ガクエンナナフシギ
始まりは、いつも通り唐突だった。それは、ある日の放課後のこと。
帰り支度をする僕に、先輩が話しかけてきた所からだ。
「この学校にはね、七不思議がないのよ!」
勢いある先輩に気圧された僕は、「はあ」と気のない返事をするしかなく。
「全く、最近の子は、覇気がないわね。いい? 七不思議と言えば学校、学校といえば七不思議。あってしかるべきものなのよ」
先輩のポニーテールが、フン!という鼻息に合わせ揺れている。覇気云々に関しては全く返す言葉がない。女性である先輩にこう言われるのは、男としてちと情けないが。
「そう言われても、心当たりが無いんです」
「心当りがないなら、心当たりがありそうな人に聞けばいい。鉄則ね」
「鉄則ですか」
「そう、鉄則。先人の知恵。この学校の卒業生にでも、聞いてみなさい。七不思議があるかどうかってね。今はないけど、昔はあった筈だから」
所謂学校の怪談というのがブームになった時期もあると聞くし、そりゃあったのだろう。今はあまり流行りではないし、僕も知らないけど。
「じゃあね。七不思議を知ったら、みんなに教えなさいね。人の口端に登ってからじゃないと、価値がないんだから」
先輩は、好き勝手なことを言って去って行ってしまった。七不思議ねえ。この学校に以前居て、そういうことに詳しそうな人が近くに居るなら、聞いてみてもいいかもしれないな。
「七不思議? なんだ、今の学校はそういうの無いんだ。昔は七つどころか八つはあったわよ」
そういうことに詳しそうな人間に、帰宅してそうそう話を持ちかけてみたら、えらく乗り気であった。自分の椅子と対面の椅子を引き、前のめりで席に座る。これはもう、付き合うしかあるまい。覚悟を決めて、対面の席に腰掛ける。
かつての卒業生であり、そういう話に詳しそうな人間。それは実の姉であった。
話を始める前に淹れた、濃いブラックのコーヒーをすすりながら、姉さんは話を始める。
「そもそも七不思議ってさ。あくまで不思議であって、怪談や都市伝説に直結するものじゃないのよ。説明の付かない現象や、奇異を枠にはめて纒めたもの。諏訪大社七不思議や遠州七不思議なんかは、かなり古い例ね。不思議と綺麗だーみたいな名所や、これどうなってるんだろ? 不思議だなあ程度の、いかんせん何処も緩めなんだけど。今となっては、科学で解明できる不思議もざらだしね。科学の発展は、便利でありながら面白さを殺すのよ」
姉さんは、本当に、実につまらなそうな顔をしていた。不思議を科学で解き明かすことに対して、野暮と思う気持ちは分からなくもないけど。
「始皇帝の水銀一気飲みのチャレンジ精神は何処へ……」
いやいや、始皇帝的にはそれ、きっとダメ出しされていた方が幸せだったから。
「七不思議が怪談として扱われるようになるのは、江戸時代、百物語でも知られる本所七不思議辺りからと言われているね。そして不思議が解き明かされるのであれば、更に上の怪異を不思議とする。これらの歴史的な流れと不思議を更に掘り下げた怪異と合わさって、学校の怪談としての七不思議は生まれたと」
「最初から怖い話ってわけじゃなかったんだ。七不思議」
「そうそう。面白さ、不気味さ。全てを追求した結果の、学校の七不思議なんだろうね」
人の研鑽の結果。こう考えると、ただの怪談も偉大な物が連なってできた結晶と思えるのだから、不思議である。
「これはまあ、歴史的な、民族学的な七不思議の考察。で。実際学校の七不思議があるかどうかと聞かれると、あるべき、むしろ無くてはならない物なんだよ」
これはどうもまた、嫌な方向に話が転がる流れだ。姉の世界に抗うため、コップの中の冷めたコーヒーを、一気に飲み干す。
「人類みな兄弟。みんな友達。この言葉って、どう思う?」
姉さんの目は、今しがた飲んだコーヒー並みに冷めていた。
「いい言葉だとは思うけど。無理な言葉だとは思う」
「そうね。無理。そう言っちゃう所は、間違いなくわたしの弟。人は、例え生まれた時から付き合っている親とでも、長年付き合っている親友とでも、愛し合ってた恋人同士でも、上手く行かないこともあるし、上手く行っていてもずっと平穏な関係のままいられるわけではないもの。二人きりでもこれなんだから、人数が多くなればなるほど、皆で仲良くするのは難しくなる。悲しい、話なんだけどね」
「ああ。悲しいけど、悲しいけど……」
此処から先の言葉、“仕方のない事”は、どうにも言い出せなかった。認めるべきなんだけど、認めてはいけない。姉さんはそんな僕を見て、無言で新しいコーヒーをカップに注いでくれた。
