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オーバー・ペネトレーションズ#2−1

 ぶつかり合う、青と黒の光。数度のぶつかり合いの後、二つの光は距離をおいて対峙した。
「……やはり、速い」
「ああ。速いさ。開き直ったんでね」
 バレットボーイは、キリカゼから奪ったレーザー忍者刀を捨てる。ついこの間までならば、なんとか速さについて行けたものの、もはやキリカゼは、成長したボーイの速度に追い付けなくなっていた。
 ボーイの速さが、キリカゼを襲う。キリカゼの背後に回ったボーイは、そのままキリカゼの首を捕らえる。
「消えた!?」
 キリカゼの身体は、正に霧のように掻き消えてしまった。
「速さで負けても、使い方ではまだ負けぬ。サイバネティック忍術は未だ死なず!」
 四方八方からの苦無を、ボーイは慌てて避ける。先程捕まえたキリカゼは、残像だったのだ。体勢が崩れたボーイめがけ、キリカゼは頭上から飛びかかった。
「お命頂戴……消えた!?」
 キリカゼの苦無が身体に刺さった瞬間、ボーイの身体は霧散した。
「そうか、こうやって急にスピードを緩めれば……」
 本物のボーイは、今しがた繰り出した技の感触を確認していた。
「なんと! 拙者の忍法ホログラフィを盗んだのか!」
「工夫を考えるのは苦手だけど、こういう使えそうな物は遠慮なくいただくよ」
「若者の吸収力と、現代っ子の遠慮のなさは、げに恐ろしき!」
 ボーイは驚くキリカゼに襲いかかるが、キリカゼの身体は、再び残像となっていた。
「しかし、まだ未熟!」
 今度はキリカゼが攻撃を加えるものの、ボーイもまた残像となり消える。
「ならば、今ここで熟してやる!」
 ボーイが攻撃し、キリカゼが残像に。
「我が忍法、おいそれと習得されてたまるか」
 キリカゼが攻撃し、ボーイが残像に。
「なんかだんだん、コツが掴めてきたような」
 ボーイが攻撃し、キリカゼが残像に。
「なんの、まだまだ」
 キリカゼが攻撃し、ボーイが残像に。
 ボーイが攻撃し、キリカゼが残像に。キリカゼが攻撃し、ボーイが残像に。ボーイが攻撃し、キリカゼが残像に。キリカゼが。
 パプーーー!
「ぬう!?」
「うわっ!」
 ラッパの大音響が、終わらない残像合戦を続ける二人を纏めて吹き飛ばした。
「ややこしいわー!」 
 ラッパを手にしたM・マイスターは、大音響の後、偽らざる本音を叫んだ。




 話は、遠き国へ一度移る。 
 民主主義と独裁主義。世間的には、多勢の人が政治に参加できる民主主義を善とし、一人の意見や意思が優先される独裁主義を悪として捉えやすい。だがしかし、現実にはまず“船頭多くして船山に登る”という言葉がある。多数の人間の意思を汲み取ることだけに専念することにより、善政どころか悪政へと転がる例は、歴史に多々ある。
 そして独裁主義の場合、頂点に立つ一人の人間がずば抜けて優秀ならば、現在確立されている政治の仕組みとして、最も優秀なシステムとなる可能性がある。だが、演説、カリスマ性、政策、軍事、外交、そして独裁者として正気を保ち続けること。史上何人もの独裁者が、この難関に挑み、最悪の形での継承や終焉を重ねてきた。理想的な独裁者の資質というものは、人一人に求めるにしては、過分であった。
 だがしかし、この現代において、ついに独裁主義の理想が生まれようとしていた。夢想とまで呼ばれた完全無欠の独裁者は、西欧の小国ヴェリアンに君臨し、多数の国民の賞賛を得ていた。


 王の落とし子と蔑まれていた彼女が国民の目に触れたのは、父であるヴェリアン国王が死んだ後だった。彼女は幼少時から今の今まで、留学と言う名の追放措置を受けていたのだ。
 王の葬儀に現れた彼女は、見目麗しい姿と感動的な弔文を公の場で披露。彼女を知らなかった国民の、度肝を抜いた。逆に、涙を浮かべる彼女を葬儀場から追いだそうとした王族たちは、国民の反感を買うことなってしまった。
 そんな彼女に注目したある革命家は、この可憐な少女を旗印とし、王国の打破を試みた。王国打倒と吠える革命家の依頼に彼女は従い、革命家の元には多くの人が集うこととなった。
 ここまでは計算どおりとほくそ笑んでいた革命家であったものの、事態が己の考えと全く違うこととなっていたことに愕然とする。集った人々は、王国打倒ではなく、王位継承と叫ぶようになっていた。彼女を女王とし、新たなヴェリアン王国を創る。革命家は必死で修正起動を試みるものの、いつの間にか姿を消していた。今となっては、この革命家の名前すら、国史に記載されては居ない。革命家が消えた後、彼女は王政革命の先頭に真の意味で立つこととなった。
 現王族が旧王族となったその日、ヴェリアン王国は新たな夜明けを迎えた。女王となった彼女は、専制主義の導入を発表。異論が当然のように吹き出すものの、ヴェリアン産出のレアメタルの発見と精製工場建築による内需の特化や、周辺国家と結んでいた不平等条約を破棄した上での、ヴェリアン有利な新条約の締結。他にも様々な政策を施した結果、旧来的な王国であったヴェリアンは、世界屈指の近代国家へと姿を変えた。レアメタルの発見や精製に、外交文書の作成。どれも女王主導の業績である。彼女は、科学者や外交官としても一流だった。
 国民から負担を除き、代わりに豊かさを。人々は女王を惜しむこと無く賞賛する。異論や不満は、賞賛の声に消されていた。
 彼女の名は、キリウ・フォン・フォーグラ。ヴェリアンの歴史に金色で名を刻むことを、既に定められた女帝である。


