魔法少女F~1-4~

魔法少女F~1-3~

 一代で築き上げた、新築の高層ビル。一階から十五階まで、全てがWTコミュニケーションの社屋である。WTコミュニケーションで働く社員は雄に百を越え、未だ一般的には成長中と目されているだけあって、求人広告を出せば面接希望者がわんとやって来る。
 だが、立志伝中の人物とも言える社長は、最上階の社長室で俯いていた。
 ハナカゲ家を始めとした旧家が強いこの街にて、新参者としてよくやって来た。武器となったのは、自身と社員のやる気ぐらい。後は、お上品な旧家には出来ない、なりふりかまわなさだろう。
 結果、会社は急激な成長を遂げた。新参者を冷遇していた、旧家を凌駕する勢いで。こうなれば、彼らもこちらを相手にするしかあるまい。強気で居たものの、結局彼らがこっちに接触して来る事は無かった。当時は冷笑していたが、今なら彼らが接触してこなかった理由が分かる。歴史と伝統、保つ力を持つ彼らは、この会社が保てなくなることを見抜いていたのだ。
 まず牙を剥いたのは、自身が信奉していたやる気であった。目をキラキラと輝かせ、薄給にもめげず働いてくれる、愛しい社員たち。自慢の社員を外部に出した途端に来たのは、目だけをランランと輝かせ、やる気の元に洗脳されてる社員たちとの評であった。最初は何が洗脳だと憤ったものの、関連各所の売上高が目に見えて下がって来たことで、矛を収めるしか無かった。世間は、会社のやる気を認めず、不気味で異常な物と判断したのだ。
 本業が不調になれば、今まで好調の名の元に見逃されてきた、なりふり構わなさから汚濁が漏れてくる。談合、賄賂、粉飾、のし上がるためにごまかし続けてきた物が次々と顕になっていき、明日明後日には公権力の手が会社に入るだろう。
 社員は全盛期に比べ半減、社屋に空き部屋も多い。穴を埋めようと求人を出しても、やって来るのは時節に疎いヤツか何処の会社にも見捨てられた輩か。
 これでもう終わりだ。現在階下のホールに集まっている、こんな状況でも会社を見捨てない、やる気のエリートである社員たちになんと言えばいいのか。上手く立ち上げるより、上手く終わらせる方が遥かに難しい。
「それは、愛が足りないからですよ!」
 俯く社長が顔を上げると、机の前がピンクに染まっていた。
 頭から手足まですっぽりと桃色の布を被った何者かが、両腕を広げ立っていた。まるで祈りや賞賛を求める、降臨した神の如き大仰さで。
 怒鳴る気もない社長は、粛々と警備員室に連絡を取ろうとする。途中、経費削減の名の元に、既に警備員を全員クビにしていたのを思い出す。
「あなたは愛を貫いて、ここまで会社を大きくしたんじゃないですか。その大きな愛を、ここで終わらせて良いと思っているんですか?」
 布に覆われ、男だか女だかも分からぬ謎の人物は、社長の両手を捕まえ、布越しにじっと見つめる。よく見れば、布は桃色一色ではない。よく見ると分かる、微細なハート柄。小指の先ほどのハートが、ぎっちりと詰まっている。
「愛を全うしましょうよ! ラブ&ピース! あなたが本来持っている愛の激しさを、見せつけてやりましょう! まずは下で待っている皆さんに、配ってあげましょう!」
 愛の伝道師は、楽しげにくるくると回りつつ、動かぬ社長の身体にのしかかった。まるでランバダのように、情熱的なしなだれかかり。
 膝の上に見知らぬ何者かが乗っている状況。だが社長は、動かなかった。憔悴しきっていた肌に、紅色を。虚ろな目に、焔を宿しながら。