「いいのよ。それで。……話を戻すわ。人は増えれば増えるほど、仲良くするのは難しいし、諍いも出てくる。学校となれば、クラス単位で数十人、全体で数百人の大所帯。妬みや恨みや不健全な物は、当然のように出てくる。妬みや恨みは、呪いや怪異に繋がる。なら、学校に怪異たる七不思議があって、当然じゃない」
「つまり、人の恨みや妬みが積もり積もって、七不思議になってるってわけだ」
それならばむしろ、七不思議が無い今の学校は、有る頃に比べて健全なんじゃないか。そうやって安堵している僕を見て、姉さんは首を横に振った。
「そんな生易しい話じゃないのよ、学校に積もる物って。例えば、人柱の怨念が延々と城を祟ったり、左遷されて死んだ貴族の恨みを晴らすために、貴族を祀る神社を作ったり。一人でコレなのよ? そんな複数人の恨みや妬みが、学校というおいそれと逃げられない閉鎖空間内で溜まりに溜まったら、ただの不思議で済むわけがない。七不思議はね、いわばガス抜きなのよ」
「ガス抜き?」
「学校に集る人々の、学校という土地にとっての防衛本能。細かな怪異を発散することで、大きな呪いの爆発を防ぐ。考えてもみなさい。夜中に走る二宮金次郎像、夜中に走る人体模型、夜中に走る死んだ校長の霊。みんなだいたい、好き勝手やってるだけで無害でしょ?」
無害でしょと言われても、なんでそんなにみんな走っているんだとツッコまざるを得ない。もしかして、うちの学校の七不思議のうち、三つがランニング話で埋まったんじゃないだろうな。
「でも、七つ全部知ると不幸になるとか……」
「そりゃあ、さほど害のない話でも七つも集めて覚えていたら体調不良にでもなるでしょうよ。害低めとはいえ、不健全のカスなんだから。焼却炉に引きずり込まれる、鏡の世界に連れて行かれる、赤いちゃんちゃんこ着せましょうか。殺傷に至る話もあるけど、実際に被害者が見つかるのは稀。七不思議は、怨念のなるたけ安全な解消方よ」
……となると、ひょっとして今。七不思議がない、うちの学校ってヤバいんじゃ。
「人類はまだ分かり合えるほど進化していないし、今の学校、危ないかもね。でもまあ、アンタみたいに今更気にかける変人も居るんだし、またそのうち、本当に危険な頃には復活するんじゃない? 七不思議」
今でも、色々と覚えていて変な理屈をこねだす変人には負ける。そう言おうとしたが“だからこそ、わたしの弟”と言い返してくる姉の意地の悪い笑顔が想像でき、何も言うことは出来なかった。
夕闇から宵闇へ。時計の針が12から一桁台へと差し掛かった時、姉さんの言葉はようやく止まった。
「鶏の雛として生まれたクダンの予言は、飼育係しか聞けなかったの。でも彼女は頑なに語らず、予言の内容は不明のままに。遺書も残さず、石を抱いて海に飛び込んでしまった彼女の死骸と共に水底に……。だいたい、これぐらいかしらね、わたしの知る学校の怪談。どう? 七つに足りる?」
「七つどころか、七十不思議でも十分耐えられる数の怪談を聞いたよ」
聴き始めたが最後、姉さんの一人百物語はとどまる所を知らなかった。七不思議教えてと言ったのに、なんで数十もの怪談話を聞くはめになってしまったのか。ここから七つに絞らなきゃいけないのか? 結構ガチな話も混ざっていたせいで、現時点で若干もう限界寸前なんだけど。
「じゃあ最後に、怪談と言うか質問なんだけど……あんた、そもそもなんで七不思議を知ろうと思ったの?」
「えーと、放課後、先輩に頼まれて」
「先輩? 何処の誰よ? 文芸部や新聞部に所属しているならともかく、あんた帰宅部でしょ? そんなことを頼むような先輩と顔見知りじゃないでしょ」
言われてみればおかしい。そもそも、先輩に頼まれたという事は思い出せるのに、その先輩の顔が思い浮かばない。なんとなく新聞部然、能動的な文化系だったのは覚えているんだけど。
そしてあの人は確か、七不思議を調べろとは言ったが、自分に結果を教えろとは一言も言っていない。ただ、周りに広めろと。普通調べさせたら、成果をまず第一に自分で確認しないか?
「怪異は、人の口端に登ってからじゃないと価値がない」
「それだ」
姉さんの発言は、先輩が俺に言った事によく似ている……気がした。
「なんで知ってるんだよ」
極自然な質問、姉さんは顔を伏せたまま、表情を伺わせないまま答える。
「その先輩、当時の、在学中の私も会ってるのよ。だから私は、こんなに詳しいし、覚えているの」
七不思議の八番目、百物語の百一話目。なにやら規格外の物に触れてしまったという感触が、背筋を冷たく撫でた。