バレンタインのおまじない

 僕にとってのバレンタインデーは、チョコを貰える日であり、姉さんのたわごとを聞く日でもある。いや、たわごとはいつもか。
「ふう、あたたかい。ウェルカムトゥようこそコタツパーク……今日もドッタンバッタン……できるわけがない! コタツで大騒ぎするやつなんて、シベリア送りだ。コタツの愛をかみしめろー……」
 何年たっても、この人は変わらない。若干、口調が変わった気はするけど。バレンタイン当日、業務用チョコをたんと買ってきて、コタツでだらだらしながらポリポリかじっている。それに付き合っている僕も、きっと変わっていないのだろう。
 なんとなく点けているテレビも、今日はなんだか茶色とピンクの占有率が高い。ワイドショーできらびやかなアイドルが出演者たちに甘い声で甘いチョコを配っている。なんだかまぶしすぎて、目を背けたくなってくる。
「うんうん、つらいよね。人間、だんだん輝きを失って、それと反比例で輝いている他人を見るのが辛くなっていくのさ」
 わかるよ、わたしはよくわかるよと、姉さんの顔は朗らかな優しさに包まれていた。同意したが最後、あのままこちらの足を引っ張って、輝きなき暗黒の世界に引きずり込むのだろう。人間、輝きを失うと狡猾に老いていくのだ。
「なに、その同情の瞳……ああもう、わたしもあの娘たちみたいに、本気出すかな」
「あの娘たちって?」
 思わず問いかける。姉さんはコタツにつっぷしたまま、軽く答えた
「そこのTVにいる娘たち」
 テレビでは、未だバレンタイン企画が続行中であり、今はアイドルグループが手作りチョコと格闘中であった。
 なるほど、バレンタインはこうやってだらだらするのが毎年恒例、「枯れる」の三文字が似合う女性が、楽しそうにきゃぴきゃぴやっている、僕よりも若くてファンもごまんといるアイドルと自身を並べているのか。むしろ、本気を出すとは、すなわち同じ土俵。アイドルにでもなる気なのか――
 ならば、弟としては、なんとか協力してやるべきだろう。
「握手会のサクラ、10人ぐらいなら用意できるから」
「え? なんでわたしがアイドルに? ああでも、こんな導入で始まるアイドルものって、結構多くない?」
 コタツから顔を上げた姉はきょとんとした顔をしていたが、だんだんまんざらでもない風になっていく。
 ああ、もうこうなったら正論をぶつけるしか無いだろう。
「最初から握手会をサクラでどうにかしようって話が出てきている時点で駄目じゃないかな」
「ですよねー」
 再びコタツにつっぷす姉。ああよかった、勝率一桁の戦いに挑むのを止めることができて、本当に良かった。
 まあそれはそれとして、疑問はあるわけだが。
「あの娘たちみたいな本気って、結局何?」
 いったいこの人は、どんな本気を出す気でいたのだろうか。
「そりゃあ、バレンタインのおまじないに決まっている。アイドルはみんな、おまじないを知っているからね」
 姉さんの回答は、いつもどおり聞いてもよくわからないものであった。

 

 ずずっとブラックコーヒーをすすり、ビターチョコを口中に投げ込む。
 見ているだけで苦い顔になりそうな取り合わせを楽しんだ後、姉さんは改めて口を開いた。
「芸能……っていうと新しいイメージがあるけど、芸の道はずっと昔から。他人から視線を集める生業は、たぶん古代からある。たとえば、アマテラスを引っ張り出すために宴会を盛り上げた、アマノウズメとかね」
 天の岩戸に閉じこもったアマテラスの注意をひくために、扉の前で繰り広げられた大宴会。アマノウズメは踊り子として皆を盛り上げ、結果、アマテラスは宴会の騒ぎが気になりすぎて、岩戸を開けた。服を脱いでまで踊り続けたアマノウズメは、日本最古の踊り子にしてストリッパーだと、聞いたことがある。
「当然、大きな注目を集めるには、本人たちの並々ならぬ努力が必要となってくる。歌に踊りに……きっとそのレッスンの厳しさは、本当に不変なものなんだろうね。でも、あと一歩で足りない、素質も鍛錬も十分なのに注目を集められない。そんな時に頼るのが」
 思わず、姉さんの答えを待たずに、台詞が口から出てきた。
「おまじないってこと?」
 姉さんはゆっくりとうなずいた。
「神頼みは0から10を叶えるものではなく、9を10にするべきもの。人事をつくしても足りないときにこそ、頼るべきなのよ。だから、不確かで移ろいやすい他人の視線を相手にする芸事の人間は、同じく少し足りない部分を補ってくれるおまじないの確かさを知っている。形や職業の呼び方は変わっても、脈々と誰かを伝って、おまじないはあり続けているのよ。芸能プロダクションに伝わっていれば、そこのアイドルみんなに伝わるからね」
 踊り子、巫女、アイドル……他人の視線を浴び続けねばならない彼女たちの中には、おまじないがあった。きっと、統治者が変わって戦争があっても、その系譜が途絶えることはなかったのだろう。
 でも、そう考えると、不思議な気持ちになってくる。今、こうしてつけっぱなしのTVに映っているアイドルグループ、自分はその一人のファンだ。あのちょっと気弱そうで、芸能界の荒波に必死で抗おうとしている感じがたまらない。その頑張っている姿を見ていると、なんだか頑張ろうという気になってくる。
 だが、ひょっとしたらこの気持ちは、おまじないによるものなのかもしれない。彼女の頑張りはきっと嘘ではない。それはわかっている。でも、僕の彼女を応援したいという気持ちはもしかしたら、おまじないで生じるナニカに与えられたのでは。そんな懸念が浮かんでくる。得体の知れないナニカの衝動が、自分を突き動かしている。そう考えてしまうと、なんだか不気味で……。
「まあ、今の話、半分くらい嘘なんだけどね」
 ビターチョコを噛み砕いた姉の口から、苦味と無情さが同時に出てくる。アイドルの頑張りは嘘じゃなかった。
 でも嘘は、目の前にあったのだ。