 畳んだダンボールを抱えたスーツ姿の警察官たちは、いいようにカメラのフラッシュを浴び続けていた。WTコミュニケーション本社前、手入れを予期し張り込みを続けていたマスコミの努力が実った瞬間だ。テレビに新聞に、ネット配信をメインとしたネット記者まで混ざっているのは時代だろうか。
 手でフラッシュを遮り、警察官は次々とビルに飲まれていく。おそらく数時間後、広げたダンボールに大量の証拠品を詰め込み、戻ってくるはず。マスコミにとっての次の勝負は、その瞬間だった。
 しかし、数十分後、警察官たちは戻って来てしまった。ダンボールは中身が入っているどころか、折り畳んだままで。あまりに急な帰還に、レンズ拭きやテープチェック、休憩時間として食事を取っていたマスコミが驚いたぐらいだ。
「ど、どうしたんですか? 捜査はどのように……」
 とりあえず、居並ぶマスコミの中で最も年長のリポーターが、これまた先頭に立つ最年長の警察官に尋ねる。こういう時に頼られるのは、やはりキャリアだ。
「申し訳ありませんでした!」
 返答は、いきなりの土下座であった。一人だけではない、警察官全員、一斉の土下座。なにがなんだか分からぬが、絵になるシーン。だが、通常のカメラもTVカメラもハンディカメラも、どのカメラもこの光景を撮っては居なかった。いかんせん、なにがなんだか分からなすぎるのだ。
「我々はWTコミュニケーションに疑いを持ち、こうして今日の一斉捜査に至ったのですが……全て間違いでした! 会社に足を踏み入れた瞬間に感じた熱意、浴びた瞬間、己の間違いを悟ったのです」
「いやいや、頭を上げてくださいよ。上げてくださいよ」
 リポーターは、この年長の警察官と顔見知りであった。警察が公権力である事を自覚し、例え間違いを犯しても頑なに認めようとしない警察官オブ警察官。そんな男のいきなりの土下座は、不気味すぎた。
「今となれば、無為な日々を悔いるのみです。このような素晴らしい会社の存在を知らずに、過ごしてきた人生。警察官となったことは間違いでした」
「間違いってそこからですか!? そもそもアンタが警察官になった時、WTコミュニケーション、まだ創設されてないでしょ!?」
「ですが、社長はそんな間違いを犯した我々を許してくれました。今からでも遅くない、私はあなた達を仲間として迎え入れます。むしろ、迎い入れさせて下さい。熱っぽい瞳で、我々一人一人の手を握りながら。ですから本日今日より、我々は警察官ではなく、WTコミュニケーションの一社員です!」
 ミイラ取りがミイラになる。それにしたって、ガサ入れの警察官が、いきなりその会社の社員になってしまうだなんて、前代未聞である。しかも嫌々とは真逆、目を爛々と輝かせて。
「ですがご安心ください、WTコミュニケーションは、やる気のある方なら誰でもOK、アットホームな職場ですから! 実力次第では、即管理職です。マスコミの皆さんは、やる気の時点で、我々の欲する友人です。是非とも――」
 一斉に顔を上げる警察官もとい、自称元警察官たち。彼らの顔は、目や鼻が黒く窪み、肌は真っ白に。全員がガイコツ同然の顔になっていた。
「社長の愛を、受け取ってください!」
 不気味な動きで飛び上がった先頭の警察官が、リポーターに組付き、WTコミュニケーションのビルへと連れ込む。同じように、警察官たちは次々とマスコミを捕まえていく。いつの間にか、開いていたエレベーター。エレベーターは投げ込まれたマスコミを、片っ端から上へと連れて行く。まるでわんこそばを食べているように、次々と人を吸い込んでいく。
 数分後、上からやって来た別のエレベーターの扉が開く。
「これで我々も、WTコミュニケーションの社員です!」
 ガイコツに変貌し、WTコミュニケーションの社員として戻って来たレポーターにカメラマン。彼らもまた、警察官と同じように人をビルに連れ込み始める。マスコミが全滅した今、彼らの標的は通行人であり、別の建物で働いている人々だ。
 WTコミュニケーションは、創設以来類を見ない、急成長状態へと突入した。

 
 WTビルの屋上にて、ピンク色の人物がクルクルと回っていた。
「いいですねえ、愛が広がってます! ラブは世界を救う!」
 愛を口にし、振りまき続ける。愛の伝道師は、己の仕事に満足していた。
「アクシデンタルにもう一人か二人、覚醒してくれるといいんですが。エンプティばかりというのも、味気ない話です。ああやはり、世界には愛が足りない!」
 激情の怪物アクシデンタル、感情が変貌までいかず、小さく人型に纏まってしまったエンプティ。百人以上を巻き込んで、アクシデンタルの域に達したのは一人のみ。率は、あまり良くなかった。
「やはり精神を従属で抑えてしまうと、大爆発は難しいんでしょうね。でも、舞台は整いました。さあ、私の愛を、受け取りに来てください!」
 骨を砕く音ではなく、肉を斬る音が階下から聞こえてきたのは、そんな時だった。
 音を知った瞬間、あれだけハイテンションに振舞っていた伝道師の動きが、ピタリと止まる。
「愛無き方が来てしまいましたか。最悪です」
 謎の伝道師は不機嫌そうに、屋上の配管を椅子にし座り込んだ。

