映画スーパーマン感想~慈悲と自立と継承のヒーロー~

 スーパーマンほど難しいキャラはいない。おそらく世界中の人が想像するアメリカのヒーローであり、その知名度は高い。それでも、映画の興行収入やコミックスの売上を見ると、同じDCの同僚であるバットマンやマーベルのトップであるスパイダーマンの差はだいぶ大きい。この二人が凄すぎるというのは事実だとしても、スーパーマンならこの二人ぐらい売れてもいいはずだ。ただ売れないキャラよりも、売れ行きにレベルキャップがかかっているようなキャラの方が難しい。正確に言うなら、どうにかしてやりたいというもどかしさがある。スーパーマンはもどかしい。

 なぜスーパーマンはもどかしいのか。それは、そろそろ生誕90年が見えてきたスーパーマンが持つある種の神性にあると思う。スーパーマンはヒーローという存在の根源に近いところにいて、そこにいるだけの人格と能力を持った存在である。それを90年近く続けていれば、神々しいものにもなる。ちょっと時代と環境がずれれば、スーパーマン神社が出来てもおかしくはない。ただその一方で、神は崇拝や敬意を得つつも、どうしても親しみやすさを失ってしまう。馴れ馴れしくベタベタ触るのは憚られるし、適当に下世話なことを喋ったら怒られてしまう。そういう距離感だ。そして世間の大多数は、気安さや気楽さを求める。ベタベタ触れないのなら触れない、怒られるなら語らない。これは、自然なことだろう。一言で言うなら、スーパーマンは愛するには立派すぎるのだ。

 かと言って、売る側としてはスーパーマンは立派だなあで諦めるわけにはいかない。実際コミックスでは、様々なスーパーマンが描かれており、それを読めば思ったより神々しくないし、ずいぶんと茶目っ気があるのもわかる。だが、コミックスでは足りない。コミックスが力不足というわけではなく、今のアメコミ業界は映画のパワーが強すぎる。とにかく、映画がなんらかの道を作らなければ、スーパーマンのレベルキャップは壊せない。

 スーパーマンはもどかしく立派すぎてレベルキャップに悩まされている。この状況で、スーパーマンとDC映画の舵取りを任されたのがジェームズ・ガンだった。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにスーサイド・スクワッドと数々の実績と成果を残した反面、どちらかというと立派でない非本流の側で成果を残して来たのがジェームズ・ガンだ。ワンダーウーマンやキャプテン・マーベルを主役とした映画を撮れる監督は複数いるだろうが、ラットキャッチャーを女性キャラにした上で主役の一人として扱う映画を撮れるのはジェームズ・ガンぐらいだろう。ジェームズ・ガンの実力は確かなものだとしても、そんな彼が初めて本流ど真ん中のスーパーマンを撮る。さながら、0からのチーム再建に定評がある野村克也&星野仙一をジャイアンツの監督に据えるような、確かな人間とチームの組み合わせなのにどうにも不安も残る構図。それが、ジェームズ・ガンがスーパーマンを撮ると聞いた時の第一印象だった。

 

 

 ジェームズ・ガンがスーパーマンの魅力を伝えるために選んだ手段は、スーパーマンのイメージに小さなキズをつけることだった。
 この映画は、スーパーマンの敗北から始まる。最強のスーパーマンは負けることを許された。
 スーパーマンはネットにおける自身の悪評に激昂する。菩薩のスーパーマンは怒ることを許された。
 スーパーマンの善き生まれと育ちにヒビが入った。皆に望まれし子であったスーパーマンは自分の望みを選ぶことを許された。
 ジェームズ・ガンはスーパーマンの(イメージによる)過剰なまでの完璧さを一枚一枚丁寧に剥がし、スーパーマンを偉大な神ではなく一人のヒーローにしてみせた。

 このジェームズ・ガンの選択はザック・スナイダー監督のマン・オブ・スティールあってこそのものに思える。マン・オブ・スティールのスーパーマンは偉大で逞しく、これから始まる一代神話の主人公となるべき格を感じた。だが、その格は維持することが難しく、様々な事情で満足な成果を残せなかったこともあり、ザック・スナイダーが思うスーパーマンは世界観ごと歴史の彼方に消えてしまった。結果的にジェームズ・ガンのスーパーマンがザック・スナイダーのスーパーマンに成り代わる形になったが、前任者が振り切ったからこそ選べた選択肢であること、そもそもガンとスナイダーは親しいという事も含め、今作の映画スーパーマンとマン・オブ・スティールは相反ではなく継承の関係と呼ぶのがふさわしい。おそらく神性を盛ったマン・オブ・スティールが無ければ、ここまでスーパーマンの神性を削る映画は撮れなかっただろう。続編を作る、前作の作風をそのまま引き継ぐ以外にも、作品の魂を継承する手段はいくつもある。

 

 

 この映画は政治的な映画ではない。このジェームズ・ガンの選択と発言は理解できる。スーパーマンを軸に移民を語るのであれば、氏より育ちと言わんばかりの展開は危ういし、現実を思わせる砂漠の世界の弾圧や戦争が描かれる一方で、現実で戦争が繰り広げられている極寒の世界の話は一切出てこない。そもそも、政治を語るにしては、この映画は痛快娯楽大作すぎる。

 ただ、この映画にメッセージ性はある。個人的に感じたのは「他人の考えや発言を盲信するのではなく、自分の頭で考えやがれ」という厳しいメッセージだ。
 この映画のスーパーマンは間違いなく優しい。だが、最初に見せた優しさは実の両親が残した不完全なメッセージに紐づく、どことなくふわふわとした優しさだった。スーパーマンは衝動的に困ってる人を助け、独断で独裁者をこらしめた結果、正義をなして怒られると言った状況に陥ってしまう。おそらく、常勝完璧のスーパーマンであれば、なんとなくもやもやしたまま、切り抜けることができたのだろう。少し後の話ではあるが、他の人々やヒーローも、スーパーマンの優しさを認めつつも、どことなく冷めた風があった。

