日々雑談~2345~

 今週公開のジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングルを皮切りに、来週のパシフィック・リム:アップライジング、再来週のレディ・プレイヤー1、そして月末のアベンジャーズ/インフィニティ・ウォーと、今年の4月は休む間無しの猛ラッシュ。公開日自体が被っていないのは救いなものの、クレヨンしんちゃんや名探偵コナンみたいな強豪や、中々気になるいぬやしきも4月公開なんだよなあ……。上映スケジュールの圧迫が、今回ハンパなさそうだぜ。

 初週を逃したらズルズルとヤバい、ということで、ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングルを観てきました。この映画、何が凄いって、観ているこっちが終始笑顔なのですよ。なんつーかね、楽しい。映画を観ていて、楽しい。このシンプルさは、紛れもなく元祖ジュマンジと同一であり、90年代の映画を観ている感覚。なんだか、忘れかけていたことを思い出した気がするよ。

 細かい話は後日に回しますが、とりあえずこれは観ておいたほうがいい映画。なんかすっごくいいから。言語化しにくい良さがある。元祖ジュマンジがおもちゃ箱の中から玩具が飛び出す映画なら、今回のジュマンジはおもちゃ箱を覗き込む映画。いやあ、堪能した!

 

日々雑談~2344~

 メキシコのルチャリブレは、普通左脇で抱えるヘッドロックが何故か右脇で抱える形だったり、垂直落下式のような危険技が禁止されていたりと、世界におけるプロレス文化圏の中で独自ルールを多く持っております。そんな独自の文化圏にやって来て、これが世界のプロレスだと世界基準で戦おうとするレスラーと、ルチャリブレに合わせつつ個性を発揮するレスラー。どちらの外国人レスラーが重宝されるかと言えば、そりゃ後者ですな。

 TVでやってる「海外のエセ日本文化を、正しい日本文化で成敗!」的な番組を目にして、なんとなくこんなことを思いました。海を越えるのに必要なのは、本流を貫くような正しさではなく、その土地の事情を考慮した上での変化する正しさじゃないかな。顧客がその土地の人である以上、まず見るべきはそこよ。逆に海を渡ってきて邦訳出版されたアメコミも、日本の事情を考慮し種蒔きをした結果、本国の評判以上の売れ行きを見せている作品もあれば、逆のパターンに陥ってしまった作品もあるもんなあ……。

 

 姉畑先生のエピソードはなくとも、江渡貝くんや辺見 和雄のエピソードは無料公開されているので、ぜひ第一話からじっくり追ってみてほしい。北海道は広い。でも、全世界から変態をモデルにしたキャラを集めたら、そりゃ大騒ぎよ。変態ジャスティス・リーグとか、変人アベンジャーズとか……アイツらの大半を収監してた網走監獄は何? 和製アーカム・アサイラムだったの?

日々雑談~2343~

 つの丸先生が久々にジャンプに帰還! というのにまず惹かれ、毎日更新のギャグマンガ家人間ドックデスレースを追いかけること4日。本日4話目でフィニッシュ。そうかー、つの丸先生、14年ぶりの帰還なのかー……たいようのマキバオーも、結構な長期連載だったからなあ。

 企画としては、ジャンプのギャグマンガ家一同が人間ドックを受けてみよう。そして、その健康度合いをランキング形式でまとめようというもの。一見、ふざけているように見えますが、「ハードワークが常である状況を見直す」「人間ドックは楽ちん」「皆で連れ立って行くことで、面倒くささを楽しみに」「実際調べてみないと、健康状態はわからない」と、各話にあるテーマやメッセージは、人間ドックのハードルを下げる方向性、間口を広げようとしていて真摯です。

 そうだよなあ、会社持ちで人間ドックや健康診断をやってくれているところもあるけど、そういう会社に務めてなかったり、そもそもフリーランスだったりしたら、人間ドックに行くのって後回しにしてしまうことなんだよな。金も時間もかかるし、十数年前のイメージだと怖いままだし、何より自分の体の現実に気づきたくないっていうのもあるし。

 なので、こういう、難しいと思われていることへの距離感を縮める企画は、アリだと思います。人間ドックへのイメージを暴走させること無く、ギャグマンガとして成立してますしね。ここのトコ、やっぱつの丸先生の手腕の為せる技ですわ

 

日々雑談~2342~

 昨日、一泊二日の新潟行きから戻ってまいりました。ちょっと用事があったのと、久々に浮世の垢でも流すかーということで。主に、酒で。それなりにくつろいできたのですが、帰ってきたら予想外のバタンキューでした。アレだな、旅行に出る前、寝る暇が無かったのがマズかった。そんなこんなで、今日から更新を再開しつつ、新潟の話も織り交ぜていきます。

 

 基本的に自分の場合、個人や少人数の旅行ではざっと行きたい場所だけ決めておいて、あとは流れでというタイプなのですが、今回新潟には、ココは外せないと思っていた場所がありました。それが、新潟市古町5番街の水島新司漫画ストリート、通称ドカベンロードです。ここには新潟市出身の水島新司先生を讃えるべく、水島作品のキャラの銅像が複数並んでおり、ドカベンファンとしては絶対に行きたかった場所の一つなのです。