 金髪の絹のような髪と、白とピンクのフリフリなドレス。いかにもな魔法少女が、WTコミュニケーションの本社ビルを、見上げていた。大きなリボンが、風に揺れている。混乱の街中、ビジネス街の魔法少女という妙な存在を視認しているのは数人ぐらいのものだ。
「エンプティというのを、相手していてよかったなーって思うことが、一つだけある」
 ビルから飛び出てきた複数匹のエンプティの手が、一人呟く少女に伸びる。腕は全て、少女に届くより先に、手首の先から吹き飛んでいた。
「なってしまったら、何をしても仕方がないってコトさ」
 大振りのサバイバルナイフを手に、少女は笑う。薄ら寒い笑みのまま、エンプティの四肢や胴体を切り刻んでいく。単にナイフの刃が鋭いだけではない、刃の使い方や刺し方、人体の刻める部分を、少女は熟知している。
 誰も観ていない、何をしてもいい、今この魔法少女に歯止めはなかった。
『おいコラ、グロは禁止だって言ってるだろうが! ユー・アー・魔法少女! OK!?』
 ミラーの大声が、通信機内蔵のイヤリングを揺らす。
「今日は、誰も見てないし」
 ふてくされたようにして、魔法少女の格好をしたアキラが返事をする。正確に言うなら、今のアキラはアキラではなく、魔法少女のアキ。エンプティやアクシデンタルを狩る、魔法少女のふりをするのが、アキのお仕事だ。
『いやいや、意外に人の目っていうのは見ているもんだよ? 天網恢恢疎にして漏らさずってヤツだ。それにオメー、せっかく俺が作った衣装の良さまで殺すんじゃないよ』
「はいはい」
 歯止めとなるミラーの声を聞きつつ、アキは太もものニーソックスに手を伸ばす。
 パン! パン! パン! 取り出されたハンドガンの銃声。銃弾は、まだ動けるエンプティにトドメを刺した。ビル周りにエンプティが居なくなったのを確認した後、アキは建物に足を踏み入れる。

 死屍累々のエンプティ。身体を包んでいたモヤが晴れ、出てきたのは素体となった人々だった。手を切り取られたり、頭を撃たれた個体も、五体満足の上、息がある。エンプティとなって日が浅い者は、エンプティを殺すことで、こうして戻れる。だからこそ、アキも手加減抜きで殺しにかかった。
 だが、長くエンプティのままでいれば、虚無が肉体を支配し、人には戻れなくなってしまう。殺されたら、塵になるのみ。そして現状、この段階のエンプティを救う手段はない。
 結局のところエンプティとは、「何をしても仕方がない」相手であった。

