魔法少女F~1-2~
先々代の当主である、亡きシズナの祖父。彼が新たな当主のために雇った、自らと同年代であり旧友でもあった男。既にオールバックの髪も鼻の下の髭も真っ白なものの、身体にはしっかりとした筋が通っており、動きにも思考にも老いは無い。巌の如き容貌から、頑固さがにじみ出ている。
カレル・イスタス。ハナカゲの財産管理と外交を一手に担う欧州生まれのこの執事が居たからこそ、ハナカゲ家は名家としての格と財を保てているのだ。
イスタスがハンドルを握るのは、黒塗りのベンツ。イスタス本人もそうだが、シズナの祖父もこの車の、ドイツ車の質実剛健さを愛していた。以後、何度車を乗り換えようとも、ハナカゲの車はオーダーメイドのベンツとなっている。時折、頑丈さと生存性では天下一品のボルボも混じるが。
目的地は学校、目的は主の送迎。イスタスが運転する車の後部座席では、主であるシズナがせわしなく手を動かしていた。
「感心しませんな」
ミラー越しにイスタスはシズナの手元を見咎める。
「先日ビルに飛び移った時、自らの身体の揺れに心もとなさを感じたので」
シズナは握力を鍛えるハンドグリップを何度も握りしめていた。確かに握力を鍛えれば指の力にも直結し、結果クライミングの際、己の身体を上手く安定させることが出来る。だが、イスタスが見咎めたのは、そんな点ではなかった。
「シズナ様は、根本的に間違っておられます」
確かに、執事付きの車でお嬢様が筋トレに勤しんでいる光景は、間違いである。イスタスが口を開こうとした瞬間、
「停めて!」
シズナの言葉が、イスタスの口を塞いだ。イスタスはハザードを点け、道の脇に車を寄せて止める。
「どうされました?」
「ブレスレットが反応しています」
シズナの左手に巻かれたブレスレット、装飾である巨大なルビーが鈍く点滅していた。上下左右、シズナは様々な方向に腕を動かす。その度に光り方の変わるルビー、最も強く反応したのは、左方向であった。
「ここで降ります」
学生には不釣り合いなアタッシュケースを手に、シズナは車から降りる。
「学校は?」
「怪我の後遺症が出たため、遅れると言っておいてください。出席日数はちゃんと計算してありますから」
彼女にとって、学校とは優先順位の低い物であった。止める間もなく、治安の悪い通り方角へとシズナは飛び込んでしまう。イスタスは、フンスと、不満気に鼻を鳴らした。
ビルの二階から、路地に直接飛び降りるシズナ。格好は制服から黒の線が出るドレスに、髪型は後ろ髪をゆるく結わえただけの物から、両脇でしっかり固めたツインテールに。この格好が、彼女の魔法少女としてのコスチュームであった。魔法の力で煌めきとともに変身!という優雅な物ではなく、普通に着替えただけだ。脱いだ制服は、この衣装が入っていたアタッシュケースに詰めて、今しがた飛び出てきたトイレの個室の天井裏に隠してある。
ゴミが散乱する路地を、ステッキを手に歩くシズナ。月の装飾がされたステッキは、実にファンシーでファンタジックである。ゴミ箱に頭を突っ込んでいた猫が、脇を通ったシズナをフギャアと威嚇し、何処かへと駆けて行った。この通りは、監視カメラのような手段で覗ける通りでは無い。だからこそ、自分の足と、このブレスレットに意味がある。ブレスレットの点滅は徐々に激しくなっており、もし音を発する機能があるならば、この裏通りから自宅のリンにまで届く音が出そうな勢いだ。
ブレスレットが欲す、目的の物は近い。おそらく、この通りを曲がった先に。足音を殺し、慎重に通りを曲がるシズナ。通りの先にあったのは、拍子抜けする光景だった。
「やめてください! やめてください!」
