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オーバー・ペネトレーションズ#2−3

 翌日、ウェイドシティは騒がしかった。
 吸血鬼騒ぎはいつの間にか収まっていたものの、街の至る所が、騒動のせいで傷ついている。人々は修復作業に駆けずり回りながら、キリウという怪物の恐ろしさを身体と記憶に刻んでいた。特に、モノレールの崩落後は、圧巻である。下の道路を埋め尽くす瓦礫と残骸のせいで、ウェイド市の幹線道路一つが使用不能。更に、モノレール自体も使用不能。結果中心街は二つの動線を失い、人の流れが至る所で堰き止められている。
 まずは道路を修復せねば。必死で働く瓦礫の山を解体する土木作業員を見守るように、一人のヒーローが山の上に立っていた。昼のフクロウは、一人のヒーローを探していた。
「……連絡は、いまだつかずか」
 夜通し、オウルガールはレールの滑落現場を見回ったものの、バレットボーイ本人も痕跡らしきものも残っていなかった。ボーイはあの後、ずっと行方不明だ。自宅にも帰って来てないし、連絡もない。逃げたのなら、とうに何らかの接触があるはずだ。
 おそらくボーイの行方を知っているであろう人物、もとい怪物が一匹居る。オウルガールは、探し人をボーイからキリウに切り替えることにした。ヴェリアンの女帝も、未だ行方不明だ。おそらくまだ、街からは出ていないが、もし母国に戻られでもしたら厄介だ。彼女には、キッチリとお灸を据える必要もある。
 ヒーローを探すのは慣れていなくとも、犯罪者を探すのには慣れている。オウルガールは、ラーズタウンの流儀を持ち込むことにした。




 それは、率直な感想だった。
「平和って良いですね!」
 エル・シコシスの店内で、一人モップがけをするM・マイスターは、平和を享受していた。本来、平和をぶち壊す側の人間なのに。
「店長は仕入れ、キリカゼは調査、アブソリュートは学校〜♪ おかげであたしは気楽な留守番〜♪ ららら〜♪」
 モップをマイクスタンドのように操り、マイスターは歌う。無茶苦茶な歌詞なものの、本人の美声のせいで、立派な歌になってしまっている。マイスターの音楽的才能は、本物だ。
「給料上げてよ、マイロード♪ ……はあ。歌った所で、どうにもならないのは分かってるのにねー」
 歌い終えた後、マイスターは頭を抱えて、しゃがんだ。いじいじと、床にのの字を書いている。キリカゼから教わった、東方古来のいじけ方だ。
「やだなー、ヴェリアンの宮廷歌手になるの。路上で適当に歌うのがスタイルなのに。適当に犯罪を重ねるというオリジナリティもあるし。生き残ったほうが勝利!だなんて理屈になったら、まず間違いなくキリウの勝ちだよ。ボーイは事故に巻き込まれて死んだかもしれないけど、キリウはあれぐらいじゃ死なないって。どうしよう、パスポートって偽造でもマトモでも、凄く手間がかかるのに」
「ん? 海外旅行にでも行くのか? ならば我が国はどうだ? 最近は観光にも力を入れているぞ」
「みぎゃー!? キリウー!?」
 ひょっこりと出て来たキリウを見て、マイスターは後ずさる。行方不明ってなんですかとばかりに、当たり前のように出てきたキリウ。彼女は再び、変装用であるバックパッカーの服に着替えなおしていた。
「そんなに驚かなくてもよいではないか」
「ぶ、無事だったんですかー!?」
「うむ。無事だ。傷ひとつないし、あったとしても再生済みだ。なんなら、脱いで見せようか?」
「わー、吸血鬼の再生能力ってスゴーい」
 表面上は素直に褒め称えながら、マイスターは店内に置いてある楽器の場所や逃走経路を確認していた。相性的に、本気の玉砕覚悟でいけば勝てないことはないが、逃げきるのが一番スムーズだ。何しろ、今は自分一人しか居ない。いつ何時、キリウがその気になって手篭めにされてもおかしくはないのだ。
「安心しても良いぞ。賭けは、余の負けに終わった。よってファクターズを、ヴェリアンに連れていくことはない」
「ええっ!?」
「レールの破壊を目くらましに、バレットボーイには逃げられてしまった。追えばいいのだろうが……実は、ヴェリアンで女王としての急用が出来てしまった。なので早く帰らねばならん」
「ヤッター! ……もとい、残念でしたねえ」
 ボーイは生き延び、キリウとの賭けにも勝った。ファクターズにとっては、最高の結末だ。これでまた、ウェイドシティでバレットボーイと遊……戦うことが出来るのだ。
「なに、正直なのは良いことだ。余はちょっと、傷ついたけど」
「ご、ゴメンナサイ」
 キリウの眼が、少し潤んでいた。
「構わぬよ。悲しいことに、こういう扱いには慣れている。オホン。よって迎えの飛行機が来しだい、余はヴェリアンに帰国する。思わぬ吸血鬼作戦となってしまったが、アレは、余のキバに仕込んである、ナノマシンがなせる技。ナノマシンに規制された人間は、ああして吸血鬼のように人を襲うが、暫くの間、人を襲わぬ状態で隔離されればナノマシンは自壊するようにしている。バレットボーイの隔離作戦に、してやられてしまった。だがこれで、余は後腐れなく帰れるぞ。なにせ、パニックは収まったのだからな! やりっぱなしはよくない!」
 終わりよければ全てよし。少なくとも今回の一件は、キリウの中では終わりを迎えていた。
「死傷者は出なかったものの、結構色々、破壊されちゃったんですけど。モノレールとか、モノレールとか。アレ結構、便利なのに。市民的に」
「公共事業の種になったと思えばいい。公共事業は、遠回しに市民を潤す」
「わーい、政治家さんの考え方だー。あれ? そういえばキリウさん……自分で飛べますよね? 急用なのに、迎えが来るまで飛ばないんですか?」
 キリウは飛行能力を持っていた。マントを翼に、空を飛ぶ。吸血鬼のイメージ由来の物だ。吸血鬼は万能の怪物だけあって、キリウの能力のベースになっている。
「まさか余を出迎える国民の目の前に、飛んで現れる訳にはいくまいよ。だいいち、余の真価が発揮されるのは夜だ。怪物は、夜に生きるものだしな!」
「なるほど。外面と体調の問題ですか。女王というのも、大変な仕事なんですねー」
「よって、見送りもいらぬ。我が友、アブソリュートと会えなかったのは残念であったが、女王という顔と立場がある以上、仕方のないこと。では、失礼するぞ。M・マイスターの単独コンサートを聞くのは、又の機会としよう」
「永住はともかく、招待コンサートなら考えてもいいですよ? では、さよーならー」
 背を向け去っていくキリウに、マイスターは元気よく手を振る。厄介払いと、友達の親友への親愛の半々だ。ヒムロが居ないならば、せめて自分が精一杯見送る。ファクターズの中でも変わり種のマイスターだが、根は意外とマトモだ。
「ああそうだ。聞きたいことを一つ忘れていた」
 キリウはくるりと背を翻した。
「なんでしょうか?」
「うむ。バレットボーイのことなのだが。先代のバレットとは、随分と違う形のヒーローなのだな。能力以外。随分と、直情でまっすぐだ」
「そうですねい。あたしやキリカゼなんかはアレはアレで!と思っているんですけど、アブソリュートやオウルガールは、ちょっと気に入らないようですね。あの二人は、バレットそのものに、ボーイを仕立てたいようですから。それでいて、最近あの二人が似てきたって言うと、怒るんですよねー、可愛いヒムロちゃんってば」
 これが複雑な乙女心というヤツだろうか。マイスターは友の心理を、そう読み取っていた。オウルガールの心理は知らないが。
「なんと」
「あたしもファクターズ唯一の二代目ヴィランですからねい。もうちょっとボーイ本人を認めてあげてもいいんじゃないかって、思ってますよ?」
 実はM・マイスターは二代目だった。音楽を悪用する犯罪者であった先代はとうの昔に引退し、同じ性根と同じ能力を持つ弟子が名前を引き継いだ。この弟子が、今現在のM・マイスターである。
「そうか、そういうことなのか……ならば、問題はないな」
 キリウは少しだけ悩む素振りを見せたものの、直ぐに自己解決した。
「なにか?」
「いや。なんでもない。これで、いいのだ」
 やけに上機嫌なキリウは、爽やかな笑みを浮かべていた。全て丸く収まったとばかりに。そんな笑みを見て、思わずマイスターも笑ってしまった。


