オーバー・ペネトレーションズ#3-1
隣町で不可思議な窃盗事件が発生している。こんなことを聞きつけたラーズタウンのヒロイン、オウルガールはウェイドシティに翼を向けた。
数時間後、オウルガールは窃盗犯を見つけることになる。彼は、夕焼けに染まる大学校舎の屋上で、体育座りしていた。ただ彼は、黄昏ている。
「お前がやったのか」
「ああ」
男の隣には、財布の山があった。これは全て別人の財布、ウェイドシティ住人の物である。本日正午、街を歩いていた住人、全ての財布がスリ盗られた。中には、物理的に不可能な条件下でスられた物もある。ただの巨大スリ組織の暴走では、片付けられない事件であった。
「警察のデーターベースに、お前の顔は無かった」
「今日が初犯なんでねえ」
「初めてのスリで、この量、しかも捕まっていないどころか姿も見られていない。いったいどうやれば、こんなスリ業界の歴史を塗り替えるような事が?」
「こうやったんだよ」
「なるほど。良く分かった」
オウルガールは苦々しさを隠さぬままで、納得した。
スリの手には、大量のポケットが付いたベルトがぶら下げられていた。オウルガールが使う様々なガジェットが収納されたユーティリティベルトだ。この状況下で彼は、厳格なスーパーヒロインからスリを成功させてみせたのだ。
「この間、田舎に帰った時、ちょっとした事故にあってね。なんか気が付いたら、速くなっててさ」
並々ならぬ速さ、尋常ならざる速さによって。
「木登り? その年で?」
奪い返したベルトを腰に巻き直しながら、オウルガールは訝しげに聞いた。
「いっしょに事故にあった従兄弟は重態寸前の重症。向こうの両親大激怒で、従兄弟に会わせてくれねえの。アイツはまだ入院してるのに、俺はこうして。情けないよ」
タハハと笑う彼は、本当に後悔しているように見えた。速さと言う能力を手に入れたのに、弱気。前代未聞のスリを成功させても、この男には高揚感の欠片も無かった。
「出来るかなっと思って試してみたら、出来ちまった。次はこの街の女のケツを全部撫でてもやろうか。そう思っていたら、隣町のヒロイン様が来た。これって、運命ってやつかね」
「運命?」
「この屋上に誰も来なければ、本当にケツを撫でに行っていた。警察が来たら、そのまま素直にお縄につこうと思っていた。悪党がスカウトにでも来たら、俺もスーパーヴィランってヤツにでもなろうと思っていた。ところが、来たのは予想外の、隣町のヒロイン様だった。この流れで行くなら、俺の行き先は分かるだろ?」
フフフと、オウルガールは軽く笑った。思わず男も笑う。
表情を突如一変させたオウルガールは、男の腕を取り、関節を締め上げた。
「痛ー!」
「こうなれば、いくら速くとも逃れられまい」
「逃げる気なんか無……痛!」
「正義の味方が迎えに来たから、正義の味方になるとでも? 脳天気が過ぎる。私はそんな上等な者ではなく、このコスチュームには悲惨や陰惨が嫌というほど纏わりついている。そんな者に、貴様は本当になりたいのか?」
「そいつあ、悪かった。だけどさ、俺はあんたが、正義の味方にしか見えなかったんだよ。だったら、俺がなる。コスチュームを着て、自分が出来ると思う、自分にしか出来ない、正しい道を選んでやる」
脂汗を流しながら、男は綺麗過ぎる理想を口にする。しばらく男を観察した後、オウルガールは、男を開放した。
「イタタタタ。流石はラーズタウンの守護者、強いなあ!」
「勘違いするなよ? お前を認めたわけではない。まずその、自分にしか出来ないことをやってもらう。試しに奪った財布を、全て元の人間の懐に返して来い。話は、それからだ」
「そりゃそうだ。OK、分かったよ。10分もあれば、十分だ」
「駄目だ。5分でやれ。5分経っても来なかったら、私は帰るぞ」
「うへえ、厳しー。俺、そういうのに慣れてない、文化系なんだけどなあ」
ぶつくさ言いながら、男は光速の世界に消える。オウルガールの目では捉えられない速さであったが、財布の山はどんどんと小さくなっていた。何度も往復して、持ち主の下に運んでいるのだろう。