 

 ホワイトチョコを口の中で舐める。普通のチョコよりも柔らかく大きな甘みは、妙な嘘でささくれだった心を癒やしてくれた。
「ごめんごめん、あんまりも真面目に聞くから、話が盛り上がってついね。芸能人もみんな、おまじないとまではいかないけど、きっと縁起ぐらいはかついでいるじゃない? だって、人気が大事で、足りない何かを補いない商売ではあるんだもの」
 ぶーたれて横になっている僕に、姉さんは声をかけてくる。こちらが相手をする気も無いとばかりに返事をしなくても、姉さんは勝手に喋り続けていた。
「でも、きっと今、そっちが感じた不思議さ。自分の中の気持ちや衝動に手を付けられたのではと疑う心。それが、おまじないの怖いところなんだろうね。だって、一度頼ったら、きっと疑い続けてしまうのだから」
 確かに、さっき、ほんの一瞬だけど、僕はTVの無効のアイドルと、自分の気持ちを疑った。
 姉さんはため息をついて、再び語り始める。
「もし、どんな人の心でも惹きつけられるおまじないがあったとしましょう。そのおまじないを使って、意中の人の心を繋ぎ止められた。めでたし、めでたし。物語だったらこれでいいんでしょうけど、実際はこの先が本番なのにね」
「だろうね」
 おまじないで恋が成就する。おまじないの効果を示す逸話なら、これでいいのだろう。だが、これは恋愛の始まりであり、おまじないをかけた方とかけられた方、二人の物語はこれからなのだ。
「もし、順風満帆で上手くいっても。もし、突然フラれても。もし、段々と心が離れていっても。おまじないのおかげ、おまじないの効力が薄れた、おまじないのせいで。感謝も悲しみも恨みも、ぜんぶ自分たち以外のナニカにぶつけることになる。一度頼ってしまえば、もう心が離れられない。おまじない、漢字で書くと『呪』がついてお呪い」
 好きでたまらなくておまじないをかけた相手よりも、そのおまじない自体に心が向いてしまう。本末転倒と言うには、あまりに悲しい。
 0から10を叶えるものではなく、9を10にするべきもの。頼ってもいいけど、決して頼りすぎず。しばらくしたら、忘れてしまうぐらいの距離感で。それぐらいが、いいのかもしれない。
「あ」
 唐突に、姉さんが驚く。
「どうしたの?」
 今まで無視してたが、思わず聞き返してしまった。
「いま、テレビ見てたら、アイドルグループのメンバー全員の手首に、何か書いてあるのが見えてね。あの紋様は、何処かの本で見たことがあるような……」
「マジで!?」
 思わず起き上がり、TVをまじまじと見るが、既に番組は別のコーナーに移り変わっていた。彼女たちの出番は終わったのだろう。
 いくらTVじっと観ていても、そこにあるのは芸人がアツアツおでんの早食いをしている姿だけだった。
「今の話も嘘だよ」
 またも、自分が嘘をついたという姉さん。でもその語気は、なんだかやけに空虚に思えた。
 そんな姉さんが差し出したチョコミルクを受け取って、荒々しく噛じる。
 最初は味がしなかったけど、だんだん口の中に、チョコらしい甘みが広がっていった。