 大通りをゆっくりと走るオープンカーに、色とりどりの紙吹雪が振り注ぐ。紙吹雪や沿道にひしめく国民の歓声は全て、にこやかに手を振る、車上のキリウに向けられていた。
 有能で美しい女王を、国民は皆、愛していた。女王は自らの資質のみで、己を神格化してみせた。純白のドレスを纏う彼女は、誠に麗しい。彼女の女王としての伝説に、虚構や嘘は無いのだ。
 巡遊を終えた車は、専用のガレージへと誘導される。車から降りたキリウは、満足そうに控えていた侍従長に声をかけた。
「うむ! 今日も、民の顔は真の笑顔だ。余の笑顔も当然、笑顔になる。笑顔と笑顔、いい関係だな?」
「はい。仰せの通りで。陛下の統治者としての愛は、下々の者によく伝わっております」
 独裁者でありながら、民を心底愛しているキリウにとって、時折行うパレードは最高の喜びであった。自分の愛に、民が応えてくれている。自らが行なっていることが正しいと賞賛されることに、不満を覚えるはずも無かった。
「ところで、侍従長。パレード中に、こんな物を拾ったぞ」
 キリウは侍従長に、パーシャルジャケット弾を渡した。弾丸の先頭以外を真鍮で覆ったこの弾は、主に大型肉食獣をハンティングする際に使われる。人に撃つとしたら、やり過ぎな弾だ。
「パン屋の角を曲がったところですね?」
「うむ。良いタイミングでの狙撃だったぞ。だが、なんとか飛んでくる弾丸を掴むことが出来た。もし当たっていたら、平気な余を見て民が驚いてしまっていたからな」
 狙撃されたが、女王様が銃弾をキャッチしたお陰で、パニックは起こりませんでした。
 こんな冗談みたいな話が、この国では、この女王の前では、事もなげに繰り広げられていた。
「既に犯人は確保済みです。此方へどうぞ」
「こんなもので余がどうにかなると思っていた、可愛い狙撃犯の面を拝むとしよう。はっ! まさか、この間の地税改革に不満を持った農民か!? あれは少し思い切り過ぎたと、余も懸念していた。もしそうだとしたら……」
「ご心配なく。犯人は、前王室関係の者です。地税改革はかなり思い切ったものでしたが、大筋受け入れられております。少なくとも、女王を暗殺する程、不満を覚える人間はいないでしょう」
 オロオロと狼狽えるキリウを、侍従長は冷静なまま宥めた。
「詮議の後、適当に処理を。アレは余が関わる価値も無い連中だ」
 先程までの可愛らしさは何処へやら。キリウは侍従長に処理を丸投げして、帰ろうとした。
「お待ちを。犯人は、元近衛師団長と元副団長でございます」
「よし! 会おう。あの二人は、嫌いではないぞ、うん」
 これまた今度は、失望から喜びへ。コロコロと変わる女王の感情は、どうも読み切れない。可愛らしく、見てて飽きないという共通点はあるが。
 ウキウキ気分の女王の先の扉を、侍従長が開ける。石造りの小部屋の中央、二つの椅子に二人の男女が縛り付けられていた。美しき女騎士である師団長と、壮健で大柄な副師団長。二人は同時に、キリウに強い敵意を向けた。
「繊細ながらも芯の強さを感じさせる美しさに、大きく鍛えられた筋肉が持つ肉体的な美しさ。美しい物を、嫌いな物がいようか!」
「我々を愚弄するか、邪悪なる王よ!」
「貴女は、女王陛下の美的感覚に合致したことを、まず感謝するべきです。コネで近衛師団長という職を得たものの、王家転覆後に追放。女王の慈悲にも背を向けた挙句、部下にも見捨てられ、遂にはテロリスト紛いの行いを。貴方に美しさがなければ、只の木っ端以下の存在なのですよ? 美しいから、こうして女王に口を聞いてもらえるのです」 
 思わず、師団長の怒りが一瞬で冷める程の強烈な罵倒。副師団長は分かりやすく歯ぎしりしていた。
「動けぬ相手をいじめるのは良くないぞ、侍従長?」
「申し訳ありません」
「さて、師団長。別に余を狙うのは一向に構わん。だが、ああやって民のいる所で狙うのはいただけないな。万が一、民に流れ弾が行ってしまったらどうするのだ。取り返しがつかんではないか」
「……邪悪な魔物の洗脳から解放するには、それくらいのショックが必要だ!」
「洗脳? はて、余はそのような事を、民にした覚えはないのだが」
「しらばっくれるな! 私は知っているんだぞ、貴様が他所の国で何をしていたのか。なぜこの国に戻って来たのか! あのような事をした女が、王であってたまるか!」
 いきり立つ師団長に、キリウが向けたものは微笑みだった。静かに怒る侍従長を制すると、キリウは師団長の頬に指を這わせた。頬から顎のラインをなぞり、首筋へと。指はゆっくりと、師団長の肌を確かめる。
「師団長は色々と知っているようだ。だがそれは皆、耳学問だな」
 女王陛下は、美しき師団長に口付けを授けた。師団長の首筋に、犬歯を立てる形で。
「あああああー!」
 師団長の悲鳴に、チューチューと液体を吸う音が隠れていた。キリウは、師団長の血を吸っていた。まるで、吸血鬼のように。
「団長!」
 副師団長を拘束していたロープが、力ではじけ飛ぶ。彼はズボンの裾からサバイバルナイフを取り出すと、血を吸う女王めがけ振り上げた。どうやら彼は捕まることで、女王暗殺の機会を狙っていたらしい。
 このような主の危機的状況を前にしても、侍従長は動かなかった。それどころか、携帯を取り出し、何処かに連絡している。彼にとって、怒れる大男は大した存在で無かった。彼は、どうせあのナイフを、振り下ろせない。
 事実、ナイフを高く掲げた所で、副師団長は固まっていた。彼を止めたのは、キリウの眼だ。金色に輝き始めた眼が、副師団長の動きを静止している。キリウ本人はまだ、血を吸い続けていた。
 副師団長を留めているのは、殺気や迫力といった、概念的な物ではない。彼は今、足元から徐々に、石化していた。まるで、ゴーゴンの眼に睨まれたかのように。
「ふう」
 数分後、晴れやかな顔をしたキリウが、師団長から離れる。同時に侍従長は、師団長の拘束を解いた。
「これが、余の洗脳のやり方だ。まさか国民全員に口付けする訳にも行くまい。あの民の熱狂は、民自身の物だ。余を貶したいが為に、民を貶すな」
 トロンと、恍惚に満ちた様子の師団長は、ただ、キリウにしなだれる。服の袖に隠している短剣を使おうとする様子はなかった。ついでに、背後で石像と化した副師団長に眼を向けることも。彼は着ている服ごと、全てが石と化していた。
「どうやら分かったようだな。なら、本日の夜伽は、貴公に命ずる。侍従長」
「おまかせを。夜までに、相応しき服装を見繕って寝所にお届けいたします」
 侍従長の連絡を受けやって来たメイドたちが、ポーッとしたままの師団長を連れて行く。キリウにとって、男女の区別なし。美しければ、何も問題なし。女王は清々しいまでに、悔いなき両刀使いだった。後ろめたさなど、あるはずもない。
 美しい物を好み、必要以上に愛でる。こういったキリウの性格は、独裁者にありがちな物だ。当人も美しく、真の意味で民を愛しているからこそ、道は外していないが。
「石像はどうしますか?」
「プレイベートスペースに開きが……。むう、駄目だな。顔が恐怖でひきつっている。もう少し、胆力があると思っていたのだが。見込み違いだったか?」
「強き身体に弱き顔ではバランスが良くないですな。外に運びましょう」
「庭に置くのか?」
「いえ。洗い物係が、干し物を吊る下げられる物を欲しがっておりましたので」
「うむ。それならば十分足りるな」
 吸血により人を洗脳し、眼光で人を石にする存在をなんと呼べばいいのか。
 それは、化物という呼び方が、最も相応しいだろう。ヴェリアンの女王は、化物であった。国民が知らぬ、キリウの留学生時代。ここに彼女の真実がある。蔑まれ、力を欲し、恐れを得て。近衛師団長が指摘したように、国外におけるキリウには後ろぐらい点が多々あった。
 キリウは血がわずかに付いた口端を拭うと、侍従長にあることを尋ねた。
「今のところ、政治政策に何か問題はあるか?」
「いいえ。非常に安定しております。女王が任命した大臣は、誰もが女王の手足であることを望み、女王の意思にそって十二分な働きをしております」
「ふむ。ならば、しばし国を離れても良さそうだな。侍従長、余は外遊に出るぞ」
「承知しました。お供はいかがなさいますか?」
「古き因縁の精算だ。王となる前の。だから、一人で良い」
「承知しました。ちなみに、どちらに?」
 侍従長は、恭しく頭を下げた。
「懐かしき街、ウェイドシティへと」
 女王となった悪党は、回顧と未来の為に、少しだけ様変わりしたウェイドシティに凱旋しようとしていた。悪党の顔ぶれも光速の男も、多少様変わりした、懐かしの街へと。


