日々雑談~2399~
フィアー・イットセルフhttps://t.co/9fAXA4EYjU
恐怖を糧とする、邪神サーペント復活。邪神に魅入られ強化されたハルクやジャガーノートの手で、世界は破壊の波に晒される。ヒーローたちは、自分たちの中にもある最強の敵、“恐怖”に打ち勝つことができるのだろうか――— 藤井三打 (@nikuzousui) 2017年8月30日
本日発売な、フィアー・イットセルフ。力と力がぶつかり合う構図が素晴らしく、自分にとってかなりお気に入りなエピソードの一つです。ヒーローが恐怖に立ち向かう姿というテーマも王道。王道はいいぞ、王道は!
ジェームズ・キャメロン、「ワンダーウーマン」はハリウッドにとって“後退”――パティ・ジェンキンス監督が反論
ターミネーターのサラ・コナーやエイリアン2のエレン・リプリーと、女性ならではの母の強さを撮ってきたキャメロン。
強く、気高く、美しく。男性に負けぬ強さを持ったワンダーウーマンを撮ったジェンキンス。
なんというか、お互いの女性の強さへのイメージが違うので、議論がちとすれ違っている気がするな。どっちが正しいとも、間違っているとも言えない。男性同様が進歩なのか、退化なのか、互いの目線がすれ違ってる。
女性ならではの強さを撮ってきたキャメロン目線だと、ワンダーウーマンがしっくり来なかったのも、わからんでもないです。ぶっちゃけ、ワンダーウーマンのストーリーラインって、ワンダーウーマンやアマゾネスの性別を入れ替えて、オリンポスから第一次大戦の世界に出てきた半神半人の英雄譚「ヘラクレス」にしても、なんとか作品になっちまうもの。女性ヒーローが主人公であること、女性監督が撮ったことで、女性の映画という外部イメージは強いですが、ストーリーラインとしては、そこまで女性に重きを置いてないと思います。フェミニズムに関わってくるシーンはあるものの、あまり強烈ではないですしね。
実際、そのへんを気にせず、映画を楽しんでいた自分としては、どうしてこうなった!という感じです。
ただ、この議論でそれはちょっとどうだろう? と思ってしまうのはジェンキンスの反論の「ワンダーウーマンが全世界の女性にとってどういう存在であるのか、何を象徴しているのかをジェームズ・キャメロンが理解できないというのは、驚くべきことではありません。彼は素晴らしい映画制作者ですが、女性ではないのですから」という部分ですかね。
女性ではないからわからないと言ってしまったら、もうそこで終わりです。ならばもう、ワンダーウーマンの批判批評は女性にしか出来ないし、そもそもキャメロンと同じ意見を女性が持っていたら、どうするのか? 立場で封殺しようとするこういう反論の仕方は、どうにも筋が悪いというか……。
というか、ジェンキンスさん、かなりカチンと来た上でのコメントですよね、コレ。そもそもキャメロンの言い方も、結構キツいんだけどさ。事態が落ち着いてくれるといいなあ。