 ~了~
 

アメコミカタツキ~マキジと学ぶブラックパンサー~ 改

※去年末の冬コミ(コミックマーケット91)にて配布したおまけペーパーを、加筆修正したものです。

蒔寺「道行く人が、ブラックパンサー、ブラックパンサーと口々に語っている。黒豹改めブラックパンサーの時代来ちゃったかー。まいったにゃー」

三枝「蒔ちゃん、それって、映画シビル・ウォーの……」

氷室「少し黙っていよう、由紀香。いけるトコまで調子に乗らせておいてから、ガーッと。人がフリーフォールのようにテンションが落ちる姿を見てみたい」

三枝「それ、結構定期的に蒔ちゃんやってるよね!? 調子に乗ってのズコー! だよね!?」

蒔寺「世界よ、これが黒豹だーっ!」

蒔寺「……」

氷室「うむ。全てを知って予想通り、テンションが紐無しバンジーの如き勢いで落ちたな」

三枝「そう言えば、ブラックパンサーってどんな人なんだろう? 映画のCMだと、蒔ちゃんみたいにすっごく速く走ってたよ」

氷室「まさに黒豹だったな。どれ、コミックスでの設定を少し調べてみるとしようか」

ブラックパンサー

ブラックパンサー

本名、ティ・チャラ。アフリカの王国ワカンダの王であり、アフリカ系黒人ヒーローの魁。黒豹を模したスーツの各所や爪には希少にして超硬度、ワカンダ原産の金属ビブラニウムがふんだんに使われており、高い防御力と攻撃力を誇る。ティ・チャラ本人もオリンピック選手クラスの身体能力とノーベル賞級の頭脳を持っており、ビブラニウムの加工製造やクリーンエネルギーの開発など、彼に率いられた科学陣によりワカンダの技術力と軍事力は世界トップクラス。人格も品行方正で、市井でもごく自然に暮らせる柔軟性も持っている。王妃の座が空いていると知れば、アフリカ中から美女が押し寄せるモテ度であり――

氷室「いやはや、自国特有の鉱物の世界最高の権威が王自身というのは、実に隙が無い。貴重な資源を開拓者に騙し盗られてきたアフリカに、最も求められる能力と言えようぞ」

蒔寺「なんだこのチートは! パンサーなのにチーターってズルくねえ!? コマンド、上上下下右左AB!?」

氷室「だがやはり、納得いかないな」

蒔寺「おう。言ったれ言ったれ、盛りすぎだって」

氷室「何故アメリカ人の考えたアフリカのヒーローという状況下で、ゴリラモチーフではないのかと!」

蒔寺「そこかよ!」

三枝「あれ? でもブラックパンサーのライバルに、マン・エイプっているよ?」

マン・エイプ

ブラック・パンサーVSマン・エイプ

本名:エムバク。ブラックパンサーがアメリカでも活動するようになり、ワカンダを留守にする機会が増えたその時、部族の同胞エムバクの野心に火が点いた! エムバクは聖獣ホワイトゴリラを殺害。ゴリラの血肉を喰らい、ホワイトゴリラの毛皮を着ることでゴリラパワーに覚醒。禁教ホワイトゴリラ教団のゴリラ教祖となり、信者と共に、ワカンダの王座を虎視眈々と狙う。戦え、マン・エイプ!

三枝「この解説、さっきのブラックパンサーの時と、明らかにテンション違うヨ!?」

蒔寺「なるほど! 黒豹なブラックパンサーの対だから、白猿のホワイトゴリラか! 待て! パンサーのライバルってゴリラでいいのか!?」

氷室「あなたは一体何度―― 我々の前に立ちはだかってくるというのか! ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ!」

蒔寺「それにしたって、黒豹のライバルはゴリラかー。アタシにも心当たりはあるぜ。なっ?」

美綴「いきなり肩抱いて、なっ? じゃねえよ、テメエ」

氷室「蒔の字よ、それは無礼というものだ。人間の皮を被ったゴリラとゴリラの皮を被った人間は同類ではなく、むしろアイデンティティを賭け対立する者同士ではなかろうか」

蒔寺「あっ……! ゴメンな、マユ・エイプ!」

美綴「はっはっは、お前ら、明日からすり潰したバナナしか食えない身体にしてやろうか?」

美綴「何かと思えば、アメコミのゴリラの話か。アメコミのゴリラと言えば、DCコミックスのゴリラ・グロッド。最近では実写ドラマにも出たし、超高速ゴリラにもなった」

ゴリラ・グロッド(ドラマ版)

ゴリラ・グロッド(光速)