 遠くの国から、何かがやって来ることなど露知らず、ウェイドシティの日常に変化はなかった。当然、ヒーローでありながら、一市民でもあるノゾミにも。
 終業のチャイムが鳴った後、ノゾミは楽しそうに携帯をいじっていた。
『バレットボーイ、市議会議員をキリカゼから救う!』
『インパクト。またも脱獄するものの、数分で再投獄。バレットボーイ、記録更新!』
 どのニュースサイトの見出しにも、バレットボーイの名が良い形で載っていた。別に功名を求めているわけではないが、褒められて悪い気はしない。このまま行けば、自然にバレットボーイから、ボーイが抜ける日も近い。
 周りが認めてしまえば、きっとオウルガールも少年呼ばわりは止めるだろう。最も、あの妥協しない女性が、周りに流されて態度を変えるとも思えないが。
「どうしたんだよ? ニヤニヤして」
 帰り支度を終えたナカモトが、ノゾミに声をかけてきた。
「ん? い、いやそんなんじゃないけど」
「エロサイトでも見てるのかよ? 学校でエロサイトを見るだなんて、お前は随分と勇者……なんだ、ボーイの記事かよ。お前、そんな奴のファンなのか?」
 ヒーロー好きを公言する男にしては、冷たい対応だった。前々から、バレットは好みではないとも言っていた、ならばボーイに対して冷たくなってもおかしくはないが、それにしても。
「悪いかよ」
 つい、ノゾミの語気も荒くなった。
「あ、いや。そういうワケじゃないんだ。すまなかった。俺も一市民として、バレットボーイの自警活動には感謝してるけど。だけど最近、なんつーか、バレットの頃から感じていたんだけど……あいつら、ただ街を舞台に、遊んでいるだけのような気がしてきてさ」
「遊んでる? 必死だろ? 一応」
「でもさ。キリカゼって元々、暗殺者として活躍していたって聞くぜ? そんなガチなヤツが、例え光速の男が邪魔したからといって、市議会議員の襲撃に失敗するかな? インパクトなんか、アイツ何回脱獄してんだよ。反省してないの、見え見えじゃんか。先代のバレットやボーイが温すぎるから、ナメられてんじゃないのか? もっとやる気になれば、ウェイドシティはちゃんと平和になるんじゃないか?」
「む……」
 ナカモトの意見を聞き、ノゾミは押し黙る。全くの見当はずれならともかく、ナカモトの批判には一理あった。
 自分は手を抜いているつもりは決して無いが、時折ファクターズの面々には、余裕が見え隠れしている。ファクターズが犯罪より何より、バレットとの戦いを楽しんでいたのはノゾミも知る所。彼女らの中に、そういう余裕が未だに残っていてもおかしくはない。
 そしてインパクト。どうせ大したことは出来ぬ三流であるが、ガッツだけは間違いなくある。何度投獄されても、両肩を外されても、改心しないぐらいには。現状以上に打ちのめすとなると、命に関わるような単語が出てきてしまう。それは、ノゾミの論理感にも、オウルガールの定めたヒーローとしてのルールにも、抵触してしまう。
「出始めの頃はオオッ!となったんだけどさー、バレットのボーイだけあって、最近、前のバレットに似てきた気がしてさー」
「え。に、似てる?」
「ああ。軽口の女たらしのバレットに、段々似てきたよな、ボーイ。ただ速いだけならともかく、女に出す手も速いのはいただけない……おい、どうした!?」
「なんでもないヨ?」
「いやそんな、おもいっきり力尽きた状態で、なんでもないは無いだろ!? なんだか、口調もおかしいし!」
 力尽き、四つん這いとなりうな垂れる。世界の終わりが明日と分かれば、皆がするであろう体勢となったノゾミは、目に見えて落ち込んでいた。従兄弟の、口と女性への軽さだけは見倣うまいと誓っていたのに。最近は、相手の模倣や敵と多少のやり取りをする余裕がある。この余裕のせいで、あらぬ誤解を受けてしまったのだろうか。
「とにかくだ。バレットボーイは、バレットに似てきた。そういうことだな」
「似てません! 全然違います!」
 否定は、思わぬところから飛んで来た。帰り支度もそこそこのヒムロが、勇んでやって来る。ヒムロは、ノゾミとの繋がりが出来て以来、途中早退せずに、こうして終業まで居ることも多くなっていた
「いいですか? バレットはもっと大人で包容力があり、発想も多彩でした。今のボーイは、アインに勝って以降、調子にのっているだけです。どうせその内、滑って転びますよ。貴方が誰だか知りませんが、あまり不勉強な事を言わないように」
「知らないって、俺も一応クラスメートなんですが……」
 いきなりヒムロに食ってかかられたナカモトは、しどろもどろになる。ヒムロの近くでバレットを評価することは、無謀が過ぎた。
「……やっべー。俺なんか、死にたくなって来た」
 ノゾミは、更に心に深手を負っていた。援護射撃が来たかと思ったら、おもいっきり自分を狙っていた。バズーカで撃たれ、木っ端微塵だ。
「なんで、そんなに落ち込んでいるんですか?」
「気にしないでくれ。俺はどうせ、御調子乗りの滑って転んで死ぬ若造です」
「何故あなたがそこまで拗ねた目をしているのかは分かりませんが、とりあえず店に行きましょう。今日は、生物学について教えます」
 ヒムロによる、エル・シコシスでの授業は、既に定例となっていた。教師役であるヒムロにとって、叩けば叩くほど響く太鼓のような手応えがあるノゾミを見ることは、楽しいことであった。ノゾミもヤル気がある上に、幸いお互いのヒマも良く合致し、授業の回数も増えている。
 悪党とヒーローという視点で見れば、この二人のヒマが合致するのは当然だが。
 力尽きていたノゾミが復活したその時、ヒムロの携帯が鳴った。メールではなく、電話のようだ。
「もしもし? ええ。これから二人で向かいますので、店長やアレに、邪魔をしないよう事前に言い含めておいて……本当ですか、それは? はい。今すぐ帰ります。決して刺激をしないように。ノータッチでお願いしますね」
 電話に出たヒムロは、こうして会話を交わした後、ノゾミに今日の授業の中止を告げた。
「申し訳ないですが。今日の授業は中止ということで。では、また会えたら明日に」
 簡潔に告げると、ヒムロは急いで教室を後にする。どうやら、余程の火急の連絡が入ったらしい。事情を聞くヒマも無かった。
「会えたらってことは、明日も学校に来るんだろうな」
「随分と、彼女、欠席も減ったねえ……。ノゾミさん以外は、アウトオブ眼中のようですけど、ヘヘっ。なあ、ヒマが出来たんだろ? 久々にゲーセンでも行かね?」
「そうだな……」
 たまには良いかと、ノゾミがナカモトの申し出に答えようとした時、今度はノゾミの携帯が鳴った。電話ではなく、メール。中身を確認した後、ノゾミは渋い顔をしていた。
「悪い。ゲーセンは、また今度にしてくれ。それじゃあ」
 先程のヒムロ並の簡潔なサヨナラを口にし、ノゾミも急いで教室から出る。人気のあるところは、あくまで人並みに。人の目が無くなった瞬間、光速で。彼もまた、本気で急いでいた。