魔法少女F~C~

魔法少女F~A~
魔法少女F~B~

 白煙立ち込める廃ビルの一室に、一人の魔法少女が居た。目の前には、巨大な感情により変貌した猫、もはや豹や獅子をも凌駕する存在となったキャット・アクシデンタル。脇にいる、偽物の魔法少女であるシズナや背後の虚無人エンプティと幼女は無視し、アクシデンタルめがけ駆ける。
 しかし、そのままアクシデンタルの巨躯とすれ違い、階段へ。最初はぼうっと見ていたアクシデンタルだが、突如毛を逆立て、激怒の様相で上階に逃げた魔法少女を追う。アクシデンタルの黒い表皮に一本の線、長い切り傷が刻まれていた。
 階段を駆け上がる魔法少女を、アクシデンタルは階段を無視した跳躍で追う。階段の終わり、屋上。ヘッドスライディングで飛び込んだ少女は、待ち受けていたアクシデンタルの股下を滑り抜けた。
 アクシデンタルの尻に走る、細かな痛み。振り向くまで、数十度、アクシデンタルの身体には雹を浴びたかのような細かな痛みが襲いかかってきた。ゴワッ!と喉を鳴らすアクシデンタルの鼻先を襲う、新たな痛み。収束された痛みが、アクシデンタルを気圧させる。
 だが、そこまでだった。
 爪をむき出しにした、アクシデンタルの前足が、なにやらアイテムを構える魔法少女を地面に抑えつける。全ての痛みは、怒りを触発させるものでしか無かった。
 アクシデンタルは、捕らえた獲物の仕留め方を考え始める。爪で切り裂くか、牙で噛み千切るか。爪、牙、爪、牙。悩んでいる間も、魔法少女を押さえつける力は強くなっていく。このままでは、圧力で砕け散ってしまうだろう。
 決めた。爪で切り裂いた身体を、牙で咀嚼する。C・アクシデンタルが、押さえつけた獲物めがけ、空いた前足を振るったその時。周囲の廃墟に響き渡るような轟音が、C・アクシデンタルの巨体を消し飛ばした。目の前の獲物に注視していたC・アクシデンタルは、突如の巨弾による猛襲に、何も反応することが出来なかった。
 注意深い猫を、認知する間もなく屠る。とんでもない“魔法”であった。

 自身を押さえつけていたC・アクシデンタルが消えても、倒れたままの魔法少女は動かなかった。ただ、呆然としている。C・アクシデンタルを葬った明後日からの一撃は、C・アクシデンタルだけでなく、下に居た少女にもダメージを与えていた。ふわりとしたゴスロリ調のドレス、前面がアクセントのリボンやアクセサリーごと吹き飛び胸から腹、全ての肌色を晒している。そして、髪。ウェーブのかかったきめ細やかな金髪が、全てごっそりと抜け落ち、辺りに散りまくっている。
 なんとも無残な、少女の姿であった。
「……殺す気か」
 ぼそっとした、呟き。
「殺す気か」
 多少怒気が混ざってくる。
 しばしの静寂の後、少女は自らイヤリングをもぎ取ると、イヤリングめがけ叫んだ。
「殺す気かぁぁぁぁぁ!?」
『わあ!? ちょ、うるさいから』
 イヤリングから聞こえる、太く深みのある声による返答。
「お前が反応しないからだろうが!」
 立ち上がった所で、胸に張り付いていたジェル状の最新胸パッドが落ちる。胸板は、貧乳を通り越し、完全に男の物。吹き飛んだ金髪はカツラで、実の毛は無造作に伸ばしてある茶色の髪。綺麗な女系の顔立ちと細身の身体を持っていても、少女ではない。シズナがライバル視する魔法少女は、彼であり、少年であった。
『しょうがないだろ。さっきまで、耳栓してたんだから。聞こえるわけがない』
「耳栓?」
 少年が振り向いたのは、今いるビルの隣。道一本挟んで、向こう側にあるビルの屋上。そこで筋骨隆々とした男が、ライトを持ったまま手を振っていた。下に、極太かつ長身の、おかしい形をしたライフルを置いている。
「……対戦車銃じゃないか! そんな物で、俺と肉薄していた標的狙ったのか!?」
『危うく耳栓つけ忘れて、鼓膜が吹き飛ぶところだったぜ』
「俺は体ごと吹き飛ぶところだったけどな!」
『そう言われてもなあ、お前の手持ちの火器や武器じゃ、どうにもならなかっただろ?』
「うぐっ!?」
 挑発用のサバイバルナイフ。ふんわりとしたスカートに仕込んでいた、二丁のハンドガン。背中に隠していた、銃身を切り詰めたショットガン。どれも、初対戦となる獣型アクシデンタルには決定的なダメージを与えられなかった。今回あと手持ちの武器としては、もう登場時の演出に使った、スモークグレネードのスペアぐらいしかない。
 ここまで内実を見れば分かるように、シズナが魔法少女と思い込んでいる少年には、魔法の部分すら無かった。彼にあるのは、従来の火器や武器を使うだけの知識と技術、そして己を清楚な少女に見せかけるだけの外面。
「しかしあの音、下にも聞こえたんじゃ」
『まあほら、雷撃系の魔法とか、そんな感じで納得するんじゃねえか? この風なら、ドレスの切れ端やカツラの大半は風に乗って消える。武器だけ回収して、下に行け』
「了解っと。あと、終わったら病院連れてけよ!? 耳もアバラも痛いし!」
 イヤリング型の通信機を切った少年は、武器を回収した後、傾きかけの雨樋から繋がるパイプを滑り降りる。奇跡も魔法もなくても、少年の手際は見事であった。