氷室「超高速ゴリラ……またアメリカ人は新たなゴリラ概念を生み出したのか……」

美綴「アニメのバットマン:ブレイブ&ボールドでは、あのジョーカー以上の出番で、ついにはジョーカーを押しのけて最終回の敵に。時には仲間と一緒に歌ったり踊ったりで大活躍だ」

グロッド&クロックキング&ブラックマンタ

蒔寺「ゴリラの熱いアイドル活動。略してゴリカツ……」

沙条「ゴリラのコミックスと言えば、早撃ちとゴリラパワーで戦うゴリラのガンマンが西部劇の世界で生きる、Six-Gun Gorillaって作品があってね。これがなんと1939年の作品で、この間著作権が切れた結果、パブリックドメインになったんだ。きっとそろそろ、英霊扱いになるよ?」

シックスガン・ゴリラ

シックスガン・ゴリラの日常

ゴリラ大暴れIN西部

氷室「公的なゴリラのガンマン。またも新しい概念だ。しかし、しれっと話に入ってきたな」

三枝「あれ……? わたしたち、最初からゴリラの話してたんだっけ……?」

アメコミカタツキ~氷室の天地で学ぶゴリラキャラ~ 完

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こうして彼女は本を読む

 休憩室の扉を開けた瞬間、神谷奈緒は己の目を疑った。
 太めの眉を不審げに歪めた後、もう一度扉を閉めて、開く。それでも信じられない光景は変わっていなかった。よしもう一度閉めようとした所で、困惑の原因である女性が、奈緒の存在に気づいた。
「……どうしました?」
 鷺沢文香。同じプロジェクトに参加したこともある、顔見知りのアイドル。長い前髪から除く蒼い瞳が、不思議な行動を取り続ける奈緒を、じっと見つめていた。先程まで、彼女が手にする書籍に向けられていた瞳だ。
 そしてこれもまた、おかしい。
「いったいアタシ、何処で世界線を越えたんだ……」
 異世界か平行世界に迷い込みでもしたのかと、奈緒は本気で悩み始める。
 文香の特徴といえば、本の虫であることだ。一度本の世界に没頭してしまえば、文香はおいそれと帰ってこない。なのに、今、文香はあっさりと、彼女にしては本当にあっさりと、奈緒の存在に気がついた。まずこれが、おかしい。
「ひょっとしてアレか、晶葉が持ってきた発明品、電話とレンジが合体している怪しいやつをいじったのがまずかったのか!?」
「……ひとまず……落ち着いて下さい……」
 そして更におかしいのは、文香が手にしている書籍。書籍は書籍でも、それはデジタルな書籍。文香は、紙の本ではなく、真新しいタブレットで電子書籍を読んでいたのだ。これがまず、奈緒を混乱に陥らせるほどに見たことのない光景だったのだ。
 
