マン・オブ・スティール プチ感想

 70年以上連載されてきたコミックスであるスーパーマン。人を救い、悪と戦い、悩み、笑い、悲しむ。歴史の長さと共に、作中で取り入れられてきた様々な要素。スーパーマン・リターンズでは人を救い、今までの己に悩むスーパーマンの姿が描かれた。そしてマン・オブ・スティールでは、悪と戦い、これからの己に悩むスーパーマンの姿が描かれた。

 先日、パシフィック・リムでロボットvs怪獣のど迫力バトルが映像化され話題を呼びましたが、マン・オブ・スティールではドラゴンボールを彷彿とさせる、空中戦を交えた高速戦闘が一つの理想として完成しました。バスン! ビューン! ドカーン! こんな擬音で説明せざるを得ないバトル。この戦闘に、クリプトン人として生まれ、地球人として育ったスーパーマンのドラマが混ざるのだから、もうお腹いっぱいです。ただ少し、ボリュームがありすぎて、間延びや胃もたれも感じましたが。少し絞った方が映画としては良いんじゃないかと思いつつ、極厚な起承転結が完成している以上、これがベストなのでは。悩ましいところです。

 以下、ネタバレなので隠しておきます。ゾッド将軍についてのお話とちょっとした総括を。

 ゾッド将軍、よく出来たキャラでしたね。若干、ローマ人っぽい顔で。
 実のところ、何故ここまでクリプトンの再建に執着するのかとの動機が薄かったのですが、人工的に作られたデザインベイビーのキーワードを持ってくることで、一気に解決。単なる愛国心からの野望ではなく、作られた人間である以上、再建する以外の選択肢は無かった。この点、自然出産による、無限の選択肢を与えられたスーパーマンとの対比が。それ以外を求められる能力を持ちながら、選択肢が一つしか無いゾッド将軍は、第一作目にしては哀しすぎて強すぎる大敵でした。
 最後の結末も、ある意味原作再現といいますか……スーパーマンは一度ゾッド将軍の殺害に至ったことはあります。状況的に、映画と同じく、仕方のない状況でしたが。そしてスーパーマンは、クリプトン人でも中立の架け橋でもなく、地球人のヒーローとして今後歩むことに。おそらく、この辺りの事情も、今後のVSバットマンに大きく関わる可能性があるんじゃないかと。対立の原因、攻略の手段、稀代の戦略家に預けるには、少々怖いカードです。

 最終的に、人としてのスーパーマンが映画を通して見れたので大満足です。行き過ぎた聖人君子ではなく、己の力を過剰に誇らない善きサマリア人ならぬクリプトン人もしくはカンザス人。完成形ではなく未完成の超人を、第一作目にキャラクターとして立てた。シリーズの今後が、楽しみです。