くたびれた様子のサラリーマンに、無駄に趣味の悪いブーツの爪先が何度も突き刺さる。まるでアマゾンの毒ガエルのようにケバケバしい色調のチンピラが、謝り続けるサラリーマンを何度も蹴り続けていた。こういうのは魔法少女ではなく、官憲や正義のヒーローがどうにかする物だ。シズナは唯一自分の意志が入らぬ道具であるブレスレットを疑った。
「あ? なんだ、アイツ」
「コスプレイヤーじゃね?」
「何処の店のだよって、この辺りに、あんな上玉のいる店、無えだろ」
シズナに気づいた三人のチンピラは、濁った目でシズナの値踏みを始める。あの眼の色、どうやら妙な薬を身体に注ぎ続けているらしい。肉体は痩せていても、凶暴性は上がっている。危険な、人種であった。
「ちょっと待っててくれよ。金ならあるんだ、金なら。高い遊びも、悪くねえ」
風貌に似合わぬ、茶色の革財布を見せつけるチンピラ。財布を見て何か言おうとしたサラリーマンの顔を、チンピラは踏みつける。
「どういうプレイが出来るんだ? 是非とも、俺はこの脚で」
シズナのスリットが入った長いスカートを、しゃがみこんだ上で指で摘もうとするチンピラ。その身体が唐突に上に吹き飛ぶ。シズナの膝蹴りが、チンピラの顎を破壊していた。
「何しやがる!」「テメエ!」そんな二束三文の台詞を言うより速く、シズナの手にしたステッキが、煌めきと共に男達をのしてしまう。光の力を前に、凶暴性だけがウリな痩せぎすの男達は浄化されるしか無かった。
ステッキの外見を持つ、スタンロッドに顎や喉笛を叩かれては、こうなるしかなるまい。光の力とは電力であり、浄化とは相手を動けなくなるまで叩きのめす事である。
シズナはチンピラの落とした財布を拾うと、横になったままのサラリーマンに投げつけた。間違った情報を示したブレスレットを軽く指で弾くと、シズナはこの場を去ろうとする。警察や正義の味方の仕事を、魔法少女がやっても咎められはすまい。やっては行けない決まりは別にない。そんな事を、考えつつ。
「ううっ……いつもこうだ……ううっ……」
サラリーマンは泣き続けていた。
「必死に働いたのにリストラされて、家族には逃げられて、なけなしの金も取られそうになって、挙句の果てには面白い格好の変な娘に助けられて」
聞き捨てならねえ事を言われたと、シズナは脚を止め振り返る。だがそんな事以上に、ブレスレットの点滅が度を超えて激しくなっていた。黒いシズナの身体を、赤で染めるぐらいに。
「私がいったい、何をしたんだぁぁぁぁぁ!」
サラリーマンの身体が数倍に膨張し、身体の穴という穴から吹き出た闇が身体を包む。不遇による激情が、人の身体を化生へと変貌させる。
喜怒哀楽、人が持つ様々な感情。感情が激情へと変貌し吐出されるとき、激情は人を心身ともに痛めつける。だがここに、ある者の思惑が入った時、激情は力となり人を怪物“アクシデンタル“へと変貌させる。このアクシデンタルこそが、シズナの敵であり、目的である。
巨大な脚が、呻くチンピラ三人を、一緒くたに蹴り飛ばす。傷めつけるどころではない、本能のままの暴力。三人はまとめてビルの壁面にぶつかり、動かなくなってしまった。貧弱なサラリーマンは、チンピラどころか刀傷が自慢なヤクザの親分やベルトホルダーの格闘家が裸足で逃げ出す怪物に変貌していた。ケバケバしい、警戒色まがいの色彩。そのヤンキーめいた色使いは、まるで今しがた彼を痛めつけていたチンピラそのものだ。力の象徴、力の恐怖として具現化している。
ごめんなさい。間違ってなかったんですね。
自らに向かってくるアクシデンタルに構わず、シズナは弾いてしまったブレスレットを今度は優しく撫でる。動かぬ彼女に、アクシデンタルの無造作な蹴りが襲いかかった。
