日々雑談~1764~

 時折、ジャンルの喩えとして“沼”。一度ハマったら中々抜け出せない、終わりが見えない深淵さ。こんな感じで沼という単語が使われているのを見ますが、個人的にはしっくりこないなと。特に、自ジャンルのアピールポイントとしては。
 奥底に行けば奥底に行くほど、潜れば潜るほど見えてくる物があるというのは、真実だと思います。ただ、この面をアピールしていくと、深さ=ジャンル内における価値の高さに自然と変動していきそうなのが怖く。意識せぬまま、深さを強調し、浅さとの隔離を目指していく感じで。
 例えば、アメコミでは原書を読むことや海外イベントへの参加が深く、邦訳や映画を見ることは浅くととらわれがちですが、別に映画や邦訳を存分に楽しめるなら、それでいいわけで。
 アイドルのファンだって、生のコンサートを聞くことに価値を見出す人もいれば、ソフト待ちでいいやという人も。おそらく、第三者から沼にハマっていると言われるのは前者ですが、これ応援の仕方が違うだけで、一概にハマり度合いは判別できません。
 深さを作る物はキャリアであり労力であり金銭だと思うのですが、そこに拘らない楽しさも別にアリなんじゃないかと。ちょっと知っておこう、これぐらいの触れ方でいいやという人も立派なファン。ここに深さを価値として持ち込んでも、あまりいい方向に転がらないかと。
 あと単純に、自分の居るところの深さを強調することは、他の場所に比べ深い、つまり他の場所は浅いと言っていることにも等しく。趣味というものは様々ですが、どんな趣味でも極めようとすれば延々と先が見えず、つまりどれも底なし沼です。全てが深さを持つ以上、それを誇ることは得策とはいえず。
 こう並べると否定的ですが、自分の感覚でしっくりこないだけで、言葉や喩えとして無し!というほどじゃあないんですよね。実際、潜ること、学ぶこと自体は素晴らしいと思いますし、それが結晶となればそれ貴重。どちらかというと、使い方に関してしっくりこないんですかね……。

 なお、実体験かつ世知辛い話ですが。どんなにハマっていても沼に囚われたと思っていても、実生活でのトラブルはその、どんな深い所にいる人間もロケット噴射な勢いで脱出!となり。金は生命より重いとの格言もあるように、金は潜るに必要な重石なのです……。