「なんでも最近、頭に果物を被ったヒーローが、子供にウケているらしい」

 鎮守府に並ぶ艦娘たちの私室。その中で、最も厚い鋼鉄の扉と誘爆にも耐えられそうな外壁を持つ私室にて、姉妹が二人、差し向かいで女子らしいトーク会ををしていた。外面だけは。
「なんでも最近、頭に果物を被ったヒーローが、子供にウケているらしい」
「もうそのヒーロー、今日最終回……び、微妙に遅くない?」
 長門型一番艦である長門が突然言い出した女子トーク力ミクロンな発言に、長門型二番艦である女子力満載な陸奥が若干言い難そうに返す。長門と陸奥、鎮守府屈指の超弩級戦艦姉妹である。
「有事の際、駆逐艦を率いる立場としては、あの娘たちに受けるよう、努力しなければいけない」
「別に駆逐艦だけじゃなくて、軽巡も重巡も率いるけどね?」
「ゆくゆくは、駆逐艦のみの艦隊を常時率いる立場になるつもりだ」
「規律正しく欲望だだ漏れね」
 パワーはあるが燃費の悪い長門、片や燃費はいいがパワーは無い駆逐艦。艦隊戦でも遠征でも、どの使い方でも微妙に相性の悪い組み合わせが、果たして常時となるものか。提督の額に主砲を突きつけながら交渉してみたら、行けるかもしれない。
「というわけで、こうして果物を用意してみた」
 机の上に転がる果物の数々。みかん、バナナ、ぶどう、レモン……よくもまあ、戦地で集められた物だと感心するしか無い量の、多種多様さであった。何故か、明らかに果物ではない、どんぐりや松ぼっくりも混ざっているが。
「集められたのはいいとして、果物を被るというのは、どういうことだろうか?」
「私も詳しくは知らないわ。中をくりぬいて細工すればスイカは被れそうだけど」
「ハロウィンのかぼちゃの要領で?」
「ダメね。やめときましょう」
 鋭い目とギザギザの歯を刻んだスイカを被って登場! 同贔屓目に見ても、ヒーローというより妖怪だ。
「妖怪は妖怪で、最近流行っているから……ダメね。しっかり者の駆逐艦に、憲兵さんを呼ばれる未来しか見えないわ」
「ならば、一先ずこうしてみよう」
 長門は、陸奥のカチューシャ状なアンテナの先端にみかんを刺した。
「出来れば自分で試して欲しいんだけど……」
「ダメだ。なんというか、正月だ。目出度く見える」
「餅に? 餅に例えた? 二段重ねの?」
 陸奥の眼が、少し怖くなってきた。
「ふむ。どうやら何処かで何か勘違いをしてしまったようだな」
「それを言い出すと、根が深すぎて対応できなくなるんだけど」
 陸奥はみかんを引き抜き、アンテナをハンカチで拭いている。
「一度、立ち止まって見なおす必要があるようだ」
 見直すと言い出されても、その場合果物を被ると言い出すよりももっと前、性癖という妹でも触るのに臆する所に突っ込む必要が出てくる。
「それなら、発想を変えてみよう」
 果物を改めて並べ始める長門、その思惑を聞こうとした陸奥の言葉を遮るかのように、甲高い警報が鳴り響いた。

 赤城は、構えた弓を無念そうに下ろす。放った矢、艦載機の攻撃は全て相手の対空防御に防がれてしまった。駆逐や軽巡を中心とした敵艦隊、その対空戦力を一手に担っている空母ヲ級は、まず間違いなくフラグシップ艦だ
 突如、予想だにしない海域に現れた深海棲艦の一団。何らかの意図戦略があるのか、それともはぐれ艦隊なのか。ハッキリしていることは、この海域からすぐの沿岸には、人里があるということだ。
 緊急指令として、鎮守府を飛び出してきた居残り組。問題は、入渠や遠征や出撃と重なった結果、居残り組として出れる艦が三隻しか居なかったこと。幸いは、その赤城を含む三隻が、強者であるということだ。
 動こうとした敵艦隊を取り囲む水柱。41連装砲の火力は、暴威の深海棲艦にすら躊躇や慄きを抱かせた。
「第三砲塔、今日は変なコトしてないわね。計画通りよ」
 砲撃を終えた陸奥が、赤城と並ぶ。鎮守府開設当初から所属していた、大型艦二人。強者と呼ばれる理由は、練度の高さにある。だがしかし。
「計画通りって、外れてますよね?」
 陸奥の砲撃は、全て水面に着弾。高すぎる水柱は、失敗の証である。
「今回は、これでいいの」
 砲撃を外したのに、語気には力強さが。陸奥には、何らかの算段があるようだった。若干語気の裏に、やけっぱち感があるのが気にかかるが。
「そ、そうなんですか? でも……ん? 何か、そちらから甘い匂いがしません?」
 くんくんと、鼻を鳴らす赤城。
「え?」
「この匂いは、柑橘系の匂いと、お餅?」
「なんでよ!?」
 声を思わず荒らげる陸奥。彼女が先ほど立てた水柱は水蒸気も生み出し、敵艦隊を即席の霧で包んでいた。