 呼ばれて、待ち合わせの場所に向かう。当然のようにノゾミは、数秒後には待ち合わせ場所である、市庁舎の屋上に到着していた。普段着のままの自分とは違い、相手方は当たり前のようにコスチューム姿であった。
「遅いぞ。少年」
 オウルガールは、数秒の行程を遅いとなじった。
「まだ、そっちの我慢には追いつけない速さか。でも、俺だってだいぶ成長したんだから……」
 “いい加減、少年呼ばわりは止めて欲しい”とノゾミは続けようとしたものの、ふと黙る。
「どうした? なにか言いたいんじゃなかったのか?」
 この人は、オウルガール。そう、ウーマンではなくガールなのだ。自ら堂々と少女と名乗っている年上の女性に対し、少年呼ばわりの不満を述べてもいい物か。それより先に、少年呼ばわりされることが不満だということを、理解してもらえるのだろうか。
「なんでもないです……」
「本当か? 何やら言いたげだったが。先達として、質問してくれればおおよその事には答えるぞ」
「いや、ホントになんでもないんで」
「言い方を変えようか? さっさと、言え。疑問があるのならば、大事な話の前に解決するべきだ」
 いつの間にかオウルガールは、犯罪者を詰問する口調に変わっていた。殺しはしないが、骨の一本や二本は折って、脅しをかける。そしてこの冷ややかな声の調子、こんな物に相対している、ラーズタウンの犯罪者は随分と骨がある。
 だがまさか、真正直に“いい年こいて少女を名乗っている方に質問なんですが”とは聞けまい。光速の少年は、その速度を持ってしても逃げられないであろう困難に直面していた。
「どうした。私は、あまり我慢強くないぞ」
 やばい。鎖骨折られる。
「実は、バレットボーイというヒーローのあり方について、少し悩みがあって」
 キリッとした表情で、ノゾミは代案を出した。どちらにしろ、これもそのうち聞きたいことであった。放課後、自分が言われたナカモトの疑問に対し、オウルガールはどのような答えを出すのか。
「ほう。言ってみろ、面白そうだ」
 幸いオウルガールは、このダミーに騙されてくれた。
「バレットボーイやファクターズは、わざと手を抜くことで戦いを楽しんでいると言われたんですが」
「少年は手を抜いていない。向こうは手を抜いている。こちらとしては、相手の間抜けさに喜ぶべき状況だ」
「もっとヒーローが強硬策に出れば、街は平和になるんじゃないかと」
「街という共同体を、ヒーロー一人の意思で動かすつもりか? 強引に作り上げた平和は、沸騰している鍋に無理やり蓋を被せるような物だ。いずれ鍋は吹きこぼれるか爆発するか。破綻を迎えることは間違いない」
「俺って、ヒカル兄さんに似てきましたか?」
「いや。全然。まだまだ、少年は未熟だ」
 どこまでも簡潔なオウルガールの答え。彼女は、ぶれない人だった。長年、スーパーヒロインを務めてきた自負が、回答の裏に見え隠れしている。この妥協や揺れという言葉が存在しない回答には、おそらく一つの真実がある。最も真実とは、複数存在するものなのだが。
「疑問はそれだけか?」
「まあ、一応」
「私のガールという呼び名や、自分が少年と呼ばれることに対しての疑問は無いのか?」
「ぶっ!」
 思わず唾を吹くノゾミ。オウルガールは、どうやら全て見抜いていたようだ。テレパスではなく洞察力による物だろうが。ここまで来るともはや、推理力も超能力と変わりない。
「そうだな……この程度の疑問に対し、相手も己も納得出来るだけの答えを、即座に頭脳で練り上げること。これも、少年呼ばわりを覆す一つの指針と言えるかな」
 こうしてオウルガールは、少年という呼称を返上するための資格を一つ、教授してくれた。自身のガールという年不相応な呼び名に対しては、全く触れぬままで。
「多少、不真面目なやり取りをしてしまった。本題に入ろう」
「そうッスね! 真面目が一番ですよ。わりかしマジで」
 不真面目で冗談めいたやりとりの結果、ノゾミの背中は冷や汗でびちょびちょだった。フクロウのジョークは、レベルが高すぎる。
「この街に、怪物が戻って来る」
 彼女の口調からは、遊びが一切消えていた。