 総合病院の椅子に座る、少年と厳つい男性。体格的には親子に見えるが、歳の差はせいぜい兄弟ぐらいに見える。
「異常はなかったらしいじゃないか?」
 男は、検査を終えた隣の少年に語りかける。
「そうだよ。アバラにヒビが入っていることを除けば」
 少年は既に、男性としての普段着に着替えている。あの格好じゃあ、緊急外来もまず困っただろう。
「異常は無かったんだな。よかった」
「ああ、若干気だるいし泣き叫びたい痛みに時折襲われるけど、異常はないよ。俺にも、あのインナースーツ、支給してくれないかな? アレ、防御力高いんだろ?」
「残念、アレは女性用の上にワンオフだ。安心しろ。千切れたドレスは、前以上の可愛らしさに仕上げてやる」
 男は丸太のような腕をむき出しにして、パン!と自信ありげに叩く。腕には、針仕事とでは到底出来ない太さの切り傷や銃創がたんと刻み込まれていた。
「着る方としては、使いやすさを追求してほしんだけど……確かにあの服、ふわっとしているおかげで、武器とか沢山仕込めるけどさ……」
「ちょっと待て、電話だ」
 ブブブと、男の胸ポケットが震えていた。
「病院内では電源を」
「ここは、携帯OKな区域よ」
 電話に出た男の顔が、二言三言交わす内に青くなっていく。平謝りのまま電話を切った男は、即座に席から立ち上がった。
「ちょっと現場行ってくる」
「もう警察がきっと来てるんじゃ?」
「……登場の時のスモークグレネード、アレの回収忘れてただろ」
「あ!」
「アレが見つかるとマズいことになる。ちょっと行って、なんとか回収してくるわ」
 警察よりも見つかったらマズい相手が居る以上、なんとか回収してくるしか無い。
「ああそれと、あの猫が幼女をさらった、アクシデンタルに変貌した原因かな?というストーリー聞いたけど、いるか? 家に子供が産まれた瞬間、捨てられた猫の話。抱いていた感情は、子供への嫉妬か、はたまた愛された物同士として、種族を超えての姉妹愛が暴走しての結果か」
「いらないよ。もう倒したヤツのことなんか、知るか」
「若いのに、クールだねえ、もう」
 男は少年を置いて、病院から出て行った。
 残された少年は、退屈そうに身体を伸ばした後、アバラの痛みに一瞬顔をしかめる。
「喉、乾いたな」
 売店は閉まっているが、自動販売機は動いている筈だ。館内掲示板で場所を確認した後、少年は席を立つ。
 しばらく歩いた後、向こうから歩いてきたのは、最も自分が関わってはいけない、女学園の制服を着た少女であった。自動販売機の場所が入院病棟に近いこと、彼女がこの病院に居るかもしれないことを、忘れていた。
 少年はなるべく顔を伏せ、向こうから歩いてきたシズナに会釈する。シズナも、礼儀として会釈し、無事すれ違うことに成功する。あの様子から見て、彼女が自分を、先ほど廃墟で出会った魔法少女だと見抜いた可能性は、0だろう。カツラ、ドレス、そして少女という前提は、少年の正体を隠すのに十分なヴェールであった。
シズナの後ろ姿を目で追う少年。最初与えられた仕事とはだいぶ様変わりしたものの、今の自分の仕事は、偽物の魔法少女である彼女を、魔法少女として護ることだ。
 アクシデンタルやエンプティをあしらいつつ、シズナに決定的な被害が及ばぬように。それが、相棒である男と、少年に与えられた使命。その為に、ついこの間まで戦場に居た二人は、この街に呼ばれた。
「アキラさん。先生がお呼びですよ」
 この国に来た時に与えられた名を、連れに来た看護師に呼ばれる。結局、水分は補給できなかった。
 少年が穏当な手段で入国するには、偽造戸籍と偽造パスポートに手を出すしか無かったのだ。だが何となしに、このアキラという名前は気に入っている。自分に流れる、東洋人の血が馴染むのか、もし魔法少女の姿で名乗る羽目になったら、“ラ”だけを抜いてアキと名乗れという簡単さが良いのか。とにかく、悪くない偽名だ。
 性別も偽、魔法も偽、名前も偽。偽物をかばう、更なる偽物。唯一本物なのは、この街に巣食う、邪悪なる敵のみ。魔法でなくても、撃つ殴る斬る、順当な手段で殺せる怪物だけは、真だ。
 アキラは苦笑を隠しつつ、看護師の後について行った。