 マイスターは、なるべく好意的に、優しい形で事態を説明したものの。
「怪しすぎます」
 キリウから話を聞いたヒムロは、友の爽やかさを一蹴した。
 仕入れや調査よりも、早く終わってしまった学校。何時ものサボりではなく、昨日の騒ぎのせいで、学校が半休となった為だ。犯罪行為にはタフなウェイドシティの学校であっても、インスタント吸血鬼騒動は半休レベルの騒動であった。半休であって休校でない辺り、まだタフだが。
「ずっと前、ちょっと出かける時に見送りに行かなかったら、帰ってきた途端、わたしのところに来て、涙目だったんですよ? そんなキリウが、見送りはいらないだなんて。どうも話を聞いていると、節々怪しいですね。その場に立ち会っていれば良かった」
「学校サボっちゃダメだよ。友達も最近、出来たんだし」
「あの人も、今日は欠席でした。むしろ、出席している人間の方が少ないぐらいです」
 ヒムロの登校のモチベーションであるノゾミも、今日は学校を欠席していた。騒ぎに巻き込まれたかどうかはしらないが、欠席という事実がある時点で、ヒムロは半休でなくともさっさと帰る気でいた。普段ノゾミの周りをウロチョロしている男が、馴れ馴れしく話しかけてくるのも、鬱陶しかった。
「でもさー、昔は偉そうな犯罪者で、今は偉い女王様でしょ? 友達という関係は変わってなくても、人は変わるものだよ?」
「友達だから言い切れます。アレは、おいそれと変わる人間ではありません」
 友達だから理解したくないのか、友達だから理解できているのか。少なくとも、マイスターには理解できぬことであった。何も言えず、着替えに裏へと行ったヒムロを見送る。
 さて次は、自分でできる材料の仕込みでもしましょうか。そんなことを考えていた矢先、唐突にやらねばならない仕事が入ってきた。無理矢理に、閉店の札がかかったドアを開けてきて。
「ごめんなさ〜い。まだお店やってないんで……」
 営業スマイルが、固まる。営業時間を無視してやって来た客は、ズカズカと大股で歩き、雑巾がまだ乗っているカウンター席に着いた。
 マイスターはまず慌てて、雑巾を他所にどける。普段ならば、こういう客は蹴り出すのに、あまりの意外さがマイスターの思考を停止させていた。
「店長は?」
 嘴型のメットに床に付いている長いマント。礼儀知らずの客、オウルガールは一言、呟いた。いつもの殺気にアテられたおかげで、マイスターは多少の平静を取り戻した。
「まだ帰ってきていませんけど。隣町のスーパーヒロイン様がウチの店長に何用でしょうか?」
「情報を探している。自分の流儀で」
 マントやコスチュームの至る所に、赤い飛沫が付いていた。黒地と混ざり、禍々しくドス黒い赤だ。マイスターがそんな赤から感じたのは恐怖ではなく、空気よめないなコイツという、至極冷静な意見だったが。
「ひぃ……な、なにも知りませんよ。ウチの店長、情報屋なんかじゃないですしぃ」
 カタカタと、身体と声を震わせるマイスター。彼女は、世間一般のウェイトレスがするであろうリアクションを取れる程度には、器用であった。
「この店には、ファクターズが定期的に通いつめていると聞いたが? コスチューム姿で」
「あ、あの人達、コスプレイヤーじゃなかったんですかぁ」
 通いつめているどころか、ココが本部です。しかもあたし、M・マイスターです。ここまで追い詰められると、いい加減ぶっちゃけたくもなる。真相にはまだ届いていないとはいえ、あと一歩。このフクロウの調査能力は、何事か。
 いっそ殺るしかないか? マイスターの心中、凄まじい勢いで弾かれるソロバン。ソロバンが答えを出す直前に、助け舟は入り口からやって来た。
「困りますね、オウルガール。この店を潰されてしまったら、ウェイドシティの住人は美味しいチミチャンガが食べられなくなる。ファクターズが常連というのは、市民全体が罰せられるほどの罪なのでしょうか?」
 アブソリュートの衣装に着替えたヒムロが、何食わぬ顔で店に入ってきた。ウェイトレスの服に着替えようとしていた所、オウルガールの来店を察知。アブソリュートに変身した後、裏口から出て、こうして表から改めて登場。あくまで、関係者でなく客として。
 プロフェッサーらしい機転と知恵の回り方だ。
「すまなかった。他所の街に住んでいる物で、どうにも気が回らなかった。だが君達も、大手を振って食事をしたいのならば、犯罪行為を慎むぐらいには気を回すべきじゃないか?」
「その助言、覚えておきましょう。もう忘れましたけど」
「そこの路地で転がっている、インパクトのようになりたいのか? 彼は、上辺だけ強情だったせいで、酷い怪我を負った」
 脱走せず刑に服していたほうが、機嫌の悪いオウルガールと会うよりも遥かに幸福だっただろうに。インパクトも、運が悪い。
「ここはラーズタウンじゃなくて、ウェイドシティなんですよ? ラーズの流儀じゃ、捕まりますよ? 犯罪者として。どうせここに来る前、沢山の情報元を脅して潰して来たんでしょう? 野蛮な」
「野蛮な犯罪者に野蛮と罵られる。これほど、理知を自覚できる機会もない」
 機転と知恵は何処に消えたのだろうか。
 アブソリュートは、初めから喧嘩腰だった。だからと言って、オウルガールも慄くような女ではない。当然両者は殺しあい寸前の状況で話すこととなる。第三者であるマイスターの胃が痛むぐらいの緊張感で。
 アブソリュートは、オウルガールの隣の席に、腰掛けた。
「ここはレストランですよ? 何も注文しないつもりですか?」
「……ミネラルウォーターを頼む。それと、ツマミのナッツを」
「ケチですね」
「何も頼む様子のない、貴様よりはマシだ」
「いけない、うっかりしてました。わたしも水とナッツをお願いします、ウェイトレスさん」
 あくまで客としてマイスターに接するアブソリュート。うっかり、関係者のつもりで、自分がオーダーとするという考えが浮かんでいなかったが。オウルガールの嫌味に感謝だ。
 マイスターはそそくさとナッツと水を用意し、カウンターの隅に退避した。二人の会話に巻き込まれぬように。それと最悪の場合、オウルガールの逃げ道を塞ぎ、店内で抹殺する為に。今日の留守番は、大変すぎた。


 オウルガールは水入りのグラスを傾け、アブソリュートはナッツをボリボリと不機嫌に齧る。お互い、自分から会話をするのを嫌がっている。なんでよりによって、この二人の取り合わせに。キリカゼか自分ならもう少しマシだったのにと、マイスターは仕事をするフリを続け、心で泣いていた。
「キリウは何処だ?」
 意地の張り合いから身を引いたのは、年上のオウルガールだった。
「知りません」
「そうか。大した親友だな」
「全てを知ることが友である条件だとでも? 随分と理想的ですね。友達の居ない人、友達に憧れる人の考え方です」
 偉そうなことを言っているが、実のところアブソリュートもそんなに友達は居ない。人を選り好みしすぎるのだ。
「……話を変えよう。バレットボーイの行方を知らないか?」
「知るわけ無いじゃないですか。バレットボーイは、キリウから逃げ出したそうで。今頃、街の外まで、逃げているかもしれませんねー」
「ふっ。それはないな」
 先輩としての余裕、見守ってきたものの余裕、オウルガールはアブソリュートを鼻で笑った。貴様とは、彼に対しての信頼の度合いが違うと。
「ええ、そうですね! わたしも実は、無いと思ってますよ!?」
 思わずアブソリュートも、張り合ってしまった。
 ふと考えた後、オウルガールは水を飲み干す。空のグラスと代金をカウンターの上に、手付かずのナッツをアブソリュートに差し出した後、彼女は席を立った。
「ごちそうさま」
 最後だけは客らしい礼儀を見せ、店を後にしようとする。去り際、オウルガールは店に背を向けたまま、喋り始めた。
「アブソリュート。お前はどうやら、親友に裏切られたようだな」
 ゴリッ!という音が、店に響く。硬いナッツをアブソリュートは奥歯で噛み砕いていた。
「バレットボーイは、おそらく逃げていない。ならばあの時、殺されたのか? いや違う。もし殺したのならば、それらしい痕跡が現場に残っている筈だ。それに、キリウが胸を張って、殺害を誇らぬワケがない。しかも逃げたと、嘘をついている。ならば少年は何処に居るのか? 答えは――」
 アブソリュートの火炎が、エル・シコシスの入り口を消し炭に変える。オウルガールは、答えごと既に消えていた。
 息を荒らげたアブソリュートは、オウルガールが居た場所を睨みつけている。
「自分に友達が少ないからといって、言うに事欠いて……」
 炎のように怒るアブソリュートとは真逆に、マイスターは目をつむり冷静を保っていた。全ての感覚を聴覚に集中させ、彼女は異音を聞き取っていた。マイスターとは、音を放つだけでなく、音を聞き取ることにかけても一流なのだ。
「オウルガールの音と、盗聴器らしき異音はこの辺りに無し! つまりオウルガールは、これにて十分な情報を集め終えたワケだ。手がかりMAX! ご老公様出番です!」
「どうせ間違っていますよ。バットエンド確定ですよ」
「合ってると思うけどねー。キリウが飛行機を呼んだ理由も分かったよ。一人なら国まで飛べても、人一人、しかも石像になっていたとしたら、そんなの抱えて飛ぶの、大変だもん」
「裏切りとまでは考えていませんが、いったいキリウはなんのつもりなのでしょうか。どうやら、見送りに行く必要がありそうですね」
 ストレスを炎として発散した結果、アブソリュートは冷静な思考を取り戻していた。ここまで来れば、認めざるを得ないだろう。オウルガールはここに来て何かを見極めたが、逆にオウルガールを見ることによって確信することも出来た。
 バレットボーイはキリウに捕まっており、彼女はボーイを国に連れていこうとしている。動機は分からぬが、そういうことなのだろう。わけがわからないが、納得するしかない。
「見送りに行くのを止める気はナッシング。でも、自分で燃やしたんだから、扉直してから行こうね♪ お姉さんとの、約束ダゾ?」
「後は任せました。ファクターズの友よ!」
 アブソリュートは、そそくさと逃げ出した。実のところ、本気で慌ててもいた。


