ベイマックス感想
デケえエビフライを筆頭に、魅力的なおかずが沢山入っているハンバーグ弁当。でもここでは、ハンバーグよりエビフライの方が受けるんじゃ……?と考え、内容そのままでエビフライ弁当に名前を変えてみたら、何故か売る前から「ハンバーグ馬鹿にしてるのか」「エビフライじゃ売れねえよ」みたいな話になっている。そんなベイマックス。名前変える変えないより、メシが不味くなるような無粋をずっと耳にする方が、食欲にダメージ。不満を言うなというわけではなく、食べる前に食欲を削ぐようなしつこさや過激さは、ノーサンキュー。
まあつまり、美味くて内容据え置きなら、名前が違ってもメイン推しな料理が変わっても自分はかまわんです。こだわりも、行き過ぎれば毒ッス(エビフライとハンバーグをもしゃもしゃしつつ
喜怒哀楽、豪華四段弁当ことベイマックス。最愛の兄を失った天才少年ヒロと、兄が残したケアロボット“ベイマックス”の物語。どうしていいのか分からない少年と、少年を癒やす本当の手段を知らないロボット。停滞しかけていた一人と一体の前に現れる陰謀、兄の死に関わる漠然たる不安を目の当たりにしたヒロは、陰謀に立ち向かうことを決意する。兄の友達たる四人の科学オタク、そしてベイマックス。立ち向かう者は、合わせて六(五人+一体)。ビッグヒーロー6、ここに見参!
こうやってあらすじを書いてみると、前半部はハートフルな気配、後半部はスーパーヒーロー路線になってますね。別に自分が暴走したわけではなく、忠実に冷静に書いてみてもマジこんな感じです。様々な物を内包した、ディズニーの既存路線から外れぬ作品。めいいっぱい泣いて、めいいっぱい楽しめるのが、ベイマックス。実際のところ、前半部で四人の科学オタクはヒロが立ち直れるよう精一杯頑張っていましたし、ヒーロー路線の後半部でもベイマックスの優しさが爽快感を維持するための原動力になっている。ハートフルとヒーローが相反しているのではなく、むしろ不可分。これらが細かに組み合わさって、ベイマックスという一つの作品を作り上げています。
あとやっぱ、ベイマックスの丸っこさと可愛らしい笑い。これこそ話の潤滑油ですね。常に暖かい客席。客の好みは千差万別、熱い展開が好きな人がいれば、それが苦手な人間もいる。多彩な要素が詰め込まれた映画、様々な好みを持つ客の観る気を維持し続けるための繋ぎが、ベイマックスのボケ。こういう笑いは、多くの人を和らげやすく。そしてそんな笑いと丸っこさを維持しつつの、後半のヒーロー要素。すっげえ動くんですよ、装甲を追加してもまだまだな、あの丸っこさで! 飛ぶし、カラテだし! KARATEだし!(二回目) 単純に、CGアニメとしてハイクオリティな観るべき作品と言ってしまっても、いいんじゃないですかね。生活感のあるジャポネスクな世界観に、いざとなれば、ぐわんぐわん動くキャラクター。見応え、待ったなし!
自分は、原作となっているコミックスのBig Hero6を読んでいるわけですが、率直に言って二作の関係性はあまり無いです。原作というより原案、喩えるならアイドルマスターとアイドルマスターゼノグラシアぐらいに……ゴメン、これは言いすぎた。とにかく色々変わっております。しかしながら、若者たちが集い、道を切り開いていくという構図は、両作共に変わっていないとも思っております。創設メンバーでもあり大人でもあるサンファイアやシルバー・サムライが抜け、残った若いメンバーと同年代、ワサビやフレッドが加入したBig Hero6。映画のメンバーと変わらぬ時期のBig Hero6と映画のビッグヒーロー6、表面上の物は違っても、根っこは同じ。ディズニー映画ではなく、アイアンマンやスパイダーマンに連なるマーベル映画として観ても、これまた良し。まあ、ある一点のせいで「これマーベル映画だ! まごうことなきマーベル映画だ!」ということにもなっているのですが! それが無かったとしても、源流に十分気を使った上で創りあげた、全く新しい映画よね。
兎にも角にも、高めな期待値を容易く飛び越えてくれる、ベイマックスはそんな映画でした。今年最後に劇場で観る映画が、ベイマックスであったことは、きっと幸福なこと。優しさは、世界を救う!
