オーバー・ペネトレーションズ＃３−４

• 2013.03.02 Saturday
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　一方その頃、別の所でひみつきちを目にしたおとこのこに負けず劣らず、目を輝かせているおんなのこが居た。
「すごいですね！　これは！　芸術ですよ、芸術！」
　おんなのこが目を輝かせているのは、お花屋さんやケーキ屋さんでなく、下水の発電施設に連動した円柱の不恰好な装置であった。
「デバイスをコンデンサーに直結させて、大規模なエネルギーをオーバーフローさせぬまま、放射発散後、世界線Γへ牽引。眼から鱗です、鱗！　こんな方法で、平行世界との接続を可能にさせるだなんて。もう少し研究を進めれば、相手方の都合を聞いた上での、指定場所への転送も可能になりそうですね！」
「そうだな。今はアトランダム要素が強すぎて、殆ど使い物にならないからねえ。まともな世界に繋ぐだけで一苦労だ。いろいろな平行世界があったもんなー……。バレットやファクターズがみんなゾンビ化していたり、みんなゴリラや猿だったり。アブソリュート、お前さんはエイプワールドじゃメガネザルだったぜ？」
「全く役に立たない情報ですね」
　ぺたぺた機械を触りながら、アブソリュートはヒカルの軽口を聞き流した。
　ぺたぺたぺた。触っている内に、アブソリュートの顔が怪訝そうな物に代わる。
「エネルギー効率は切り詰められていても、この発電施設の総エネルギー量では世界間移動を実行することは不可能。しかももしただこの機械を作動させた場合、オーバーヒート時の熱でウェイドシティの一つや二つは焼き尽くす。そして何より……バレット、この機械はあなたが？」
「ああ。実は俺も科学者だったんでね。走れなくなった分、頭にエネルギーがよく回るようになったのさ」
　ヒカルはにこやかに答えるものの、アブソリュートは眉を潜めていた。
「もうバレたんですから、見栄を張るのは止めた方がいいのでは？」
　機械の裏から聞こえてくる、女性の声。白衣を着て科学者然とした彼女は、眼鏡をくいくいと弄りながら、アブソリュートの前に姿を現した。
「彼女がプロフェッサー・アブソリュートであるなら、理解は出来るでしょう。この装置の組み方は、あまりに自分の好み、まるで自分が作った機械だと」
　アブソリュートの素顔であるヒムロ＝ヒナタに酷似した女性がそこに居た。多少色気があって、多少疲れた様子で。多少の違いだけの女性が、アブソリュートをじっと見つめている。とても、懐かしそうに。
「あなたはひょっとして、この世界のアブソリュート！？」
　別の世界のアブソリュートは、この世界の自分を容易く見抜いた。
「ええ。元、ですけど。もう炎は出せません」
「死んだんじゃなかったんですか！？　高熱装置は、心臓部ですよね！？」
「死んだとは……おそらく彼も言っていないと思うんですけど」
　元アブソリュートは服のボタンを外すと、胸をアブソリュートに見せる。胸の中央に、赤く酷い傷跡が残っていた。
「装置を抜かれたものの、ギリギリの所で助かりました。でもこの傷のせいで、しばらく意識不明でした。起きた時にはもう、クイックゴールドは、生半可なことでは止められない存在になっていて。生命を助けてくれたファクターズの友も、既にいませんでしたしね」
「そうだったんですか。つまりあなたはわたし、この世界のアブソリュートであり、この世界の」
　ヒムロ＝ヒナタ。ヒカルが居る前で、自分の本名を口にするワケにはいかなかった。これから立ち去る世界で知られても何の支障もないが、気分的に。
「いえ。違います。わたしは、ヒムロ＝ヒナタではないです」
　それなのに、この世界の自分は、あっさりと本名を口にした。
「あ、あなた、何言ってるんですか！？　いえいえ、元よりこの世界ではヒムロ＝ヒナタであっても、わたしがヒムロ＝ヒナタである理由は。でも、あれヒムロ＝ヒナタではないって？」
「落ち着いてください、わたし。わたしはヒナタですけど、ヒムロではないんです」
　ヒムロではないヒナタは、車椅子に座るヒカルの肩に、両手を重ねて乗せた。ヒカルは腕を伸ばし、更に上に手を重ねた。　
「苗字が変わりましたから。この人の苗字を教えるわけにはいきませんけど」
　彼女の名前は、スメラギ＝ヒナタ。確かに彼女はヒムロではないが、ヒナタだ。
　ああなるほどと納得しながら、オーバーヒートしたアブソリュートは卒倒した。

　バレットボーイは、ひたすら土下座していた。
「スイマセン。頭が冷えました。納得します」
「よろしい。太陽も北風も、同じ天の物。タリアとオウルガールが同一人物で、何の支障があろうか」
　ボーイを心の底から納得させたオウルガールは、シャドーボクシングや演舞を繰り返し、自身の動きを確認していた。