 視界が晴れた瞬間、目の前の的にあらん限りの攻撃を仕掛ける。言葉はなくとも、深海棲艦は本能で繋がっていた。そしてそれは、自然と作戦となり陣形となる。
 そして、攻撃の最後を担うのは自分だと、ヲ級は理解していた。航空機を使うには視界が必要、晴れるまで、待つ必要がある。
「グギャ」「ギエッ」
 とても短い声が、あちこちから聞こえる。鳴き声とも悲鳴ともつかない声。
「アア!」「ヒッ!」
 ガツン、ゴツン。更なる無骨な音が、ヲ級の心をざわめかせる。
 有視界上にいる重巡リ級も、不安そうな様相を見せていた。
 そんなリ級の前に現れたのは、背の高い女性の影。リ級よりも大きい、戦艦級の影である。
 煙とともに現れたその影の手には、松ぼっくりが握られていた。
「ふん!」
 リ級の頭に叩きつけられる松ぼっくり。叩きつけるというか、強烈な掌底に松ぼっくりがついているだけである。豪腕の一撃は、リ級を一発で撃沈した。
「発想の転換、頭に果物を被せることで、敵を倒す! これならば、いける!」
 煙に紛れ、ゼロ距離レベルまで近寄ってきていた長門が吠える。
 ヲ級の視界が晴れる度に、ぷかあと浮かぶ仲間たちの姿が目に入ってくる。どの船の周りにも、どんぐりや松ぼっくりの残骸が浮いていた。そして気づけば、もはや生き残っているのはヲ級だけであった。
「さて、トドメと行こうか。だが、陸奥にせめて食べられないものを使えと言われたせいで、もう手元に武器になる果物が」
 持ってきた袋をごそごそと探る、長門。しばらく後、彼女は松ぼっくりやどんぐりなど歯牙にもかけぬ、凶悪な面持ちの、まるでモーニングスターのようにトゲだらけの果実を取り出した。
「フラグシップを葬るには、十分そうな果物だな。よく知らないが、ドリアンという名前の実らしい」
「ヲ……ヲ……」
 エリートを超えるフラグシップが怯えている。あんな凶悪なブツを両手で抱えつつ、じりじり近寄ってくる巨女。あの持ち方、上からおもいっきり叩きつける気満々だ。
「ビッグ7の力、侮るなよ」
「ノヲー! ノヲー!」
 あまりの恐怖が、ヲ級の言語機能をちょっとだけ進化させる。一つの奇跡であったが、長門の足を止めるには至らなかった。

 食事が好きなだけあって、食べ物にはちょっと詳しい赤城がドリアンについて解説する。
「アレ、ドリアンって食べられるんですよ。臭いですけど」
「へえ、知らなかったわ。ホント臭いけど」
 水煙が晴れた時、もはや深海棲艦は一匹も残っていなかった。そして、臭かった。あまりの唐突な臭さに、長門も倒れている。
「……使ったドリアンは、この後、赤城が美味しく頂きました」
「いいんですか!?」
「やだ、ノリノリ!?」
 喜びが冗談でない証拠に、赤城の眼はキラキラと輝いていた。

