日々雑談~6714~
ゴッサムシティとかもう潰したほうがいいのでは?という意見に対しては、あそこには危険な研究施設や魔界の穴みたいなヤバいものがたんまりあるので、街をふっとばしたら地球が滅ぶ域の何かが吹き出てくると、目を逸らしつつ答えたい。
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年10月8日
映画のバットマンシリーズや映画ジョーカーを見ていると、ゴッサム・シティはもうまるごと核兵器でふっ飛ばしたほうが……という禁断の考えもよぎるけど、そういう強硬策へのカウンターは、このタイプの危機感兼抑止力よ。グリーン・ランタン(ハル・ジョーダン)のホームタウンのコーストシティは700万の市民ごと一度根こそぎ吹き飛んでるし、ゴッサムの近所でナイトウィングのホームタウンだったブルードヘイブンも人間爆弾ケモのせいで壊滅。DCコミックスの舞台は架空の都市が多いだけあって、潰すとなるとほんと遠慮がねえな。
ゴッサムには希望もあり、絶望もある。バットマンのファンもいれば、実在を疑っている人もいる。ジョーカーが街を壊しかける時もあれば、あっさり撃ち殺されそうになる時もある。数々のライターが己の解釈や物語を注ぎ込んで出来たのが、ゴッサム・シティやメトロポリスのような架空の都市。キャラクターも含め、数々の人間の意思が集まったことによる懐の広さや多様性が、アメコミの強みよ。
多様性があるということは、見方によってその形はいろいろ変わるし、当然意見も色々出てくる。だからまあ、解釈違いや意見の相違に対して、前のめりでぶつかるのではなく、まずはその意見を冷静に見てみよう。一歩退いて全体像を見ることで、すっと飲み込めるようになるかも知れない。なんかやけに真面目な着地点になったけど、そういうこったね。
日々雑談~6713~
ヒャッハー! 新鮮なキン肉マンのお時間だぜえ!https://t.co/NXFx80aZjT
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年10月6日
弱小超人から強豪超人、更にオメガの希望にまで上り詰めたアリステラのこれまで。弟のディクシアが形態変化なら、兄のアリステラは強度変化。どちらが上かはわからない……というか、通天閣を武器としカメハメにまで変身したディクシアの幅の広さがとんでもなさすぎて、比べようがないのですが。火事場のクソ力によるブーストがあるキン肉マンや、1人倒せば1万パワーのバッファローマンと比べた場合、アリステラは恒常かつパワーも数千万クラスとかなり優位。もっともこの優位は、数千万クラスの超人がゴロゴロいるオメガ出身だからこそですが。たとえば平均的な超人強度が低い地球だと伸び悩むので、そういう環境下だとキン肉マンやバッファローマンの方が堅実ですね。
キン肉マンと同じくらいの不幸や不遇を背負った超人って、マリポーサにフェニックスと根っこがひん曲がった連中ばかりなんだよなーという不安と、でもパイレートマンが認めてるから大丈夫だろうという安心感の板挟み。パイレートマン、その域の信頼をもう得ているんだからスゲえよ。
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年10月6日
元々キン肉マンの世界観は、スグルが貴種流離譚の成功例を直進する一方、生まれに縛られ覆せなかったフェニックスやヒカルドやアシュラマン(リボーン)がいると、ものすごく生まれにシビアな世界。新シリーズにおける変化の波が、アリステラをいい方向にやってくれるといいんだが。
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年10月6日
端的に言ってしまうと、貧しい人は心も貧しいという、ものすごく辛い世界観。敗因に挙げられたマリポーサだけでなく、俗物的な欲望のせいで万太郎に負けた農村マンもその一例。生まれに縛られたヒカルドに、正義超人への転向が家庭崩壊につながったアシュラマンと、特にⅡ世は厳しい。ケビンマスクやハンゾウやスカーフェイスみたいに、味方側でしっかり戦うとなれば、転向も無理じゃないんだが……なんというか、敵サイドにそういう人間が立った場合、それが十中八九綻びになって負けるのよね。
ただ、フェニックスもマリポーサも新シリーズで一皮むけ、もとより新シリーズは正義超人の論理的な絶対優位も崩れた団体抗争状態。この流れにそって、アリステラは価値を落とすことなく、自らを貫いて欲しい。それが読者としての願いであり、彼に希望を託したオメガの民の願いでしょう。
日々雑談~6712~
ジョン・ウィック:パラベラムを観てきました。観終わった後、上映時間2時間10分……? 3時間ぐらいやってなかった?となってしまうぐらいの超濃度。そんな濃さの内実は血に硝煙に痛みに犬と危なっかしいものばかりで超最高。こういうのでいいんだよ、こういうので!
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年10月5日
観客は前作ラストで補給を失ったまま無数の殺し屋を敵に回すことになったジョン・ウィックを心配していたものの、作中人物はやっとこれでジョン・ウィックと五分五分か……と思ってたの、素晴らしい温度差じゃない?
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年10月5日
タイミングが見事なまでに一致したので、ジョン・ウィック:パラベラムを観てきました。ジョーカーは微妙にズレたので、次の機会、近い内にだな!
先も見えず頼るべきものもなく、ただ殺し合う定めに堕ちたジョン・ウィックの求道。ストーリー自体は真面目かつ、スリラーやミステリー(グーグル調べ)に分類されてもおかしくないのですが、ストーリーの隙間を埋めるのが暴力にアクションに犬に人間摩天楼に寿司屋と、尋常じゃないものばかり。キアヌ・リーブスの佇まいの良さもあって、飽きるところや目の離せるシーンがまったく無い。キアヌは座っているだけでおひねり投げたいぐらいに絵になるスターだからね……。
小難しさはいいから、とにかくアクションに! 雰囲気に! キアヌに酔って楽しめ!と叫びたくなる全年齢向けアルコールな作品なので、観て損はさせません。映画が娯楽の二文字を忘れたら、きっとそれこそ終わりの始まり。だからこそ、ジョン・ウィックのような映画は愛おしい……!
日々雑談~6711~
バットマン vs スーパーマンが無かったら、デッドプールが「お互いの母親の名前がマーサだったら、戦いをやめなければならないんだ!」とパニッシャーにとどめを刺すことをためらうこともなかったので、映画には人の命を救う力がある。 pic.twitter.com/rnk2hBt87L
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年10月4日
デッドプールはバットマン vs スーパーマンとコラボしているようなものだから……。 pic.twitter.com/IPJ3q1DUCI
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年10月4日
地上波でバットマンvsスーパーマンを楽しんでたのに、変な赤タイツが頭をよぎりやがる。訴えたら勝てるか!?
実際、デッドプールが積極的にバットマンvsスーパーマンに関わってくるのは、両者が本国でほぼ同じタイミングで公開(デッドプールは2016年の2月、バットマンvsスーパーマンは3月)されたことも大きいかと。しかしまあ、全世界では肉薄、アメリカや日本ではデッドプールがバットマンvsスーパーマンを興行収入で超えるとはな……。たぶん、デッドプールの関係者も驚いた予想外だったんじゃあるめえか。
しかし今回のカット部分、バットマンの悪夢周りを中心に、後の展開につながるところが多かったな。もっともこの後の展開が、すでに仕切り直しに入っているのがややこしい状況の原因ですが。当時は力を入れた部分なのに、今はそこまで必要でもない。地上波の時間短縮と路線のブレが、妙な感じでハマっちまったなあ……。