もし積み上げられている物が爆弾なら、あと数分で爆発する状況ならば。オウルガールは仮定し、考える。彼ならば爆弾をこの調子で安全な所まで全て運べる。オウルガールの場合、どうにかして被害を抑えるかの算段しか出来ない。爆発は確定事項だ。
このように、彼にしか出来ないことがあると言うのは、事実であった。オウルガールは事実を認め、彼の能力も評価する。人格は、全く現状、評価していなかったが。あの軽さは、どうにも受け付けられない。
きっと理想の道は一致しても、友情は永遠に築けぬだろう。そんな事を考えながら、オウルガールは5分間、待ち続けた。彼はなんとかリミットの2秒前に、戻って来た。
「驚いた。弾より速い男だな」
帰るつもりでいたオウルガールは、男の速さだけを、賞賛した。
この出会いから数日後、この男、スメラギ=ヒカルはコスチュームを纏い、バレットと呼ばれるヒーローになる。オウルガールの予想通り、ウェイドシティの守護者となった彼と、ラーズタウンの守護者であるオウルガールの間に友情は成り立たなかった。出会ってから、バレットが死ぬまでの間に。築かれたのは、もっと太く、重い絆だった。
このように、オウルガールの予測は良く当たるのだ。
ウェイドシティホールの大ステージは熱狂と歓声に包まれていた。壇上のギタリストが、エレキギターを掻き鳴らす。爆音が空気を貫き、歓声に負けぬ迫力を生み出す。
「ぐわっ!?」
迫力は衝撃となり、ステージ上を駆け回っていたバレットボーイを打ちのめした。
「いやあ。あたしがクラッシックだけだと思ったら大間違い。マイスターは、楽器ならなんでも使いこなすよ。こういうステージ上なら、誰にも負けにゃい。なんてねー」
大仰に見えて、実は繊細な指使い。伝説に名を刻むギタリストに劣らぬテクニックを、M・マイスターは持っていた。最初はステージに乱入してきたマイスターに戸惑っていた観客たちも、今はただ、彼女のテクニックに酔いしれている。音楽に無知で、興味がない者も十二分に惹きつけてこその、一流だ。
「こうやってステージに立ちたいんなら、芸能界入りでもすりゃいいんだ。アイドルのコンサートに乱入なんてして」
「いつも犯罪の度に衆目に触れてるから、そういうのは一切ないよ。ただ、あたしの居る街で、口パクなんて許せない! そう思ったから、こうしてアイドル様のコンサートをぶち壊しに来ただけ。ところで、そっちはファンに恨まれるよ? 口パクお詫びのサービスシーンをぶち壊したんだから」
「お前の音楽での強制ストリップを喜ぶやつなんか、ファンじゃないだろ。俺が来なけりゃ、とんでもなくみっともないことになってたぜ」
「いやー、十分みっともないと思うけどね。コレも」
ステージ上に転がる、四つの大きな団子。ステージ衣装を何十着も着せられ、動けなくなっているのは、このステージ本来の主役たちだった。肉声ではなく、CD音源。コンサートと銘打ちながら、いわゆる口パクをしていたことにより、彼女らはマイスターの怒りを買ってしまった。アイドルの価値は歌にあるのか。意見が様々集まるであろう問だが、少なくとも音楽を愛するマイスターにとって、誠意なき歌は許せぬものであった。
マイスターの音楽により、衆目の中で服を脱ぎかけていたアイドルを、駆けつけたバレットボーイは手当たり次第に服を着せることで止めた。彼女たちは服に包まれ動けぬまま、ステージをコロコロと転がっている。
「エロいお宝映像よりは、スタジオ爆笑の方がまだマシだろうさ。それはそうと、今日は一人か。珍しい」
ステージ上にも裏手にも、ファクターズの仲間は見当たらなかった。
「色々とみんなも、忙しくて……。ま。たまにはソロ同士と言うのも、悪くないんじゃない?」
少しだけ言い淀んだのをウインクで誤魔化し、マイスターはスティックを手にし、ドラムセットに陣取る。再び披露されたマイスターのテクニックが観客を魅了し、ステージ上のボーイを、音の衝撃で踊らせた。
彼女はいつもどおり、威厳に満ちていた。
「とりあえず、エールとナッツで」