……また、二回目行ってこようかな。
※以下ネタバレなので、一度本文隠して離しておきます。
復讐で、悲しみは拭われるのか。死んだ人は報われるのか。
この復讐という言葉に対しての命題、許しがキレイ事に思われ、ここに一捻り加えての結論が最近多い中。ベイマックスという映画が、ヒロが出した結論は、目には目を歯には歯をとはならない、ある種の許容。変化球流行りの中での豪速球、目新しいせいか、逆に新鮮。復讐に身を焦がしていたヒロを落ち着かせたのは、ベイマックス。許容がキレイ事扱いされるようになった遠因である、キレイ事の羅列で、上から目線で落ち着かせるのではなく……ベイマックスがしたことは、己の誕生記録、兄であるタダシの思い出を淡々と映すこと。その映像から許容を見出したのはヒロ当人。優しさは世界を救うより先に、一人の少年を救いました。
優しさにより許しを得たヒロと対立軸にいるのは、復讐に燃え続けていたキャラハン教授。他人の生命を踏みにじり、手段を選ばず復讐を果たそうとした教授。彼に与えられたのは、亡くなっていた筈の娘が還って来るという奇跡の裏で、娘に駆け寄ることも許されずパトカーに犯罪者として押し込められる結末でした。罰としては軽いものに見えるかもしれませんが、娘を愛した父親として、これほど辛辣な物はないかと。一方、許しを得たヒロの手に残ったのは、明るい未来とロケッチパンチの奇跡、死の悲しみを忘れるのではなく、乗り越えて生きていく。良い、豪速球です。
この映画のビッグヒーロー6と原作のBig Hero6は違う用に見えて根っこは似通っている。先程述べたことです。この違う部分で、あえて個人的に最も違いが出たなあと思うのは、メンバーの年齢層。ヒロが周りのメンバーと比べて年下というのは変わらないのですが、原作では同級生のような間柄でして。多少の年齢差は気にさせない仲間たち、あえて喩えるならば、ディスクウォーズのアキラ達に近い感じで。
この映画の、ゴー・ゴーやワサビやハニー・レモンにフレッドは、どちらかと言うとヒロを見守る姉貴に兄貴。友であることは原作と変わらずとも、悩むヒロを見守り、ヒロが道を踏み外しかけた時は身を挺して止めてくれる。その結果、自分たちが不利益を被っても許せる。見守るもの、頼れるものとして、ベイマックスとは一味違う優しさをヒロに与えてくれました。
ああ、あと。ゴー・ゴーのドライビングテクニック、アレは原作におけるゴー・ゴー・タマゴの出自、元暴走族を連想させてくれるスキルでしたね。そしてフレッドの“仲間も知らない出自を持っている”というのも、実は原作と同一。原作だと、SHIELDより派遣されたエージェント疑惑があるものの、はてさて。
ワサビとハニー・レモンは、原作で持っていた武術スキルをカットされたというか、板前殺法や中国拳法は一介の科学オタクが持ってるもんじゃねえし!w 特に前者! でも原作でもよく分かってない、ハニー・レモンのバッグから何でも取り出す能力を、科学の枠に押し込んだのは良アレンジだったと思います。あといいよね、眼鏡。原作は日本のイメージ=メガネなのか、メガネキャラが半数を占めていたのに、映画ではほぼ全員オミット。そのオミットしたエッセンスを全てつぎ込むかのように、ハニー・レモンをメガネキャラとして再構築。いいね、素晴らしい! ハッピーバースデー! 変身の時外すのもまあ、一つの愛嬌。確かに俺は眼鏡好きだが、自分も含め、コンタクトとの二刀流もアリなメガネスキーだぜ? フェチズムには、一言で括れない奥深さと多様性があります。
話が思いっきりズレましたが、ネタバレ部分の最後となれば、当然エンドロール最後のアレ。マーベル映画のお約束、スタン・リー参戦! この作品はディズニー主導でマーベル映画じゃないですよね?と聞かれたら「おいおい、スタン・リーが出てるんだからマーベル映画でもあるに決まってるだろうが!」と男気満点で言い返せる、シンボルパワー。いやー、中盤、肖像画で出てきた時点でズコー!っとなりましたが、最後の最後、スタッフロールの順番までいじくって、満を持してのスタン・リー登場はシビビンシビビンシビビンビン!と客席から跳びかねない勢いで!(跳ぶな 比較的分かりやすいネタ、初見でも分かるネタで構成されているベイマックスにおいて、今までのマーベル系映画を見ていないと分からないマニアックなネタにして、知っている人はやってくれるぜ!とガッツポーズなネタですよね!
まさかのスタン・リーでシメ。他にも、ベイマックスがケアロボットであり続けたからこそ、ストーリー上で出来た事。ロボットアニメとしての旨味と、語りたいことは山ほどあるのですが、正直! キリが! 無い! いやあもう、こうして書くよりも、もう一回観た上で、居酒屋で酒を片手に好き放題語りたいですね! 良い映画を、特上の映画を観た後には、こうもなります。ええ。