オーバー・ペネトレーションズ#3-4

 崩れかけのベランダで、彼女は声を上げた。
「ありました~」
「ああ。よかったッス」
 一緒に指輪を探していたボーイも、四つん這いから立ち上がる。タリアは銀色の指輪を、既に人差し指に付けていた。付けた後彼女は、眼下に広がるラーズタウンをゆっくり見渡した。
「オウルガールが死んだだけで、酷くなるものなのですね」
「はい。あの人は、それだけ偉大だったんでしょう」
 ラーズタウンが廃墟となった理由は二つある。
 一つは、オウルガールが死んだことによる、パワーバランスの崩壊。目の上のたんこぶが無くなったことで、ラーズタウンの悪人や狂人から歯止めが消えた。ボーイ一人では、彼らの歯止めになり得なかった。
 二つ目は、クイックゴールドの速さだ。ゴールドとなった彼は、遠慮のない速さでラーズタウンの全てを吹き飛ばした。悪人も狂人も、一般市民も建物も。やがて街からは全てが消え去り、ラーズタウンはクイックゴールドの練習場となった。街を埋める轍はみんな、ゴールドが走った跡だ。
 無人となった街に来るのは、くず鉄拾いのスカベンジャーや金目の物目当ての盗掘者ぐらいだ。ちなみに、この世界来たばかりのタリアを襲った連中は、後者だった。彼らは既に屋敷から消えている。這々の体で、なんとか逃げ出したのだろう。
「むむ? なんでタリアさん、オウルガールが死んだことを」
 知っているんですか?と繋げた時、彼女は室内の柱時計の前で指輪を掲げていた。指輪から出た光線が柱時計の鳩に当たる。鳩が鳴き、柱時計が動く。裏には、エレベーターが隠されていた。
「ハイテクな先祖の形見ッスね……」
 タリアはエレベーターに乗り、ちょいちょいとボーイを招く。事情は分からぬが、言われるがまま、ボーイはエレベーターに乗る。錆臭い音をさせて、エレベーターは降りた。
 エレベーターが降りた先は暗闇だった。降りた先に、地面があるかどうかすら分からない。ボーイは、一歩も動けず、ただ暗闇に目を慣らすことしか出来なかった。それでも、この闇では、慣れようもない。
「ここは一体なんなんですか? っいぇあれ? ちょ、ちょっと失礼」
 ボーイは手を隣に振るうものの、タリアに触れることは無かった。
 バチバチと、派手な音を立てて明かりが灯る。キラキラと舞うホコリを手で払いながら、ボーイは驚嘆の声を上げた。
「すげえ……!」
 おとこのこの夢、ひみつきち。洞窟を改造したタリア家の地下スペースは、思わずワクワクしてしまうほどに、素敵な秘密基地であった。巨大なモニターや、怪しげな車に、怪しい機械や実験道具。このスペースを見て、心を滾らせぬ男はいまい。あまりに、夢すぎる。
 モニターの前では、この部屋の主であろう女性がコンソールをいじっていた。
「当然、装備に多少の差異と劣化はあるものの、使えないことはない」
「オウルガール!」
 多少デザインの違うスーツを着たオウルガールが、地下スペースに出現していた。おそらく、この世界におけるオウルガールのスーツなのだろう。
「やっぱ、生きてたんだな! そうだよな、死ぬわきゃないよな、アンタが!」
 余所の世界の話であるのに、ボーイはオウルガールの生存を喜んだ。この人が、死んでいる筈はないと、初めから思っていた。
「いや。この世界の私は、おそらく本当に死んだぞ。基地に足を踏み入れた様子がないし、何よりラーズタウンの惨状を、許さぬはずがない」
 そんなボーイの希望を、オウルガールはあっさりと一蹴した。
「そんな。じゃあ、アンタは誰だよ!?」
「いい加減気づいてくれ、少年。出会った当初とは言わぬが、せめて指輪の辺りで。最悪、エレベーターの後、タリアが消えたところで」
 オウルガールは、現在までボーイの前では外したことのなかったマスクを脱いだ。
「えー……いやいや、それはないだろ。え? 悪い冗談じゃなくて?」
「驚けとは言わんが、悪い冗談とはどういうことだ」
 度を越した驚きは、逆に人を冷静にさせる。しかもこの世界に来て以降の、驚きの連続という下地もある。何より、どうにも信じられない。
 タリアの顔でいつもの物言いをするオウルガールを受け入れるのには、多少の時間がかかった。