「とりあえず? 男にしては弱気だ。もっとガツンと行くべきではないか?」
「え? じゃ、じゃあタコライスも」
「ふむ。大盛りでいいな」
「いや俺、飲みの前に食ってきたので」
「なんだ。大盛りではないのか。悪かった、無理を言ってしまい……」
「ああもう、大盛りお願いします!」
「うむ。それでこそ、立派な成人男子よ!」
客を褒め称える、ウェイトレス。革命的な接客が、エル・シコシス店内で披露されていた。
「あれで良いのだろうか?」
「ナンダカンダでお客さんも嬉しそうですシ、アリなんじゃないでしょうカ」
「本人も嬉しそうなので、出来ればあのままでお願いします」
ファクターズに入ったのなら、当然ウェイトレスもやるべきだな! そんなことを言い出した女王陛下の監視……もといサポートにかかりっきりの、ヒムロとキリカゼ。
ファクターズはとても忙しかった。
コンサート会場では、速さと音の争いが続いていた。
「ドラマーの人、ホントにスイマセン!」
バレットボーイは、年季の入ったドラムスティックを膝で折った。
「このギー太、手入れが悪いなあ、もう!」
マイスターも、エレキギターをアンプに叩きつけた。発せられる無茶苦茶な爆音には、五月蝿さ以外、何の効果もなかった。キーボードもコンセントが断ち切られ、ベースもマイスターの激しいアクションに耐え切れず、歪んだままだ。現地調達でハラを決めていたため、マイスターが持ち込んだ楽器も無し。
もはやステージ上に、まともに使える楽器、マイスターにとっての武器は残っていなかった。
「終わりだ、マイスター。お前の音楽は、ささくれた囚人の心を癒すのに使え!」
壊滅した楽器を見て、ボーイは勝利を確信する。ボーイの中に、好敵手であるファクターズに感ずるものが無いわけではない。しかしながら、相手は犯罪者。こうして捕らえられる機会があるのなら、逃すわけにはいかない。一人なのだから、なおさらだ。
「あたしの音楽を、捕まるような間抜けな連中が理解できるとは到底思えないねえ。それに、人のことを勝手に終わりと決めつけているのも腹が立つ。このあたし感情を載せられるのは、音楽のみ! 音楽は、楽器がなければ出来ないものじゃないよ! 誰にだって出来る、こういうやり方もあるんだぁぁぁぁぁ!」
紡ぐなどという言葉では、到底表現できぬ、絶叫。肺どころか臓物全てから空気を吐き出しているかのようなシャウトが、ステージのセットにヒビを入れる。今までもマイスターの音にさんざん晒されてきたが、この轟音は楽器で出している音と桁が違った。マイスターのとっておきは、歌であった。
「では、さらば!」
崩れ始めたステージ上のセットに紛れ、逃げ出すマイスター。ボーイは追おうとするものの、ステージで転がったままのアイドルの救出にまずとりかかる。ステージで転がる彼女たちを降ろした直後、セットが根本から崩壊し、カラフルな瓦礫がステージを覆い隠す。
そんな中、ボーイは容易く瓦礫の落下を潜りぬけ、ステージ裏から逃げたマイスターの追跡にかかる。マイスターの存在以上に、群れやすいファクターズの単独行動というチャンスは、逃すわけに行かない。
ウェイドシティホールから飛び出したボーイは、マイスターの逃走経路を予測する。大通りはまず無いとして、裏通り。ならば周辺の裏通り全てを一瞬で駆けまわる。ボーイの足があれば、予測はかなり大雑把な物でも十分どころか十二分だった。
王の激昂を、部下ならぬ友と経営者は聞き流しつつも宥めていた。平伏するのは、家臣や部下だ。
「居ないと思ったら、マイスターは一人でコンサートを襲撃しに出かけただと? ズルいぞ! 余もそちらに行きたかった!」
「しかし、これはマイスターの満足以外に何の利益ももたらさぬ犯罪だ。女王の力を借りる程の物ではないぞ?」
「だが、この街で分かりやすく暴れれば、バレットボーイが現れるではないか! だから、ズルいのだ!」
「アナタもう、手段も目的もめちゃくちゃですネ!」
