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バレンタインの貯古齢糖

 仕事から帰ってきた姉さんは、三種のチョコレートをコタツの上に投げ出すと、僕が一人でヌクヌクとしていたコタツに冷たい足を遠慮無く突っ込んできた。
「チョコレート三銃士を連れてきたよ」
「チョコレート三銃士!?」
 その上、平然とワケの分からんネタを振って来る、我が姉。
「まずは最もポピュラーなチョコレート、ミルクチョコ」
『うっす、よろしく』
「大人の味がウリのチョコレート、ビターチョコ」
『頑張ります、よろしく』
「甘甘な風味と白さが特徴的なチョコレート、ホワイトチョコ」
『よっす、どうも』
 今日は2月14日、バレンタインデー。男性に女性がチョコを送り、愛を確かめ……まあ、有り体に言えば、チョコを介し、男と女の間に色々ある日に、いったいこの女性は何をやっているのだろうか。裏声まで使って、アテレコして。業務用のチョコがどっさり入った袋を、三つも持ってきて。
「姉さん。普通、ラーメン三銃士なんて、誰も分からないよ」
「うん、分かった。あんたは分かるから、チョコが貰えてないんだ」
 この人。一度、本気で痛い目にあわないものか。
「……ホワイト、貰っていいかな」
「わたしはビターで。肩身の狭い者どうし、仲良くやろう」
 コタツに当たりながら、親族二人でチョコを楽しむ夕暮れ。肩身の狭い者どうしならば相応しい、バレンタインデーの光景だった。


 ポリポリと、冷えたチョコを齧る。飾り気のないチョコではあったものの、どれも美味かった。最近は業務用も侮れない。
「どの店もバレンタインにかこつけて、大量に仕入れるから。仕入れる数が多ければ、相対的に値段も下がるし質も上がる。商売の基本だよ」
「明日になると、もっと安いよね」
「クリスマスの次の日における、クリスマスケーキのようにな」
 翌日のケーキは、クリームが固いのが珠に傷。なんだかんだで、日本人は甘味が大好きだ。古くからある和菓子に、途中参入してきた洋菓子。和洋が混じり合って新たな菓子が生まれ。日本は甘味大国と化した。
「そういえば、来たてのチョコレートは牛の血を固めて使ってると言われて、みんなに不気味がられていたんだっけ。もったいない」
「ああ、貯古齢糖の話か。牛の血を混ぜたチョコは、本当にあったんだぞ」
「え? ……ええっ?」
 姉はまた、唐突に変なことを言い出した。
「リトアニアのヘマトゲナス社が作ったチョコには、牛の血が入っていると記載されている。なんでも、モトは鉄分補給用の薬剤品として売っていたとか。確かに、牛の血には鉄分が多く含まれてそうではある」
「へえ」
 そういえば、コーラも昔は薬として薬剤店で扱われていたと聞いたことがある。薬物と食物、同じ口に入れる物として、類似性は近い。最近の薬には、食べ物同然の味がする物もあるわけで。
「そしてこれは別口の話。明治時代の日本には、本当に牛の血入のチョコレートが出回っていたんだよ」
 話は、いつも通りの怪しい方向へ向かおうとしていた。