 次の日、再び長門と陸奥は自室で話し合っていた。
「やはり、他人の真似は上手くいかないな」
「分かってくれたのならいいわ」
「私が悪かったよ。でも、なにもそんなに眉をひそめなくても」
「違うわ。まだドリアンの匂いがちょっと残っているのよ」
「随分と入渠したのだが」
 クンクンと、自らの匂いをかぐ長門。自らに付いた臭さを自覚するのは、難しいことであった。
「しばらくは、お休みね。せっかく駆逐艦の娘からの人気が上がったのに、臭いんじゃ台無しよ」
「なに……? やはりあの、果物作戦は有効だったのか!?」
「そうじゃないわよ。普通にみかんやスイカや桃やメロン、食べられる果物を、間宮さんに提供しただけよ。小さい子たちに、優先してあげて下さいって。姉さんの名義でね」
 被るだの被せるだの、余計なことを考えず、普通に集めた物をプレゼントしておけばよかったのだ。シンプル・イズ・ベストと言うより、なんでこう余計なことを考えてしまったのか。集めた動機の時点で、色々間違っていたせいだろう。
「ありがとう。これでまた、一歩野望に近づいたぞ」
「はいはい。少し私もつまみ食いしようかとも思ったけど、最近ちょっとだらけすぎだったしね」
 最近、少しだけ柔らかくなっていた二の腕を摘み、陸奥はため息を付いた。なんか薄い餅を触っているように思えてくる。
「ところで、果物の次は、車を装備したヒーローが子供達にウケそうな予感があるとか」
 陸奥は手で顔を覆うことで、再び神妙な顔をしだした長門を見ないようにした。

魔法少女F~C~

魔法少女F~A~
魔法少女F~B~

 白煙立ち込める廃ビルの一室に、一人の魔法少女が居た。目の前には、巨大な感情により変貌した猫、もはや豹や獅子をも凌駕する存在となったキャット・アクシデンタル。脇にいる、偽物の魔法少女であるシズナや背後の虚無人エンプティと幼女は無視し、アクシデンタルめがけ駆ける。
 しかし、そのままアクシデンタルの巨躯とすれ違い、階段へ。最初はぼうっと見ていたアクシデンタルだが、突如毛を逆立て、激怒の様相で上階に逃げた魔法少女を追う。アクシデンタルの黒い表皮に一本の線、長い切り傷が刻まれていた。
 階段を駆け上がる魔法少女を、アクシデンタルは階段を無視した跳躍で追う。階段の終わり、屋上。ヘッドスライディングで飛び込んだ少女は、待ち受けていたアクシデンタルの股下を滑り抜けた。
 アクシデンタルの尻に走る、細かな痛み。振り向くまで、数十度、アクシデンタルの身体には雹を浴びたかのような細かな痛みが襲いかかってきた。ゴワッ!と喉を鳴らすアクシデンタルの鼻先を襲う、新たな痛み。収束された痛みが、アクシデンタルを気圧させる。
 だが、そこまでだった。
 爪をむき出しにした、アクシデンタルの前足が、なにやらアイテムを構える魔法少女を地面に抑えつける。全ての痛みは、怒りを触発させるものでしか無かった。
 アクシデンタルは、捕らえた獲物の仕留め方を考え始める。爪で切り裂くか、牙で噛み千切るか。爪、牙、爪、牙。悩んでいる間も、魔法少女を押さえつける力は強くなっていく。このままでは、圧力で砕け散ってしまうだろう。
 決めた。爪で切り裂いた身体を、牙で咀嚼する。C・アクシデンタルが、押さえつけた獲物めがけ、空いた前足を振るったその時。周囲の廃墟に響き渡るような轟音が、C・アクシデンタルの巨体を消し飛ばした。目の前の獲物に注視していたC・アクシデンタルは、突如の巨弾による猛襲に、何も反応することが出来なかった。
 注意深い猫を、認知する間もなく屠る。とんでもない“魔法”であった。

