日々雑談~3593~
遅ればせながら、新九郎、奔る!の2巻を入手。応仁の乱は公家や朝廷を交えた人脈魔境っぷりと後の戦国時代に繋がる戦場の変化が混ざり合っている、混沌と困惑と焦燥の渦だわ……。https://t.co/cbHkigKtT7
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年4月13日
「中央(京都)を押さえれば勝ち!」とは言えども、抑えたら抑えたで莫大なコストと海千山千の人間と渡り合う心労がドン!とくるのだから、中央以外からやって来た信長とか、慣れてわりきるまで心底大変だったろうなあ……。
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年4月13日
信長も山下言継のような公家や当人の単独上洛と、中央とのつながりや人脈が無かったわけではないけど、天下統一に近い実力者としてつき合うのはそりゃまた別の話よね。京都に限らず、地元以外からやって来た権力者ってのは、どうにも軽く見られがちですしね。
そういった意味では、信長の部下として中央で実務経験を積みつつ人脈を構築、京都に近い北近江に領地をもらい、中央に通ずる人材を確保。最終的に信長以上のハッキリとした権力を手にした秀吉は、1からきっちり中央との付き合い方を学んでますね。秀吉は秀吉で、出自の低さというマイナスポイントが信長の倍増しだったので、大変だったとは思いますが……でも、最終的に関白を手にしているのだから、なんだかんだで乗り切ったとは思うのですよ。信長と比べ、秀吉が中央との付き合いに時に強引な一手を織り交ぜてるのは、実務を通して「言葉だけでは解決できないこともある!」と知った結果だよな……。言葉と人脈に絡みとられるタマじゃ、京都でやってくのは辛い。
そして家康もまた、秀吉配下として中央で活躍しつつ、やがて豊臣の代わりに京都を差配することに。しょうがねえよ、関ヶ原の戦いで、豊臣の政権運営できる人材、ほとんどいなくなっちまったし。結局の所、中央の付き合いに必要なのは場数と経験。上役の元、学び経験を積む機会がなかった信長は、戦国三傑の一番手ならではの苦労を背負ってるわ。