 この街に現在居る魔法少女は、みんなFake(偽物)。
 本物に立ち向かう、魔法少女のFakeばかりであった。

魔法少女F~B~

魔法少女F~A~
魔法少女F~C~

 とある女学園の中央通り。校舎と校門を繋ぐ大動脈である道は、放課後の今、非常に賑わっていた。
 真ん中を走り抜けていくソフトボール部の一団、かしましく端の方を歩いている帰宅部一同、様々な生徒が駆けて行くレンガ造りの道、その端の端。肩をすぼめ、一人歩く生徒が居た。まるで幽霊のように、しずしずと。快活さを避けるように歩いている彼女、セーラー服である制服の上に茶色いカーディガンを羽織る様は、不釣り合いな異端であれど世間に一層埋没する地味さがあった。
「シズナさん?」
 そんな生徒に、若干上品な風情を漂わせる一団が声をかけた。
「……なんでしょう」
 消え入りそうな声での返答。
「あの、これからわたしたち、帰りにお茶会をする予定なんですけれども」
「よろしければ、久しぶりに」
「ごめんなさい。これから、病院に行かなければいけないので」
 話を遮るようなタイミングではあったが、シズナは丁寧に頭を下げる。
「あの爆発事故の怪我……ですよね?」
「はい。まだまだ、完全に治すには時間がかかりそうで。治りましたらその時は是非、ご同席させてください」
 シズナは再度頭を下げると、再び静かな足取りで校門近くに止まる黒塗りの車に滑りこんだ。シズナが窓を開け、自然と見送ることになった一団に最後の礼をすると、運転手付きの華美な車は走り去っていった。
「数カ月前の爆発事故から、一層暗くなりましたわね、あの方」
 元々、気品を漂わせながらもどことなく影があり、周りと距離をとっている体であったシズナだったが、数カ月前、中央ターミナルで起こった爆発事故に巻き込まれて以来、陰鬱さも周りとの距離も倍増していた。もはやその存在感、居てもわからない、居なくてもわからない、幽霊のレベルである。
「完全に治すには時間がかかる怪我が治ったら。怪我を、断りの理由にしてません?」
「違いますわ。断りだけでなく、早退や遅刻の理由にもしています。もう、お誘いしない方が、いいかもしれませんね」
「でも、たとえあの方がそうであっても、この街で生きる以上、ハナカゲの家と付き合わないわけには」
「わたしもお父様に、シズナさんと仲良くなるよう言われてますわ」
「……あわよくば、娘を通してハナカゲと繋ぎをってことなんでしょうね」
 ハナカゲ・シズナ。例え偏屈でも、ハナカゲの家は、この街にとって最大のビッグネームであり名家である。街の創設にも携わり、巨万の名声を得た祖父。更に祖父の名声を使うことにより、莫大な富を得た父。亡き祖父母、早世した父母、未成年どころかまだ高校生であるシズナは、結果ハナカゲの当主となっていた。ハナカゲには敵わずとも、名家の生まれである彼女たちにとって、シズナとの付き合いは避けて通れぬ命題であった。

