すなかけさん
自転車を忙しなくこぐ中年女性。上り坂の頭に差し掛かった時、一人のみすぼらしい老婆にぶつかりそうになった。少しカスッた気もしたが、急いでいるし、気のせいなら謝る為わざわざ止まるのもめんどくさいと都合の良いように解釈し、無視して坂に差し掛かる。老婆は何も言わなかった。
坂の中盤に差し掛かりスピードが乗ってきたその時、パッと目の前に突如砂が散った。砂は目に入り、完全に視界を殺す。この自転車のスピードで視界を殺される事は、己の死に直結する。ブレーキを全力でかけるが止まらない。ハンドルもぶれ、高速で身体が自転車から弾き飛ばされる。地面に投げ出され体中の痛みに耐え切れず唸る。ようやく徐々に視力が戻ってくる、薄っすらと見える先には、こちらに向かい突進してくるダンプカー。坂の終いは、大通りに直結していた。
老婆はケケケと笑い、事故現場を坂の上から見やる。そんな中、後ろから歩いてきた青年が老婆にぶつかった。完全に注意力を坂下の事故現場に全てやっていた老婆は無様に転倒するが、青年は謝りもせず変な身振りをして立ち去ろうとする。老婆は恨めしそうに懐から砂を取り出した。
青年の顔に砂がかかる、しかし青年はひときりくしゃみをしただけでそのまま普通に歩いていく。青年の動きに異常は無い、砂は青年の視界を殺せなかったのだ。
老婆は驚愕し、幾度もしつこく砂をひっかける。しかし青年は咳をし目の前を払うだけで別段異常は無い。砂を引っ掛けられ、視界を失い坂から転げ落ちる姿を夢想していた老婆は興奮し砂を幾度も投げつける。流石に青年も辟易しその場にうずくまり手に持っていたものを落とす。うずくまる青年に老婆は砂をどんどんと叩きつける。それでも青年は何も言わずに耐え続けていた。
「おばあさん! あんた何をしているんだ!」
その場を通りがかった警官が、老婆を慌てて止めた。後ろ手を捕まえられた老婆は動けない。
「大丈夫ですか? 杖の場所、わかりますか?」
青年はこくりと頷き、地面を手で探り先程落とした白い杖を拾い上げた。そして、手話で警官に向け何か伝えようとする。
「すみません。自分は手話がわからなくて。しかし、お婆さん、口も聞けないうえに目も見えない人相手になんてことをしていたんですか」
激怒する警官。反面老婆は狂ったように笑い出した。視界が既に死んでいる人間の視界を殺せる筈が無い、なんという愚行かと自嘲する老婆。ケタケタと甲高い声で笑い続ける姿に嫌悪感を覚えた警官は、思わず老婆の拘束を解いてしまう。狂ったように笑う老婆の身体に入るヒビ、風が吹き老婆の身体が砂の人型のように崩れ落ち風に流されていった。警官はポカンと非現実的な様を眺めていた。青年は、未だ手話で何か伝えようとしていた。