「昔の日本には、今より呪術や宗教が根づいていた。というか、今の日本は根付かなすぎなんだが……。ともかく、そういう時代だったというのは分かるだろ?」
 産まれて神社で産湯をつかい、毎年クリスマスを祝って、死んだらお葬式。これが、平均的な日本人の姿だ。無節操ではあるものの、宗教に縛られない生活は多分心地良い物なのだろう。
「呪術と牛の血という単語を脳内で並べてみろ。ほら、しっくりとくるだろ」
「え? じゃあ、牛の血入のチョコってその……儀式みたいな物に使われたの?」
「30点」
 辛辣な評価だった。あと一歩で、赤点じゃあないか。
「正確には、人に牛の血をごく自然に飲ませる為に使われたんだ。呪術に必要な物は、媒介だ。恨みを持つ相手から髪の毛をいただいて、ワラ人形の中にいれてごっすんごっすん。丑の刻参りは、対象の髪の毛を使っての呪いだ。対象の一部を媒介にするのがベターなら、対象に直接媒介を取り込ませるのはベストだ」
「つまり、牛の血が媒介ってことか。そうか、チョコレートは当時の人には、未知の食べ物なんだ」
 もし妙な味がしても「そういうモノなんです」と言えば押し通せる。たとえ相手が吐き出したとしても、直接恨みをかうことはない。せいぜい、変なモノを食わせやがってというぐらいだ。呪われたということに比べれば、チンケな恨みだ。
「そこに気付くとは、流石は私の弟。花丸をあげよう。当時、甘い風味と風変わりな苦味、味の濃い食べ物であるチョコは重宝された。呪術云々を抜きにしても、毒入りチョコで人を殺しても、“やはりチョコは呪いの食べ物だったんだ!”と騒げば誤魔化せる時代だったからね。やがて、チョコには牛の血が入っているという噂が広まり、おいそれと妙な物を入れるわけにはいかなくなった。だんだんと、チョコ自体の知名度も上がっていき、牛の血入のチョコは本当に根絶されることとなった。そういう話だ」
 嘘かホントか分からんが、この人は妙なことをなぜか良く知っている。呪いと未知への恐怖を混じえた与太話。眉に唾をつけるのは、とても大事なことだ。
「チョコが呪いか。陰惨なイメージが似合う味じゃないのにね。今は心底、こういうのを楽しめる時代になったわけだ」
「20点。ああ、いよいよ赤点だぞ」
 唐突に持ち点を減らされた。加算は花丸で、減算はきっちり得点でというのは、バランスがおかしくないだろうか。それはさておき、
「なんで減算なんだよ」
「呪いと聞いて、ドロドロした物しか考えてないんだろ。惚れ薬の類も、呪いの類に入るんだぞ。呪いというより、おまじないって感じだが」
「……いやいや、十分にドロっとしてるって、それ。そういうのが呪いだって言うのは、分かってるよ」
「だったら、何故思い当たらない。無味無臭の毒がある時代、牛の血を無味無臭にする技術が無いとでも?」
 ……ああ、そういうことか。
「ひょっとして、公言してないだけで、何か呪い的な物を入れていると?」
「さあてね。ただ、あのチョコを送ったら恋が実った、なんて話が女子高生の噂にでもなれば、企業は大幅増益だ。不況のご時世、当たらぬも八卦、当たるも八卦の精神で呪いをこっそりかけてる企業が、あるかもねっと」
 ひょいっとチョコを高く投げると、口でキャッチする。こんな話をしながらも、姉はチョコレートを楽しんで食べていた。こっちは、自然とチョコに伸ばす手が減ったというのに。
「いらないなら貰うよ。ホワイトも、私は嫌いじゃない。チョコレート三銃士、復活!」
 茶色に焦げ茶に白色、三つのチョコを自分の目の前に並べ、ご満悦の姉。時々、この人と血が繋がっていることが不安になるのはなぜだろう。
「うーん。でもたぶん、この店のチョコは平気だよね。そういう事をする店に、見えないし」
 僕は今日学校で貰った、綺麗にパッケージングされた小箱をコタツの上に置いた。


 姉はしばし固まって、いきなり三つのチョコを口に入れてから、僕に聞いてきた。
「知らなかった。最近の学食のオバチャンは、ここまで大盤振る舞いなのか」
「違うから。だいたい僕は、弁当派だ。このチョコは、友達から貰ったんだよ」
「だってあんた、ラーメン三銃士が分かるじゃん」
「ラーメン三銃士が分かったら、チョコもらっちゃいけないのかよ」
 誰も、今日チョコを貰ってないとは、一言も言っていないのに。
 シュルシュルとリボンを解いて、包み紙を剥ぐ。ハート型の小箱の中には、小さなチョコがぎっしりと詰まっていた。いいセンスだ。貰った相手の顔が、否が応にも浮かんでくる。確かこれ、地元では結構有名な店のチョコだ。
 ゴクリと、僕以外の喉からツバを飲む音が聞こえてきた。そういやこの店のチョコは、この姉の大好物だったな。
「いやねえ、なんか妙な物が入ってたらマズいから、ここはお姉ちゃんが代わりに食べてあげよう。もし万が一があっても、女同士なら問題ないでしょ」
「女同士で惚れあったら、もっと大問題だよ。本気で泣ける」
 奪われぬように、小箱を懐深く入れると、早速チョコを一つつまむ。美味しい。あまり自分はこの店のチョコを食べたことが無かったが、これは絶品だ。単なる甘さではなく、色々な甘みが複雑に交差した旨み。素晴らしい。
 それにアレだ。万が一彼女が呪いをかけていたとしても、それはそれで構わない。まさか殺す殺さないの物はかけていないだろうが、場合によってはそれでも構わない。君に殺されるなら本望だ――。それくらいのクサいことを、言ってしまうかも。
「ふぅ……きっと、チョコへの偏見を無くした連中には、牛の血でも構わない、君がくれたのなら。こういう頭の暖かい男たちもいたんだろうね」
 姉の呆れながらの嫌味が、何故か心地良かった。勝者の余裕とまでは言わないが、なんらかの優越感は間違いなくあった。参加者と非参加者との境目のおかげというか。
 本日2月14日は、バレンタインだ。

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