 何度も言うが、この映画はスーパーマンの敗北から始まる。敗北を経験したスーパーマンは、挫折を味わい、今まですがっていた実の両親の正義とは程遠い真意を知る。人々の支持も超人的な力もすがっていた正義も失ったスーパーマンは、物語の中で再起を選び、再びヒーローとして困難に立ち向かう。再起したスーパーマンが優しい人であることには変わりない。だが、自分一人で何も出来ないことを思い知り、純朴な一般人である育ての両親と改めて向き合ったスーパーマンの優しさは、自分の頭で選び考え抜いた確かな物となっていた。そんなスーパーマンの優しさに感化された人々やヒーローも、他者の誹謗中傷や自らの都合をかなぐり捨てスーパーマンに協力する。彼らもまた、スーパーマン同様に、誰かに言われた道ではなく、自ら選んだ道を歩んでいた。

 実際、今回のヴィランのレックス・ルーサーは自ら積極的に発信し他人を惑わせる者。ウルトラマンは他人の言うことしか聞けない存在であり、もう少し深堀りすると(実の)親の言うことを素直に聞いてしまったスーパーマンのIFでもあると、洗脳する側と盲信する側に位置づけられている。たとえそれが間違いだとしても、間違いを飼い慣らせる者と、間違いを信じ抜く人間には怖さがある。その怖さに、優しさでどう立ち向かうのか。その一つが、キーボードを叩く猿ではなく、己で考える人になるということだろう。

 

 

 映画スーパーマンは、現在だいぶ興行収入的に厳しいことになっている。アメリカでは好調なものの、世界各国では不調といったところだ。現時点(2005年8月)では、それこそマン・オブ・スティールやジャスティス・リーグといったDCEUのスーパーマン出演作品に追いつけるかどうかと行ったところにいる。現状すぐにどうこうという話はないが、今後の展開次第ではジェームズ・ガンの立場も危ういものとなるだろう。だがその一方で、本作スーパーマンには新しい息吹と、これまでにない魅力を引き出す力があったのは事実である。この映画を土台にして、次のDC映画が跳ね上がる。もしくはこの映画が、遠い未来の新たなスーパーマンの映画に繋がる。そうなる力は、まずあるだろう。前述したマン・オブ・スティールの話と同じく、継承には続編以外の様々な形がある。

「私の願いはこの映画を見た子どもたちが15年後、スーパーマンになって世界を救ってくれることです」

 このジェームズ・ガンの願いは、きっと叶っただろう。そう言い切れるだけの、見事なスーパーマンだった。

マーベル・ライバルズについていろいろ書いてみた

 マーベル・ライバルズ……無茶苦茶面白えじゃねえか!ということで、ちょっと応援記事を書いてみようかと。いやねえ、PvPの対戦FPSやTPSはあまりやったことがないけど、無料ゲーだしちょっと触ってみるかと思ってやってみたら、本当にフルプライスじゃないんですか? くらいの出来でビックリ。対戦ゲーは不慣れなので比較は難しいですが、そこそこマーベルゲーをやって来た身としては、おそらく歴代トップクラスで各キャラクターの個性を際立たせ、なおかつゲーム性と合致させた良ゲーではないかと。あと、キャラの選出やデザインに革新性があるのも高評価ポイント。アベンジャーズやスパイダーマンといったいつものメンツを抑えつつも、パニッシャーやムーンナイトのような後で出してくるタイプのキャラや、比較的キャリアの浅いルナ・スノーやジェフを持ってきてるのは、ゲームの若年層&新規層向けの性質を理解した上での選出だなと。キャラデザや筋肉の描写もちょっとコミックスやアニメ風に誇張してあって、歩くだけでかっこいいんですよ。


 
 とはいえ、いいとこだけ挙げても、このゲームがどんなゲームなのかがわからない。ということで、自分がゲームをプレイする前に持っていた疑問をベースに、一問一答形式で基礎的なことを書いてみます。

 

 

Q:どんなゲームなのか? プレイできるゲーム機は?

A:プレイヤー同士がオンライン上で対戦するPvP型対戦アクションゲーム。フォートナイトやエイペックスやオーバーウォッチやスプラトゥーンと同ジャンル。占領戦や車両輸送といった試合形式に乗っ取り、相手チームを倒せば勝ち。対応しているゲーム機はPS5にXbox Series、そしてSteamやEpic Games経由でのPC。PCの場合、それなりのスペックは要求してくるので要検証。Switchには対応していないが、もしかしたらSwitch2ならいけるかもしれない。

 

 

Q:無料って言っても、新キャラが有料だったり、ガチャだったりするのでは?

A:無料で全キャラ使えて、ガチャ要素もありません。有料の範囲は一部スキン。

 ガチャは悪い文明……! それはそれとして、マーベル・ライバルズでは現状実装されている33人(追加予定あり)のキャラを全員無料で使用可能。対戦権のチケット販売などもない。各キャラクターの外見を変えるスキンやダンスや挑発などのアクションができるエモートを入手※するには課金が必要なものの、この手の外見にこだわりがないのであれば、本当に課金の必要が無くなってしまう。なおスキン自体は、パニッシャー2099やメイカーのようなツボを抑えた原作スキンに、辰年合わせのオリジナルドラゴンスキンと、金出してもいいかなと考えられるくらいにはピカ一揃い。インビジブル・ウーマンの、光のドスケベスキンと闇のドスケベスキンは大人気だったらしい。

※一部スキンやエモートはイベント特典やコード入力で入手可能。

 

 

Q:キャラクターの操作方法は?

