魔法少女F~B~

魔法少女F~A~
魔法少女F~C~

 とある女学園の中央通り。校舎と校門を繋ぐ大動脈である道は、放課後の今、非常に賑わっていた。
 真ん中を走り抜けていくソフトボール部の一団、かしましく端の方を歩いている帰宅部一同、様々な生徒が駆けて行くレンガ造りの道、その端の端。肩をすぼめ、一人歩く生徒が居た。まるで幽霊のように、しずしずと。快活さを避けるように歩いている彼女、セーラー服である制服の上に茶色いカーディガンを羽織る様は、不釣り合いな異端であれど世間に一層埋没する地味さがあった。
「シズナさん?」
 そんな生徒に、若干上品な風情を漂わせる一団が声をかけた。
「……なんでしょう」
 消え入りそうな声での返答。
「あの、これからわたしたち、帰りにお茶会をする予定なんですけれども」
「よろしければ、久しぶりに」
「ごめんなさい。これから、病院に行かなければいけないので」
 話を遮るようなタイミングではあったが、シズナは丁寧に頭を下げる。
「あの爆発事故の怪我……ですよね?」
「はい。まだまだ、完全に治すには時間がかかりそうで。治りましたらその時は是非、ご同席させてください」
 シズナは再度頭を下げると、再び静かな足取りで校門近くに止まる黒塗りの車に滑りこんだ。シズナが窓を開け、自然と見送ることになった一団に最後の礼をすると、運転手付きの華美な車は走り去っていった。
「数カ月前の爆発事故から、一層暗くなりましたわね、あの方」
 元々、気品を漂わせながらもどことなく影があり、周りと距離をとっている体であったシズナだったが、数カ月前、中央ターミナルで起こった爆発事故に巻き込まれて以来、陰鬱さも周りとの距離も倍増していた。もはやその存在感、居てもわからない、居なくてもわからない、幽霊のレベルである。
「完全に治すには時間がかかる怪我が治ったら。怪我を、断りの理由にしてません?」
「違いますわ。断りだけでなく、早退や遅刻の理由にもしています。もう、お誘いしない方が、いいかもしれませんね」
「でも、たとえあの方がそうであっても、この街で生きる以上、ハナカゲの家と付き合わないわけには」
「わたしもお父様に、シズナさんと仲良くなるよう言われてますわ」
「……あわよくば、娘を通してハナカゲと繋ぎをってことなんでしょうね」
 ハナカゲ・シズナ。例え偏屈でも、ハナカゲの家は、この街にとって最大のビッグネームであり名家である。街の創設にも携わり、巨万の名声を得た祖父。更に祖父の名声を使うことにより、莫大な富を得た父。亡き祖父母、早世した父母、未成年どころかまだ高校生であるシズナは、結果ハナカゲの当主となっていた。ハナカゲには敵わずとも、名家の生まれである彼女たちにとって、シズナとの付き合いは避けて通れぬ命題であった。

 ゆったりと造られた、大きな4シートの車。後部座席に乗っているシズナに、運転手を務める執事が声をかける。
「今日はこのまま、病院ですか?」
「それは後です。このまま、4番街に向かって下さい」
 先ほどとは違う、張りのある声。シズナは、羽織っていたカーディガンを脱ぎ捨てると、そのまま制服のタイも解き始める。顕になった胸元からは、微細な鱗状の柄を持った科学的技術を感じさせる布が見える。ためらわずに、制服を脱ぎ捨てるシズナ。制服の下に在るのは下着ではなく、肌に張り付くレオタード状のスーツであった。
 シズナは後部座席の隅にあるアタッシュケースを開ける。中に入っているのは、藍色のマーメイドドレス。一見、普通の上等なドレスであるが、ノースリーブの脇に目立たず仕込んである物、腰から太ももにかけて目立つ形で刻まれている物と、やけにスリットが多い。シズナがこの藍のドレスを黒のスーツの上から着ると、無機質なスーツも、ドレスの下のインナーのように見えた。むしろ、このスーツは、華美さと実用性を兼ね備えたインナースーツとして作られたのだろう。
「これからは、魔法少女のお時間です」
 シズナはコスチュームの入っていたアタッシュケースの隅、厳重に封印された、もう一つの小さなアタッシュケースに目をやりつつ、後ろで軽く結わえてある己の髪を解く。車から降りるとき、シズナの髪型は二つの尾、見栄えの良いツインテールとなっていた。