「……ふう」
 ソファーに座った奈緒は、水を飲み息を吐きだし、ようやく落ち着くことが出来た。
「……大丈夫ですか?」
「ん。ああ、平気平気」
 奈緒はコップを置くと、心配そうにしている文香に無事を伝えた。
 文香は、いきなり奈緒に頭を下げた。
「……すみません」
「え? ど、どうしたんだよ!?」
「……驚かせてしまった……みたいで……」
「ああ。いや、別にそっちが謝ることじゃないって。ただあんまりに何時もと違ったからさ。本を読む姿はよく見ているけど、紙じゃなくてタブレットで読んでいるのを見るのは始めてだったから」
 文学部に通う大学生でもある文香は、叔父の書店で手伝いをしている際、プロデューサーと出会い、アイドルにスカウトされた。アイドルとなった今でも、彼女は書店の棚卸しを手伝っている。何冊もの本を抱えて歩く姿も、今では事務所の名物だ。この経歴からして、文香には本のイメージがあった。それも、昔ながらの、紙の本の。
「これは……ありすちゃんに借りました……」
「だと思ってたよ」
 文香が紙の本なら、橘ありすはタブレットだ。小学生アイドルの一人であり、情報や効率を好み、常に背伸びしているように見えるありす。でも、その内に秘めているものは、子供らしい可愛らしさと愛おしさだ。ユニットを組んだこともある文香は、そんなありすの内面を露わに出来る存在であった。
「それにしたって、電子書籍か。あそこのアレ、全部読んだってわけじゃないんだろ?」
 奈緒の視線が、自然と休憩室の片隅に移る。そこは、各アイドルの趣味の品が置いてある場所だ。キャッツのバットと、“ご自由にどうぞニャ”と書かれた箱に入っている大量の猫耳の間に、文香が持ち込んだ本の山があった。
「……半分は読んでますが……まだ半分残ってます。でも今日は……電子書籍に挑戦してみようかと……まだ……操作に慣れていないので……すらすらと読めないのですが……」
「ああ。だから挙動不審なアタシに、気づいたのか」
 操作に慣れていないことが、文香の没入感をとどめていたのだろう。
「……やはり……慣れないことは難しいです……」
「わかる、わかる。アタシもゴスロリとか、ホント似合わないし、慣れてなくてさー」
「……え?」
「なんだよ、その意外そうな顔は」
「でも……慣れていないことは……楽しいですね……」
「おい。普通にスルーか。おい」
「……私は……紙の本が……好きです……」
 文香の仕切りなおしを前に、奈緒は追求を諦める。ある意味、話すことが苦手な文香の、成長の証である。
「……内容だけでなく……紙をめくる音に感触……インクの匂い……どれも好きです。本棚を見て……じっくり探すのも……電子書籍には……私が本で好きなところが……ありません……」
「だろうな」
「……でも……電子書籍にも……いいところがあります。高価だったり手に入りにくい本が……誰でも読めて……それにこのタブレットの中に……数十冊が入ります……本は……重いです……」
「ああ、この間、この部屋掃除しようとした菜々がスゴイことになってたよな」
 17歳とは思えないほどしっかりものな、自称ウサミン星から来たアイドル安部菜々。先日菜々は、この部屋を掃除しようした際、文香の本を一気に持ち上げた結果、腰がグギィ!と逝ってしまった。アレは思い出すにつけ、大惨事だった。
「中に刻まれている物語は……紙の本でも電子書籍でも……かわりません。紙の本が好きだからと言って……電子書籍が嫌いになる必要も……ありません……。大事なのは……色々な人が色々な手段で読めることです」
 文香は、何処まで行っても、本好きであった。彼女は、形だけではなく、その本質も愛している。
「……こうやって電子書籍を読むことで……貸してくれたありすちゃんのことや……電子書籍が好きな人の気持ちが……わかるような気がします……わたしは……色々な人のことが……わかりたいです。だって……私は……」
 文香の前髪が揺れ、素顔が露わになる。文香の素顔を見た奈緒は、思わず息を呑んだ。
「皆さんにわかってもらう、アイドルなんですから……」
 アイドルである自覚を得た文香の柔らかな笑顔は、気圧されるほどの魅力に満ちていた――
 
 数時間後、奈緒は何時ものファーストフード店にて、休憩室であったことを話していた。
「ってなことがあってさ。あの時だけは、なんだかアイドルとして負けた気がしたよ」
「分かるために踏み出すこと、そして分かってもらうことか」
「両方が揃うのが、大事なんだろうね」
 奈緒が所属するユニット、トライアドプリムスのメンバーである北条加蓮と渋谷凛は、奈緒の話に聞き入っていた。
「私たちも、アイドルとして踏み出さないとね。凛」
「そうだね加蓮。他人の気持ちになることか……わかった、今日は奈緒の気持ちになって。玩具がついてくるセット買って来るよ」
「私の分もお願いね。奈緒の気持ちになるですよってね」
 凛と加蓮は、いい笑顔でこんなやり取りをしていた。
「お、お前ら、そう来るのかよ!? なんだよ、このオチー!」
 イジられた奈緒が、思わず悲鳴を上げる。顔を赤くして困る奈緒、彼女もまた、アイドルとして相応しいだけの、可愛らしい様相を見せていた。