 空港の滑走路で、迎えの飛行機を待つキリウ。機嫌よく待つ彼女の視界に、大きな機影が入る。女王を迎えに来たのは、旅客機ではなく、軍事用の輸送機だった。機体後部の扉が開き、侍従長を筆頭とした執事やメイド達が降りてくる。ミリタリーと上品さが混じり、非常にアンバランスな光景だった。なにせ、キリウの格好もバックパッカーのままだ。
「お待たせ致しました、女王陛下。ご指示の通り、お迎えに上がりました」
 先頭の侍従長が頭を下げ、彼の後ろ、横一列に並ぶ侍従も同時に頭を下げた。
「うむ。ご苦労。時間も到着も人員も飛行機の種類も、指示通りだ」
「手抜かりという言葉は、私の辞書に存在しません」
「頼もしく思うぞ。ところで、ウェイドシティのニュースは、我が国にも伝わっているのか?」
「ネットの時代、当然のことです。ご安心下さい。色めき立っているのは旧主流派のみで、ほぼ全ての国民が、女王の行動に納得、もしくは黙殺しております。所詮他所の国のこと、女王の善政を覆す程の事ではありません」
「そうか。何分前例のないこと、不安ではあったが、余の立場を揺らがせるほどのことでは無かったか」
 他所の街では恐るべき犯罪者。自分の国では頼れる女王。前例がないどころか、正気でない二足のわらじだ。ヴェリアンの抱えているレアメタルは、わがままを押し通すだけの外交的な力がある。
「そうですとも。己の手腕に、もっと自信を持って下さいませ。ところで、飛行機で輸送すべきものは、そちらの石像ですか?」
 キリウの傍らには、石化したバレットボーイが居た。片膝を付いた格好、やけに気の抜けた格好で固まっている。驚きを浮かべた顔には、何故か衣装の中で唯一石化していないマスクが、そのまま被せてあった。やはりボーイは、あのままキリウに捕まっていたのだ。
「うむ。その通りだ」
「確かこの男は、ウェイドシティのヒーロー、バレット……今は、バレットボーイでしたかな? ヒーローの石像を、美術品とするのもいいことです。国に着いたら、ギャラリーに運びましょう」
「ギャラリーではないな」
「では食堂に? あそこに、丁度よいスペースがありましたな」
「食堂でもない」
「ならば、二つ目の物干し台に? プライドが高いヒーローという人種に対しての扱いとしては、かなり屈辱的で。流石はキリウ様」
「違う」
 不機嫌そうに、キリウは侍従長の言葉を否定する。キリウの意を汲むことにおいては右に出る物がいないとまで言われている男が、ことごとく読みを外していた。主は一体何を考えているのか。この場にいる侍従全ての意見であった。
「分からぬのか?」
「申し訳ございません。私が未熟なばかりに」
「未熟ということなど関係ない。先程、この石像を見て、なんと言った?」
「バレットと呼びました。その後、バレットボーイと呼びました」
「それだ。あの悪知恵に長けただけのバレットと、この真摯なボーイを、一緒くたにしている時点で間違っている。その曇った眼では、主の意見を読み取ることが、出来よう筈もない」
 キリウはバレットを全く評価せず、バレットボーイを高く評価している。これは、オウルガールやアブソリュートの逆を行く評価だ。キリウは過去ではなく、現在を見ていた。おそらく、ボーイが石化していなければ、感涙にむせていたであろう。このような、ボーイ優先の評価をする人物は、始めてだ。
「バレットボーイは、余に欠けていた感情を埋めてくれた。国民を愛し、お前達を愛し、友を愛している。だが、コレでは足りなかったのだ。余は愛にかまけて、もう一つの大事な要素を忘れていた。それは恋だ! 愛と共に語られるべきものなのに、余は昨日まで知らなかった。彼を見る度に感じていた、心中の違和感。その正体は、初恋だったのだ!」
 堂々と言い切っているのに、頬を僅かに赤らめている。この表情のうぶさから感じるものは、正しく初恋。冗談と笑い飛ばせるものでないのは、一目瞭然だった。
 常日頃冷静に努め、感情を押し殺している従者たちに、微かな動揺がはしる。彼らはキリウの告白への驚き以上に、敬愛する女王に恋された石像を壊したいという衝動を抑えるのに、必死だった。
 キリウはそんな従者の感情を顧みず、石化したバレットボーイを愛おしげに見つめていた。


 話は、バレットボーイとキリウの決戦時に一度戻る。
 落ちかけたレールの上で、キリウはバレットボーイのマスクを剥ぎとった。真っ直ぐな性根に似合う、精悍な顔。こういう顔ならばいいと、キリウが想像した通りの物であった。心を何かが貫き、動機が激しくなる。おそらくコレが、決定打だったのだろう。
「く、くそ……返せ……返……」
 身体が石化していくのに、なんとかボーイはマスクを奪い返そうとしている。窮地に泣き叫ぶのではなく、窮地に陥っても、前に進むことを止めない精神。この強靭なひたむきさも、キリウの好みであった。諦めという言葉を、キリウはとても嫌っている。
 キリウはそっと、ボーイの頬に両手を添える。訝しげにしていたボーイは、近づいてくるキリウの顔を見てギョッとする。キリウが自分に口付けをしようとしていることは、容易に理解が出来た。
「余が、ここまで欲したのは、君が始めてだ」
 キリウの口づけにより、永遠の愛を。女王陛下の口づけは、何よりも甘く蠱惑的だ。
 だがあと唇同士数ミリの所で、キリウの動きが止まった。心が昂ぶるものの、動きに全く連動しない。むしろ昂ぶれば昂ぶる程、ブレーキの効きは強くなっていた。やがてレールは遂に落ち、ボーイも完全に石化してしまう。こうなってしまっては、もはや口づけは遅い。キリウは諦めて、一度ボーイから離れた。
 瓦礫と埃まみれの崩落現場で、キリウは己の胸に手を当てる。激しくも心地よい鼓動が、手を通して伝わってくる。悪くない感触と潤いのある感情から、キリウは遂に答えを導き出した。
「これが、恋というものなのか……」
 愛ではなく、恋。恋焦がれ、愛を授かりたい。強引に奪い取るのではなく、ごく自然に愛されたい。だから、強制的に愛を奪う口付けが出来なかったのだ。
 もっと、彼と恋のことを知らなければ。キリウはシンプルな考えの元、石化したボーイを軽々と担ぎ上げた。


 納得できぬ顔のままの従者たちに、キリウは自らの恋の芽生えをこうして語って聞かせた。
「そして、帰国の手はずを、余はこうして整えたわけだ。やはり、こういうことは落ち着ける場所で落ち着いて考えねばな」
 何故か従者たちは、余計納得できない顔になってしまったが。
「事情は理解しました。ならば、いつもどおり寝室に運び込んでよろしいのでしょうか。寝室で、石化を解けばよろしいかと」
 侍従長だけは、なんとか平静を装っていた。己の感情を隠すのも、執事として重要なスキルだ。どれだけ、心中穏やかでないとしても、隠し通さねばならない。
「寝室!? う、うむ……それは……心の準備が必要で……最終的な目標を、いきなりというのは良くないのではないか!?」
 戦争よりもベッドで過ごそう。戦争しても最終的にはベッドで過ごそう。そんな生き方を平然としている女王が、こともあろうに恥ずかしがっている。この場にヒムロが居れば、「何を今更言っているんですか?」と怪訝な顔をしてツッコんでくれただろう。
「分かりました。では帰国後に、改めましての指示をお願いします」
 不幸なことに、この場にいるのはキリウの全てを受け入れる、侍従のみだった。
「ふむ。ではその前に、一つ別の指示をするとしようか」
「はい。なんなりと」
「あそこの、滑走路の向こう側から、こちらを見つめているフクロウを殺せ。羽をむしり、嘴を折り、翼をもいで。残酷を極める形で、殺せ」
 広大な平地である滑走路は、どこまでも広く見渡せた。ゆっくりと、オウルガールはキリウたちめがけ歩いて来ている。滑空では届かず、物陰もなく。オウルガールにとってこの平地は、最悪の舞台であった。だがしかし、様子を見ていては、飛行機は離陸してしまう。オウルガールに、こうしてノコノコと出てくること以外の選択肢はなかった。
「承知しました」
 侍従は皆、まともに出せぬ怒りを、フクロウへとぶつけることに決めた。
「うむ。余は先に飛行機に乗っていよう。なに、直ぐ終わるだろう。あの女が用意してきたのは、余を倒すための手段だ。他の者を倒す手段を用意してきてはいない」
 常人であるオウルガールは、どんな状況でもギリギリの線に生きている。術策やガジェットを駆使することで超人と渡り合い、更に恐怖を纏うことで己を肥大化させているものの、所詮彼女は人だ。天秤を少し揺らしただけで、オウルガールの運命は、簡単に死へと傾く。
 平地におびき寄せ、未知で策を奪い、更に女王自ら選別した強き従者たちの上乗せ。恋にかまけながらも、キリウはオウルガールを殺すための舞台を、きっちり整えていた。