 ゆったりと造られた、大きな4シートの車。後部座席に乗っているシズナに、運転手を務める執事が声をかける。
「今日はこのまま、病院ですか?」
「それは後です。このまま、4番街に向かって下さい」
 先ほどとは違う、張りのある声。シズナは、羽織っていたカーディガンを脱ぎ捨てると、そのまま制服のタイも解き始める。顕になった胸元からは、微細な鱗状の柄を持った科学的技術を感じさせる布が見える。ためらわずに、制服を脱ぎ捨てるシズナ。制服の下に在るのは下着ではなく、肌に張り付くレオタード状のスーツであった。
 シズナは後部座席の隅にあるアタッシュケースを開ける。中に入っているのは、藍色のマーメイドドレス。一見、普通の上等なドレスであるが、ノースリーブの脇に目立たず仕込んである物、腰から太ももにかけて目立つ形で刻まれている物と、やけにスリットが多い。シズナがこの藍のドレスを黒のスーツの上から着ると、無機質なスーツも、ドレスの下のインナーのように見えた。むしろ、このスーツは、華美さと実用性を兼ね備えたインナースーツとして作られたのだろう。
「これからは、魔法少女のお時間です」
 シズナはコスチュームの入っていたアタッシュケースの隅、厳重に封印された、もう一つの小さなアタッシュケースに目をやりつつ、後ろで軽く結わえてある己の髪を解く。車から降りるとき、シズナの髪型は二つの尾、見栄えの良いツインテールとなっていた。

 シリコン入りのブーツは、足音を発さなかった。もちろん、道具だけではない。シズナの慎重な足運びがあってこそだ。ガラスの欠片や空缶などの障害物を避け、崩れかけの廃ビルの非常階段をしずしずと。その足運びは、学園での埋没に通ずる物があった。
 目的の階層にたどり着いた所で、そっと中の様子を確認する。中にいるのは、化生へと変貌した猫と、全てを吐き出した動く亡骸、そしてそんな怪物たちに囲まれる幼女であった。
 人には、様々な感情という物がある。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。感情とは様々であり、まったくもって相反する物も同時に人は孕めるのであるが。唯一、どの感情にも共通する点がある。それは、タガが外れるということ。どの感情にも、激情となる素養が在ること。激情は心と身を蝕み、時には死を招く。だがしかし、とある者の意向が入り、後押しされることで、激情を持つ者は暴発の怪物、アクシデンタルへと変化し、激情がアクシデンタルになるに至らなかった者は虚無の怪人、エンプティへと変貌する。
 このアクシデンタルとエンプティを狩るのが、魔法少女としてのシズナの仕事であった。
 息を潜み、シズナは状況を把握する。動物が変貌した例は初めて見るが、あの猫もどきは、アクシデンタルだろう。エンプティの数は5人。幸い、彼らの元締めは居ない。だがあの幼女、エンプティに囲まれている幼女を、どう無傷で救出するか。難問であった。
 答えは、煙とともに現れた。
「!?」
 異変を感じ取ったシズナは、即座に部屋に飛び込む。煙の中、アクシデンタルと猫の間に、もう一人の魔法少女が立っていた。
 見栄えの中に実用性を望むシズナとは違う、レース、フリル、リボンで飾り立てられた少女。白とピンクの二色で構成されたこのゴスロリ服の少女は、シズナにとって――――。
 とても、目障りな存在であった。
 一瞬並び立った後、白い魔法少女はアクシデンタルめがけ突っ込んでいく。シズナも続こうとするが、シズナの背後には意識を失った幼女と、エンプティの群れが残っていた。骨を露出させた人影、感情も生命も全て吐き出した残りカスに向き直ったシズナは、上腕ほどの長さのステッキを取り出す。月のエンブレムに、並んで埋め込まれた宝石。見事なステッキである。一度振るえば、奇想天外な魔法が使えそうな。
 ステッキが振るわれ、光がきらめく。煌めきとともに二人のエンプティが倒れ、灰となって消えた。煌めきを発しているのは、紛れも無くステッキ。しかし、その光はどう見ても電気であり、そもそもシズナは直接、電気まみれのステッキを、直接エンプティに振っていた。有り体に言ってしまえば、ステッキで殴り倒した。
 ギィと一声上げて飛びかかってくるエンプティの膝に、真っ直ぐな蹴りの一撃。片足が砕かれ、崩れ落ちる怪人の頭部に、ステッキの一撃。残り二人が動くより先に、彼らの額に、トランプのエースとキングが突き刺さっていた。エンプティが倒れて灰化するのを見た後、シズナは太もものカードホルダーから手を離す。
 シズナはまず、倒れたままの幼女の脈を確認する。幸い寝ているだけで、幼女の身体に一切の傷はなかった。ほっとした後、ビルどころか辺り一帯を揺らがすような爆音が、彼女に歯ぎしりをさせる。きっと、あの猫のアクシデンタルをあの少女が葬ったのだろう。煙とともに非戦闘員の幼女を寝かせ、戦えば暴威的な威力で敵を粉砕する。魔術を使える、本物の魔法少女だから出来るやり方だ。
 静かな登場は訓練による隠形、ステッキの正体は非合法なまでの電圧を持つスタンロッド、トランプを武器に出来るのも鍛錬により。
 魔法少女であろうとし、魔法少女らしい非現実的な見栄を張っているが、シズナは只の人であった。否、使命感だけを持ち、見えを張るためだけに衣装をしつらえ、らしい武器を用意する。只の人どころか、変人だった。
 唯一、魔術の匂いがするものといえば、左手の古ぼけたブレスレット。ブレスレットの赤いルビーに何やら瘴気が吸い込まれたのを見て、シズナはステッキのスイッチを切る。この瘴気は、アクシデンタルの死んだ証。戦いは終わり、魔法少女としての仕事を自ら成し得なかった証であった。