 自身を押さえつけていたC・アクシデンタルが消えても、倒れたままの魔法少女は動かなかった。ただ、呆然としている。C・アクシデンタルを葬った明後日からの一撃は、C・アクシデンタルだけでなく、下に居た少女にもダメージを与えていた。ふわりとしたゴスロリ調のドレス、前面がアクセントのリボンやアクセサリーごと吹き飛び胸から腹、全ての肌色を晒している。そして、髪。ウェーブのかかったきめ細やかな金髪が、全てごっそりと抜け落ち、辺りに散りまくっている。
 なんとも無残な、少女の姿であった。
「……殺す気か」
 ぼそっとした、呟き。
「殺す気か」
 多少怒気が混ざってくる。
 しばしの静寂の後、少女は自らイヤリングをもぎ取ると、イヤリングめがけ叫んだ。
「殺す気かぁぁぁぁぁ!?」
『わあ!? ちょ、うるさいから』
 イヤリングから聞こえる、太く深みのある声による返答。
「お前が反応しないからだろうが!」
 立ち上がった所で、胸に張り付いていたジェル状の最新胸パッドが落ちる。胸板は、貧乳を通り越し、完全に男の物。吹き飛んだ金髪はカツラで、実の毛は無造作に伸ばしてある茶色の髪。綺麗な女系の顔立ちと細身の身体を持っていても、少女ではない。シズナがライバル視する魔法少女は、彼であり、少年であった。
『しょうがないだろ。さっきまで、耳栓してたんだから。聞こえるわけがない』
「耳栓?」
 少年が振り向いたのは、今いるビルの隣。道一本挟んで、向こう側にあるビルの屋上。そこで筋骨隆々とした男が、ライトを持ったまま手を振っていた。下に、極太かつ長身の、おかしい形をしたライフルを置いている。
「……対戦車銃じゃないか! そんな物で、俺と肉薄していた標的狙ったのか!?」
『危うく耳栓つけ忘れて、鼓膜が吹き飛ぶところだったぜ』
「俺は体ごと吹き飛ぶところだったけどな!」
『そう言われてもなあ、お前の手持ちの火器や武器じゃ、どうにもならなかっただろ?』
「うぐっ!?」
 挑発用のサバイバルナイフ。ふんわりとしたスカートに仕込んでいた、二丁のハンドガン。背中に隠していた、銃身を切り詰めたショットガン。どれも、初対戦となる獣型アクシデンタルには決定的なダメージを与えられなかった。今回あと手持ちの武器としては、もう登場時の演出に使った、スモークグレネードのスペアぐらいしかない。
 ここまで内実を見れば分かるように、シズナが魔法少女と思い込んでいる少年には、魔法の部分すら無かった。彼にあるのは、従来の火器や武器を使うだけの知識と技術、そして己を清楚な少女に見せかけるだけの外面。
「しかしあの音、下にも聞こえたんじゃ」
『まあほら、雷撃系の魔法とか、そんな感じで納得するんじゃねえか? この風なら、ドレスの切れ端やカツラの大半は風に乗って消える。武器だけ回収して、下に行け』
「了解っと。あと、終わったら病院連れてけよ!? 耳もアバラも痛いし!」
 イヤリング型の通信機を切った少年は、武器を回収した後、傾きかけの雨樋から繋がるパイプを滑り降りる。奇跡も魔法もなくても、少年の手際は見事であった。