閉店後、店で雑談をしているキリウとキリカゼと店長。そんな三人より先に、ヒムロはバックヤードに引っ込んだ。休憩用の椅子に座り、まずは一息つく。今日は、それなりに忙しかった。それに、手のかかる友もいた。
だが、疲れの原因はそのような直接的な物ではない。原因はあれからずっとヒムロの頭の大半を占めている、キリウからの問いかけであった。
「バレットか、バレットボーイか」
口に出してみても、疑問が解決することはなかった。二人の男のどちらを取るかで、ヒムロはずっと悩んでいる。ボーイへの恋をああして隠さぬキリウならば、簡単に答えが出せる問いなのだろう。
バレットとの戦いは楽しかった。彼を静止させようとすることに躍起になっていたからこそ、今のアブソリュートには冷凍能力がある。最初は炎しか扱えなかったのだから、両属性を自由に操れる今があるのは、バレットのおかげとも言える。知識欲を刺激してくれたおかげだ。
ボーイの速さに対するひたむきさには好感が持てる。一つの物事に集中できる人間は、ヒムロの好みとするところである。ヒムロが唯一心を多少許しているクラスメイト、スメラギ=ノゾミにも、ボーイと同じような好ましさを持っていた。
だが、ボーイにはもっと元祖バレットのように賢くなって欲しいというのも、本音である。だからこそ、彼のようになってほしいと、押し付けがましい真似もしてきた。
「キリウにとっては、問いでもなんでもないんでしょうね」
あそこまで率直にボーイのことが好きだ!と言われては、問い返す気もなくなる。
今日も寝床でまた悩むのかと、ヒムロは着替えるためにロッカーを空けた。
じっと、暗い所で考えこむ。フクロウには似合いの姿であった。
「服は着替えませぬと、汚れてしまいます」
「いい。これで。今は、考える時間が欲しい」
素顔で極秘のアジトにいるオウルガールに、極秘の支援者が声をかけてくる。どれもバレットは知っているが、バレットボーイの知らぬオウルガールであった。
「悩みとは、バレットボーイ様のことにございますか。ここずっと、どのようなことをしている時でも、上の空。本業にも副業にも、このままでは影響が出てしまいます」
「構うことはない。今後は本業に集中することにする。そうすれば、集中力も足りる筈だ」
「本業とは、自警活動と表のお仕事、どちらのことですか?」
オウルガールにも、人としての顔と身分がある。バレットは大学生スメラギ=ヒカル、バレットボーイは高校生スメラギ=ノゾミ。当然オウルガールにも、身分と名前はあった。ヒーローは、コスチュームを着たままでは生きていけないのだ。
「こう言ってはなんですが、無碍に片方を切り捨てるという妥協は、オウルガールの辞書に存在しない物だと思っておりました」
「……」
「バレット様方の関係も、同じではないでしょうか? 片方を捨てて良いものではないのでは? バレットという過去がなければ、ボーイという現在もなく。過去はそれだけではただ、昔に留まるままの存在。両方があってこその、お二方なのでは?」
「分かっている。そのことは、十分に分かっている」
だが、どちらかを優先せねばならない時はきている。おそらく現在を守り立てるのが正道なのだろうが、オウルガールの人としての部分が過去を愛している。この割りきれなさが、ボーイの前での無様に繋がったのだろう。あれからしばらく、オウルガールはウェイドシティに足を踏み入れていなかった。
エレベーターに乗り、秘密基地から自宅へと移動する。基地の暗闇よりもベッドの方が、他人に心配をかけず、考えこむことが出来る。何処にあっても、オウルガールの心は孤独な暗がりを求めていた。
異変は、同時に起きた。
「あれ? 追いかけてこない……。さ、寂しいじゃん! ソロだとダメなの!? あたしじゃダメなんですかー!?」
「む? 我が友は何処だ。傷ついた心を癒してもらおうと思っていたのに。ベッドの上で」
「はて? 一体どちらへ? コスチュームもそのまま、それでいてお屋敷に居ないとは」
ウェイドシティの二箇所と、ラーズタウンのとある場所。三つの場所に似たような声が響く。声の主は誰も彼も、その場に居るはずの人間を、見失っていた。