２月１３日。ウェイド・ＨＳの教室で、ノゾミは黄昏ていた。
「バレンタインデーかー……」
　周りの情景が、嫌でも愛の日の前日であることを知らせる。今日になるまで、ノゾミはこのイベントの存在を忘れていた。なにせノゾミは、ウェイドシティを守る光速のヒーロー、バレットボーイ。イベントを楽しもうとしても、犯罪行為が一度起これば東西奔走。知っていようがいるまいが、イベントをゆっくりと楽しめる身ではなかった。
「どうしたんですか？　やけに黄昏て」
　クラスメイトであるヒムロが声をかけてくる。彼女の手には、チョコではなく物理の教科書があった。まあ当然、１３日にチョコを渡すような義理は誰にもないが。
　きっとヒムロは今日も一つ学問を究めさせてくれるのだろう。彼女は、ノゾミに勉学を教えることを楽しみにしていた。ノゾミの一心不乱な集中力が、彼女の好みに合致しているらしい。
「ん？　いや、なんでもない」
「今日は１３日ですからね。今日男性は、当確がついてウキウキか、明日が読みきれなくてソワソワか、とてもガッカリな顔をしてるかの、どれかです」
「分かってるなら、いじめないでくれ。頼むからさ」
「へ？　アテがないんですか？　いえすみません、ノゾミくんならてっきり、チョコの一つや二つは……。女子の間でも、評判悪くないみたいですし」
「その評価はありがたいけど、昔はともかく今はなあ。評判が悪くなくても、特に仲がいい人もいないし、おそらくチョコが貰えるほど良いワケじゃない。俺は、憂鬱側の人間だよ」
　陸上部でバリバリのエースをやっていた頃はそれなりにチョコも貰えたが、引きこもり生活を得て、次の年のチョコは０。引越ししたこともあって、過去の人気は何処かにすっ飛んでしまった。
「なるほど。ウキウキかソワソワなら放っておこうと思いましたが、ガッカリですね。なら明日、救いの手を差し伸べてあげます。だからせめて、ウキウキになってください」
「……へ？」
　ノゾミは、ヒムロが何を言っているのか、良く理解できなかった。色恋沙汰から、あまりに縁遠い女性から、いきなり妙なことを言われたせいだろう。
「いらないんですか？　チョコ」
「いる。うん、スゲエいるわ。やっべえ、ウキウキだ！」
「ついでですけどね。バイト先で、手作りチョコを作って売るので」
　ヒムロのバイト先は、メキシカンバーのエル・シコシス。メキシカンなのに、バレンタインに平然とかこつける辺り、ホントに分けのわからない店だ。
「わーい、ソワソワだー」
　ノゾミの感情が、微妙にランクダウンしていた。
「喜んでもらえるなら、何よりです。明日あげますから、ちゃんと学校に来てくださいね。じゃあ、今日の授業を始めましょうか」
　サボりぐせどころか、サボリが出席日数の半数以上を占める天才少女に、きっちり学校に来いと言われるという矛盾。そんな矛盾に構わず、ノゾミは迅速にノートを開いた。ヒムロの放課後レッスンを受け始めてから、ノゾミの成績は絶賛急上昇中だった。

　２月１４日、バレンタイン当日。ヒムロは主人の居ない席を見て、静かに怒っていた。
「せっかくチョコを持って来て、一時間目から出席してるのに……当の本人が休みとは、どういうことでしょうね」
　あれだけウキウキでソワソワしていたくせに、ノゾミは欠席していた。
　不機嫌なヒムロは、チョコの行き先を考える。あそこで物干しげにしている、ノゾミの友達にくれてやるか、それとも机にでも入れておくか。どれもちがいますねと結論づけ、ヒムロはきっちりと青赤の紙ラッピングされたチョコを、鞄にしまった。

　その頃、ノゾミはと言うと。
「ハーッハッハ！　俺の夢の為に、消し飛べバレットボーイ！」
「うるせー馬鹿！」
　バレットボーイが、一撃でインパクトを倒す。バレンタイン当日、今日は朝からずっと、ノゾミはバレットボーイとしての自警活動を続けていた。なにせ今日に限って、やけに犯罪者が暴れている。偏執小銭狂マネー・セント。下水道の王者ホールキング。処刑拳士ケルベロス。そしてこの、衝撃波の使い手インパクト。出るわ出るわの、有象無象の犯罪者共。学校へ行くヒマなんて、あるわけもない。