 ノゾミが背を冷や汗で濡らしていたのと同時刻。エル・シコシスでウェイトレスを務めるM・マイスターとキリカゼの二人も、同じくらいかそれ以上の圧力にさらされていた。二人共、じっと壁際で控えている。それなりに名の知れた悪党である筈の彼女らを迫力で黙らせているのは、開店前のエル・シコシスのドアを、我が物顔で開けて入ってきた客だった。
「美味だ」
 バックパッカー姿に変装しているキリウは、店長特製のチミチャンガを頬張っていた。まだ彼女に自分の帰還を大々的にするつもりはない。だからこその、地味な変装だ。
「本場の物を直接持ち込むだけでなく、この街の住人の舌に合うように仕上げている。転職しても、一流は一流のままということか」
「ハハハー。結構頑張った結果ですヨ? おかげさまで最近、徐々にお客サンも増えてきましたしネー」
「努力が徐々に己に帰ってくる。素晴らしいことだな」
「悪役時代には得られなかった快感ですネー」
「ふむ。気持ちは分からんでもないぞ」
 店長もまた、元はヴィランだった。バレットやファクターズが誕生するより前、前世代の旧き悪役。悪事から離れ、謎の店長カルロスとして店を持った今でも、こうして現役のヴィランや同じ引退組との繋がりは未だに持っている。ファクターズを店で雇い、アジトとなるバックスペースを提供しているのも、繋がりの一つだ。
「こう、昔馴染みと会うと、心が安らぐな。キリカゼ、マイスター、二人もそうだろう?」
「ひゃい!? そ、そうそう、嬉しいですね!?」
「……それなりには」
 ビクビクするマイスター、警戒しているキリカゼ。二人にとってキリウは、恐怖の対象であった。悪ですら、恐れる力を持つ怪物。数年前、この街を含め、広範囲で活動していたキリウの格は、マイスターやキリカゼより多少上だ。しかも今のキリウは、小国とはいえ国家元首という権力と権威まで持ってしまっている。
「そうか。余と同じく、安らぎを得ていたか。ならばこのまま、安らぎを共有しようではないか。主に、ベッドで」
 なにより、キリウのこういう一面が怖すぎた。マイスターもキリカゼも、キリウのお眼鏡に叶ってしまったらしい。美しいと認定されることは嬉しくとも、だからと言って、狙われることを享受できるわけではない。性的に、狙われるのを。
「あ。拙者、任務を思い出したので」
 サッと消えるキリカゼ。バレットたちには叶わずとも、彼女はやはり素早い。
「つれないぞ、キリカゼ。余よりも、任務が大切だなんて」
 そんなキリカゼの腕を、キリウは容易く捕まえていた。口を拭い、席から立ち上がり、キリカゼを捕まえる。キリウはキリカゼと同等以上の速さを持っていた。速さだけではない、彼女はなんでも持っているのだ。
 キリウは長身のキリカゼにしなだれる。右と左の指先はそれぞれ、スカートの下の太ももや、ブラウスの隙間に絡み付き、奥へ奥へと侵入していた。
「くのいちの仕事は、睦み合いだと聞いているぞ。東洋の神秘とまで呼ばれる性技を持つ者と」
「せ、拙者はくのいちではなく、忍者……あふぅ……」
「知っているのなら見せて欲しい。知らぬのなら教えよう。見事、どう転んでも互いに損はない」
 本気でキリウは、キリカゼを手篭めにしようとしていた。キリカゼは身を捩って逃げようとしているものの、無駄な抵抗だ。なにせ、キリウの腕力は、鉄骨ですら容易く潰す。また、逃げ出そうとする鰻を決して逃さぬ程の技巧も、同時に持ち合わせていた。
 追いつめられたキリカゼを救ったのは、襲い来る猛火だった。キリカゼは瞬時に飛び退き、キリウは炎に包まれる。
「ふっ」
 しかしキリウは、一息で炎を霧散させた。飛び火も皆無な、理想的な消し方だ。
 二人めがけ炎を放ったのは、息を切らせて店にやって来た、ヒムロだった。
「はぁ……はぁ……やっぱり、こんなことになってましたか」
 走り続け上気した身体を冷やそうと、ヒムロは冷たい左手で自分の顔を撫でた。こういう時だけは、バレットやバレットボーイの足が羨ましくなる。
 いきなりの攻撃を受けたキリウは、眉を強張らせ、ようやく息が落ち着いてきたヒムロへと歩み寄る。ヒムロもキリウの接近に気が付き、自愛の冷たい手を引っ込めた。
 鼻が付きそうな距離で、二人は睨み合う。しばし睨み合った後、先に口を開いたのはキリウだった。
「借りるぞ」
 キリウはひょいとヒムロの両手を取ると、それぞれの手を自分の頬に当てた。
「ああ。暖かくて、冷たい。この感触だけは、いくら黄金を積もうとも得られない物だ……」
「この感触を楽しむためだけに、街に戻って来たワケじゃあないでしょう? ほら、裏に行きますよ。ウエイトレスには、お触り禁止です」
「うむ。従おう。友の頼みには従おう。そうだ。我が国のレアメタルもお土産に持ってきたぞ。金属に関しては、そちらの方が上だろう?」
「はいはい。プロの目で、キッチリ鑑定させてもらいますね」
 ヒムロに連れられ、キリウはバックヤードへと移動する。片方が手を握り、片方が連れられる姿は、只の仲良し二人組にしか見えなかった。見ていて、幸せな気分になるくらいの。
「た、助かった……」
 すんでの所で助けられたキリカゼは、己の貞操が無事である幸せを噛み締めていた。
「仲良しさんですねー」
「はイ。天才同士、あの二人は通じるモノがあるのでしょウ。アナタも、そういう友達がいるト、後々助かりますヨ」
「はーい」
 直接の被害を受けなかったマイスターと店長は、実に平和的に仲良し二人を見送った。


 ノゾミは手近な場所に座るが、オウルガールは立ったままだった。立ったままで、再び話を進める。
「コスチュームを着る者、誰にでも、理想型というものがある」
「弾丸のように速いからバレット……みたいな感じですか?」
「そうだ。私のオウルガールという名前も、フクロウのように夜に生き、フクロウのように夜に恐れられ。本来のフクロウとは、獰猛な猛禽類だからな」
「……じゃあ、オウルの部分だけ残っていれば、ガールをウーマンに替えても」
「私やバレットのように、モチーフや連想がハッキリしている者もいれば、漠然としている者もいる」
 オウルガールの、見事なスルーであった。
「とにかく、誰もがある程度、自分の行き着く先を夢想してコスチュームを選んでいる訳だ」
「へえ」
 一からではなく、他人のコスチュームを受け継いだノゾミには、どうにも実感のわかぬ話であった。
「そして、戻って来た悪人。キリウという女の目指した物は、単純かつ明確な理想。誰もに恐れられる、モンスターその物だった。自らを改造し、モンスターの力を手に入れた彼女ほど、強力な悪党は、私の記憶の中にも早々居ない」
「モンスターって、随分と抽象的ッスね。一体何が凄いのか、全然分からないんですけど」
 随分と、大まかな表現だった。モンスターと言われても、種類や姿は千差万別。世界を滅ぼしそうな巨人も、人を驚かすことしかできない子鬼も、いうなれば全てモンスター。いくら強力と言われても、どうにも種類が多くごちゃごちゃし過ぎてて、いまいちインパクトが無い。
 それにある種、普段からノゾミが敵対している連中も、立派なモンスターである。鉄の身体を持つ男に炎と火を操る女性に衝撃波を……最後のはどうでもいいとしても、彼らみんな、モンスターにカテゴリーに入れても、問題なさそうだ。
「ふむ。ならば、逆に聞こう。少年は、モンスターと聞いて、何を思い浮かべる? 私なら、吸血鬼や狼男を思い浮かべる。彼らは、立派なモンスターだ」
「白黒映画や小説のモンスターですか? ならば他には、半魚人やメデューサにフランケンシュタインに。そういうのが思いつきます」
 最初に提示された物のイメージのせいか、ノゾミが思いついたのも、古色蒼然としたモンスター達だった。どのモンスターも、色が思い出せなかった。
「正確にはフランケンシュタインの怪物だ。フランケンシュタインは、怪物を作った博士の名前だ。良く勘違いされる事だが」
「へー」
「とにかく、色々なモンスターを思い描いたな? 彼らはそれぞれ、恐怖の源となる力を持っている。吸血鬼の多彩な固有能力、狼男の素早さ、半魚人の水中での機動性、メデューサの石化の瞳、フランケンシュタインの怪物の怪力。これらモンスターの特徴は全て、キリウという女性が持つ能力であると、認識してもらって構わない」
 怪物という呼び名は、とんでもない意味だった。抽象的な呼び名ではなく、キリウの特徴を端的に表した呼び名だったのだ。モンスターの空想的な能力全てを、己の身体に組み込んだ女への蔑称であり尊称として。
「王の庶子として生まれ、なまじ優れた能力を持っていたせいで、国から追放されたキリウは、王国に復讐する為、悪の道に走った。自ら、怪物となる為の手術を施して。徐々に能力を高め、増やしていく彼女は強敵だった。最後は私とバレットが、二人がかりでやっと勝負になるくらいの大物となっていた」
「手術を重ね、強くなって行く。まるで、アインだ」
「なお、これはあくまで当時の話だが。アインは当時、キリウに行動不能にまで追い込まれている。バレットが現場に駆けつけなければ、アインは死んでいただろう。なおバレット曰く、キリウは無傷だったそうだ」
 ノゾミの頬が、思わずヒクつく。成長の大きな壁となった、アインですら手も足も出ない存在が居たとは。そりゃあ、アインが最強、最後の大ボスとは思っていなかったが、あからさまに強敵より更に強い存在にポッと出てこられても、困る。
「少年漫画かよ」
 倒せば倒すほど、強敵が現れる。まるでご都合主義の少年漫画のように。
 ノゾミは力なくそんな事を、呟くしか無かった。