A:まずチュートリアルをプレイして、それから訓練場にGO。キャラを動かせるようになったら、AIマッチやクイックマッチで実践。

 ゲームを開始すると、まずパニッシャーを使ってのチュートリアルがあるので、そこで基本動作が学べる。チュートリアルがパニッシャーでいいんですか!?って感じだが、もっともシンプルかつ従来のPvPっぽいキャラなので、やってみると納得の選出だったりする。親愛なる隣人であり好感度ナンバーワンのスパイダーマンでいいじゃないとツッコミたいところだが、スパイダーマンは操作が特殊というか一人だけマベスパやってるので、チュートリアルにはまったく向いてない。
 チュートリアルが終わったら、まず訓練場へ。気になったキャラを動かしてみて、とりあえず前に歩けるし、攻撃できるくらいになったら、対人戦より先に、人間対コンピューター戦となるAIマッチをやってみるのがおすすめ。このゲームにおいて、一番のびのびと練習できるモードなので、ここでチーム戦の立ち回りや、ステージの地形を覚えていきたいところ。このゲームのCPUは油断すると負けるぐらいには優秀なので、戦うことが勉強にもなる。人が使うとただ敵陣に突っ込むだけの特攻キャラになりがちなキャプテン・アメリカやブラックパンサー辺りは、緩急をわきまえてるCPUの方がなまじ強い。
 AIマッチに慣れたら、次はクイックマッチへ。クイックマッチも基本ノーリスクなので、ある程度は気軽にやれる。ただ、人対人の戦いなので、ある程度空気は読むようにしたいし、気は使いたい。何がセーフで何がアウトかはそれこそ実践で学ぶしかないが、チーム戦なのに一人特攻するとか、戦闘そっちのけで散歩するとか、操作がおぼつかないキャラを使い続けるとか、とにかく一般常識としてそれはダメでは?という行為を避ければどうにかなるはず。
 クイックマッチの次はシビアなランクマッチに挑みたいところだが、こっちは勝敗がランクに影響するのもあり、結構ギスりがちなのに注意。クイックマッチである程度働けると実感してからの方がいい。あと、アジアサーバーのクイックマッチは過疎り気味という深刻な問題もある。そんな時は、多少通信環境は悪くなるが、最大サーバー=最も人が集まっているオレゴンサーバーに行くといい。

 

 

Q:そもそもストーリーは?

A:ドクター・ドゥームとドクター・ドゥーム2099が対立してえらいこっちゃ。

 実際、まだあまりストーリーが説明されてないので、これぐらいしか言えない。
「現代に生きる科学と魔法の独裁者ドクター・ドゥームと、2099年の未来で生きるドクター・ドゥーム2099が宇宙の覇権を巡り対立した結果、時空の揺らぎが発生。数多のマルチバースよりあらわれたヒーローやヴィランが、ドゥームたちの支配を阻止するため、吸血鬼に支配されたニューヨークやワカンダ銀河帝国を舞台にした様々なミッションに挑む」
 大筋をまとめると、このようになる。まだドゥームも2099も暗躍しつつ力を蓄えていると、ライバルズの物語は序盤も序盤である。出てくるキャラクターは皆マーベルのキャラクターだが、各自出自や出身バースが細かく違うこともあり、一般的なイメージとは違う立場のキャラもいる。
 例えば、ペニー・パーカーとキャプテン・アメリカとパニッシャーとブラック・ウィドウは、2099バース(未来)からの参戦となっている。ペニーはその時代の人間だが、冷凍状態からの復活が遅れ未来で覚醒したキャプテン・アメリカに、それぞれ薬により不老化して2099年まで生きていたブラック・ウィドウとパニッシャーと、既知のキャラでも変則的な出自となっているキャラも多い。なので、キャプテン・アメリカは活動歴の浅さもありアベンジャーズの一員やリーダーとしての自覚が薄い上に若々しく、逆にパニッシャーやブラック・ウィドウは精神的に老いているのもあってだいぶ悠然としている。
 他にも、本来X-MENの一員で女忍者カンノンであるサイロックは人と妖怪が共に在る日本の女剣士サイとして参戦している。なので、現代や未来だけでなく、他のまったく違うバースからの、別バージョンのキャラクターの参戦も今後あり得る。なお、本来(現代)のキャプテン・アメリカとサイロックはどうなったかと言うと、キャップはライバルズのストーリー開始前の混乱期で戦死、サイロックはX-MENが本拠地のクラコアごと未来世界に転移してしまった際に行方不明となっている。
 なお、現状のメインストーリーは近年コミックスにて展開された、吸血鬼によるニューヨーク侵略作戦のBlood Hunt(2024年)やミュータントの祭典HELLFIRE GALA(2022年)にゲームオリジナル要素や原作にいなかったキャラを足す、いわゆるスパロボ形式の組み立て方になっている。参考にしているシリーズの新しさ、またキャラ同士の掛け合いも多彩となっており、コアなコミックスファンも楽しめるだろう。

 

 

Q:キャラクターがヴァンガードやファイターやストラテジストみたいなので区分けされているけどこれなに?