Escape play of a wolverine

 極寒の雪原を、少女が歩いていた。吹きすさぶ風も冷気もものともせず、ただひたすらに、一直線に歩いて行く。寒い、冷たいを通り越した、痛い吹雪。それでも黒髪の少女は、構わず前へ前へと進んでいく。
 ふと、少女は足を止める。彼女の周りを、白い獣が取り囲んでいた。狼の群れが牙を剥き出しにして、わざわざこちらにやって来た獲物を待ち構えていた。
 狼の存在に気づいた少女は歩みを止め、逆にその鋭い瞳で狼を睨みつけた。狼以上に獣らしい目に見据えられ、群れの若い狼が自然と退いて行く。だが、ボスを始めとした歴戦の狼は耐え切り、包囲が瓦解するまでにはいかなかった。
 突如、空気が切り裂かれる。切り裂いたのは、爪。少女の手から出現した二本の鉄の爪が、狼を逆に威嚇していた。
「……やるかい?」
 脅しではなく、本気。彼女は獲物ではなく、同じ獣として狼達に立ち向かおうとしている。少女の強烈な殺気に当てられた瞬間、包囲は崩れ、狼は三々五々に散らばっていった。
「ふん。つまらない」
 勝者となった少女が、逃げる狼を追うことはなかった。
「てっきり、このまま追っていくのかと思った。あの人なら、そうしてるだろうしね」
 少女の後ろから出てきた、これまた別の少女。ピンク色の大きなゴーグルを上げ下げしながら、気安く語りかける。
「私は、そこまで獣じゃないから」
「確かにね。ローラは、臭くないから。オッサンでもなく動物でもなく、女の子の匂いがするもの」
「アンタと比べて、付き合いが長くないからね。逆に付き合いが長いだけあって……そっちは時折臭うよ、ジュビリー。ニオイが、移ってるんじゃない?」
「嘘!」
 クンクンと自分の身体を嗅ぎ始めるジュビリーを見て、ローラ、別名X-23が苦笑する。同じ東洋人の少女であり、超人種ミュータントである二人。X-MENにも名を連ねる二人は、きちんとした目的と行き着く手段を持って、この雪原を歩いていた。
「行こう。もうそろそろ、目的地だ」
 ローラが鼻をひくひくとさせ、雪原に残る僅かな臭いを嗅ぎ当てる。獣性だけでなく、獣以上の優れた嗅覚と直感を持つローラこそ、目的の物を探し当てる手段だった。
 しばらく歩く二人、やがて先行するローラの足が止まった。
「ここだね。アイツは、この先に居る」
「なるほどね」
 二人の目の前にある、白い壁。うず高く積もった雪が、行き先を覆い隠していた。ローラは爪で雪を削るものの、その壁はいかんせん厚かった。
 カリカリとネコの爪とぎのように雪を削るローラを、ジュビリーがどける。
「よかった。ここまでローラにおんぶにだっこだったからさ」
 ジュビリーの開いた両手の間で、火花が散る。虹色のカラフルな火花は、吹雪に負けずずっとスパークし続けていた。
「最後ぐらい、私の見せ場があってもいいよね!」
 弾ける火花が、熱気となり目の前一帯の雪を溶かす。ジュビリーの能力である、爆発性の火花の放出。威力ならば目眩ましから爆発まで、範囲ならば一人から集団まで、ジュビリーの火花には華麗な見た目以上の器用さがあった。
 雪が溶けた先に、ぽっかり空いた黒い穴。二人は警戒しつつ、目の前の洞窟に足を踏み入れる。灯り代わりの火花を出そうとするジュビリーを、ローラが止める。無言の抗議をするジュビリーに対し、ローラもまた無言で洞窟の先にある灯りを指し示した。
 音を立てず、灯りに向かって歩く二人。やがて、灯りの正体も明らかになる。
 煌々と燃えさかる焚き火。切り分けられ、串刺しとなった鳥肉が焼かれ、良い匂いを醸し出している。ちょうど良く焼けた一本を、焚き火の前に陣取る小柄で毛むくじゃらな男が、むしゃむしゃと食べていた。
「お前ら、来たのか」
 二人に背を向けているのに、男は誰が来たのか察していた。彼の鼻は、ローラ以上だ。
「ようやく見つけたよ、ローガン」
 ジュビリーが男の名を呼ぶ。
 ローガン。コードネームをウルヴァリン。X-MENの重鎮でありながら、アベンジャーズにも所属している、不老のミュータント。アダマンチウム製の爪に獣性、不死身の再生能力ヒーリングファクター。その闘志で、強力な相手や苛烈な戦場に挑み続けてきた、歴戦の勇士だ。
 ジュビリーは長い間、ウルヴァリンと共にあり、ローラはウルヴァリンの遺伝子を継いだ者。この二人の少女は、ウルヴァリンと縁深い二人でもあった。
「X-MENのみんなが、アンタを探している」
 ローラはウルヴァリンが逃げぬよう牽制しつつ、ウルヴァリンが追われていることを告げる。
「そうだろうな」
 仲間である筈の、ヒーローたちに追われている。そんな裏切りとしか思えない状況でも、ウルヴァリンは平然としていた。平然と、過酷に見える現状を受け入れている。
「でも、わたしたちが一番最初に見つけて、良かったよ」
 優しい笑みを浮かべるジュビリー。ローラとジュビリーも、大多数のX-MENと同じ、ウルヴァリンの追跡者だった。
「ああ。お前たちでよかったよ」
 ウルヴァリンは苦笑し、抵抗すること無く、二人が求めるものを捧げた――

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Amecomi Katatsuki PUNISHER VS Kiritsugu Emiya~Side P~ 3

 膝を撃たれた男が足場より蹴り落とされ、薄壁に隠れてしまった男の頭が、薄壁ごと弾け飛ぶ。
 合体技どころか、言葉すら交わしていない。それでも、パニッシャーと切嗣は互いの境界線を侵さぬまま、目の前の敵を処理し続けていた。
 言葉を挟む余地も無い、殺し合い。黙々と己の中のカードを切り続けたことで、二人は互いを証明しあっていた。