 総合病院の椅子に座る、少年と厳つい男性。体格的には親子に見えるが、歳の差はせいぜい兄弟ぐらいに見える。
「異常はなかったらしいじゃないか?」
 男は、検査を終えた隣の少年に語りかける。
「そうだよ。アバラにヒビが入っていることを除けば」
 少年は既に、男性としての普段着に着替えている。あの格好じゃあ、緊急外来もまず困っただろう。
「異常は無かったんだな。よかった」
「ああ、若干気だるいし泣き叫びたい痛みに時折襲われるけど、異常はないよ。俺にも、あのインナースーツ、支給してくれないかな? アレ、防御力高いんだろ?」
「残念、アレは女性用の上にワンオフだ。安心しろ。千切れたドレスは、前以上の可愛らしさに仕上げてやる」
 男は丸太のような腕をむき出しにして、パン!と自信ありげに叩く。腕には、針仕事とでは到底出来ない太さの切り傷や銃創がたんと刻み込まれていた。
「着る方としては、使いやすさを追求してほしんだけど……確かにあの服、ふわっとしているおかげで、武器とか沢山仕込めるけどさ……」
「ちょっと待て、電話だ」
 ブブブと、男の胸ポケットが震えていた。
「病院内では電源を」
「ここは、携帯OKな区域よ」
 電話に出た男の顔が、二言三言交わす内に青くなっていく。平謝りのまま電話を切った男は、即座に席から立ち上がった。
「ちょっと現場行ってくる」
「もう警察がきっと来てるんじゃ?」
「……登場の時のスモークグレネード、アレの回収忘れてただろ」
「あ!」
「アレが見つかるとマズいことになる。ちょっと行って、なんとか回収してくるわ」
 警察よりも見つかったらマズい相手が居る以上、なんとか回収してくるしか無い。
「ああそれと、あの猫が幼女をさらった、アクシデンタルに変貌した原因かな?というストーリー聞いたけど、いるか? 家に子供が産まれた瞬間、捨てられた猫の話。抱いていた感情は、子供への嫉妬か、はたまた愛された物同士として、種族を超えての姉妹愛が暴走しての結果か」
「いらないよ。もう倒したヤツのことなんか、知るか」
「若いのに、クールだねえ、もう」
 男は少年を置いて、病院から出て行った。
 残された少年は、退屈そうに身体を伸ばした後、アバラの痛みに一瞬顔をしかめる。
「喉、乾いたな」
 売店は閉まっているが、自動販売機は動いている筈だ。館内掲示板で場所を確認した後、少年は席を立つ。
 しばらく歩いた後、向こうから歩いてきたのは、最も自分が関わってはいけない、女学園の制服を着た少女であった。自動販売機の場所が入院病棟に近いこと、彼女がこの病院に居るかもしれないことを、忘れていた。
 少年はなるべく顔を伏せ、向こうから歩いてきたシズナに会釈する。シズナも、礼儀として会釈し、無事すれ違うことに成功する。あの様子から見て、彼女が自分を、先ほど廃墟で出会った魔法少女だと見抜いた可能性は、0だろう。カツラ、ドレス、そして少女という前提は、少年の正体を隠すのに十分なヴェールであった。
シズナの後ろ姿を目で追う少年。最初与えられた仕事とはだいぶ様変わりしたものの、今の自分の仕事は、偽物の魔法少女である彼女を、魔法少女として護ることだ。
 アクシデンタルやエンプティをあしらいつつ、シズナに決定的な被害が及ばぬように。それが、相棒である男と、少年に与えられた使命。その為に、ついこの間まで戦場に居た二人は、この街に呼ばれた。
「アキラさん。先生がお呼びですよ」
 この国に来た時に与えられた名を、連れに来た看護師に呼ばれる。結局、水分は補給できなかった。
 少年が穏当な手段で入国するには、偽造戸籍と偽造パスポートに手を出すしか無かったのだ。だが何となしに、このアキラという名前は気に入っている。自分に流れる、東洋人の血が馴染むのか、もし魔法少女の姿で名乗る羽目になったら、“ラ”だけを抜いてアキと名乗れという簡単さが良いのか。とにかく、悪くない偽名だ。
 性別も偽、魔法も偽、名前も偽。偽物をかばう、更なる偽物。唯一本物なのは、この街に巣食う、邪悪なる敵のみ。魔法でなくても、撃つ殴る斬る、順当な手段で殺せる怪物だけは、真だ。
 アキラは苦笑を隠しつつ、看護師の後について行った。