A:それがこのゲームにおけるロール(役職)です。

ヴァンガード
 高いHPと防御性能を持ち、前線で肉壁となるタンク役。
 現在所属するキャラクターは以下の通り。

 広範囲バリアで味方を守る近距離バランス型のドクター・ストレンジ
 二種のバリアを持つ遠距離バランス型のマグニート
 バリアに拘束にジャンプによる一撃離脱となんでもできるハルク(ブルース・バナー)
 ハルクを更に肉弾戦&地上戦に寄せたシング
 スキルの切りどころを間違えなければ実質不死のヴェノム
 タンクでありつつアタッカー並の火力を持つソー
 全キャラトップクラスの機動力で戦場を駆け回るキャプテン・アメリカ
 ドローンによる罠とウェブによるスタンで陣地形成するペニー・パーカー
 樹木の壁による通路遮断や敵陣分断を得意とするグルート
 テレパシーによる遠距離攻撃とダイヤモンドフォームでの格闘戦をこなすエマ・フロスト

 後述するアタッカー役のファイターと比べると体力に優れたぶん瞬間火力が控えめとなっているせいか、あまり人気のない役職である。しかし、このゲームの対戦ルールは戦線を維持することが勝敗に直結するため、持ち前のタフさで前線に居座れるヴァンガードがいないと、一旦戦線が崩れたら立て直せなくなる。数値上では瞬間火力が控えめなものの、前線でずっと殴り合えるヴァンガードの継続火力は馬鹿にならないため、数多のアタッカーを差し置いて撃墜スコアをガンガン稼いでのMVPはよくある話である。まず生き延びる、長時間戦場にいるのが上達のコツである以上、ヴァンガードは初心者向けとも言える。チームの中核として、全員を引っ張っていく。ヴァンガードにはハルクやソーのようなパワフルなキャラが揃っている一方、キャプテン・アメリカやマグニートやドクター・ストレンジのようなリーダー役が多いのも納得である。

 

ファイター
 高火力や長射程や高機動力と言った、敵を仕留めやすい武器を持つアタッカー役。
 現在所属するキャラクターは以下の通り。

 間断無い攻撃スキルで一撃離脱を繰り返すブラックパンサー
 スナイパーライフルによる狙撃で戦線遅延を狙うブラック・ウィドウ
 弓によるヘッドショットが強烈無比なホークアイ
 得意の魔術により、中~遠距離で圧倒的な強さを発揮するヘラ
 空中から地表を制圧するのが得意なヒューマン・トーチ
 隠密、自己回復、瞬間火力の高さと、奇襲役として穴のないアイアン・フィスト
 対タンクに優れ、空中戦でも強い、飛行ユニットアイアンマン
 リーチの長い大剣とワープで的を絞らせないマジック
 実質サブタンクとまで言われるタフネスを持つミスター・ファンタスティック
 影から敵陣を狙い撃つ瞬間火力と移動力の鬼ムーンナイト
 オートタレットとなるタコで盤面制圧ができるネイモア
 姿を消しつつ、敵陣を引っ掻き回すサイロック
 オートエイムと広範囲破壊兵器持ちのスカーレット・ウィッチ
 縦横無尽にステージを飛び回り、敵も味方も捕らえきれないスパイダーマン。
 爆裂ドングリとリス軍団で敵陣を蹂躙するスクイレル・ガール
 高火力の二丁拳銃と高機動力のブースターが揃っているスター・ロード
 天候操作により、味方へのバフと敵への攻撃を両立させるストーム
 敵味方ドン引き、重火器の鬼、パニッシャー。
 高火力ハンドガンと謎の力を宿した最新型ギミックアームで戦うウィンター・ソルジャー
 割合ダメージのヴァンガードキラー。前線で暴れ狂うウルヴァリン
 
 ヴァンガードと比べてわかるように、ファイターのキャラクターは多い。大まかに分けると、空中を主戦場とする空戦タイプ、前線で身体を張る前衛タイプ、火力支援が得意な後衛タイプ、相手の裏をかく奇襲タイプとなっている。撃墜数を稼ぎやすいのもあり人気の職業ではあるものの、HPが低いのもあり、やられる時はあっさりやられる。そしてファイターしか頑なに選ばないプレイヤーも多々おり、この手のプレイヤーが集まってチームを組むと、オールファイターな試合前に負け確定なチームが出来上がる。マーベル・ライバルズは戦線維持を争うゲームであり、撃破数を競うゲームではない。いくら強いファイターが集まっても、ヴァンガードやストラテジストのサポートが無ければ、勝率は悲惨なものとなってしまう。逆にチームのバランスや、後衛も気にできるファイターは、一人で盤面をひっくり返せるくらいには強い。ヒーローになるには、能力よりもまず協調性が必要というのをわからせてくれる職業。それがファイターだ。

 

ストラテジスト
 他のキャラを回復させる能力を持つヒール役。バフや蘇生と、チームを支える能力を持っている。
 現在所属するキャラクターは以下の通り。

 回復能力と火力を両立させつつ、自己蘇生とチーム蘇生能力を持つアダム・ウォーロック
 隠密と火力のクロークと回復のダガー、二人で一人のクローク&ダガー
 バリア付与と回復フィールドで味方を護るインビジブル・ウーマン
 奇襲役適正と回復能力を持つ謎の陸ザメ、ジェフ・ザ・ランドシャーク
 チームを支えつつ、相手チームを騙しにかかるロキ
 新進気鋭のK-POPアイドルヒーロー、バランス型ヒーラーのルナ・スノー
 他者にバフをかけつつ、自己バフと睡眠付与で自分自身も火力が出せるマンティス
 蘇生、機動力、回復力、性能は真面目なロケット・ラクーン

 戦場における戦線維持には補給が必要なように、ヒーラーであるストラテジストはチーム必須の職業となっている。ヴァンガード抜きのチームはプレイヤースキルでまだなんとかなるが、ストラテジスト抜きのチームは奇跡が起こってもどうにもならない。プロプレイヤーチーム対初心者チームぐらいのスキル差があればどうにかなるが、ストラテジストを入れないプロというのがありえない以上、意味のない仮定である。
 集団戦における回復は重要であり、先にストラテジストを落とされたチームが負けると言っても過言ではない。ここ最近、奇襲によりストラテジストが倒すムーブが流行っているため、ヴァンガードやファイターは戦線維持だけでなく、ストラテジストの護衛にも気を配るといい。またストラテジストも、ヴァンガードやファイターの手の届くところにいるといい。後方でちまちま回復しているストラテジストは、ヒーラー狩りの男! スパイダーマッ!やアイアン・フィストにとってカモでしかない。集団を活かし、集団が活かすのがストラテジストだ。

 

 

Q:どうすれば上手くなるのか?