 石化したボーイを担ぎ、キリウは飛行機へ一人向かった。残る従者たちに、貴様ら以外、誰も通すなと厳命して。
 キリウが動くと同時に、ゆっくりと歩いていたオウルガールの足取りが、急に疾走へと変わる。一直線に飛行機へと向かうオウルガールを、従者たちは大きな円陣で取り囲む。オウルガールは、自分の目の前に立ちふさがったメイドの顔面を、一切の躊躇いなく殴りつけた。
 メイドの頭部が、水滴となって散る。崩れ落ちる、濡れたメイド服。オウルガールに殴られた途端、彼女の身体は全て水と化していた。手についた水滴を振り払うオウルガールを襲う、鉄の拳、比喩や例えではなく、灰色の鉄と化した拳を振り回す、一人の執事。猿真似ではないボクシングのムーブを、オウルガールは必死でさばく。
「貴方がオウルガール。主のかつての敵ですか。中々のスペックをお持ちのようですが、所詮は人。我々にとっては、雑魚でしかありません」
 侍従長の手には、二振りの日本刀が握られていた。
 攻防の最中、オウルガールは羽根手裏剣を侍従長めがけ投げつける。羽根手裏剣は、叩き落されるどころか、侍従長の制空権に入った途端、粉微塵にされた。
 剣のみの速さではあるものの、バレットボーイのスピードに劣らぬ速さだ。剣術をただ極めただけで、辿りつける領域ではない。
「大将を攻撃すれば、状況を打破できるとでも? 申し訳ありませんが、浅はかな考えと言わせて頂きます。ここに居る誰もが、怪物の女王であるキリウ様に見出された怪物たち。皆がそれぞれ、自分の持つ能力を持って、貴方を殺そうと励んでいるのです。たとえ長である私が死んでも、貴方の死という結末は変わらない」
 M・マイスターやマネー・セントのように、生まれつきの能力者である者。バレットやバレットボーイのように、事故にあった結果能力を手に入れた者。キリウやアブソリュートのように、自らの身体を改造した者。過程はともかく、彼らは皆、人を超えた者である。そしてまた、キリウに仕える侍従たちも皆、同じように人を超えた者ばかりであった。
 ヴェリアンの政権を奪取するためには、自分一人では足りない。国家簒奪とは、多数の人材があって、初めて成功できる物だ。キリウが集めた人材は、自分と同じ超人ばかりであった。一般社会ではまともに生きられない彼らの受け皿となっての、多数の優秀な人材の蒐集。人材は皆、キリウに感謝し、相応の忠誠を誓っていた。品位実力共に、キリウは怪物の女王となるに、相応しい人物なのだ。
 鉄の拳がオウルガールのテンプルを僅かに掠める。直撃すれば即死である一撃は、掠めただけでオウルガールを揺らがせた。捻りのあるストレートが、不安定なオウルガールめがけ繰り出される。
 激しい音がして、オウルガールの被っているメットの一部が弾け飛ぶ。幸い、素顔は見えず、髪の一部が露出しただけですんだ。そして、顎が砕けた執事が、前のめりに倒れる。オウルガールは拳を引き戻し、自分にしなだれかかりそうな執事の身体を荒くどける。一か八かの、肉薄のクロスカウンターであった。常日頃から必死なオウルガールには、似合いのパンチだ。
 休む間もなく、身体を液状化した先ほどのメイドが襲ってくる。全てが水である彼女は、オウルガールの攻撃を難なくくぐり抜ける。一方別のメイドも、液体メイドと同じように、自身の身体を別の物質へと変換させた。彼女の身体は、微細な砂となっていた。
 砂と水がそれぞれ触手となり、オウルガールを縛り上げる。砂と水が交差する度にその部分は硬い泥となる。泥の拘束が、オウルガールを固めようとしていた。
「む」
 この場に来て、初めてオウルガールの口から言葉が漏れる。一言だけなものの、彼女がそれなりの危機を迎えている証拠であった。関節や爪先がまず固められ、ロクに動けない。
「これで終わりのようですね」
 侍従長が刀を下ろし、水と砂のメイド以外の侍従も矛を収める。勝敗は、決まろうとしていた。動けなくなったオウルガールなど、簡単に料理できる。
 勝敗も何もかもさらったのは、強烈な熱風だった。風はオウルガールを転ばせ、二人のメイドを身体から引き剥がす。オウルガールを固めていた泥は乾燥しひび割れ、勝手に崩れた。
「何者!?」
「姉さん、こっちから先に!」
 実は姉妹だったらしい砂と水のメイドは、熱風の元に襲いかかる。砂は焼け、水は凍り。灼熱と極寒の前に、メイドの姉妹は無力であった。
「女王になったから、部下もそれなりに厳選しているのかと思えば。来るものは誰でも拒まずのさびしんぼうだから、昔から部下の質はよくないんですよね。従えば、誰にでも愛を与えるので。例え、無能相手でも」
 右手に炎を、左手に氷を。滑走路にやって来たのは、キリウの友であるアブソリュートであった。
 オウルガールがリアクションを取るより先に、まず侍従たちが不快を表す。主人への馴れ馴れしさに加え、自分たちへの無礼。怒りを宿すには、十分だった。
 アブソリュートは、右手をオウルガールに向けた。
「先程は、随分なことを言ってくれましたね」
「事実だろう? 女王陛下は、君達に何も言わず、少年を連れ去ろうとしている。少年に執着している君達を、無視して」
「裏切りかどうかは、わたしが判断すべき物です。敵の言葉を信じて、友を裏切り者扱いするだなんて……頭が悪すぎます」
「そうだな。お前は賢い。なら、さっさと飛行機に向かい、自分で親友の裏切りを確認すればいい」
「そうさせていただきます。あなたを、燃やし尽くした後に」
「申し訳ありませんが、それは許されぬことです」
 アブソリュートの背後に回りこんだ侍従長が、アブソリュートの首筋に刃を当てていた。オウルガールの背後にも、大きなマスクをつけた執事が立っている。
「女王は言いました。私達以外、誰も通すなと」
「手下が勝手に、女王の親友を止めるとは。礼儀がなってませんね」
「生憎、女王が功を成し遂げて以降、女王の周りには自称親友が群れておりまして」
 侍従長とアブソリュートの間に、緊張が走る。オウルガールは緊張感の隙をついて、飛行機めがけ走りだした。
 マスクの執事は動かず、ただ自分のマスクに手をやる。この執事には、下顎がなかった。
 開きっぱなしの口からは、熱気が漏れている。彼はオウルガールめがけ、放射熱線を放とうとする。熱線が一瞬出た所で、彼の顔が爆発した。オウルガールは邪魔されぬまま、飛行機へと駆け込む。
「死んではいませんよ? ただ、口に氷で栓をしただけですから。一見、派手な爆発ですけど」
 アブソリュートは、左指をパチンと鳴らす。執事の口を塞いだのは、アブソリュートだった。侍従長が剣を振るおうとした瞬間、アブソリュートは突如移動した。足を動かさずに移動出来た理由は、凍らせた地面だ。彼女は地面を凍らせ、滑ったのだ。
「敵であるはずのヒーローの援護をするとは。語るに落ちた、親友ですな!」
 侍従は全員、アブソリュートを取り囲む。行ってしまったオウルガールよりも、行こうとしているアブソリュートを止めることの方が重要だった。なにせ彼女は、既に侍従を三人倒し、しかもああしてオウルガールを援護するような動きを。敵と認定するに、十分な行動を取っていた。それにどうせオウルガールは、キリウにとって大した敵ではない。援軍は無駄であり無粋だ。ならば、失態を再び犯さぬよう勤めることのほうが、大事だ。
「援護? 今の行動の何処がですか? わたしはただ、最も適切な行動を取っただけですよ?」
 アブソリュートは、不思議そうに尋ねる。
「ほう。今の行動の、何処が適切なのでしょうか?」
「キリウがノコノコと飛行機にやってきたオウルガールを殺し、わたしが鬱陶しいあなたたちを排除する。そうすれば、わたしとキリウは二人きりでゆっくり話せる。邪魔者をどかすのに、最も適切な行動じゃないですか」
 ここは任せて先に行け!ではなく、崖っぷちに立つ人間の背を押しただけ。キリウの力を認めているのは、アブソリュートも同じである。今の行動において、彼女には、一切の後ろめたさが無かった。