 フッドが使えるほど安い男ではない。

 フッドの策にハマり続ける程、愚直ではない。

 互いを当面の敵ではないと判断した両者は、それぞれが持つ、フッドの本拠地の情報を補完しつつ、このアジトへの殴りこみに成功した。

 なあに、お前が死んだら、一人でやるさ。

 互いに目的は察しあってはいたが、二人の殺し合いに偽や情は無かった。演技なき殺し合い。片方が死なぬまま、目的地に辿り着いたのは、奇跡かもしれない。
 マイクロチップや舞弥は、この二人を追跡しつつ、今己の出来ることを、勝手に最大限こなしている。この二人もまた、見事な道具を全うしていた。
 切嗣は死体から手榴弾をもぎ取ると、身を寄せ合う敵めがけ投げつける。分不相応な機関銃を持ち出してきた相手を殴りつけたパニッシャーは、奪った機関銃で背を向け逃げる敵を思う存分撃ち殺した。
 もはやこの場にいるのは敵ではない。心もとない武器弾薬を補給してくれる、ボーナスキャラだ。
 だが、肝心の標的は、未だ敵としての挟持を持ち続けていた。
 アジト内にあった車が吹き飛び、上で戦うパニッシャーめがけ飛んで行く。パニッシャーの姿が、足場と共に消えた。
「これ以上、好き勝手にさせるか――」
 フッドの身体が、空中に浮いていた。赤いフードをはためかせ、闇を纏う姿は、魔術師その物だ。だが、彼の手には、魔術師が好まぬ武器であり、切嗣が好む外法の礼装が握られていた。
「銃を使う魔術師が、自分一人と思っていたのか!」
 45口径のコルト・ガバメント。フッドが左右の手に持つ2丁の拳銃は、特に細工も改造もない、シンプルな拳銃だった。
 四発の銃弾が、柱の陰に隠れた切嗣めがけ放たれる。弾は、切嗣どころか柱にも当たっていない。フッドの銃の腕前は、高い物に見えなかった。
 切嗣は、愛銃であるトンプソン・コンテンダーに、フッドの命脈を断つための弾を装填する。
 自身の肋骨より創り上げた、起源弾。魔術師の魔力回路を一度切断し無理やり結合することで、体内の魔術回路をショートさせ自滅させる。トンプソン・コンテンダー自体の威力も含め、当たればそれは、必殺の一撃となる。
 魔術の行使に含め、追い詰められた思考。フッドに叩きこむタイミングは、近い。
「クッ!?」
 隙を見計らう切嗣の口から、苦痛が漏れる。二発の銃弾が、左の肩甲骨と右大腿骨を砕いていた。
 銃弾は背後からのもの。先ほどフッドの撃った弾が、大きく歪曲し背後より襲ってきた結果だ。
 必殺を追求した切嗣とは違い、フッドが目指したのは必中。魔術にしても、あまりに物理法則をねじ曲げすぎた軌道だった。
 体勢の崩れた切嗣は、思わず柱の陰より転がり出てしまう。地面に伏せる切嗣を前に、フッドは動かない。ただ、口端を歪めるだけだ。
 残り二発の銃弾もまた、歪曲を終え、切嗣を狙っていた。
 弾が当たった瞬間、首が銃痕より千切れ、心臓が破砕する。フッドが放った弾の第二陣は、必中であり必殺であった。
 だが、首も心臓も、衛宮切嗣の物ではなく、飛んで割り込んできた大柄な男の物であった。
「貴様ぁ!」
 フッドの手下を投げ飛ばし、魔弾の盾とした男。フッドが怒り狂い振り向いた瞬間、パニッシャーの銃撃が、フッドの身体を貫いた。
 銃弾は、フッドをすり抜ける。影に変化した身体を、まともな銃で撃ち貫くのは不可能だった。
 ほくそ笑むフッドの身体がドスンと揺れる。まるで、銃弾を受けたかのような衝撃。影と化した身体を、撃てるわけがない。
 寝たまま、トンプソン・コンテンダーを手にした切嗣は、無表情のままだった。喜びも痛みも、何も無い。
「グッ……!? アガアアアアア!?」
 虚無が見つめる先、フッドが嗚咽のごとき絶叫を上げ、のたうち回る。途方も無い苦悶が、身体を蝕んでいる。背が熱く、頭が痛む。忠誠と能力の証である赤い外陰が、まるでこちらを喰らうが如く、じくじくとした嫌な痛みで蝕んでくる。所詮一般人並みの魔術回路しか持たぬフッドであったが、起源弾を撃ち込まれたことで、魔力の源であるクロークとのリンクが、上手くいかなくなってしまった。
 フッドの喉から湧き出ているのは、もはや声と言えぬ音であった。フッドは震える手で、自らクロークを剥ぎ取り、ついでに授かり物のブーツも投げ捨てる。後に残ったのは、ただのケチな泥棒、パーカー・ロビンズだ。
 それでもまだ、俯き吐き続けるロビンズ。頭に押し付けられる銃口。伏せる彼を、パニッシャーが見下ろしていた。