 数時間後、魔法少女としての衣装を脱ぎ、元の制服姿に戻ったシズナは病院に居た。自分が診てもらうわけではない、爆発事故の怪我なんて、色々煩わしい物を振り払うための偽物に過ぎない。病棟の廊下ですれ違った少年に軽く会釈し、シズナは目的の部屋に入る。
 特別室の中央の、大きなベッド。薄い垂れ幕の中に在る、沢山の機械と、機械からのチューブに繋がれた少女。シズナが甲斐甲斐しく部屋の整理をしている間も、包帯だらけ、点滴だらけの少女が動くことはなかった。
 数カ月前の中央ターミナルでの爆発事故。あの事故の背後にあったのは、アクシデンタルとエンプティ。この人知れず魔法少女の任を請け負っていた親友が、文字通り命がけで助けてくれたことにより、今のシズナは存在する。ならば、彼女を救うための費用も、彼女が担っていた魔法少女の役職も、助けられた者が担うのは当然ではないか。
 生贄にされた私生活。魔法魔術が使えぬ自分を誤魔化すための道具の調達に、常人を逸脱するための執念じみた鍛錬。どれもシズナにとって、苦しい物ではなかった。
 唯一彼女を苦しめているのは、最近まるで、シズナの護る魔法少女の座を奪い取るかのように現れた、本物らしきあの魔法少女の存在だった。

魔法少女F~A~

魔法少女F~B~
魔法少女F~C~

 にゃあと、猫らしい声だった。
 にゃあ、にゃあ、にゃあ。猫が鳴く度に、猫の前に居る幼女は身を震わせる。
 廃ビルの一室、ひと気のない一室に黒猫と女の子の差し向かい。窓からの月明かりが、一匹と一人を照らしている。
 猫は鼻を鳴らしつつ、女の子の元へ向かう。ずりずりと、座ったまま退いていく女の子。どんと、小さな背に当たる壁。女の子が止まっても、猫が前進を止めることは無かった。
 ふにゃあ。より一層、甘えた声。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
 猫の好意に対し、女の子は謝り続ける。ぶるぶると震えながら謝る姿からは、恐れしかない。猫の目が、ぎょろぎょろとせわしなく動く。バスケットボール大の、巨大な猫目が。
 大きな猫であった。異常なほど、大きな猫。ライオンよりも大きな身体は、体毛が逆立つことにより、更に大きくなっている。大鎌のような爪に、意志ある蛇のようにのたうち続けるしっぽ。異形異質で形作られた、怪物そのものな猫。パジャマ姿の女の子は、ワケも分からぬままベッドからこの廃ビルへ、連れて来られていた。
息がかかるような距離、フンフンと鼻を鳴らす猫から、女の子は逃れようとする。横へ逃げようとする幼児の細い腕を、黒い大人の手が掴んだ。
 まるで、影がそのまま人になったかのような、黒い人。所々から覗いているのは、白い骨。影を纏った骨達がケタケタと笑いながら、女の子の逃げ場を塞いでいた。
 前門の猫、後門ならぬ全方位の怪人。進退窮まった幼子に出来るのは、震えることのみ。
 救い主は、煙とともに現れた。
 女の子の視界を包む白煙。視界だけでなく、何故か意識も薄れていく中、幼女は確かに見た。
 廃ビルに不釣り合いな黒と白のドレス。色鮮やかな服装で、自分と猫、自分の怪人の前に割り込む二人の少女の姿を。

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