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オーバー・ペネトレーションズ#3-3

 喉を絞めつけられたオウルガールは、血を吐いた。赤い鮮血ではなく、どす黒い断末の黒の血を。
「フハハハ! どうやらこれで終わりのようだな、オウルガール! 余の野望は達成され、ウェイドシティだけでなく、やがて世界全土を手に入れることになる。覇業に転がる小石が、ここまで余の関心を得たこと。あの世で誇るが良い!」
 片手でオウルガールの喉を掴み、頭上高く差し上げたキリウは、自身の勝利を高らかに宣言した。あと数秒で、タイムリミットを迎える状況。数秒後、作戦は完遂され、世界は本人の言うとおり、キリウのモノとなる。バレットならともかく、オウルガールにはあまりに足りない時間。このチェックメイトの状況において、
「なんだ。その薄ら寒い笑みは」
 オウルガールは笑っていた。キリウですら、不気味がるような笑顔であった。
「これで、いいから、笑えるのさ」
 オウルガールは最後の力で、奥歯に仕込んだスイッチを、強く噛んだ。

 ヒカルが語ったのは、この世界におけるオウルガールとキリウの死に様だった。
「キリウの包囲網を突破した俺が見た物は、塵ひとつ残さず消滅したキリウのアジトだった。オウルガールが何をしたのかは知らないが、彼女がキリウと共にここで消滅したのは間違いない。おそらくここが、この世界とお前たちの世界の分岐点なんじゃないか? きっと、その時俺が死んだんだろ?」
 何よりも優先すべきことは、お互いの認識の摺り合わせだった。平行世界と言ってはいるが、互いの世界の状況は、あまりに違いすぎる。
「その話のシチュエーションには覚えがありますけど、その時、キリウもオウルガールも、ましてやバレットも死んでないですね。二人共生き残って、最後キリウがヴェリアンに送還されてオシマイです」
「あー。ヴェリアンね。この世界じゃもう、消滅した国だけど」
「ウチの世界じゃ、そこの女王やってますよ」
「マジか」
 この状況で争っては、バカ丸出しだ。
 一先ず休戦協定を結んだバレットボーイとアブソリュート、そして巻き込まれた一般人のフリをしているタリアは、ヒカルに案内され、ウェイドシティにある彼の住居へと案内されていた。
 下水道の管理室を改造したらしき部屋は、なにか臭う上に、入り口が水路経由かマンホールだけという不便利さ。あちらの世界における旧バレット現ボーイの住居である古いアパートが、セレブ用の部屋に見える。
「しかし事故とは言うけど……あのタリアさんを、こんな汚い所に連れてきて、しかも隣の部屋に一人で押し込んでおくだなんて。なんか、すげえ悪い気がする」
 ボーイはタリアのことを心配していた。この部屋にいるのは三人のみ、こういう裏の事情を一彼女は知らないほうがいいと、タリアだけは隣の部屋に入れられていた。
「いいんですよ。無知蒙昧な方がお嬢様は幸せなんですから。これもまた、処世術です」
 逆にアブソリュートは、タリアに対して厳しかった。本能的に天敵を察知しているのだろうか。
 ヒカルは何も答えず、部屋の壁に横目をじっとやっていた。

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オーバー・ペネトレーションズまとめ

Prologue
#1    
#2   
#3       (NEW)
バレンタインSP

オーバー・ペネトレーションズ#3-2

 女は実験の成功を噛み締めるものの、男の表情は暗かった。
「成功はしたようだけどさ。ホントにあの三人で、よかったのかねえ? そもそも、こんなことをして、よかったのか」
「あの三人ならやってくれる。こう言ってもらいたいですね。是非は今更です」
「そうだな。元より、俺はそんなことを言える立場じゃなかった」
 世界を救う希望にして、自分の情けなさの代償にして象徴。死にたくなる気持ちを必死で抑え、男は物事を成すために、動き始めた。