入念な検査が、ようやく終わった。
「どこも異常はないですね。あまり使っていないなら、当然ですけど」
 全ての機器をチェックし、ヒムロはOKを出す。
 外見からは分からぬが、モンスターを目指したキリウの体内には、所持する能力の倍以上の機器が埋め込まれている。
「最近は女王としての仕事に集中していたからな。だが、久々に能力を使って、経年劣化と言う物を思い出したのだ」
「それぐらいで、わざわざ街に戻ってこなくても。自分で確認できるのでは?」
「その通りだ。だが、独裁者も時には、心底信頼できる人間の意見を参照したくもなる。どうせ、国家簒奪と国政が一段落したら、一度戻ってくるつもりでいた」
「ではわたしに会いに来たのは、物のついで? 傷つきますね」
 傷つくと言いながらも、ヒムロは笑っていた。
「そう拗ねるな。友に会うのは大事な用の一つだ! ところでそちらも、信頼できる第三者に、メンテナンスを頼みたくはないか?」
「そうですね。では、お願いします」
 今度はヒムロが椅子に座り、キリウが医療機器を手にする。同程度の天才、しかも同じ若い女性となれば、そう数は居ない。ヒムロとキリウは、親友と言って良い間柄だった。昔はこうして、お互いの機能をメンテナンスし、それぞれの意見を出し合い、能力を高めあったものだ。
 アブソリュートの能力はコスチューム由来ではなく、ヒムロの身体に埋めこまれている機器の力だ。この点においても、二人は似通ってる。
 キリウはまず、ヒムロの両手を丹念に調べた。
「ほぼ毎日使っているようだが、メンテナンスも丁寧にやっていたようだな。コーティングもチューブにも劣化は見られない」
 手からの高熱放射と冷凍伝播のキモは、ヒムロの両手首にある、肉眼では確認できぬ程の小さな穴だった。穴は体内のチューブの出口となっており、チューブは心臓部にある高熱兼低温発生装置に繋がっている。そして、両手にはそれぞれ、火傷や延焼、凍傷や凍結を防ぐためのコーティングがされている。この機械とコーティングが、アブソリュートであることの要だ。
「手だけでなく、一番重要な所も見なければなるまい。さあ」
 聴診器を手にするキリウに促され、ヒムロは上着のボタンをゆっくりと外し、胸をはだけた。ひんやりとした聴診器が、胸に押し当てられる。
「ひゃうっ」
「……ああ、すまぬ。レアな嬌声に聞き惚れてしまった。さて、真面目に聴診しようではないか」
 発生装置はヒムロの生命活動、心臓の動きと連動している。なにせ、前例のない装置、心臓にどのような負担がかかっているのかは未知なのだ。いくら理論上平気だったとしても、実証で予想だにしない不備が出るのは、良くあることだ。
「うむ。異常はないぞ」
「当然です。私自ら設計作成した機械なんですから」
「しかも、手術をしたのは余。なんだ、日頃のメンテがいらぬくらい、完璧な発祥ではないか」
 初期の発生装置は、外部取付型。アブソリュートのコスチュームに組み込まれていた。今のコスチュームは、身体機能の若干の向上と、耐熱耐寒機能が施されただけの軽装だ。発生装置を取り付けていた時代は、今よりも遥かにゴテゴテとしたスーツを着ていた。それに、炎だけで、氷は使えなかった。
 その後体内に装置を埋め込んだのは、実地検査による小型化の成功と、自分と同程度の天才によるアドバイスと手術の実施が大きい。いざ手術となると、頭脳だけではなく、相手方への信頼も必要となる。
「お互い、面倒がなくて良かった。手術となると、どうにも時間と手間がかかる」
「わたしもそう思います。あなたの機械だらけの身体をいじるの、神経使うんですよ?」
 お返しというわけではないが、キリウの手術を担当したのもヒムロだった。
 ヒムロは服を着直し、キリウは興味深そうにバックヤードを見学している。バックヤードには、武器や楽器に科学機器、それに盗んだ札束や宝石がほっぽり出してあった。この乱雑さこそが、ファクターズの活動の証にして、片付けられない女の模範例だ。
「君は、整理整頓が好きだと思っていたぞ」
「わたしもキリカゼさんも、好きなんですけどね。残りの約一名が、どうしょうもなくて。アレが芸術家気質と言うヤツですかね」
「ふむ。しかし、M・マイスターを名乗る程の腕前ならば、芸術家気質も許されるな。そういえば、ファクターズはもう一人居たと記憶しているのだが」
「一度の解散から再結成の間に、行方不明です。それより、この街に戻って来た他の理由を知りたいのですが。まさか、物見遊山ではないでしょう?」
「その通りだ。余は、一石二鳥をしに来たのだ」
「一石二鳥?」
 一挙両得、一石二鳥。つまり、一つの動作で、二つの物を得ること。欲しいものは自らの手で奪い取るキリウにピッタリな言葉であるが、果たして彼女は何を掠めとる気なのか。
「一羽は復讐、二羽目はスカウトだ」
「でしょうね。一羽目は予測していました」
 ヒムロは即座に一羽の意味を理解したが、二羽目のスカウトという言葉と、一羽目との関連性は察することが出来なかった。
「どうやら、一羽目は隠すまでもないようだ。一羽目の正体は、復讐。余を棺桶に閉じ込め、ヴェリアン王国に送りつけた二人。オウルガールとバレットの意思を継ぐ者を、無惨に散らす!」
 キリウが建前の留学を終え、ヴェリアン王国に帰国した真の理由。それは、二人のヒーローとヒロインの必死さへの敗北だった。王の崩御と重なり、結果的には良いタイミングでの帰国となったものの、あまり感謝すべきことではない。何故なら、キリウの才覚があれば、政権奪取は必ず出来ていたことなのだ。少なくともキリウはそう、確信している。
 結局のところ、敗北という屈辱は、本人達の悲鳴や命を代価に注ぐものであった。