強大な力任せの蹴りと言えば聞こえがいいが、見方を変えれば素人丸出しの足裏が見える蹴りである。空気の唸りに構わず、シズナはスライディングと見紛えるほどの低い姿勢でアクシデンタルの脚を潜り抜けると、ステッキを思いっきり丸出しの膝裏に叩きつけた。
電撃の激しい音と、打撃の鈍い音。アクシデンタルが反応するより速く、軸足の膝頭にステッキでの一撃を加える。両足を攻撃され、揺らぐアクシデンタルの巨体。シズナは仰向けに倒れようとする巨体に、迷うことなくしがみついた。
胸ぐらに張り付いての、執拗な殴打。何度も何度も、ただ力任せに殴り続ける。アクシデンタルが傾き、地面に着くまでの数秒。殴打の数は、100に届く勢いだった。
動かぬアクシデンタルの身体が霧散していく。中から出てきたのは、若干の鼻血を垂らした先ほどのサラリーマン。こうして、早い段階で呪いを(力づくでも)解いてしまえば、多少の怪我で生還できる。彼は、多少運が良かったのだろう。
本体と分かれた霧は、シズナのブレスレットに吸い込まれていく。輝きを若干増した宝石を見て、シズナは息を吐き、気を抜いてしまった。
シズナの腕が、背後より捻り上げられる。手に持つステッキと共に、殺された片腕。即座に両の膝裏が蹴られ、シズナは地面にねじ伏せられる。襲撃者は己の身体の重さを利用し、シズナの身体を封じてしまった。先ほどまでの、シズナの冷酷なまでの速さを超える、迅速な技であった。
「安心が早すぎます。安堵とは、全てを終えて後にする物。そうですね、理想は夜寝る間際ですかね。このタイミングなら、夢でも反復出来る」
見事なまでの技の冴えを見せつけた後の、アドバイス。シズナは地面に押さえつけられたまま、頷く。イスタスは、ゆっくりと技を解き、立ち上がったシズナの服の汚れを、手にしたブラシで掃いた。
「ついて来なくてもいいのに」
「そうはいきません。偶には、実地での貴女の強さを見ておきませんと」
魔術魔法の力を持たぬシズナを、ここまで磨きあげたのはイスタスであった。武術で言うなら師匠、スポーツで言うならコーチとして。本来、挑む上で必要な才能が無い少女を、他の才能にて挑める領域まで引き上げる。この無茶無謀を成し遂げるには、シズナ一人の力では足りなかった。
「それに、先ほどのハンドグリップ。私も使ってみましたが、やはり良いものではありませんでした」
イスタスの手の中にある折れたバネや崩れたプラスチック。数分前までシズナが車の中で使っていたハンドグリップだった物だ。
「常日頃から握力を鍛えるのであれば、柔らかいゴム毬が一番です。本来、人間は人工の器具に頼らず自然由来の物を使うのが一番なのですが、握力は自然に頼るのがどうも難しい。ですが、手は幾つもあります。帰宅後に、順次やっていきましょう」
単に手段や手法を知っているのではない、彼には経験があり哲学がある。おそらく、イスタスを雇った祖父は、今の状況を予期していたわけではない。だが、祖父が戦場で知り合った、当時病的なまでに強さへの欲求を抱き自己鍛錬を続けていた男は、シズナが欲している物を完璧に所持していた。シズナが鍛えられるだけの素養を持つのも、元々はイスタスが“軽め“に長年彼女を鍛えていたことによる。
魔法少女の衣装に着替えてから鉄面皮を貫いていたシズナが、初めて疲れた様子を見せる。
「アクシデンタルを駆逐するより、貴方の眼鏡にかなうほど鍛える方が難題ですね」
「当然です。何故なら駆逐は所詮目先のこと、鍛えることは人生が終わるまで延々と続くのですから」
イスタスは表情を一切崩さず言い返す。鍛錬という道をずっと歩き続けている先達。この、止まらない先達に追いつく手段は、奇跡や魔法しか無いのでは? 奇跡も魔法も持たぬ魔法少女の脳裏に、そんな夢想が少しだけよぎった。