「でも、なんで全然違うキャラなんですか？　悲しい事ですが、本性はそっちの北風ですよね？」
「まだ納得しきれていないようだが、まあいい。ああいう凡庸な性格を演じていた方が、何かと楽でな。悪党を見れば気絶したフリで引っ込めるし、鈍いふりをしていた方が相手の口も軽くなる。もし私が男だったら、意志薄弱なプレイボーイのフリでもしていただろうな」
「無理して、太陽であろうとしなくても」
「北風にしか出来ないこともあり、太陽にしか出来ないこともある。オウルガールの仮面も、タリアとしての顔も必要だった。それだけだ」
　オウルガールとタリア、北風と太陽、一体彼女にとって、大事な顔はどちらなのだろうか。
「さて。行くとしようか」
　身体の動きと装備を確認し、オウルガールは何処かに行こうとする。彼女の行き先は、明白だった。
「ウェイドシティに、向かうんですね？」
「ああ。何処の世界でも構わん。誰かが無辜の人々を苦しめているのなら、牙ある者が立ち向かうべきだ。クイックゴールドを、止める」
　ただ、正義であれ。この強固な精神を久々に目の当たりにし、ボーイは拳を握る。平行世界も、自身の死も、彼女を揺らがせない。ボーイが待ち望んでいたのは、この彼女の姿だった。泣き叫ぶよりも、女であるよりも、この人はこういう生き物であることが実に似合う。
「じゃあ俺も」
「待て」
　オウルガールに付き従おうとしたボーイを、オウルガールは止めた。
「私についてくるのではなく、隣に並べ。ならば、そのような物言いと決断は許される物ではないぞ、ノゾミ」
「名前……？　ノゾミって、俺の名前！？」
「他に誰かノゾミがいるのか？　まあ、この世界には、一人金色のが居るらしいが」
　今までずっと、オウルガールはボーイのことを“少年”と呼んでいた。一体どんな風の吹き回しか、彼女は始めて“ノゾミ”と呼んだ。しかも、物言いからして、下ではなく同列としてボーイを見ている。いったい、彼女の中でどんな心境の変化があったのだろうか。
「この世界のバレットを見て思った。友が死んだだけで、己の意思も使命も丸投げし、酒に逃げる。しかも、最終的に出した結論は余所の世界の人頼み。こう言ってはなんだが、無様だ。酷い。どうしょうもない」
「すっげえ言いたい放題ですね」
「だが。アレは正しいスメラギ＝ヒカルだ。バレットだ。絶望しきって、最大の武器である足を失ってから再起、一度立ち直った後は自分の罪を手段を選ばず償おうとしている。立派な、バレットだ。私は、死んだ彼を美化しすぎていた。弱さも強さもある、しなやかな人間。それが正しいバレットだ。彼のあの姿は、私の中でやけに綺麗になっていた、私の幻想を打ち壊した。同時に、私の甘えも」
　甘えなんて、オウルガールには似合わぬ言葉だ。しかし当人がそう判断したのなら、そういうことなのだろう。
「バレットは酒に逃げ、私は思い出に逃げた。形は違えども、逃げたことには代わりない。我々の世界の君がまともなのは、ただ君が強く、私と世界の運がよかっただけさ」
　もうオウルガールには、少年という呼び名を口にするつもりは無いようだった。
　多少上から目線ではあるものの、オウルガールはノゾミを、バレットボーイを同格の存在と認めた。
　ボーイは、オウルガールの評価を聞いて、俯いた。俯き、胎動する力と感情。
「おっしゃあぁ！」
　貯めこまれたものは、爽やかに吐き出された。
「どうした？」
「昔は、この街に来た当初は、バレットの名前をさっさと継ごうとしていた。そしてこの間、バレットの名前を継いでもいいと言われた。それよりも、嬉しいんだよ。尊敬している人間に、まっとうに評価してもらえることが」
　感情を偽りなく真正面から吐き出す、ボーイの真骨頂であった。
「そ、そうか。ところで、行くのか行かないのか？」
　ここまで好意をぶつけられては、流石のオウルガールも照れるしかなかった。照れながら、話を元に戻す。
「当然、行きますよ。あの恐れを、このまま放置しては帰れないですからね。自分の銅像を崇める世界があるというだけで、夜も眠れなくなります。恥ずかしくて」
　この世界に来た時の、級友の恐怖こそウェイドシティを包む恐怖を切り取ったものだ。あのような恐怖が集まり、この世界は出来ている。ならば、恐怖は払わねばならない。一度本調子となれば、ボーイの決断もシンプルな即断即決だった。
「ならば、行くか」
「ええ！」
　歩き始めるオウルガールの隣に、ボーイは並び立つ。唯一、吐き出しきれなかった感情を抱えたまま。きっと、この感情は、今のクイックゴールドの心を埋めている物だ。オウルガールにも語れない感情を、ボーイは心の奥底にしまう。
　おそらくこの感情を発散できるのは、同じ感情を共有できる相手だけだ。

　アブソリュートはゴーグルを外され、ヒナタの膝枕で寝ていた。珍しい、裸眼のヒムロだ。
「落ち着きましたか」