A:そんなん、俺が知りたい。

 これはどんなゲームでも言える上達法だが、習うより慣れるしかない。それと実況動画や解説動画をチェックすると、コツや注意点をサクサクと学べる。攻略のコツを説明しやすいシュミレーションゲームやテキストゲーは文章での解説が向いてるが、攻略にお手本があったほうがいいアクションゲームやFPSはやはり動画での解説が強い。書いているうちに、シューターゲーのマーベル・ライバルズを文章で説明しているのが辛くなってきた。
 上手さは説明しづらいが、悲しいことに下手さは説明しやすい。以下、実際にプレイして頭を抱えたタイプのプレイヤーを少し書いてみる。

玉砕系ブッコミヒーロー
 5プレイのうち2回ぐらいのペースで遭遇する、困ったプレイヤーの中ではよくいるタイプ。ゲームスタート→前線に突っ込む→即死する→復活する→前線に突っ込む→即死(以下略 を繰り返し続けるプレイヤーである。前線に突っ込むのところを、奇襲失敗にしてもいい。とにかく周りも相手も見ずに突っ込んで死ぬのを繰り返すので、戦力どころか囮としてすら機能していないし、上達の機会なんてものもあるはずがない。

腰抜けスナイパー
 玉砕系より遭遇頻度は少ないものの、出会った時の落胆度は時に上を行く。とにかく物陰に隠れて、前線に出てこない。援護射撃や回復の届かない場所で、ずっとちまちま何かやっている。前線の安全が確保できれば出てくるが、こんなお荷物が後ろにいる状況で前線の確保ができるわけがない。今現在、狙撃キャラのブラック・ウィドウの人気が恐ろしく低いのにも影響している。彼女を選んだプレイヤーの大半は、物陰に隠れて一生出てこない。ブラック・ウィドウ自体は、スナイパーライフルとツインスティックとキックと遠近の使い分けが強いキャラなのに、なまじスナイパーライフルにスコープがついているせいで狙撃専門と思われ、引きこもりを量産している。(ウィドウが)不憫である。

バーサーカーヒーラー
 ファイターをやりたかったけど、先に取られた。しゃあないストラテジストをやるかというタイプに多い狂戦士系ヒーラーである。回復もそっちのけで、敵を攻撃する。ストラテジストはヒーラーにしては火力があるため、意外となんとかなりそうなものの、結局どうにもならない。補給部隊のコックが前線で戦っているようなものである。いいか、お前はケイシー・ライバックじゃないんだ。ヴァンガードは肉壁、ファイターは攻撃、ヒーラーは回復。この前提を忘れてはいけない。

 以上、三つの例を挙げてみたが、共通して言えるのは「ひとりよがり」である。自分一人のことしか考えてない結果、チームに貢献できていないどころか、まともにプレイもできていない。複数人によるチーム対戦ゲームである以上、周りのこと、他人のことは考えなくてはいけない。周囲と歩調を合わせることを覚えれば、それこそ本物と遜色ないヒーローらしさを発揮できるだろう。

 

 

Q:で、結局このゲームは面白いの?

A:面白くなきゃ8000文字もグダグダ書かねえよ。

 現在、毎週新スキンが追加されつつ、月1で新キャラが実装されている状況。オンラインゲームは盛り上がっている時期ほど面白いということで、マーベル・ライバルズおすすめです。結構その、中国韓国そして日本に目配せしてくれているのですが、なんだかアジア圏ではいまいちという噂もあり……向こうが手を差し出してくれているんだ、ここで握り返してナンボよ!

 

デッドプール:SAMURAI 2nd season応援企画~だからお前ら誰なんだ!?~

 多くの人が15年前の映画にいたようなヤツやキャットプールに気を取られて、デスウィッシュっぽい個体がいるのに気づいていない。

デスウィッシュ:平行世界のEarth-11638にいた、緑色のデッドプールっぽい人。この世界にたどり着いた正史デッドプールはデスウィッシュをこの世界のウェイド・ウィルソンだと思い込んでいたが、キャッキャと二人で遊んでいる最中、超回復能力がないことをきっかけに別人であることが判明。正体はなんとヴィクター・フォン・ドゥーム、つまりドクター・ドゥームだった。Earth-11638はスパイダーマンが唯一無二の最強ヒーローアメイジング・スパイダーであり、ギャラクタスもサノスもスパイダーマンが倒した結果、目的を失ったファンタスティック・フォーは解散。取り残されたドゥームはおかしくなってしまい、こんなことになってしまった。英語で書くと、deathwish。この単語を直訳すると死の願望、すなわちデスウィッシュとは狂ってしまったドゥームの自殺願望である。

 コイツがデスウィッシュかどうかはともかく、緑色のデッドプールのデッドプールというギミック自体がフルカラーのアメコミでこそ映えるものなので、ジャンプラ編集部と作画の植杉先生に死ぬほど頑張ってもらって今後オールフルカラーにでもしないかぎり、今度大々的に出てくるとは思えないのですが。でも、コイツ、どう見ても頭がおかしくなっているとはいえ、ドクター・ドゥームなんだよなあ……ドクター・ドゥームが次のMCUの大ボスと決まった以上、今後数年は全メディアでドクター・ドゥーム推しなわけで。ウルトラマン:アロング・ケイム・ア・スパイダーマンも、ドゥーム推しですしねえ。となると、デスウィッシュもワンチャンあるのか?

 もっとも、緑といえばシークレットエンパイアのヒドラカラーのデッドプールもいるので、こっちかもしれない。こっちの個体だったとしても、こっちはこっちで夢があるし、だいたい与太話なんて、限界まで風呂敷広げときゃあいいんだよ! 

