日々雑談~2235~
真田丸における関ヶ原の戦いが1分ぐらいで終わったものの、信繁もしくはきり視点でない事件はさっくり流されるという方針から見れば、仕方ないことでもあり。これを何とかするには、BASARAのごとく関ヶ原生中継可能な真田井戸を上田城に設置するか、きりを関が原に投入するしか……きりの生存フラグの強さ的に、撤退中の島津軍にいても生き延びる可能性はデカいな。
しかしホント関ヶ原の戦いが一日で終わってたってえのはすげえなあ。戦は不確かとはいえ、数々の不確かが重なっての奇跡だぜ。おそらく、徳川方も石田方も、こうなるとは思っておらんかったでしょう。戦の規模的に、諸将が物差しに使ったのは、ずるずる何年も続いた応仁の乱でしょうし。関ヶ原開戦の報せを聞いても危機感のなかった上田城の宴席は、当時の人のリアルな感覚に近いと思うのですよ。
情報伝達に一週間以上楽にかかる時代。よし、俺は西軍につく!と地方の領主が決断した瞬間、下手すると関ヶ原の決着が付いているという残酷さ。真田丸でも真田同士が戦わないためのプロレスIN砥石城が描かれましたが、同じような長期戦を前提にしたプロレスは全国各地でおこなわれておりました。身内同士だけでなく、大名家同士でも。しかしこの早期決着により、早急に誰もが落とし所を求められることとなり、様々な悲劇が生まれました。最も、そんな中でも聡い武将はきっちり得しているのですが。悲劇があって家が潰れれば、誰かがその家の遺したものをゲットするわけです。
もし関ヶ原がだらだら続いていた場合、各家はどうなっていたのかというのはちと興味深いですね。周りを東軍諸侯で固められている真田はずっと凌ぐにはしんどすぎるし、上杉は最上奇跡の頑張りと目をギラギラさせている伊達の存在からジリ貧となる可能性は大。厳密に日本と西と東で勢力がわかれたわけではないですが、やはり家康の勢力圏に近い、東の西軍一同の立場はどう仮定しても厳しいのう……。