 この街に現在居る魔法少女は、みんなFake(偽物)。
 本物に立ち向かう、魔法少女のFakeばかりであった。

魔法少女F~B~

魔法少女F~A~
魔法少女F~C~

 とある女学園の中央通り。校舎と校門を繋ぐ大動脈である道は、放課後の今、非常に賑わっていた。
 真ん中を走り抜けていくソフトボール部の一団、かしましく端の方を歩いている帰宅部一同、様々な生徒が駆けて行くレンガ造りの道、その端の端。肩をすぼめ、一人歩く生徒が居た。まるで幽霊のように、しずしずと。快活さを避けるように歩いている彼女、セーラー服である制服の上に茶色いカーディガンを羽織る様は、不釣り合いな異端であれど世間に一層埋没する地味さがあった。
「シズナさん?」
 そんな生徒に、若干上品な風情を漂わせる一団が声をかけた。
「……なんでしょう」
 消え入りそうな声での返答。
「あの、これからわたしたち、帰りにお茶会をする予定なんですけれども」
「よろしければ、久しぶりに」
「ごめんなさい。これから、病院に行かなければいけないので」
 話を遮るようなタイミングではあったが、シズナは丁寧に頭を下げる。
「あの爆発事故の怪我……ですよね?」
「はい。まだまだ、完全に治すには時間がかかりそうで。治りましたらその時は是非、ご同席させてください」
 シズナは再度頭を下げると、再び静かな足取りで校門近くに止まる黒塗りの車に滑りこんだ。シズナが窓を開け、自然と見送ることになった一団に最後の礼をすると、運転手付きの華美な車は走り去っていった。
「数カ月前の爆発事故から、一層暗くなりましたわね、あの方」
 元々、気品を漂わせながらもどことなく影があり、周りと距離をとっている体であったシズナだったが、数カ月前、中央ターミナルで起こった爆発事故に巻き込まれて以来、陰鬱さも周りとの距離も倍増していた。もはやその存在感、居てもわからない、居なくてもわからない、幽霊のレベルである。
「完全に治すには時間がかかる怪我が治ったら。怪我を、断りの理由にしてません?」
「違いますわ。断りだけでなく、早退や遅刻の理由にもしています。もう、お誘いしない方が、いいかもしれませんね」
「でも、たとえあの方がそうであっても、この街で生きる以上、ハナカゲの家と付き合わないわけには」
「わたしもお父様に、シズナさんと仲良くなるよう言われてますわ」
「……あわよくば、娘を通してハナカゲと繋ぎをってことなんでしょうね」
 ハナカゲ・シズナ。例え偏屈でも、ハナカゲの家は、この街にとって最大のビッグネームであり名家である。街の創設にも携わり、巨万の名声を得た祖父。更に祖父の名声を使うことにより、莫大な富を得た父。亡き祖父母、早世した父母、未成年どころかまだ高校生であるシズナは、結果ハナカゲの当主となっていた。ハナカゲには敵わずとも、名家の生まれである彼女たちにとって、シズナとの付き合いは避けて通れぬ命題であった。

 ゆったりと造られた、大きな4シートの車。後部座席に乗っているシズナに、運転手を務める執事が声をかける。
「今日はこのまま、病院ですか?」
「それは後です。このまま、4番街に向かって下さい」
 先ほどとは違う、張りのある声。シズナは、羽織っていたカーディガンを脱ぎ捨てると、そのまま制服のタイも解き始める。顕になった胸元からは、微細な鱗状の柄を持った科学的技術を感じさせる布が見える。ためらわずに、制服を脱ぎ捨てるシズナ。制服の下に在るのは下着ではなく、肌に張り付くレオタード状のスーツであった。
 シズナは後部座席の隅にあるアタッシュケースを開ける。中に入っているのは、藍色のマーメイドドレス。一見、普通の上等なドレスであるが、ノースリーブの脇に目立たず仕込んである物、腰から太ももにかけて目立つ形で刻まれている物と、やけにスリットが多い。シズナがこの藍のドレスを黒のスーツの上から着ると、無機質なスーツも、ドレスの下のインナーのように見えた。むしろ、このスーツは、華美さと実用性を兼ね備えたインナースーツとして作られたのだろう。
「これからは、魔法少女のお時間です」
 シズナはコスチュームの入っていたアタッシュケースの隅、厳重に封印された、もう一つの小さなアタッシュケースに目をやりつつ、後ろで軽く結わえてある己の髪を解く。車から降りるとき、シズナの髪型は二つの尾、見栄えの良いツインテールとなっていた。