 

 そんなこんなで改めまして、デッドプール:SAMURAI 2nd seasonの連載開始おめでとうございますということで、ひっさびさに応援企画として「デッドプールの野郎が端折りやがった登場キャラのアレコレ」を勝手にドーン!とやっちまおうかと。
 昔やった、デッドプール:SAMURAI応援企画 お前ら誰だ!?の二回目ですね。あの時はシルエットで「えーと、たぶんコイツ!」をやんなきゃいけないから大変だったなあ……。

 大半の読者が、日本人が、いやもうぶっちゃけ世界中の人間が、マジでコイツら知らねえわ……となる一団。それでいて、全員がロキ連れてないとたぶん負けそうなキャラがベースとなっている辺り、微妙にタチが悪いと言うか。でも、せっかく出てきたんだし、ここらでネット上の情報を足しとこうぜの精神で、ざっと紹介していきます。

 なお、デッドプールとヤクザが戦ってるのにかこつけて、マーベルヒーローVS実在ヤクザ特集でもやろうかと思いましたが、いろいろ身の危険を感じたので止めておきます。ザ・ハンドと並ぶ忍者軍団を持つ山◯組はかのショーグン・ウォリアーズのライディーンを盗んだりウルヴァリンとやりあったりと活発だし、クローン技術を擁する会津小◯会はそれこそデッドプールのせいで大変なことになったと、空想と実名が混ざっててえらいことになっているので、話としては滅茶苦茶面白いんですが。
 東◯会の刺客ホワイトニンジャVSスパイダーマンなんてこの東南アジアのインチキおもちゃみたいな表紙だけで忘れられないモンがあるけど、ここは歯を食いしばっての我慢の一手で……!

 あぶねえ脱線しそうになったということで、Uターンしてデッドプールに戻ります。でもデッドプールももともと脱線ルートじゃない?

 

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デッドプール&ウルヴァリン≠ウルヴァリン&デッドプール

 デッドプール&ウルヴァリンのタイトルは重い。重すぎる。ついにデッドプールとウルヴァリンが映画で共演を果たした。戦いのVSではなく、共に並び立つ&だから。重く感じるポイントはたくさんある。そこには歴史や希望や性癖と、いろいろ詰まっている。だが、個人的にまず重っ!?と感じたポイントはウルヴァリン&デッドプールではなく、デッドプール&ウルヴァリンであることだ。デッドプールの映画の延長線上にあるのだから、当たり前の話なのかも知れない。なんなら、ウルヴァリン&デッドプールのタイトルでも、この映画は売れていただろう。しかしながら、このデッドプールが先で、ウルヴァリンが後というのは、実はなかなかに興味深い事態である。

 思えば、かつて2000年代に人気を博し、デッドプールの人気を押し上げたコミックスのタイトルはCable & Deadpoolだった。マーベル最強の人気者にして稼ぎ頭とも言えるスパイダーマンと共演すると、スパイダーマン&X-MENやスパイダーマン&フレンズとなるように、アメコミでは基本主役格や人気者の名前が先にくる。ほぼカップリング論争である以上、とにかくセンシティブだし、ここでホークアイ&デッドプールなんてのを持ってこられると、この文章が全部ひっくり返るくらいに荒れる。ひとまず、おおかた顔役の名前が、もしくはプッシュしたいキャラが先に来ると考えていい。例えば日本だって、アンパンマンのタイトルは「アンパンマンとカレーパンマン」「カレーパンマンとはるまきぼうや」みたいに、主役に近いキャラが先に来る傾向にある。でも、アンパンマンの例でも「はみがきまんとどんぶりまんトリオ」だと、はみがきまんが先来るか?とはなってしまうので、アメコミもアンパンマンもだいたいそういうきらいがあるくらいでまとめたい。世の中、そう断言はできない。

 話を戻す。Cable & DeadpoolはX-MEN本誌などでの展開の都合上、ケーブルが抜けてデッドプールが一人で回す期間も長かったのだが、ケーブル不在でもタイトルはCable & Deadpoolだった。ケーブルが主役どころか1ミリも出てこず、デッドプールとタスクマスターと一騎打ちでわちゃわちゃしても、タイトルの先頭は不在の顔役ケーブルである。これはこれで、タイトル詐欺じゃなかろうか。

 このデッドプールとタスクマスターの対決は2007年の話だが、3年後の2010年にこのデッドプールVSタスクマスターの表紙を流用したケーブル&デッドプール総集編が刊行された。いや、正確にはケーブル&デッドプールは刊行されなかった。ひとまず、このわかりやすすぎる間違い探しをやってみて欲しい。こうも豪快だと、逆にわかりにくいかもしれない。

 Cable & DeadpoolはDeadpool & Cableとなってしまった。なんともクソややこしいが、ハッキリしてるのはデッドプールがケーブルに変わる顔役になったということである。詳しく書くと文字数が恐ろしいことになるので割愛させてもらうが、要は2007~2010年の間で、デッドプールの人気と存在感がケーブル以上になったということだ。もっとも、Cable & Deadpoolの終盤はケーブル不在でほぼデッドプールの個人誌だったので、これが実はデッドプールの本であることを改名でアピールしただけかもしれないが……とにかく、このタイトル変更自体はデッドプールの快挙である。何より当事者が噛み締めている以上、快挙と呼んでやらなければ、可哀想だ。この一件から五年後に、新たに刊行されたDeadpool & Cable: Split Second(2015年刊)におけるデッドプールの台詞を聞くと、この順序が入れ替わったことの大きさがよく分かる。

「ついに頂点に立ったんだよ。クッソ長かったよ、底辺からコツコツとさあ。そりゃ、デカくて、ハードで、色んなとこで働いてたお前(ケーブル)は目立ってナンボよ。でも今は、俺ちゃんの時代なんだ」
(デッドプール&ケーブルとなった総集編のCMが入る)