 パイロット役の従者もオウルガール退治に出てしまったため、スタンバイ状態の飛行機内で動いているのはキリウしかいない。
 バレットボーイの石像をじっと見たまま、キリウは悩んでいた。
「何処に置くと聞かれたが、余は彼を、ずっと石のままにしておくつもりはない。国に着いたら、石化を解くつもりだ。だがしかし、大丈夫なのだろうか。今でも苦しいのに、もし生身のボーイと二人きりということにでもなったら、余の胸は緊張で張り裂けてしまうかもしれんぞ!」
 悩みながらも、わくわくしている。好きな人のことを考えるだけで楽しい。本当に、乙女のような恋心だ。口出しするのも野暮と思えるくらいに。
「そう言えば、聞いたことがある。まずカップルは、喫茶店でコーヒーを飲むと。余はコーヒーより紅茶が好きなのだが。バレットボーイの好みはどうなのだろうか? そもそもコーヒーといっても、濃さやミルクの配分でだいぶ変わる物。相手の好みに一致し、なおかつ極上のものでなければ。先輩として、後輩のそういう面も知っているのか? オウルガール」
 オウルガールのハイキックを掴んだ上で、キリウは聞く。キリウが独り言を言っている間、飛行機に駆け込んできたオウルガールは、そのままキリウに攻撃を加えていた。全てのパンチやキックを、キリウは視線をやらぬまま捌いていた。
「なんだ。知らぬのか」
 何も言わず、足に力を込めるだけのオウルガールを見限ったキリウは、足を掴んでいる手を大きく振るった。壁に二度、床に三度も叩きつけられるオウルガールの身体。キリウはオウルガールを、出口に向かって投げる。排出寸前、積み残しの貨物に捕まることで、オウルガールはなんとか飛行機内に留まった。
「余の、私用に王族専用機を使わぬ慎ましさに感謝すると良い。旅客機の座席では、掴んだ所で無意味だっただろう」
 旅客機ではなく軍用の貨物機だけあって、機内で動けるスペースは大きかった。
「そうだな、王の慈悲に感謝しよう。お礼としていい事を一つ。付き合いながら相手のコーヒーの好みを知るのも、恋愛の楽しみの一つだ」
 オウルガールは、複数枚の羽根手裏剣をキリウめがけ投げる。
「おお。それは確かに、胸踊る。やはり年長者の教えは、金言だ!」
 高速で飛んでくる羽根手裏剣を、キリウはいとも簡単に掴まえる。しかし一本だけ、キャッチせず、ただ弾く。弾かれた羽根手裏剣は、飛行機の壁にぶつかり、爆発した。
「旅客機でなくて、本当に良かったぞ」
 鋼鉄製の軍用機の壁は、少し焦げただけで済んだ。オウルガールは再び、羽根手裏剣を投げる。今度は全てが、爆破性の物であった。キリウは両手を大きく広げ、大の字で全ての羽根手裏剣を身体で受け止めた。小さな五つの爆発が重なり、キリウの身体を爆炎で包む。
「軍用機の丈夫さに、むやみに頼るわけにもいかぬ。この飛行機は余の物であって、余の物でない。王の物は、国の物、国民の物でもあるのだ!」
 爆発の跡から、無傷のキリウが出てくる。変装用のバックパッカーの衣装が焼け落ち、下に着込んでいた黒のセクシャルなコスチュームが顕になっている。だが、それだけだった。爆破以上の武器、それが今のオウルガールには求められていた。
 だがオウルガールは構わず、既に効果の無さが立証された爆破性羽根手裏剣を投げ続ける。キリウは爆風に構わず、ゆっくりとオウルガールの方へ歩き続ける。手の届く距離まで近づいた時が、オウルガールが終わる時だった。
「それにしても、予想より早かったな? 我が従者が、こんなに早く突破されるとは。それとも、他に誰か援軍を呼んだのか?」
 爆風を物ともせず、キリウはオウルガールに話しかける。
「年長者のしての、二つ目の忠告だ。友人関係と仕事の関係を分けすぎると、上手くいかないぞ。外ではお前の大事な友と愛しい部下が相食んでる。お前のせいだな」
「なんだと!?」
 悠然に生まれた焦り。キリウの感情の揺れと爆風を切り裂き、白い羽根手裏剣が投擲された。新たな羽根手裏剣は、無敵の防御力を誇るキリウの身体に抵抗なく突き刺さった。
 肩口に刺さった羽根手裏剣をキリウが確認するより先に、無数の白の羽がキリウを襲った。着弾直前、キリウの身体が霧と化すものの、なんと羽は霧に刺さった。霧から元の体へと戻るキリウ、彼女の身体の至る所に、羽根手裏剣は刺さりっぱなしであった。
「ふむ。ねずみのひと噛みにしては痛いぞ。この羽根手裏剣は、余の弱点を突く物か」
 キリウは自分の手で羽根手裏剣を引きぬく。手裏剣を触る度に、彼女の指先が焼けていた。
「この弱点、お前の親友に全て教えてもらった。と言ったら?」
「嘘だと言い切ろう。狡猾な貴様のことだ。以前戦った時のデーターを、ずっと検証していたに違いない。余と再び戦う機会があるかどうかも分からぬまま。その執念深さこそ、オウルガールという人間の恐ろしさよ」
「怪物の女王に恐ろしいと言われるとは。心外だ」
 オウルガールは、鳥の鉤爪に似たナックルを利き手に装備する。爪の色は、先程投げた白い羽根手裏剣と同じく白い色、それも光り輝いていた。
「いや。十分に恐ろしいぞ。よくもまあ、弱点が分かったとは言え、そんな金と手間のかかる物を」
「幸い、どちらも足りていた!」
 オウルガールの爪が、キリウを襲う。爪はキリウの胸の辺りに、薄い切り傷を作った。


 怪物とは恐れられる者である。同時に、憂いを背負う者でもある。
「あのフクロウ、例え勝てずとも、絶対にキリウにとって嫌なことをして来ますね……」
 アブソリュートは、友を心配していた。展開上、オウルガールを彼女の元へと行かせてしまったが、大丈夫だろうか。絶対に勝てる!と確信していても、楽勝も辛勝も勝ちは勝ち。出来ることなら、ギリギリでの勝利より、余裕綽々で勝利して欲しい。
「今直ぐ駆けつけたほうがいいと思います? それとも、ちょっと様子を見てからのほうがいいと思います? 横槍をむやみに入れるのは、野暮だしキリウも嫌がりますよね」
 笑顔のアブソリュートは侍従長に聞くが、彼はただ、二刀流の構えを崩さずにいた。芯まで、凍りついたまま。
 滑走路に転がる、腕利きの侍従たち。命を失っている者はいないが、満足に動ける者もいない。全ての能力が、アブソリュートに凍らされ、焼き尽くされた。
 バレットやバレットボーイ、時にはオウルガールと戦ってきた戦歴。光速のヒーローに何とか対処できないものかと悩み続け、対抗できるように能力を高める。高めた結果、一度はヒーローに勝つものの、敗北をきちんと糧にしたヒーローにまた敗れ、再び研鑽の道へ。結果、正義と悪は、交互に自己を磨きあう。
 同じ街で生きるヒーローとヴィラン。彼らは皆、求道者であった。事実、犯罪者とアブソリュートは、誕生当時は高熱しか扱えなかった。バレットを静止させるための研究を続け、結果彼女は静止を由来とする、冷凍の力を手に入れた。
 怪物そのものであるキリウは強い。だが、決して勝てない相手ではない。これがアブソリュートの自負だった。おそらく他のファクターズの面々も、一度の勝利は必ずもぎ取れる。なんだかんだで、ファクターズも強いのだ。ただ、人を超えただけで勝てる相手ではない。
 さて、障害は片付いた。キリウの元へ駆けつける。一先ず様子を見る。アブソリュートが選んだ選択肢はどちらでもなく、倒れて焼けて凍り付いている従者達の治療だった。彼らは結局最後まで、アブソリュートの力に気圧されても、逃げるという選択肢を持たなかった。立派な勇気と、忠誠心だ。
 この矛盾混じりの選択は、そこまでの感情を持ってして親友に仕えてくれている者たちへの、キリウなりの礼であった。自分でやっておいて、治療が礼というのも、妙な話だが。


