日々雑談~2206~

 初見の管理者を連れて、二回目のシン・ゴジラに行ってきました。管理者も満足どころか、大満足だったようで良かった。互いに好みの作品やジャンルは若干違えども、根本的なところは似通っているから長年付き合っていられるんでしょう。
 しかし上映中、ちらりと管理者のリアクションを確認していたものの、最終盤はすげえ前のめりになってたな……気持ちはわかるぜ。

 シン・ゴジラ、クリティカルヒットするとズギュンと来る作品であり、ハートを貫かれた俺が言うのもなんなんですが、わりとコレ、好き好み別れるアクの強さあるよね……現在都市伝説的に「関係者試写会ではあまり良い評価が得られなかった」という噂が流れていますが、これが事実だったとしてもむべなるかなと。関係者というか、売る会社側の人間が商材としてシン・ゴジラを観た場合、おそらく悩むでしょう。好き嫌いが別れる作風と、今までにない作品にGOサインを出すのは難しい話。ダメとは言い切れないけど、OKとも言い切れない、正直出すまでわからん位置づけの作品だったと思います。

 それにあと、興行的に売れるかどうかは、まだ分かりませぬ。キャラクターものはまず、初週に固定のファン層がやってくるので、勝負は次週以降。現在夏休みで観客数自体は多いものの、他の強豪映画もゾクゾクとやってくる状況。個人的には、今年トップクラスの映画なので、クセの強さをフルブーストして、のし上がっていてほしいなあ。

 小学生も上映後に「すっげえ楽しかった!」と喜んでいた、シン・ゴジラ。その感性はグッドなものの、その年でこういうのに惹かれると、色々大変だぞ! 昔スターシップ・トゥルーパーズを観て、大変なことになったオッサンの忠告だ!

 以下、キャッチコピーである“現実対虚構”に関する話。本編ネタバレなので、隠しておきます。

 シン・ゴジラのキャッチコピーに現実対虚構と言うのがありましたが、見終わった今となっては、これはまさしくシン・ゴジラのテーマを端的に表した名キャッチコピーでした。唐突に出現する、ゴジラという虚構に侵される現代社会という現実。最初の会議会議は政府への皮肉やブラック・ユーモア的な演出にも見えますが、もし訳の分からない虚構が現実に出現した場合、ああいう行動を取ってしまうのは普通ではないかと。観客はゴジラを知りその危険度も知っているわけですが、作中の政府はそれを知らぬまま虚構への対処に迷い続けます。現実的な学問を極めた学者では推測も出来ぬ虚構、それがゴジラなわけです。この映画は、突飛な発想の出来る人間の投入や、闊歩するゴジラを前に、現実が虚構にすり合わせていく物語でもあります。
 
 やがて政府も、ゴジラという存在に危機感をいだき、従来では考えられなかった自衛隊の市街地での火器仕様を始めとした対策を投じていくわけですが、その対策をゴジラが跳ね返した後の放射熱線により、虚構に対処し始めていた現実は、再び虚構に蹂躙されてしまいます。東京は火の海となり、中枢である閣僚は全員死亡。ここで現実の完全敗北として映画を終えられるほどの絶望感でした。

 しかし映画における現実は、これだけゴジラに蹂躙されても、死ぬことを選びませんでした。地震後の復興のように、何度でも立ち上がってみせる。虚構であるゴジラに対し、積み重ねてきた手段から作戦を編み出し、在来線爆弾のような虚構に足を踏み入れるような手段すら使い、ついにはゴジラを機能停止に追い込む。これにて、虚構による現実の蹂躙は終わりを告げました。
 そして機能停止したゴジラは東京の中心に居座り、政府はゴジラの存在を念頭に置いた外交戦略や法律の立案をおこなうようになる。現実は虚構を止めたものの、虚構は現代社会の中心にあり続ける。現実対虚構の戦いは、両者が融和する形で決着となりました。
 きっとおそらく、巨大な虚構が海を割り姿を見せた時点で、在り続けた現実の完全勝利は無くなったのでしょう。それでも抗い続け、遂には虚構を制してみせた。だからこそ、この映画のクライマックスとラストには高揚感があるのです。