「ひ、ひどいぜ……。俺のウリである衝撃波、まだ出してないのに」
「知るか！　だいたいお前、朝一で出てきて、今日二回目だろ！　警察につきだしたのに、なんで二回目よ！」
「ふっ。今日に限っては、俺の脱獄のスパンも早くなる。バレットボーイ、貴様の速度を超える程にな！」
　ビシィ！と指を突きつけた一瞬で、インパクトは再度ボコボコにされた。ボーイによる、光速の一人リンチだ。
「こんだけやりゃあ、今日一日は動けないだろう……」
　ズタボロのインパクトを放置し、ボーイは学校へ向かおうとする。忙しかったせいで、欠席の連絡も入れられなかった。授業はともかく、昨日のウキウキやソワソワと裏切る訳にはいかない。
　帰る気でいたボーイめがけ、弾丸の如き小銭が飛んで来る。同時に、スコップの先端が、アスファルトの地面を突き破ってボーイを狙う。横と下からの攻撃を、ボーイはなんとか回避した。
「セント！　ホールキング！　お前らも二回目かよ！？」
　小銭を武器とするのは、セント。スコップ、しかも地面からとなるとホールキング。小１時間前に倒した筈の二人も、インパクトと同じように復活を果たしていた。これでは、ボーイの衣装を脱ぐことも出来やしない。
　ノゾミも必死だったが、何故か今日はヴィラン達もやけに必死だった。

　バレンタイン、終了１時間前。エル・シコシスの従業員でもあり、女性犯罪者集団ファクターズのメンバーでもある、サイバー忍者キリカゼと音使いＭ・マイスターは、店内の時計を確認していた。
「あと１時間」
「今年もいませんでしたねえ、結局」
　ウェイトレスの格好で、店内のテーブルに座る二人。既に表には、CLOSEの札がかけてあった。二人の目の前には、チョコレートがある。キリカゼの前には和風なイメージ通りの抹茶チョコが、マイスターの前には派手な彼女に似合わぬシックなビターチョコが。どちらも、二人の手作りだ。
「まさか、言いだしっぺが既に居ないのに、あのルールが生きていたとは」
「バレットボーイは、この街に来て初めてのバレンタインデーだねえ。きっと誰も説明してない。説明されぬまま、今日一日、超頑張った。頑張ったから、誰も来ないと」
　ウェイドシティにおける、バレンタインのマイナールール。このルールを作ったのは、今は亡き、先代の光速の男。バレットだった。
『おいおい、バレンタインデーなのに、ファクターズは今日も犯罪行為かよ？　誰かチョコあげる相手居ないの？　え？　居ない。じゃあ、こうしよう。俺を倒したヤツが、チョコを貰えると。インパクトも昨日、ガッカリな顔してたしねえ。悪党同士に、こういう温かい交流があってもいいんじゃない？』
　バレットがこんなことをのたまったせいで、“バレンタイン当日、バレットを倒した犯罪者は、ファクターズからチョコが貰える”というルールが出来てしまった。
　こんな冗談みたいな話に乗るヴィランがいてたまるか。と、誰もが思っていたものの。実際ルールが広まって以降、バレットは毎年２月１４日に死闘を演じることとなった。犯罪者であっても、根っこは男性。やはり、チョコは欲しいらしい。しかし犯罪者である以上、マトモに貰える可能性は普通皆無。性格に癖があるとはいえ、ファクターズは美女揃い。そりゃ当然、やる気も殺る気も普段以上に出る。
「バレットとは違い、ボーイは真面目。バレットは例年逃げ切りを決めていたが、どうやらボーイは真面目に戦っていたらしい。感心、感心」
「うわあ。いっそこのチョコを、敢闘賞であげたいぐらい。でもそういうわけにもいかないし、どうしよう？　いる？」
「今年も女同士か。食べ物を捨てるのは論外である以上、自分で食うよりはマシとは言えるが」
「あたしはキリカゼに食べてもらえるのが、毎年うれしいけどね。アブソリュートはどうする？　てーか、チョコあるんでしょ？　さっき、包んであるチョコ、バックに置いてあるの見たよ？」
　ファクターズのリーダーである、寒暖の魔術師プロフェッサー・アブソリュート。又の名を、女子高生ヒムロ＝ヒナタ。彼女は乱暴に、食器を一人で洗っていた。