 オウルガールが去った後、ノゾミは無力感に苛まれていた。アインに勝てなかった時期よりも、正直辛い。先の見えない、どう振り払えば良いのか分からない無力感に。
 キリウと言う女の脅威。街を震撼させたモンスター・カルテット事件。事件の最後、オウルガールとバレットに手により、キリウはヴェリアン王国に送り戻されたこと。キリウがその後、政権を奪取し、ヴェリアン王国の女王となったこと。全てを語り終えた、オウルガールはノゾミに命令した。
「もし、キリウを見かけたら、戦おう、捕まえようなどせず、即座に逃げるように。そして、私に連絡を」
「それは……」
「今の少年が相対するに、彼女は凶悪すぎる。私でなければ、相手は出来ない」
 有無も言わせぬ、語気であった。
「でも、昔だって、ヒカル兄さんとの二人がかりでやっとの相手だったんだろ? だったら、せめて俺も」
「いいや。私一人でいい。少年では、足手まといだ」
 オウルガールにとって、バレットはヒカルであり、ノゾミは未だにボーイなのだ。突きつけられた評価を前に、思わずノゾミは固まってしまう。オウルガールはそんな若者の様を無視し、市庁舎屋上から飛んで行ってしまった。
 少しはヒーローらしくなったのかなという、可愛らしい驕りにかけられた冷水。ノゾミは一人屋上で、黄昏る。幸い人気のない屋上は、黄昏るシチュエーションとしては最上級であった。
「あの人に認められるには、どーしたらいいんだろうか」
 反発より先に、認めてもらいたいという欲求が来る。
 ノゾミは、オウルガールを尊敬していた。他人に厳しく自分に甘いのならともかく、彼女は誰にでも厳しい。その上、行動や言動には、常々教えになる物が含まれている。一挙手一投足が、ヒーローの教科書みたいなものだ。多少、乱暴で冷酷な教科書だが。
 バレットボーイから、ボーイを引く。ノゾミがバレットとなる、もしくはバレット以上の能力を持つと証明できる簡単な方法は、一つだけあった。
 オウルガールもバレットも単独では勝てなかった、キリウというモンスターに勝つこと。ただしこれはおそらく非常に困難な上に、オウルガールとの約束を破ることとなる。よしんばキリウを倒したとしても、その後、怒られるどころかコスチュームを剥奪されそうな気もする。と言うか、絶対、あの人は怒る。
 ノゾミは、市庁舎から街を見下ろす。街は、静かだった。数秒の間は。
 街の中心から沸き立つ、猛烈な白煙。風に乗ってきた煙は、屋上のノゾミをふんわりと包んだ。
「……行ってみなきゃ、化け物かどうか、分からないよな!」
 煙を裂く、蒼き光。バレットボーイの衣装へと着替えたノゾミは、身体に若干の煙を纏わせたまま、市庁舎の外壁を垂直に走る。纏っていた煙はすぐに、ノゾミの速度に置いていかれてしまった。


 現場に駆けつけたバレットボーイは、一瞬で煙の原因を見破った。
「アブソリュート」
 高熱の右手と低温の左手を合わせて起こる、水蒸気。街中でそんな発煙筒を焚いていたのは、プロフェッサー・アブソリュートだった。妙なことに、彼女は犯罪らしい行為を何もしていなかった。突如現れた犯罪者を見て、通行人や車は皆、逃げ出しているが。
「最初に言っておきますが、これは陽動作戦ではないですよ」
 唯一ありそうなことが、本人の口で否定された。ならば一体、彼女の目的はなんなのだろうか。これではただ、派手なことをして、ボーイを呼び出しただけではないか。
「じゃあ、なんなんだよ」
「あなたに伝えるべき、極秘情報を持って来ました」
「極秘情報だって?」
「本来、あなたとわたしは敵同士。けれども、このままでは、あなたは無惨に死ぬことになる。それはわたしの本意ではありません。なぜなら、あなたを止めるのは、わたしなのですから! って、なんで泣いてるんですか!?」
 ボーイの目が、潤んでいた。
「いや……お前は俺のこと、一応ライバルとして認めてくれているんだなって。てっきり、どっかの先輩と一緒で、俺のこと、バレットの出がらしと思っているとばかり。だって今の、好敵手に言うようなセリフじゃん」
「勘違いしないでくださいね! バレットだったら、情報そもそもいりませんから! あなたが未熟すぎるから、こうして極秘情報を持ってきたんですから!」
 アブソリュートは必死で否定するものの、ボーイは嬉しそうに涙を拭っていた。
「これは、ヴィランのネットワークで掴んだ情報です。それに、あなたにとって、彼女は未知でしょうから。無策で挑める相手じゃないですよ」
「俺が知らない強敵。ひょっとして、キリウってヤツか!?」
「え、ええ」
 いきなり情報の内容を的中されて、得意げだったアブソリュートが軽く言いよどんだ。
「いいですか、彼女は」
「元々、この街で活動していた悪党で、吸血鬼や狼男の力を持っている超強い悪党! それが、どっかの国の女王になって戻って来たんだろ!? そこいらへんは、全部オウルガールに聞いているぜ!」
「……え?」
「頼む、これ以上の情報を教えてくれ! ヴィランのネットワークで手に入れた極秘情報を!」
「いや、その、なんでそんなに」
 アブソリュートの予想以上にボーイは情報を持っていた。敵に塩を送るというレベルで許される範疇の、情報全てを。
「そんなにって、こんなの大した情報じゃないだろ。教えてくれ、極秘情報ってヤツを!」
「……」
 調子に乗って、情報に極秘なんて言葉を付けてしまったことを、アブソリュートは後悔していた。
「さあ! さあ!」
「そ」
「そ!?」
「そんなにオウルガールに頼ってるなら、オウルガールのサイドキックにでもなったらいいじゃないですかー!」
 アブソリュートが勢い良く手を合わせた瞬間、強くなる煙。色濃い白煙に紛れ、アブソリュートは消えてしまった。
「いや。極秘情報は?」
 結局アイツはなんのために出てきたんだと、ボーイは極秘情報が貰えなかったことを本気で惜しんでいた。


