、大多数のX-MENと同じ、ウルヴァリンの追跡者だった。
「ああ。お前たちでよかったよ」
 ウルヴァリンは苦笑し、抵抗すること無く、二人が求めるものを捧げた――

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