「知りません」
「いや、知らないってさー。事実チョコは」
「知りません」
「よく分かんないけど、ゴメンナサイ」
　不機嫌なヒムロに、マイスターはまず土下座する。待ち人が来ないまま、チョコを持って帰ってきた彼女は、相当に不機嫌だった。不機嫌さにこうしてアテられ、キリカゼやマイスターも、口が重くなる。
「すいませーん……」
　エル・シコシスの入り口から、力なき声が聞こえてきたのは、そんな重苦しい時にだった。
「ノゾミくん！？」
「よかった。まだここにいたんだ。学校には、絶対居ないと思ったけどさ」
　疲労困憊なノゾミが、よろよろと店内に入ってくる。ヒムロは急いで、ノゾミの為に椅子を用意した。
「随分と疲れてますね。何があったんですか？」
「いやあ、まあ、色々とね……。それより今日は、ゴメン。せっかく約束してたのに、連絡できなくて」
「この状態を見せられては、責められません。ズルいですよ」
　ノゾミはバレットボーイとしての仕事を、きっちりと終えていた。今日会った犯罪者は全員、牢屋行きだ。全員ボコボコにした上、自分の手で独房に放り込んできたのだから、間違いない。
「いやあ、やっぱ連絡できないのは悪かったよ。だからこうして、直接お詫びを言わなきゃなって」
「電話やメールでも、良かったのに」
「電話やメールだと、ウキウキを逃したことが悲しくて、眠れそうになくて。まだバレンタインは、１時間残ってるしさ」
「ああもう。分かりましたよ。チョコはちゃんと、ありますから。じっくり熱で溶かして、しっかり冷やして固めた、美味しいチョコですからね！　期待してくださいよ！」
　ヒムロは少しだけ嬉しそうに、バックヤードに戻る。きっと、少し嬉しいのではなく。嬉しさを隠しきれていないだけだ。疲れきったノゾミも、氷室のそんな様子を見て、軽く微笑む。
「疲労困憊ながらも、その誠意！　見事だ」
「うんうん。感動モノだよーってことで、お姉さん二人からも敢闘賞。チョコあげる。疲れている時には、甘いモノが一番！」
　ノゾミとヒムロの様子を遠巻きに見守っていたキリカゼとマイスターも、自分たちのチョコをノゾミに渡した。奇しくも二人は、気づかぬままにバレットボーイに敢闘賞を与えてしまった。
「いやあ、どうも。こんなウキウキなバレンタインデー、生まれてはじめてッスよ！」
　今日一日の辛苦に意味を見いだせたかのように、ノゾミは嬉しそうにチョコを受け取った。

　エル・シコシスの入り口から少し離れた所で、彼女は店内の楽しそうな様子を監視していた。
「腑抜けているな、少年。ならば、これ以上、腑抜けさせるわけにはいくまい」
　バレットボーイを導く、先輩ヒロインであるオウルガール。彼女の手には、ピンクのリボンで結わえてある、バラエティチョコの小袋があった。このチョコセットは、先代のバレットの好物であった。既に彼の墓の前には、一袋置いてきてある。
「ぐぐ……あと一時間ある。最後の挑戦を……ゲゲー！　オウルガール！？」
　這うようにしてバレットボーイを探していたインパクトは、オウルガールと出会い絶叫した。バレットボーイはまだ情をかけて殴ってくれるが、オウルガールに関しては、情というものが一切ない。以前に外された肩が、ズキズキと傷んでいる。
　そんな非情なオウルガールが取った行動は、意外な物だった。
「これはチョコレートなんだが。いるか？」
「へ？　チョコ？」
「うむ。あげる相手がいなくなったので、欲しければやろう」
「ぷっ。フラれたのかよ？　寂しいやつ。でもそれなら遠慮」
　余計なことを言ってから手を差し出したインパクトの延髄に、肘の一撃が炸裂した。インパクトを警察へとつれて行く前に、オウルガールはチョコをエル・シコシスの入口近くに置く。店を出る際、絶対目に入る場所に。
　男性ヴィランが日中、何度も叩きのめされ、女性ヴィランはチョコを作りの為、今日は休業。ヒーローが疲れきって、隣町のヒロインが不機嫌でも。バレンタインのウェイドシティは、平和だった。