 怪物とは、恐るべき力を持った者である。だが彼らは皆、人間に負けてきた。恐るべき力の代償はれっきとした弱点。モンスターは、そこを突かれれば倒れるという突破口を持ってしまっている。全ての怪物の力を手に入れるという時点で、全ての弱点を背負うことは、必須であった。
 科学で作った擬似的な力なのに、何故かキリウは、怪物の宿命から逃れられなかったのだ。
 銀製の爪が、キリウの肌に傷を残す。先ほどの羽根手裏剣の正体も銀だ。銀という金属は、
怪物や邪霊が嫌う、聖なる金属。別に怪物というイメージの忠実さを目指したわけではないのに、何故かキリウの肉体は銀と相容れなかった。
 これは、キリウもアブソリュートも原因不明と断ずるほどに、不可思議なことであった。そんな不思議な弱点が、キリウにはいくつかある。
「このまま弱点を突き、一気に葬らさせてもらう」
 爪を手にしたオウルガールは、キリウを攻め続けていた。時折白銀の羽根手裏剣も投げ、キリウに自由を与えようとしない。一度奪った優勢を手放せば、二度目はない。オウルガールは、冷徹を装いながらも必死だった。
「弱点? はて、なんのことだ?」
「とぼけても、なにも変わらないぞ」
 切るのではなく、突き。オウルガールは、キリウの心臓を突き抉る為、爪を大きく振りかぶった。心臓の一つや二つ失っても、この怪物なら平気だろう。以前、彼女を棺桶に留めるため、心臓に木杭を打ち込んだこともあった。
「弱点とは、治すべき箇所のことだな。ならば余に、一切弱点はない」
 爪先は、皮膚まであと数ミリの所で止められた。キリウは、直接オウルガールの肘を掴んでいた。関節を力で抑えられ、オウルガールの表情が歪んだ。
「余は銀と相反し、太陽の光を好まず……あと、ニンニクも嫌いだ! だが、これは仕方のないこと。強大な力を持つ者に、運命が与えた欠点! ならば余は、欠点を強大な力によって押し潰すのみ!」
 怪物には憂いがあっても、キリウには憂いがなかった。欠点を受け入れた上で、これは仕方のないものだと納得している。そもそも原因不明の症状を、直せるわけがない。とにかく彼女は、怪物の大多数と同じく、自身の強大な力で弱点を押し潰す道を選んだ。選ぶしかなかった。
 ボキッと、枯れ木の折れたような音がした。関節を掴まれ、あと数ミリ動かせば腕が折れる状況でも、オウルガールは進むことを選んだ。
 グサリでもサクリでもなく、ぽよんと。オウルガールの手はそのまま、キリウの胸に押し当てられた。とにかく、柔らかな感触ではあった。
「そこまでせずとも……言えば胸ぐらい触らせてやったぞ?」
 焼け爛れた手の平を舐めながら、キリウは己を誇る。凶器となるべきオウルガールの爪は、取り外された挙句、遠くの方に投げ捨てられていた。片腕を即断即決で代償にしても、オウルガールは数ミリを埋められなかったのだ。
 思考速度よりも、キリウの動きは速い。それは、バレットボーイと同じように。
「それにしても分からぬな」
 オウルガールを捉えたまま、キリウの両目が金色に輝いた。
「オウルガールの領分は、己の街のみ。ここはウェイドシティ、しかも余は出ていく身。吸血鬼騒動は沈静化し、後を濁さぬまま立ち去ろうとする者を、何故追いかけようとする?」
「罪を犯したまま、逃げられると思うな」
「どうせ余を捕まえても、投獄することは出来ぬ。ヴェリアンで発見され、ヴェリアンのみで採掘されるレアメタル。現在どの国も、この秀逸なレアメタルを欲している。この状況で、ヴェリアンの女王である余を牢に入れる街も国もない。ならば、貴様が裁くか? 自己の領分を越えて」
「……」
「違うな。お前の目的は彼だ。余が連れ帰ろうとしている、バレットボーイを救いに来ただけだ。自分のワガママを押し付けるためだけに。余とて、貴様のワガママにはビックリだ!」
「何の事だか、分からない」
「気づいていないのか? 貴様はバレットボーイを一人前にしてみせると言って、彼に干渉しているようだが……余はバレットと戦い、危機を感じたことはない。だが、ボーイは余を一瞬でも驚かせた。これでも、まだ、オウルガールの秤には足りぬのか?」
「物事を若さに任せて」
「若さ! それは当たり前のことではないか、事実若いのだから! 発想の未熟さも、既に先代以上の速さでカバーされている。余にとって、バレットボーイは既に先代と並んだ、いや、既に越えた者だ」
「それは、まだ、まだ……」
 オウルガールが、珍しく言いよどむ。そんな希少な優柔不断さを見て、キリウは怒りを露わにした。
「その顔だ! その悔し気な顔が、貴様のワガママの証明だ! 師匠というのは、弟子を褒められて、そんな顔はしない。貴様はバレットボーイを一人前にしようとはしていない、死んだバレットと無理やり重ね合わそうとしているだけだ!」
 脚部が石化していなかったら、崩れ落ちていたかも知れない。オウルガールにとっては、それほどの衝撃だった。
 バレットボーイを一人前にしようとし、彼に死んで欲しくないと思っている。これは紛れも無く、オウルガールの本音だ。だがしかし、心の奥底には、バレットボーイに、バレットであることを望んでいるのではないか。死んだ人間に、他人を重ねてしまっているのでは。
 バレットボーイが、バレットの行動にもオウルガールの思考にも相いれぬ行動を取る時。たとえそれで物事が上手く行っても素直に認められないのは、厳しさではなく、バレットの枠を超えようとしているボーイを、許せないからでは。
 自らの弱さと勝手さを疑い、オウルガールの鉄の心に、僅かなヒビが入った。
「余の眼中にバレットはおらず、眼の中心にはバレットボーイが。余の評価以上に、優劣を決めるものなし!」
 キリウは、初めての悪党なのだ。
 ファクターズもインパクトもアインも、そしてオウルガールも。バレットボーイを、バレットがあってこそのものと思っている。しかしキリウは、バレットの存在をむしろ邪魔と思い、ボーイだけを見ている。彼女の中には、ボーイの存在だけが、ポツンと大きくある。
 バレットボーイにとって、キリウは初めて、自分のみを見てくれる悪党だったのだ。速さで賢さを補うだけでなく、ついに独自のライバルまで。身体がゆっくりと石化していく中、オウルガールは間違いと正しさを、同時に感じ取っていた。
「それにしても、随分と石化が遅い。とくに手加減しているつもりもないのだが」
「催眠と、粒子の強制結合」
 既に胸部まで、オウルガールの身体は石化していた。
「ほう。余のメデューサ・アイの正体を、読みきったのか」
「怪物女王の力の源は、何処まで行っても科学。石化の正体は、相手に『貴様は石だ動けない』と思い込ませ、新陳代謝まで停止させる強烈な催眠光線と、大気中の微粒子を結合させる事による対象のコーティング。とくに後者は、お前の親友がよく使う手だ。あちらは、凍結だが」
「正解だ。催眠だけでは弱く、コーティングだけでも弱い。二つを合わせる事により、永遠の石化は完璧となる。効きの悪さは、貴様が催眠であることを自覚しているせいか。だが、完全に拒むことは出来んぞ。ほら、もう首まで固まっている」
「発祥を読み切ることに意味は無い。意味を成すのは、石化の解き方を知ることだ」
 カタカタと、硬いものが震えている。キリウが振り向くと、石化しているバレットボーイが、細かく振動していた。石像の至る所に、ヒビが入っている。
「石を殴れば、砕ける。石像ならばそうだろう。しかし、メデューサ・アイの石化は、あくまで表層面だけのコーティング。衝撃を加えれば、コーティングも催眠にもヒビが入る! そうなれば、内部からの破壊も可能!」
「だが、貴様どころか、余すらあの石像に触れていないのに、何故ヒビが……そうか。あの効果のない爆発物か!」
 てっきり、本命のための目くらましと思われていた、爆発性羽根手裏剣。キリウに効果はなくとも、爆破の衝撃が、石像を激しく揺らしていてもおかしくない。直撃の結果、中身ごと砕けてしまう可能性は、キリウが盾になることにより皆無となっていた。石像は、彼女の背に位置していた。
 ヒビが石像を埋め尽くし、コーティングが細かく剥がれる。震え落ちた殻の中からは、生身のバレットボーイが出てきた。
「見たか! これぞ光速振動! ……なんだよ、この状況は」
 内からの光速振動でコーティングを破ったボーイは、状況が理解できずに混乱していた。なにせ彼の記憶は、モノレールでの戦い以降、止まっている。何故自分が飛行機にいて、オウルガールがキリウに石にされかけているのか。情報量が多すぎて、困惑している。
 ボーイの混乱を一先ず収めたのは、足元に落ちていた銀の爪だった。爪を拾ったボーイは、何気なく手に装着する。オウルガールの使っていた爪は、まるであつらえたようにしっかりと、ボーイの右手にはまった。
「それだ、少年! その銀の武器は、キリウに効く。この怪物は、全ての怪物の能力と共に、同じような弱点も継承してしまったんだ!」
「オウルガール、貴様!」
「ふっ。私から視線を外したのが間違いだったな。首だけでも、これぐらいの事は叫べる」
 オウルガールの石化は、首までで止まっていた。視線を外せば、石化は止まる。完全に相手を石化させるまで、対象をずっと見続けなければならない。これもメデューサ・アイが、キリウが万能でないことの証だ。
「色々聞きたいことや言いたいこともあるけど……とりあえず、第二ラウンドの開始ってワケだ! よし、燃えてきたァ!」
 燃えたぎるボーイは、勢い任せとばかりに、銀の爪を折ってしまった。
「おい!?」
「え!?」
「へ?」
 オウルガールが責め、キリウが驚き、ボーイは疑問符を顔に浮かべる。
「せっかく、少年に合うようにしつらえたのに、何故折った!?」
 元より、バレットボーイに勝負を譲ることは、既定路線の一つであった。その為にオウルガールは、キリウをボーイが倒す手段として銀の爪を用意した。実はあの爪は、オウルガールの手のサイズに合っていなかったのだ。
 アレは、ボーイが使う為の爪。それなのに、ボーイは邪魔だとばかりに爪を折ってしまった。
「え? いやあ、あんなにデカい爪だと、走るのに邪魔だなあって。良く分かんないけど、この銀?にキリウは弱いんですよね? だったら、こっちの方が、走る邪魔にもならないしいいかなって……」
 爪が折れることにより、ボーイが装備しているものは銀のナックルへと変わっていた。殺傷力であれば、爪の方が上だが、ボーイに馴染んでいるのはナックルだ。
「フフフ、ハハハハハ!」
 この二人のちぐはぐなやり取りを見たキリウは、楽しそうに笑った。
「バレットならば、速さよりも攻撃、爪を優先しただろうな! だが、このボーイは爪を折り、速さを優先した! 自分の長所を高めようと励む点、やはり愛おしいぞ! 来い、バレットボーイ! 邪魔者の居ない、光速の世界で睦み合おうぞ!」
「む、睦みあい? とにかく、行くぞ!」
 キリウに促され、再度の光速戦に飛び込むボーイ。動けぬまま残されたオウルガールは、間断なく動いている大気に目を凝らす。一度光速の世界に入られてしまっては、もはやどうあがいても干渉出来なかった。