 シリコン入りのブーツは、足音を発さなかった。もちろん、道具だけではない。シズナの慎重な足運びがあってこそだ。ガラスの欠片や空缶などの障害物を避け、崩れかけの廃ビルの非常階段をしずしずと。その足運びは、学園での埋没に通ずる物があった。
 目的の階層にたどり着いた所で、そっと中の様子を確認する。中にいるのは、化生へと変貌した猫と、全てを吐き出した動く亡骸、そしてそんな怪物たちに囲まれる幼女であった。
 人には、様々な感情という物がある。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。感情とは様々であり、まったくもって相反する物も同時に人は孕めるのであるが。唯一、どの感情にも共通する点がある。それは、タガが外れるということ。どの感情にも、激情となる素養が在ること。激情は心と身を蝕み、時には死を招く。だがしかし、とある者の意向が入り、後押しされることで、激情を持つ者は暴発の怪物、アクシデンタルへと変化し、激情がアクシデンタルになるに至らなかった者は虚無の怪人、エンプティへと変貌する。
 このアクシデンタルとエンプティを狩るのが、魔法少女としてのシズナの仕事であった。
 息を潜み、シズナは状況を把握する。動物が変貌した例は初めて見るが、あの猫もどきは、アクシデンタルだろう。エンプティの数は5人。幸い、彼らの元締めは居ない。だがあの幼女、エンプティに囲まれている幼女を、どう無傷で救出するか。難問であった。
 答えは、煙とともに現れた。
「!?」
 異変を感じ取ったシズナは、即座に部屋に飛び込む。煙の中、アクシデンタルと猫の間に、もう一人の魔法少女が立っていた。
 見栄えの中に実用性を望むシズナとは違う、レース、フリル、リボンで飾り立てられた少女。白とピンクの二色で構成されたこのゴスロリ服の少女は、シズナにとって――――。
 とても、目障りな存在であった。
 一瞬並び立った後、白い魔法少女はアクシデンタルめがけ突っ込んでいく。シズナも続こうとするが、シズナの背後には意識を失った幼女と、エンプティの群れが残っていた。骨を露出させた人影、感情も生命も全て吐き出した残りカスに向き直ったシズナは、上腕ほどの長さのステッキを取り出す。月のエンブレムに、並んで埋め込まれた宝石。見事なステッキである。一度振るえば、奇想天外な魔法が使えそうな。
 ステッキが振るわれ、光がきらめく。煌めきとともに二人のエンプティが倒れ、灰となって消えた。煌めきを発しているのは、紛れも無くステッキ。しかし、その光はどう見ても電気であり、そもそもシズナは直接、電気まみれのステッキを、直接エンプティに振っていた。有り体に言ってしまえば、ステッキで殴り倒した。
 ギィと一声上げて飛びかかってくるエンプティの膝に、真っ直ぐな蹴りの一撃。片足が砕かれ、崩れ落ちる怪人の頭部に、ステッキの一撃。残り二人が動くより先に、彼らの額に、トランプのエースとキングが突き刺さっていた。エンプティが倒れて灰化するのを見た後、シズナは太もものカードホルダーから手を離す。
 シズナはまず、倒れたままの幼女の脈を確認する。幸い寝ているだけで、幼女の身体に一切の傷はなかった。ほっとした後、ビルどころか辺り一帯を揺らがすような爆音が、彼女に歯ぎしりをさせる。きっと、あの猫のアクシデンタルをあの少女が葬ったのだろう。煙とともに非戦闘員の幼女を寝かせ、戦えば暴威的な威力で敵を粉砕する。魔術を使える、本物の魔法少女だから出来るやり方だ。
 静かな登場は訓練による隠形、ステッキの正体は非合法なまでの電圧を持つスタンロッド、トランプを武器に出来るのも鍛錬により。
 魔法少女であろうとし、魔法少女らしい非現実的な見栄を張っているが、シズナは只の人であった。否、使命感だけを持ち、見えを張るためだけに衣装をしつらえ、らしい武器を用意する。只の人どころか、変人だった。
 唯一、魔術の匂いがするものといえば、左手の古ぼけたブレスレット。ブレスレットの赤いルビーに何やら瘴気が吸い込まれたのを見て、シズナはステッキのスイッチを切る。この瘴気は、アクシデンタルの死んだ証。戦いは終わり、魔法少女としての仕事を自ら成し得なかった証であった。

 数時間後、魔法少女としての衣装を脱ぎ、元の制服姿に戻ったシズナは病院に居た。自分が診てもらうわけではない、爆発事故の怪我なんて、色々煩わしい物を振り払うための偽物に過ぎない。病棟の廊下ですれ違った少年に軽く会釈し、シズナは目的の部屋に入る。
 特別室の中央の、大きなベッド。薄い垂れ幕の中に在る、沢山の機械と、機械からのチューブに繋がれた少女。シズナが甲斐甲斐しく部屋の整理をしている間も、包帯だらけ、点滴だらけの少女が動くことはなかった。
 数カ月前の中央ターミナルでの爆発事故。あの事故の背後にあったのは、アクシデンタルとエンプティ。この人知れず魔法少女の任を請け負っていた親友が、文字通り命がけで助けてくれたことにより、今のシズナは存在する。ならば、彼女を救うための費用も、彼女が担っていた魔法少女の役職も、助けられた者が担うのは当然ではないか。
 生贄にされた私生活。魔法魔術が使えぬ自分を誤魔化すための道具の調達に、常人を逸脱するための執念じみた鍛錬。どれもシズナにとって、苦しい物ではなかった。
 唯一彼女を苦しめているのは、最近まるで、シズナの護る魔法少女の座を奪い取るかのように現れた、本物らしきあの魔法少女の存在だった。