 通称はドカベンロードですが、七体ある銅像のうち、ドカベンのキャラは四体。残り三体は別の水島作品からの登場となっております。

 まずは、あぶさんより景浦安武。酒豪の強打者、水島先生の考える男の中の男、南海時代よりホークス一筋に生きた男だけあり、ユニフォームもFDHの90番。ここに並んでいる銅像の中でも、すらりとした高身長であります。ドリームトーナメントに出てほしかったなあ。

 道路を挟んで並び合うのは、ドリームボールの女性投手水原勇気と明訓四天王の小さな巨人里中智。両者共に、ダイナミックな投球ポーズです。双方小柄なのですが、このポーズによりその小ささは全く感じさせません。

 ドカベンの主人公、山田太郎。迫力あるスイングを完全に再現しており、横から見るとバットがしなってます。

 スイングする瞬間を切り取った野球選手の銅像は他にあれども、ここまでの躍動感と台座に乗っていないことによる距離感の近さを持った銅像はそう無いでしょう。そりゃあ、ケツバット写真を撮ろうと思ってしまう人も、出てきてしまうわな……。

 現役最高齢投手、球界の生き字引こと岩田鉄五郎。出身は野球狂の詩となるものの、岩田鉄五郎に関しては水島新司作品のキーキャラクターにして特異点状態。独特の妖気を完全再現どころか、むしろ頑張りすぎて水木しげるロードに片足つっこんでるような気もする。夜中見たら、泣くぞ。

 ああ、秘打をこれから打つのか……! と思わせてくれるポーズな、明訓高校最高の二塁手にして天才音楽家の殿馬一人。パワーとスタミナは不足気味で、メインが他にいる時は、脇に控えようとするのが弱点……というか、この弱点がなければ、もうコイツ一人でいいんじゃないかなになってしまう選手。頭も技術もスピードも、天才以外の何者でもないわ。

 花は桜木、男は岩鬼。水島新司作品最強のムラっけのある男にして誰もが愛する問題児へとのし上がった、悪球打ちの岩鬼正美でシメ。ドカベンロードの銅像は、あぶさんを除き小柄な選手が多いのですが、そんな中、岩鬼はひときわ大きい立ち姿。まったく、ようもこの銅像から、ハッパを盗んだりイタズラしようだなんて気になるな。あんまり続いた結果、今は夜間のみハッパを取り外しているようなので、そこんとこは安心だけど。いやしかし、デカい! 背中も見事だ!

日々雑談~2341~

 今日、ウチでエイプリルフールネタをやるかどうかと言うと……ちょいと無理だなあ。
 つーか、実は今日はちょっと泊りがけで出かけており、この更新も時間を設定した上での自動更新なのです。自動更新は出来ても、自動で引っ込める機能は(たぶん)無い。こうなると、ホラが引っ込められねえわ!ということで。

 

 新年度一発目から更新できないというのもアレなので、たまにはちょっとだけ毛色の違う話でもしてみます。

 学生が抱きがちな疑問として、「この勉強は将来なんの役に立つのか?」という懸念があります。これは誰だって持つ可能性がある疑問だし、社会人になってからも「この仕事はなんのためになるのか?」といった類似系の疑問に襲われることもあります。この系統の疑問がまずいのは、疑問をきっかけに、やる気が削がれてしまうこと。元々、いまいちしっくり来ない時に出やすい疑問なので、疑問からやる気が出なくて効率が落ちるというデスコンボに陥る可能性があります。

 自分の答えとしては「物事、やって損はない」ってヤツですね。日常の経験というのはカードゲームで言うところのカードを貯める行為のようなもので、カード資産があれば、唐突なルール変更や新ルールの誕生に適応しやすくなると。また、持っているカードが予想外に強力なデッキのキーカードになったり、ルール改正で陽の光を浴びたりする確率は、カードの資産が多ければ多いほど上がります。もしかしたら、永遠に価値の出ないカードもあるかもしれませんが、それは永遠にわからないことでもあります。物事、やって得は無いかもしれないが、それだって損にはならない。将来どうなるかわからない以上、多く持ってた方が得ですね。反社会的な行為は、捨て札にするとして。

 実際、俺も昔、苦手だった「英語」って札を捨て札にしたせいで、現在進行系で苦労してますからね。学生当時は、将来的に必要になると思えない!と思っちゃってたんですよ。まさかなあ、アメコミに本格的に関わることになるとは。デッキを組むのに、キーカードが無いのは辛いぜ。昔出た旧バージョンを今拾うのは、当時手に入れるより数倍大変だ!

 そして、アメコミやこのホームページの更新により手に入れているカードが、いろいろなことに流用できているのも事実。少なくとも書くことの継続がなかったら、モノを書くような仕事をするのは無理だったろうな。こっちはこっちで、こうなるだなんてわからなかったよ!

 世の中、穴を彫り続けてそれをまた自分で埋めるような、本気で生産性の見いだせない仕事もありますが、きっと本気の捨て札はあまり無いはず。むしろ、無いと思いたい。とにかく、コレは何の役にも立たないかもしれないけど、そのうち何かの役に立つかも知れない。これぐらいの心持ちで、生じる疑問をなんとか抑えていきましょう。

 ううむ。なんか微妙にまとまりきれてない、校長先生の話っぽい何かになってしまった。きっとコレを書いた経験も将来的に何か使えることが……あるといいなあ!