　ひんやりとしたヒナタの左手が、ヒムロのデコに当てられている。彼女が眼鏡をかけているおかげで、判別は容易だった。
「ええ。十分に。冷却機能は、まだ健在なんですね」
　ヒムロは、自分の左手を心臓部に当てる。オーバーヒートは二人のアブソリュートの能力で静まった。
「実戦には、もう使えませんけど。実験や研究には、役立ちますよ？」
「そうですか。医療の現場でも、役立ちそうですね」
　ヒムロは手で礼を述べ、立ち上がる。ここは、ヒナタの自室だった。ヒカルはまだ、機械の前で何やら調整をしている。
　ヒムロの趣味に、ほんの僅かな可愛らしさを加えた、研究室然とした部屋。ベッドがないということは、寝室は別にある。ヒムロとヒナタの違いは、つまるところ一つの原因で纏まるのだろう。
「ホント、信じられません。わたしが、バレットと結婚しているだなんて」
　この世界に来て、一番の驚きだとヒムロは頭を抱えた。友の死や自分の敗北と違い、悲しみが先に来ない。ただ、有り得ないという呆れが先に来る。
「まあ。わたしだって信じられませんからね。お互い、色々あって、こうして結ばれて一つの可能性としてのあなたを招いた。色々を聞きたいですか？」
「いいです。聞いても恐らく、信じられないですから」
「本当に聞かなくていいんですか？」
「……話したいんですか？」
「いえいえ、そういう訳では」
　その割に、ヒナタはしょんぼりしていた。どうにもペースが狂う。こういう愛らしさが自分にはあるのかと、手近に置いてあった手鏡でヒムロは自分の顔を確認する。鏡なんておしゃれ道具はヒムロの部屋には置いてなかった。
「男女が結ばれるまでの過程は、まあそうなんだろうなぐらいの納得でいいんですよ。わたしとしては、数万文字を綴ってもいいんですけど」
　お互い全てを失った所で出会って、はじめて共感を得た。クイックゴールドという強敵を前にして、手を組み心も結んだ。それとも本当に、なんとなくこうなったのか。どれもありそうで、どれも無さそうな。数万文字を読むか、適当な所で納得するか。第三者が選ぶのなら、まず後者だ。数万文字の惚気は、人を殺せる。
「でもそのリアクションってことは、あなたがバレットに感じていたのは恋心ではないようですね」
「当然です！　バレットは敵ですから！」
「わたし相手に、そのツンツンは通用しませんよ？　わたしも昔はそうでしたし。立場は違えども、それなりの好意は抱いていたのでしょう？　その感じだと……尊敬ですかね。速さという武器だけで、艱難辛苦を次々と打ち破るあの姿勢には、大いに刺激させられたものです。あなたもほら、冷凍能力を手に入れたのは、彼の高速移動を静止させるためでしょう？」
「ええ、まあ……」
　流石に同じ人間、ほぼ同じ歴史を歩んでいるだけあって、よく知っている。全てを見抜いている分、ガンガン攻めてくるキリウよりも人の心に踏み入ってくる。
「このあこがれに、執着したせいでしょうね。わたしたちが、彼に道を誤らせたのは」
　ふっと、ヒナタの顔に影が差した。
「彼とはバレットボーイ。この世界ではクイックゴールドのことですか」
「ええ。思い出してみれば、彼はよくやっていました。丸投げにされた重責を、一人で担う。彼が背負っていた物は、バレットの宿命だけではありません。バレットが受け継いだ、オウルガールの使命も一緒に。たった一人で、速さのみで背負っている彼の気持ちを、誰も省みることが出来なかった。だから彼は、ああして壊れてしまった」
　後悔しているのは、ヒカルだけではなかった。ヒナタもまた、アブソリュートであった頃の、自身の有り様を悔いている。ヒカルとヒナタの二人を結んだのは、この懺悔と悔恨の気持ちなのかもしれない。
　ヒムロも、同じ気持ちを一端なりとも味わっていた。程度を比べることは不可能だが、ヒムロもボーイ相手に、必定以上にバレットを重ねあわせていた。彼女は、今のヒムロの先にいる。世界線を越える機械を生み出す知識も、結婚により成熟した精神も、選択肢を曲げた形で選んだ結果得た、絶望も。
　未だ選択肢を選べぬヒムロにとって、この絶望を悔いる姿は心に来るものがある。
「名前は変わったといえ、クイックゴールドは元はバレット、ならば彼を倒すのはボーイではなく、わたしですね」
　ヒムロは外していたゴーグルをかけ直し、アブソリュートとなる。アブソリュートの敵は、ただ一人、好敵手はただ一人。バレットボーイだ。危うく大事な選択肢を選ぶ前に、些細な選択肢を間違えるところだった。
　ボーイが覇権を握った世界を放って帰るなんて、そんなの目覚めが悪すぎる。
「ありがとう。わたし」
「気にしなくていいですよ。わたしの世界で同じようなことがあったら、わたしも機械を作って呼びますので、その時恩を返してくださいね」
　ヒナタは微笑みながら、しとやかに頷いた。

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