 このデッドプールの達成感と照らし合わせてもらえれば、デッドプール&ウルヴァリンのタイトルが持つ重さがわかるだろう。それこそウルヴァリンはマーベル屈指の人気と格を持つキャラクターである。大抵のキャラが共演すれば、ウルヴァリン&◯◯◯◯やウルヴァリン/◯◯◯◯になってしまう。◯◯◯◯&ウルヴァリンにできるのは、別格の大スターであるスパイダーマンと、ウルヴァリンが自身のデビュー作ことThe Incredible Hulk #180 #181で相対したハルクぐらいだろう。メタ的な視点で言えば、ハルクにとってのウルヴァリンは、デビュー戦で胸を貸してやった後輩である。せんぱいぢからは、やはり強い。しかし、ヒーローの大先輩であるキャプテン・アメリカも、母体であるはずのX-MENも、ウルヴァリンと並べば後ろに下がるしか無いのも事実だ。実際、デッドプールもコミックスでウルヴァリンと共演する際つけられたタイトルは、Wolverine/Deadpoolであった。もうケーブルに変わる顔役となった時代でもこれである。

 しかし2024年、ついにタイトルはデッドプール&ウルヴァリンとなった。それも、コミックス以上に世界的なスター性が必要な、映画での話である。デッドプールはついにウルヴァリンの代わりに顔役を務められる立場に達した。当然、映画併せの共演コミックスのタイトルも、Deadpool & Wolverineとなっている。デッドプールは映画だけでなくコミックスでも、スパイダーマンに次ぐ人気を持つウルヴァリンを(現時点で)超えることに成功したのだ。

 アメコミは長くキャラクターを活かすことに長けている。その一方で、長くキャラクターが活きることでレギュラー枠が固定される傾向がある。少年ジャンプで例えるなら、連載陣も連載順もおいそれと動かない状態と言える。そんな中、デッドプールは映画でスターダムになりつつ、コミックスでもケーブルやウルヴァリンの前に立つことに成功した。アメコミ業界全体で二人の先に行ったと言っても過言ではない。この暗黙の了解や序列をぶち壊す強さは、アベンジャーズやジャスティス・リーグを乗り越えて、アメコミのトップに立てそうだった90年代のX-MENを思い出させる。デッドプールも90年生まれだが、X-MENブームに陰りが見えた時期にのし上がっていったことを考慮すれば、むしろ当時のX-MENの正統後継者なのかもしれない。オールマイトに対するダークマイトぐらいには後継者だ。
 もっとも、この状況や勢いがずっと維持できるかどうかは不明だし、これからはDeadpool&Cableの時代だぜ! と盛り上がった後の2018年にまたもケーブルが先なCable/Deadpool Annualが出ている。再びひっくり返ったその一方で、この2018年は映画デッドプール2が世に出た年でもある。映画デッドプール2では、実写の先輩デッドプールが、後輩となったケーブルやX-Forceを引き上げていた。単なる人気の有無では判断できない複雑な事情やパワーゲームの存在を感じてしまう。今回も映画のボーナス期間が終わった途端、コミックスもWolverine & Deadpoolに戻るかも知れない。正直、戻る確率のほうが高そうではある。

 ただ少なくとも今は、デッドプール&ウルヴァリンとして、デッドプールが顔役を担ったこと。更に映画デッドプール&ウルヴァリンの成功で、出版社やスタジオの期待に答えてみせたことを褒めてあげたい。期待も大きくなれば、責任も大きくなる。無責任ヒーローなデッドプールも、意外と背負っているのだ。

デッドプール&ウルヴァリン~さらばMCU そしてこんにちは~(ネタバレなし)

 実は、デッドプール&ウルヴァリンのジャパンプレミアム(試写)に招待され、ちょっと早く映画を見ることができました。第一作も試写で観ているので、こうして試写でデッドプールを観るのは二回目ですね。いろいろな巡り合わせによるものですが、きっとこの幸運はデッドプールの神様的な何かのお目にかかった結果でしょう。デッドプールの神様的存在に目をかけられてる。嫌だなあ……。
 冗談はさて置き、これはすぐにでも伝えなければならないと感じたことがあったので、ひとまずバーっと書いた最速レビューです。タイトルにも書いておきましたが、ネタバレはなしです。
 それにしたって、当然ネタバレは駄目というのはわかっているものの、たぶん核心部分のネタバレをした場合はまず俺の正気が疑われるし、よしんばそのネタバレを信じてもらえたとしても、怒りの矛先は俺より「なんでそんなことしたの!?」とディズニーに向かうような。
 デッドプール&ウルヴァリンは、そんな映画です。

 

 

 デッドプール&ウルヴァリンは変な映画だ。

 過去の映画に出演したキャラクターが多く出ているし、そもそもデッドプールもウルヴァリンも主演映画が複数あるヒーローである。つまり、ここ「この映画を見る前に◯◯(過去作)を見ていたほうがいい」みたいな話が通りやすい映画のはずだ。
 実際、観終わった後に、いやーまさかアイツが出るだなんてなあ!という感慨には浸った。しかしその一方で、過去作を観ておかなければ勿体ないという感情はあまりわいてこなかった。いろいろ細かい話はあるけどさ、なんでもいいから観ようぜ!という感情が先立ったのは事実だ。過去は楽しかったが、過去より今だ。映画を観終わった筆者を襲ってきたのは、過去への愛着と過去との別れ、そんな二つの感情だった。

 