 エル・シコシスに帰って来たアブソリュートは、沈んでいた。
「全く、あのオウルガールはズカズカとこちらの領域に入ってくるんですから。あの人が居なければ、私がボーイに情報を渡せたのに! だってキリウは、本気でバレットボーイを抹殺しようとしているんですよ! オウルガールはどうでもいいですけど」
「あーいやー、ワタシからいえるコトは一つでス。ジュースでやけ酒とは、器用ですネ」
「だってわたし、未成年じゃないですか。アルコールは駄目ですよ」
「そういう話じゃないんですガ」
 着替えぬまま店でクダをまくアブソリュートと、店の後片付けをしている店長。この散らかりっぷりでは、本日の営業は難しかった。苦無やタクトが至る所に刺さっていて、ウェイトレス二人は、一人がイヤーパッドを付けた状態で意気消沈、もう一人が頭が床に刺さった状態で垂直の体勢で気絶している。キリカゼとマイスター、お互いの奥の手が炸裂した結果だ。
「でも、エネミーにソルトを送るとしてモ。その程度のソルトで、どうにかなる相手じゃないと思うのですガ」
「だからといって、詳細な弱点を伝えるのは、製作者の沽券と友情に関わります。それに多少塩でも、無いよりはマシです。モンスターを退けるには、到底足りない量ですけどね。さっきも言いましたけど、キリウは本気ですから。こんなこと言ってましたし」

『君たちは、バレットの殺害を嫌っていたが、余は違う。だいたい元々、余はあの男が嫌いだった。口も軽く、技も軽く、何分好ましい所がない。友人の好みをとやかく言いたくないが、バレットは余の美意識から外れている。きっとその、ボーイという輩も同じなのであろう!』

「ア。これガチですネ。あの人、ガチで殺す気ですネ。ついでに分かりましたよ、キリウさんはヒムロさんと仲良しなのに、ファクターズに入っていなかった理由が」
 キリウはヒムロと親友といって良い間柄なのに、ヒムロと良い関係のヴィランが集まったファクターズには加入していなかった。マイスターやキリカゼとキリウの関係は、友達の友達だ。
「ファクターズは約束で、女子供とバレットは殺さないと決めてましたから。バレットが死んでしまっては、私の装置の比較検証が上手く行かなくなる。だからやむなく約束としてバレットも殺さない、と。このバレットは殺さないの条件が、どうしてもキリウは飲み込めなくて。だから彼女、ファクターズには関わってないんです」
「ナルホド、約束。そういう言い方もあるんですネー」
 お前ら、そもそもバレット好きが縁で集まったんじゃねえか。喉から出かけたツッコミを、店長はなんとか留める。店長は、大人なのだ。
「そういえバ。なんでも、キリウさんにはもう一つの目的があったと聞きまス。いったいソレはなんなのでしょうカ? 場合によっては、店を畳んで街から逃げますガ」
「ああ。そっちは大丈夫ですよ。街を壊滅させるようなことじゃないですから。ただ……」
「たダ?」
「エル・シコシスにはそれなりの損害があるかも」
「今以上にですカ!?」
 店の半壊と従業員のダブルKOで既にいっぱいいっぱいな店長は、悲鳴を上げた。

『オウルガールはいいですけど、バレットボーイは殺さないで下さい! その……色々、困りますから!』
『それだ! 余は君が堪らなく好きだが、バレットに拘るという一点だけは理解できなかった! 一人の男に、麗しき天才と、美しき暗殺者と、有能なる音楽家。この三人が縛り付けられているという現状は、理解に苦しむぞ』
『いいんです。わたしたちは現状に満足なんですから。この今を、壊さないで下さい』
『余のもう一つの目的は、ファクターズをそれぞれ専門家として、国に招聘することだ』
『それがなんで、オウルガールを殺して、バレットボーイを倒すことと繋がるんですか!?』
『縛るものがなくなり、現状が変われば、君達も変革を選択する筈。そうだ、こうしよう。余があの二人を抹殺した暁には、ファクターズは余と共に、ヴェリアンに行く。もしあの二人が生き延びたら、余は大人しく一人で帰る。うむ。実に手早く、公平な話だ』
『賭けをすること自体、わたしたちには損しかないじゃないですか!』
『む? ファクターズを縛り付けているボーイは、賭けに出せないほど、軟弱なのか? その程度の男に、執心しているのか?』
『いいですよ。乗ってあげます! 速さだけなら、ボーイは当時のバレット以上になってますから! そう簡単に、倒せると思わないほうがいいです!』

「乗っちゃったんですカ」
「ええ。乗せられました……」
 落ち込むアブソリュートの隣で、片付けを止めた店長も同じように落ち込んでいた。売り言葉に買い言葉、まんまとアブソリュートは、キリウの手の上で踊らされてしまった。
 あと多分、会話の流れを見るに、アブソリュートは本気でオウルガールが嫌いだ。
「せっかく店が起動に乗ったのに、外国行きなんテ」
「店長はファクターズじゃないじゃないですか」
「看板娘を三人も失ったら、大打撃の結果、コースアウトで大破ですヨ」
「言いたくないです。他の二人に」
「言わなきゃ駄目ですヨ? アナタ、自ラ。丁度明日、三人で出る用事があるでしょうから、その時にでモ」
「用事?」
「パスポートの申請、それも国籍の移動も絡むとなると、それなりに時間がかかりますかラ。出来れば早い内ニ……」
 店長も、諦めていた。引退済みとはいえ、オウルガール以上の経歴を持つ古参兵から見ても、バレットボーイとオウルガールがノリにのっているキリウを倒すことは、不可能に近いらしい。アブソリュートの計算でも、余程奇跡的な事態が起こらない限り、キリウを倒すのは不可能だ。
 アブソリュートは友の勝利を差し置いて、奇跡が起きることを神に祈っていた。


 アブソリュートの焚いた白煙でまみれた通りから、困惑顔のバレットボーイが消えた後。白煙の影が隆起し、一人のバックパッカーが現れた。
「あれが、新たなバレットか。多少速いようだが、なに。余なら、追いつける」
 キリウは、バレットボーイを影から見定めていた。聞いていた通り、彼は速かった。だが、相変わらずそれだけだ。そして、相変わらず、見てて感情が沸き立つ。
「アブソリュートがこういう行動を取るのは承知の上、余もそのことを予想して彼女を炊きつけたのだが……一人の天才が、速いだけの男に執着している現状は、やはり許せるものでない。異常だ。排除せねば」
 おそらくこれは、嫉妬なのだろう。キリウは自らの感情を、そう判断していた。ただし、バレットとバレットボーイに対する感情には、微細なズレがあるような気がする。これはきっと、気のせいだろう。
 キリウの脳内に様々な情報が羅列される。この情報から、組み上げねばならない。バレットボーイと、ついでにオウルガールを同時に排除する戦略を。根っこが科学者であるアブソリュートとは違い、キリウの根っこは戦略家の要素も含んでいる。正しくは、理想的な独裁者に必要とされる多彩な物を内包した、真の天才。元より、キリウの人としての存在自体が、モンスターのようなものであった。

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