 超光速、選ばれし者しか足を踏み入れることができない領域において、バレットボーイは苦戦していた。身体がまだほぐれていないわけでも、ナックルが重すぎるわけでもない。苦戦の理由は、場所にあった。この狭い機内では、思う存分走ることができない。更に、ほぼ石化したオウルガールという障害物もある。
「前回よりも不利だろう。だが、バレットボーイならば、きっと乗り越えられる不利だ!」
 キリウは壁を足場にし、ボーイに襲いかかる。狼男の速さとフいているだけあって、キリウの動きは獣の如き自由奔放さにスイッチしていた。しかも彼女は、オウルガールの存在を気にしていない。ボーイは、キリウが踏み台にしようとしたオウルガールを、身体でかばった。
 床しか足場に出来ぬボーイとは違い、キリウは床に加え壁も足場に。つまり、ボーイとキリウの専有領域には、三倍の差がある。モノレールがボーイ有利なら、機内はキリウの庭であった。
「随分と、期待してくれてるね」
 飛びかかってきたキリウを、ボーイはスウェーでかわした。
「うむ! 期待して、恋しているぞ! なので余と一緒に、ヴェリアンに帰ろう!」
 ズルッと、ボーイはスウェーのまま、後ろに転びそうになった。
「はあ!?」
「む? 何故驚く。モノレール上で、口づけの上に言ったではないか。お前をモノにしたいと」
「あー……なんか色々と思い出してきたぞ―。そういやそんな事、あ! 顔!」
 催眠の影響か、キスの衝撃か。ボーイの記憶は、今まで一部すっ飛んでいたらしい。そんな記憶が戻って来た瞬間、ボーイは顔をペタペタと抑えた。キスよりも言葉よりも行為、マスクを剥がされたことを一番初めに思い出したらしい。
「うむ。美しい素顔だったぞ。安心するがよい、余はボーイの素顔を知ったからといって、そこから行動を起こすつもりはない。あくまで、性根と器に比例した素顔なのか、それを確かめただけだ」
 足を縮め、壁に張り付いた状態で、キリウは手招きをした。
「余は、君に恋している。ヴェリアンで、共にいて欲しい」
 今まで、何人もの超人が心揺らがせた勧誘。しかも今回は、恋という情まで入っている。強力な、女王の求めだった。
「ありがとう」
 ボーイの口からまず出たのは、求めへの感謝であった。立場相いれぬ者の心も動かすほどに、キリウの勧誘は魅力的だったのだ。
「でも、俺は行けない。俺は、ウェイドシティのヒーローだから」
 だがこの揺らぎは、ボーイの心根を揺らがすだけで終わった。バレットボーイは、スメラギ=ノゾミは、ウェイドシティの守護者なのだ。いくら魅力に惑わされ戸惑っても、この根幹はどんな大樹よりも固い。
「違う、違うぞボーイ。ウェイドシティのヒーローは、バレットであって、ボーイではないのだ。現に、アブソリュートもオウルガールも、君ではない、君を通して死んだバレットの幻影を追っているだけだ!」
「そうだろうな。分かっているよ。あの二人が、バレットを見ていることは。でも、それくらいでヘソを曲げてられるか! 俺は速くなる。どこまでも速くなって、みんながバレットを大事な思い出と出来るくらいに、ウェイドシティを守りきってみせる!」
 真実という暴風に、ボーイの性根は耐え切ってみせた。
 ドクンと、キリウの心が震える。誘いを断られたのに、嬉しい。こうして、ボーイの強さにより拒否されることを、キリウは望んでいたのかも知れない。
 ここでキリウは、手招きをやめた。
「どこまで、余の心を揺らがすのか……ダメだな。このまま離れることには、耐えられん! 悪いが力づくで、連れ帰らせてもらう!」
「いいんじゃないか、それで! その方が、怪物の女王様らしいぜ!」
 キリウもボーイも、生の感情を吐き出し、ぶつけ合う。ヒーローとヴィランの間においては、語らいよりも触れ合いよりも、戦いこそがお互いの感情を出しあう行為であった。
 キリウの猛襲が、ボーイを襲う。一撃がボーイに接した瞬間、ボーイの身体が消えた。
「何処に!?」
「ここだーっ!」
 戸惑うキリウの背を叩く、銀色の拳。ボーイは、キリウの背後に回り込んでいた。キリウはすぐさま振り向くが、再び背後からの一撃をくらってしまう。ボーイの速さは、キリウを超えていた。威力は足りずとも、銀製のナックルが確実に痛みを刻んでいく。たまらずキリウは、再び壁めがけて飛ぶ。左右の壁からは、ボーイの領域である床を一目で見渡せた。
「なんと、見事な男だろうか」
 キリウは、感動していた。不利という困難を、容易く乗り越えた男の姿に。
 床にボーイの姿は無かった。ボーイはキリウの位置とは反対の壁を駆け上がり、なんとそのまま天井も走破し、壁に張り付くキリウの背後に、再び迫っていた。速さの極地は、容易く重力を振り切る。床のみの一面から、上下左右の四面へ。三面でしかないキリウを、ボーイが翻弄したのは明白であった。先程から彼は、天井も足場として使っていたのだろう。速さにおいて、ボーイは完全にキリウを越えた。
 前のめりのスピードと体重を乗せたパンチが、キリウを殴り飛ばす。横から下に。感動に打ち震えていたキリウは、いいように床に叩きつけられた。
「しまった。感動のあまり、眼が輝いてしまったぞ」
 見開かれている、金色の目。速さで追いつけぬなら、速さに陰りを与えればいい。既にボーイは、必要以上に派手に倒れたキリウの胸ぐらを掴んでしまっていた。
 石化の光が、対象を照らした。