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オーバー・ペネトレーションズ#3-1

 隣町で不可思議な窃盗事件が発生している。こんなことを聞きつけたラーズタウンのヒロイン、オウルガールはウェイドシティに翼を向けた。
 数時間後、オウルガールは窃盗犯を見つけることになる。彼は、夕焼けに染まる大学校舎の屋上で、体育座りしていた。ただ彼は、黄昏ている。
「お前がやったのか」
「ああ」
 男の隣には、財布の山があった。これは全て別人の財布、ウェイドシティ住人の物である。本日正午、街を歩いていた住人、全ての財布がスリ盗られた。中には、物理的に不可能な条件下でスられた物もある。ただの巨大スリ組織の暴走では、片付けられない事件であった。
「警察のデーターベースに、お前の顔は無かった」
「今日が初犯なんでねえ」
「初めてのスリで、この量、しかも捕まっていないどころか姿も見られていない。いったいどうやれば、こんなスリ業界の歴史を塗り替えるような事が?」
「こうやったんだよ」
「なるほど。良く分かった」
 オウルガールは苦々しさを隠さぬままで、納得した。
 スリの手には、大量のポケットが付いたベルトがぶら下げられていた。オウルガールが使う様々なガジェットが収納されたユーティリティベルトだ。この状況下で彼は、厳格なスーパーヒロインからスリを成功させてみせたのだ。
「この間、田舎に帰った時、ちょっとした事故にあってね。なんか気が付いたら、速くなっててさ」
 並々ならぬ速さ、尋常ならざる速さによって。
「木登り? その年で?」
 奪い返したベルトを腰に巻き直しながら、オウルガールは訝しげに聞いた。
「いっしょに事故にあった従兄弟は重態寸前の重症。向こうの両親大激怒で、従兄弟に会わせてくれねえの。アイツはまだ入院してるのに、俺はこうして。情けないよ」
 タハハと笑う彼は、本当に後悔しているように見えた。速さと言う能力を手に入れたのに、弱気。前代未聞のスリを成功させても、この男には高揚感の欠片も無かった。
「出来るかなっと思って試してみたら、出来ちまった。次はこの街の女のケツを全部撫でてもやろうか。そう思っていたら、隣町のヒロイン様が来た。これって、運命ってやつかね」
「運命?」
「この屋上に誰も来なければ、本当にケツを撫でに行っていた。警察が来たら、そのまま素直にお縄につこうと思っていた。悪党がスカウトにでも来たら、俺もスーパーヴィランってヤツにでもなろうと思っていた。ところが、来たのは予想外の、隣町のヒロイン様だった。この流れで行くなら、俺の行き先は分かるだろ?」
 フフフと、オウルガールは軽く笑った。思わず男も笑う。
 表情を突如一変させたオウルガールは、男の腕を取り、関節を締め上げた。
「痛ー!」
「こうなれば、いくら速くとも逃れられまい」
「逃げる気なんか無……痛!」
「正義の味方が迎えに来たから、正義の味方になるとでも? 脳天気が過ぎる。私はそんな上等な者ではなく、このコスチュームには悲惨や陰惨が嫌というほど纏わりついている。そんな者に、貴様は本当になりたいのか?」
「そいつあ、悪かった。だけどさ、俺はあんたが、正義の味方にしか見えなかったんだよ。だったら、俺がなる。コスチュームを着て、自分が出来ると思う、自分にしか出来ない、正しい道を選んでやる」
 脂汗を流しながら、男は綺麗過ぎる理想を口にする。しばらく男を観察した後、オウルガールは、男を開放した。
「イタタタタ。流石はラーズタウンの守護者、強いなあ!」
「勘違いするなよ? お前を認めたわけではない。まずその、自分にしか出来ないことをやってもらう。試しに奪った財布を、全て元の人間の懐に返して来い。話は、それからだ」
「そりゃそうだ。OK、分かったよ。10分もあれば、十分だ」
「駄目だ。5分でやれ。5分経っても来なかったら、私は帰るぞ」
「うへえ、厳しー。俺、そういうのに慣れてない、文化系なんだけどなあ」
 ぶつくさ言いながら、男は光速の世界に消える。オウルガールの目では捉えられない速さであったが、財布の山はどんどんと小さくなっていた。何度も往復して、持ち主の下に運んでいるのだろう。
 もし積み上げられている物が爆弾なら、あと数分で爆発する状況ならば。オウルガールは仮定し、考える。彼ならば爆弾をこの調子で安全な所まで全て運べる。オウルガールの場合、どうにかして被害を抑えるかの算段しか出来ない。爆発は確定事項だ。
 このように、彼にしか出来ないことがあると言うのは、事実であった。オウルガールは事実を認め、彼の能力も評価する。人格は、全く現状、評価していなかったが。あの軽さは、どうにも受け付けられない。
 きっと理想の道は一致しても、友情は永遠に築けぬだろう。そんな事を考えながら、オウルガールは5分間、待ち続けた。彼はなんとかリミットの2秒前に、戻って来た。
「驚いた。弾より速い男だな」
 帰るつもりでいたオウルガールは、男の速さだけを、賞賛した。

 この出会いから数日後、この男、スメラギ=ヒカルはコスチュームを纏い、バレットと呼ばれるヒーローになる。オウルガールの予想通り、ウェイドシティの守護者となった彼と、ラーズタウンの守護者であるオウルガールの間に友情は成り立たなかった。出会ってから、バレットが死ぬまでの間に。築かれたのは、もっと太く、重い絆だった。
 このように、オウルガールの予測は良く当たるのだ。

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