 自分以外の動く者が消えたフッドのアジト。寝たままの切嗣の元に、久宇舞弥がやって来たのは、パニッシャーがフッドを抱え連れ去ってから、数分後のことだった。
「追跡しますか?」
 切嗣を心配するより先に、消えた標的の存在を気にかける。まったく望み通りの、相棒である。
「いや。追跡はいい。もうあの男は、魔術師として死んでいる」
 起源弾は間違いなく撃ち込んだ。その上、呻く彼を、パニッシャーが銃で殴りつけ黙らせた。殺してはいないが、あの男に連れ去られたのは、死亡と同意義だ。
 動かぬ切嗣に肩を貸す舞弥。肩も腕も動かぬが、このままここに居ては治療も出来ない。それに、残党が帰って来る恐れもある。
「アインツベルンに向かう予定は、後回しだ。どうせ向こうが提示してきた期間には、まだ間がある。ここは、甘えることにしよう」
 冬が永住する山間の城に居を構える、魔術の名家アインツベルン。彼らは、外道たる切嗣の腕を欲していた。本当なら、このニューヨークで現状の仕事を全て精算した後、アインツベルンの城へ直行する予定だった。
「治療ですか」
「いや。どこかの、戦場に行きたい。鍛え直すなんてガラじゃないが、自分をしっかりと埋め直しておきたいんだ」
 あの男に負けぬ、完全なる機械となるために。指先を心と切り離したまま動かす覚悟すら、当たり前の物どころか、おそらく自覚すらしていない、あの男。出会ってしまったことで、ズレた物を、埋め直す。そうでなければ、衛宮切嗣という存在は、劣化し消え去ってしまう。
 舞弥に連れられ、切嗣はアジトの外に出る。街中のアジトを見下ろすのは、英雄たちの看板。ブリキ缶や緑の大男や自称雷神様が、最もいけ好かない盾持ちの英雄気取りが、正義の象徴を気取っている。
 唾棄したい存在から目をそらし、衛宮切嗣はニューヨークを後にした。

 牢屋代わりのコンテナに、意識のないフッドを放り込み、ようやくパニッシャーは一息つく。一勢力のボスであった男、情報は持っているだろうし、何なら囮にも使える。意識を取り戻した途端、激痛に耐えかね泣き叫ぶだろうが、このコンテナなら音は通さない。ショック死するなら、それはそれで仕方ない。
 フッドが捨てたクロークと靴にガソリンをかけた所で、マイクロチップからの連絡が入る。
『衛宮切嗣は、この街から離れるらしい』
「そうか」
『で。どうだった?』
「何がだよ」
『彼は、君に劣らぬ一流だったかい』
 パニッシャーは、しばし悩んでから答える。
「一流だったな」
『やはりねえ』
「だが、アイツと俺は違う。出来ることなら、追いかけて殺してやりたいぐらいだ」
 殺気に当てられ、黙したマイクロチップとの通信を打ち切る。殺してやりたい。この気持ちは、真偽りざらなる物だったが、思うに至った理由は、慈悲であった。
 このニューヨークをうろつく連中より、あの男は遥かに見どころがあるし、思想も近い。だが、アレは演技だ。あの男の中には、まだ人間らしい物がある。同じような人種でしか見抜けない、仮面だ。
 奴がどんな人生を送って来たのかは分からない。きっと、自分と同じような地獄を目の当たりにしている。だが、あの男の中にはまだ情がある。儚い物を隠しつつ、摩耗し続けている。
 このNYを飛び回っている、蜘蛛男や向こう見ずなあの男。あの連中が、フランク・キャッスルの思想に無理やり寄り添い、殺害も何もかも認めて生き続けるとしたら、きっとそれは彼らにとって地獄だろう。そんな地獄を、あの男は生き続ける気でいるのだ。
 摩耗しきって何も残っていない男。もはや、妻子の死というきっかけすら消えかけているパニッシャー。地獄の底に居るのは、俺一人でいい――
 そんなことを考えつつ、パニッシャーは目の前のガソリンまみれな火種に、点けたマッチを投げ込んだ。