魔法少女F~A~

魔法少女F~B~
魔法少女F~C~

 にゃあと、猫らしい声だった。
 にゃあ、にゃあ、にゃあ。猫が鳴く度に、猫の前に居る幼女は身を震わせる。
 廃ビルの一室、ひと気のない一室に黒猫と女の子の差し向かい。窓からの月明かりが、一匹と一人を照らしている。
 猫は鼻を鳴らしつつ、女の子の元へ向かう。ずりずりと、座ったまま退いていく女の子。どんと、小さな背に当たる壁。女の子が止まっても、猫が前進を止めることは無かった。
 ふにゃあ。より一層、甘えた声。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
 猫の好意に対し、女の子は謝り続ける。ぶるぶると震えながら謝る姿からは、恐れしかない。猫の目が、ぎょろぎょろとせわしなく動く。バスケットボール大の、巨大な猫目が。
 大きな猫であった。異常なほど、大きな猫。ライオンよりも大きな身体は、体毛が逆立つことにより、更に大きくなっている。大鎌のような爪に、意志ある蛇のようにのたうち続けるしっぽ。異形異質で形作られた、怪物そのものな猫。パジャマ姿の女の子は、ワケも分からぬままベッドからこの廃ビルへ、連れて来られていた。
息がかかるような距離、フンフンと鼻を鳴らす猫から、女の子は逃れようとする。横へ逃げようとする幼児の細い腕を、黒い大人の手が掴んだ。
 まるで、影がそのまま人になったかのような、黒い人。所々から覗いているのは、白い骨。影を纏った骨達がケタケタと笑いながら、女の子の逃げ場を塞いでいた。
 前門の猫、後門ならぬ全方位の怪人。進退窮まった幼子に出来るのは、震えることのみ。
 救い主は、煙とともに現れた。
 女の子の視界を包む白煙。視界だけでなく、何故か意識も薄れていく中、幼女は確かに見た。
 廃ビルに不釣り合いな黒と白のドレス。色鮮やかな服装で、自分と猫、自分の怪人の前に割り込む二人の少女の姿を。

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ガクエンナナフシギ

 始まりは、いつも通り唐突だった。それは、ある日の放課後のこと。
 帰り支度をする僕に、先輩が話しかけてきた所からだ。
「この学校にはね、七不思議がないのよ!」
 勢いある先輩に気圧された僕は、「はあ」と気のない返事をするしかなく。
「全く、最近の子は、覇気がないわね。いい? 七不思議と言えば学校、学校といえば七不思議。あってしかるべきものなのよ」
 先輩のポニーテールが、フン!という鼻息に合わせ揺れている。覇気云々に関しては全く返す言葉がない。女性である先輩にこう言われるのは、男としてちと情けないが。
「そう言われても、心当たりが無いんです」
「心当りがないなら、心当たりがありそうな人に聞けばいい。鉄則ね」
「鉄則ですか」
「そう、鉄則。先人の知恵。この学校の卒業生にでも、聞いてみなさい。七不思議があるかどうかってね。今はないけど、昔はあった筈だから」
 所謂学校の怪談というのがブームになった時期もあると聞くし、そりゃあったのだろう。今はあまり流行りではないし、僕も知らないけど。
「じゃあね。七不思議を知ったら、みんなに教えなさいね。人の口端に登ってからじゃないと、価値がないんだから」
 先輩は、好き勝手なことを言って去って行ってしまった。七不思議ねえ。この学校に以前居て、そういうことに詳しそうな人が近くに居るなら、聞いてみてもいいかもしれないな。

「七不思議? なんだ、今の学校はそういうの無いんだ。昔は七つどころか八つはあったわよ」
 そういうことに詳しそうな人間に、帰宅してそうそう話を持ちかけてみたら、えらく乗り気であった。自分の椅子と対面の椅子を引き、前のめりで席に座る。これはもう、付き合うしかあるまい。覚悟を決めて、対面の席に腰掛ける。
 かつての卒業生であり、そういう話に詳しそうな人間。それは実の姉であった。

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