 勝者と敗者が光速の世界から抜け出てきたことにより、傍観者となってしまったオウルガールは、戦いの終わりを知った。敗者は固まり、勝者はゆっくりと歩いている。勝者の眼は、いまだ九割石化したままの、オウルガールに向けられていた。
 ゆっくりと伸びる手。勝者の誇らしげな摩擦は、オウルガールのコーティングを容易く削りとった。
「おっと」
 石化が解け、よろめいたオウルガールに、バレットボーイは肩を貸そうとする。
 勝者は、ボーイだった。敗者であるキリウは、床に転がったまま石化している。
「いい。自分で歩ける」
 先輩の矜持が、オウルガールにしっかりとした足取りを与える。引っ込められるボーイの手を見たところで、オウルガールはキリウが石化した理由を理解した。
「あの時、ただ爪を折っただけではなかったのだな?」
「ありゃあ、フェイクですよ。本物の怪物と弱点が同じなら、コレで跳ね返せるなって」
 ボーイが装備する銀のナックルは、ピカピカに磨き上げられていた。まるで、鏡のように。爪を折った時、瞬時に磨き上げておいたのだろう。
 石化の眼を持つメデューサは、勇者ペルセウスが持つ鏡の盾で己を見てしまい、敗れ去った。キリウもメデューサと同じように己の目を直視し、石化してしまったのだ。感情無き科学の牙は、情け容赦なく主人に向けられた。
「ニンニクと銀に弱いことは知っていたが、おそらく鏡で光線を弾いたのは、少年が始めてだ」
「まいったなあ。てっきり、俺は怪物の弱点って、そのことを言っているんだと思いましたよ」
「そしておそらく、一対一であの怪物を倒したのも、少年が始めてだ。だから、名乗ってもいいぞ。バレットの名前を」
「……え? ええっ!?」
 ウェイドシティに来た当時、ノゾミはバレットを名乗ろうとしたが、オウルガールに止められた経緯がある。バレットボーイと名付けて、青いコスチュームを用意したのもオウルガールだ。初めの頃は、ボーイ呼ばわりを嫌っていて、さんざん改名を求めていたものの、最近は慣れたせいかボーイの名を自然に受け入れていた。もちろん今でも、改名したい気持ちはあるものの。唐突なオウルガールの許しを聞き、ボーイはまず混乱した。
「名前だけでなく、全てを好きにしていい。少年は、自由だ」
 オウルガールの言葉は、更にボーイを混乱させた。何故いきなり、自分は見捨てられているのか。
「私も、しばらくはウェイドシティに足を踏み入れない。ウェイドシティは少年が守れ。私は自分の街、ラーズタウンを守る。少年も、ラーズタウンには来るな」
「いや! なんでいきなり! 俺、なんかマズかったんですか!? 言ってもらえれば、直しますから!」
「直すべきところは、無い。少年は既に私の手を離れた。そこの石像が、その証明だ」
 オウルガールも、バレットも倒せなかった怪物を、完全に無力化した。今でも固まったままのキリウ程の証は、他に存在しまい。
「でも俺はまだ、アンタに教えてもらいたいことがたくさんある!」
「だが、私は、私は……もう少年と、関わりたくないんだ」
 これ以上のオウルガールによる干渉は、ただボーイを苦しめるだけで、何の益もない。少なくともオウルガールは、そう判断した。
 ボーイは意味がわからぬまま、突然の拒絶に戸惑うしか無かった。


 数日後。
 建物を囲む高い壁を見て、人はこの施設を刑務所と勘違いする。実際は、とある国際的な企業の研究施設だった。この中では様々な将来に繋がる研究がおこなわれている。研究を守るため、敷地内には多数の警備員と防犯装置が。外面は、刑務所と全く変わらなかった。
 そんな防犯装置満載の塀の上に、キリカゼとM・マイスターは無防備なまま腰掛けていた。
「首尾は」
「上々。既に、警備装置は全て無力化された」
「耳のない機械に、あたしの音楽は聞けないからねえ。で、何も盗ってこなかったの?」
「恥ずかしい話だが、研究の内容が高度すぎて、拙者にはサッパリ分からん」
「そっちは内容を吟味できたからいいじゃん。あたしなんか、研究内容を聞いただけで眠くなった」
 マイスターの奏でる曲調が、スローテンポとなる。見回りの警備員も彼らが連れているドーベルマンも、マイスターの音楽を聞き、よく寝ていた
「しかし、なんで、理解もできないようなモンを扱っている施設に、こうして盗みに入っているのかねえ?」
「それは拙者たちがファクターズだからだ。仲間が協力を求めてきた場合、自分の不利益に繋がらない限り、なるべく助けてやろう。過去にお互い、この約束事に助けられたこともある」
「分かっている、分かっているけど。いかんせん寒いね」
「夜だからな」
「夜だからねえ」
 二人は揃って、室内でのメンバーの仕事が、さっさと終わるように祈っていた。


 暖かな室内にて。プロフェッサー・アブソリュートは、複雑な数式の並んだ書類を、片っ端から乱読していた。
「予想通り。ここの研究で、わたしに実をもたらす物は無いです」
 アブソリュートが日々研究していることと、この施設で行われている研究は、路線が一致しなかった。知識としてはありがたくいただくが、即時利益につながる物は無い。この結果を予想していたから、アブソリュートは近所にあるこの施設をずっと放置していた。
「だが、決してレベルの低い施設ではない。」
 アブソリュートにとっては用なしであるこの施設に来たのは、ファクターズの新メンバーの希望による物だった。
「そちらには実が?」
「無い。しかし、我が国で研究を続けている物と、同じ物があった。しかも見た限り、おそらくこちらの方が、進んでいる。独占研究のつもりだったのだが。まあよい、一見分からぬよう、データーを複数書き換えておいた。これでヴェリアンの方が、先に結果を出せるだろう」
「邪魔をするより、いっそ研究成果を盗んだほうが早いのでは?」
「それを言うなら、余が直々に研究する方が早い。だが、ある程度下々に任せることも、女王の勤め。この妨害は、いわば親心よ!」
 キリウが大仰なポーズを取り、書類が舞い散る。女王陛下の辞書に、隠密の二文字は無いご様子だ。
 石化したまま、何処かへ連れてかれそうだったキリウを回収したのは、アブソリュートと回復した従者たちだった。アブソリュートのお陰で石化状態が解けたキリウは、侍従を先に帰還させ、自身はこうしてウェイドシティに残った。
 女性犯罪者集団、ファクターズの一員になると、いきなり宣言して。
「いいんですか? その女王が、ウェイドシティにいて」
「この近代社会、この街からヴェリアンを統治することは、容易いこと。必要となれば、いつでも我が翼で単身戻れる。悪党と女王の二足のわらじ、悪くはない。そちらとて、悪党と女子高生の二足のわらじではないか」
「わらじの重みが違うと思うんですけど」
 出来ると言っているから出来るのだろう。キリウの自信は、しっかりと有言実行の熟語の上に根付いている。
「街で事足りる統治とは逆に、ヴェリアンにはボーイが居ない。ならばウェイドシティに残るのは明白、そしてファクターズに入るのも当たり前。バレットを愛でる気はないが、バレットボーイを愛でる気は満々だぞ!」
 キリウは、バレットボーイのことを諦めていなかった。むしろ、連れ去りに失敗し、更に敗北したせいで、恋の炎は一層燃え上がっている。こうしてまた一人、難敵がバレットボーイの前に立ちふさがることとなった。
 多様な意味で、今までにない難敵だ。バレットを見ず、バレットボーイだけを見ている、難敵だ。
「あの、うちのチーム、犯罪者集団であって、バレットやバレットボーイのファンクラブではないですよ?」
「なんだ。違うのか?」
「違います! 敵です、バレットもバレットボーイも敵!」
 本人たちの心持ちはともかく、あまり周知はされていない認識であった。
「細かいことは良いではないか。こうして、二人揃って再び活動できるようになったのも事実」
 キリウは嬉しそうに、アブソリュートと肩を組む。アブソリュートも、満更ではない顔をしていた。ファクターズの友情もいいが、キリウとの友情もこれまた悪くない。人間関係とは、多角的な物なのだ。
「……本音を問いただす気はないが、そちらも決断をしておけよ」
 キリウは小さな声で、アブソリュートに耳打ちした。
「何をですか?」
「見ていたんだろう? 余とオウルガールの戦いを、バレットボーイとの戦いを。だったら、何を言いたいのか、明瞭な頭脳のプロフェッサーであれば、分かる筈だ」
「……」
 手は直接出さなかったものの、アブソリュートは機内で何があったのかを把握していたし、キリウもそれを知っていた。
「オウルガールは、戸惑いながらも、先に進むことを選んだようだ。そちらはどうする? あまり遅いと、余がボーイを持って行ってしまうぞ」
 肩を軽く叩き、キリウはアブソリュートから離れた。
 アブソリュートに突きつけられたのは、オウルガールに与えられたのと同じ真理だった。
 バレットボーイを介しバレットの影を追い続けるべきか、バレットを忘れバレットボーイと対峙するべきか。二人のヒーローとの関係を、清算せねばならない日は近い。
 アブソリュートはまだ、そんな問いに対しての解を、上手く出すことが出来なかった。彼女もまた、若かった。

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