 シリコン入りのブーツは、足音を発さなかった。もちろん、道具だけではない。シズナの慎重な足運びがあってこそだ。ガラスの欠片や空缶などの障害物を避け、崩れかけの廃ビルの非常階段をしずしずと。その足運びは、学園での埋没に通ずる物があった。
 目的の階層にたどり着いた所で、そっと中の様子を確認する。中にいるのは、化生へと変貌した猫と、全てを吐き出した動く亡骸、そしてそんな怪物たちに囲まれる幼女であった。
 人には、様々な感情という物がある。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。感情とは様々であり、まったくもって相反する物も同時に人は孕めるのであるが。唯一、どの感情にも共通する点がある。それは、タガが外れるということ。どの感情にも、激情となる素養が在ること。激情は心と身を蝕み、時には死を招く。だがしかし、とある者の意向が入り、後押しされることで、激情を持つ者は暴発の怪物、アクシデンタルへと変化し、激情がアクシデンタルになるに至らなかった者は虚無の怪人、エンプティへと変貌する。
 このアクシデンタルとエンプティを狩るのが、魔法少女としてのシズナの仕事であった。
 息を潜み、シズナは状況を把握する。動物が変貌した例は初めて見るが、あの猫もどきは、アクシデンタルだろう。エンプティの数は5人。幸い、彼らの元締めは居ない。だがあの幼女、エンプティに囲まれている幼女を、どう無傷で救出するか。難問であった。
 答えは、煙とともに現れた。
「!?」
 異変を感じ取ったシズナは、即座に部屋に飛び込む。煙の中、アクシデンタルと猫の間に、もう一人の魔法少女が立っていた。
 見栄えの中に実用性を望むシズナとは違う、レース、フリル、リボンで飾り立てられた少女。白とピンクの二色で構成されたこのゴスロリ服の少女は、シズナにとって――――。
 とても、目障りな存在であった。
 一瞬並び立った後、白い魔法少女はアクシデンタルめがけ突っ込んでいく。シズナも続こうとするが、シズナの背後には意識を失った幼女と、エンプティの群れが残っていた。骨を露出させた人影、感情も生命も全て吐き出した残りカスに向き直ったシズナは、上腕ほどの長さのステッキを取り出す。月のエンブレムに、並んで埋め込まれた宝石。見事なステッキである。一度振るえば、奇想天外な魔法が使えそうな。
 ステッキが振るわれ、光がきらめく。煌めきとともに二人のエンプティが倒れ、灰となって消えた。煌めきを発しているのは、紛れも無くステッキ。しかし、その光はどう見ても電気であり、そもそもシズナは直接、電気まみれのステッキを、直接エンプティに振っていた。有り体に言ってしまえば、ステッキで殴り倒した。
 ギィと一声上げて飛びかかってくるエンプティの膝に、真っ直ぐな蹴りの一撃。片足が砕かれ、崩れ落ちる怪人の頭部に、ステッキの一撃。残り二人が動くより先に、彼らの額に、トランプのエースとキングが突き刺さっていた。エンプティが倒れて灰化するのを見た後、シズナは太もものカードホルダーから手を離す。
 シズナはまず、倒れたままの幼女の脈を確認する。幸い寝ているだけで、幼女の身体に一切の傷はなかった。ほっとした後、ビルどころか辺り一帯を揺らがすような爆音が、彼女に歯ぎしりをさせる。きっと、あの猫のアクシデンタルをあの少女が葬ったのだろう。煙とともに非戦闘員の幼女を寝かせ、戦えば暴威的な威力で敵を粉砕する。魔術を使える、本物の魔法少女だから出来るやり方だ。
 静かな登場は訓練による隠形、ステッキの正体は非合法なまでの電圧を持つスタンロッド、トランプを武器に出来るのも鍛錬により。
 魔法少女であろうとし、魔法少女らしい非現実的な見栄を張っているが、シズナは只の人であった。否、使命感だけを持ち、見えを張るためだけに衣装をしつらえ、らしい武器を用意する。只の人どころか、変人だった。
 唯一、魔術の匂いがするものといえば、左手の古ぼけたブレスレット。ブレスレットの赤いルビーに何やら瘴気が吸い込まれたのを見て、シズナはステッキのスイッチを切る。この瘴気は、アクシデンタルの死んだ証。戦いは終わり、魔法少女としての仕事を自ら成し得なかった証であった。

 数時間後、魔法少女としての衣装を脱ぎ、元の制服姿に戻ったシズナは病院に居た。自分が診てもらうわけではない、爆発事故の怪我なんて、色々煩わしい物を振り払うための偽物に過ぎない。病棟の廊下ですれ違った少年に軽く会釈し、シズナは目的の部屋に入る。
 特別室の中央の、大きなベッド。薄い垂れ幕の中に在る、沢山の機械と、機械からのチューブに繋がれた少女。シズナが甲斐甲斐しく部屋の整理をしている間も、包帯だらけ、点滴だらけの少女が動くことはなかった。
 数カ月前の中央ターミナルでの爆発事故。あの事故の背後にあったのは、アクシデンタルとエンプティ。この人知れず魔法少女の任を請け負っていた親友が、文字通り命がけで助けてくれたことにより、今のシズナは存在する。ならば、彼女を救うための費用も、彼女が担っていた魔法少女の役職も、助けられた者が担うのは当然ではないか。
 生贄にされた私生活。魔法魔術が使えぬ自分を誤魔化すための道具の調達に、常人を逸脱するための執念じみた鍛錬。どれもシズナにとって、苦しい物ではなかった。
 唯一彼女を苦しめているのは、最近まるで、シズナの護る魔法少女の座を奪い取るかのように現れた、本物らしきあの魔法少女の存在だった。