 おそらく大きな理由は二つある。一つ目は、あまりに過去作が膨大かつアトランダムであることだ。律儀かつ忠実にデッドプール&ウルヴァリンに関わる過去作を事前に見ようとした場合、その数は膨大なものとなる。そしてもしその過去作を挙げた場合、それは強烈なネタバレとなってしまう。出てくるキャラのサプライズ性があまりにも強いためだ。なのでおそらく、真面目に過去作を参照しようとした場合、デッドプール&ウルヴァリンを観てから該当する過去作を観るという方が現実的だ。
 いわばこれは、スパロボをやってから参戦作品を観る、逆走ルートである。今のようにネット配信が充実していない時代、過去作を見るには地元のレンタルビデオショップに頼らねばならなかった時代のスパロボ作品は、むしろ逆走ルートが普通だった。確かに元の作品を見てから、オールスター作品を見るのが正しいのだろう。しかし、正しさが常に最適ではないというのが、この作品を見れば分かるはずだ。

 

 もう一つの理由は作風とノリだ。主役を務めるデッドプールに引っ張られるように、この作品は今までのMCU、ここ最近のアメコミ映画と比べ、刹那的、こまけえことはいいんだよ! な楽しさがある。作風としては、日本のオールスター映画こと、仮面ライダーの映画にもっとも近い。オールライダーと称される仮面ライダーの映画には昭和、平成、令和のライダーから複数、時には百人近いライダーが出るが、仮面ライダーの映画を楽しむなら過去作をすべて観ておくべきだという声は小さい。ライダー百人の関連作を観るのは、楽しさはさて置き、もはや苦行だというのもあるが、それより何より過去よりも今を楽しみ先を見るべきではと感じさせる勢いの存在が大きい。
 かつて、平成ライダー総出演、スピンオフや漫画からも参戦、挙句の果てには伝説のパロディ作こと仮面ノリダーから木梨猛も登場した、仮面ライダージオウ Over Quartzerという作品があった。令和の作品でありながら、テーマは平成という過去であり、前述したように登場した過去作も膨大である。しかしこの作品を見た人の多くは、平成を懐かしみつつも、今のP.A.R.T.Y.をまず楽しんだ。この、過去を使いつつ、まずは今を楽しもう!という一見矛盾しつつ都合の良すぎるノリは、仮面ライダーの発明である。この発明の域に、デッドプール&ウルヴァリンは一作でたどり着いてみせた。

 

マーベル社長、「スーパーヒーロー疲れ」は「宿題しなければいけないという感覚」と持論 ─ MCUは「全て観る必要はない」

 ここ最近のアメコミ映画の不調を象徴する言葉である、スーパーヒーロー疲れ。そんなスーパーヒーロー疲れのことを、マーベル・スタジオの社長であるケヴィン・ファイギは「宿題をやらなければいけないという感覚のような疲れだ」と言った。もはや企業、制作のトップがこう言うほどに、過去作の履修は宿題と化している。熱心なマニアはこの宿題をすでにやって来た人間だし、真面目なファンは宿題をやることを当たり前だと思い、労苦を感じないだろう。しかしながら、世間はマニアと真面目で出来ているわけではない。大抵の人間は宿題をやりたくないし、そんなものをせずに映画に望みたいと思っているのが現実だ。
 シリーズを続けることで、宿題が生まれてしまい、試験めいた空気の中、ファンの選別がおこなわれてしまう。これはMCUだけでなく、どんな長寿シリーズも抱えている難題だ。かといって、あまりに過去を軽視すれば、シリーズの連続性が無くなり、シリーズ自体がやせ細っていく。解けない難題であり、解こうとした結果、シリーズが終わってしまう可能性もある。これはもはや、呪いと呼んでもいいだろう。

 

 企業のトップですら、宿題の存在に悩む中、デッドプール&ウルヴァリンが出した答えはあまりに簡単であまりに無茶苦茶だった。
 やな宿題はぜーんぶゴミ箱にすてちゃえ!
 そうなのだ。宿題を捨てたまま、映画に望んでもいいのだ。毎日が日曜日で誕生日のノリで、映画を楽しんでもいいんだ。大事なのは、ドキドキワクワクである。
 ファンは学んでもいいし、学ばなくてもいい。決して学ぶことを否定するわけではないが、まずはファンに選択肢があるべきだ。この類のことはMCUの制作陣も常々言っていたが、なかなか実際に形とならなかった。しかし、デッドプール&ウルヴァリンは作品の在り方で、真面目な不真面目さを証明してみせた。デッドプール&ウルヴァリンは、MCUのヒーロー疲れを緩和するカンフル剤であり、呪いを解く力を持つ作品だ。
 ここ最近のMCUと付き合うのは疲れる、次回作を観るかどうかはわからない、それぐらいのテンションで観ても、きっと刺さるものがあるはずだ。いやむしろ、そんな立場の人にこそ観て欲しい映画となっている。この映画には、長い間離れてしまった場所に帰ってやってもいいと思わせる力と、後悔させない楽しみがある。
 ここでMCUは一度終わり、新たなMCUが始まる。呪いを解こうとする試みには、こう言ってしまえるほどの価値がある。

 

 デッドプール&ウルヴァリンは変な映画だ。
 だが、ここまで考えて、何故変なのかわかった。過去を想いつつ、区切りをつける。それはおそらく、葬儀や葬式と呼ばれる儀式である。
 葬式は悲しいし、なかなか笑えるものではない。だが困ったことに、この葬式は楽しい。参加者が全員カーニバル気分でハイテンションだ。司会のデッドプールはテーブルの上でマイクを持ってるし、喪主のウルヴァリンもビール瓶を片手にいびきをかいている。葬式のクライマックスでは、棺桶の中のMCUと20世紀フォックスが「いや死んでねえよ!」とガバッと起き上がってくる。いやでも、フォックスは死んでね!? こうなると、もはや葬式と言うより、葬式コントだ。
 そんな、おもしろ愉快なデッドプール&ウルヴァリンに、ぜひとも参列して欲しい。この葬儀は喪服もいらず、礼儀もいらないインフォーマルだ。悼むための篝火に、爆竹を投げ入れ、挙句の果てには花火を打ち上げ大ハッピー。そんな祭りみたいな葬式があっても、ええじゃないか。