終末デート
彼女の翠色の瞳は、見入るしか無い美しさがあった。
頼りなさではなく、繊細と呼ぶべき肢体。人工色ではない、ごく自然な紅い髪。月明かりを僅かに弾き返す白い肌。そんな女性が、疲れ果て帰ってきた自分の寝床で待っている。電灯を付けず、月光を灯りとして。
「……する?」
声も良い。乞うているのに上品、そんな矛盾をすんなり飲み込めてしまう。男として、下品に奮い立ってしまいそうな。
ああ、もう。仕方がない。こうも状況が整えば、仕方がないのだ。
ドクンと、己の中の性を吐き出す。高揚感の後に訪れる、冷静な理性。本能が暴れ狂っている時には姿を消し、本能が落ち着いたところで帰ってきて賢者ヅラで諭してくる。理性とは、職場の同僚や妻には持ちたくないタイプだ。
しかしまあ、後ろ指指されるどことか、寒々しい笑顔で賞賛される正しいこととはいえ、なんという変態なのか。事後に、こんなことをするだなんて。
性を包んだティッシュを捨て、ベッドに座り虚脱感を吐き出す。ベッドの下に転がる廃棄予定のシーツの中には、つい先程まで蠱惑的であった肢体が、死体となって包まっていた。添えられた血塗れの重々しい時計が、カチリと揺れた。
ゴクゴクと、美味そうに喉を鳴らして酒を飲む。場末の赤ちょうちんならともかく、一等地のバーカウンターにしては、生活感の有り過ぎる飲み方だ。
「そうか、お前の所にも来たのか」
疲れきった様子の上司が、溜め込んでいたアルコールを息と共に吐く。
「すると」
「この間、俺の所にも来た。まあ、潰す時は楽しかったよ。そうでも思っていないと、やってられん」
上司は笑う、やけに透き通った笑いであった。
「あれは一体何なんだろうな」
「さあ。なんなんでしょう」
「随分と、知り合いの夫婦がよそよそしくなった」
「友人の結婚式が中止になりましたよ。夫が連れて行かれて」
知り合いや友人だけではない。最近、男女の仲は随分とよそよそしくなってしまった。男は理想を求めて祈り、女は奪われまいと気が立っている。
原因は全て、男を求め唐突に現れる、謎の美少女達にあった。
いつからは不明である。ひょっとしたら、彼女たちの存在をこちらが認知するよりも、ずっと前から居たのかもしれない。分かっているのは、この数年、対策を立てねばならないほど、増えたことである。
老若問わず、男のもとに現れる謎の美少女。外見まぜこぜで複数存在する彼女らの共通点は、非現実的な美しさと男に尽くそうとする心根のみ。何処からともなく現れた美少女は、男を誘い、性交に誘う。これだけならば、素晴らしい話だ。例え不可思議でも、是非ともお願いしたく。存在が公になって以来、こんなことを願っている男は多い。
だが問題は、彼女達は男自体を見てないこと、そして事後にある。恋人がいようが夫婦だろうがお構いなく、彼女たちはただ男を欲する。まともな女性たちから見れば、美少女は敵であり化物でしかないのだ。
そして最大の問題点は事後だ。交わった後、美少女は恍惚とした男を抱きながら繭となる。繭となり、人間大の卵となる。卵となる意味は不明だ。割ってみても中にはどろりとした白身のような液体が入っているだけで、美少女も男も黄身も無い。放っておいても、何かが産まれることもない。ただ、人間らしき者と男一人が消えるだけで、卵は何も生み出さなかった。
公になり、男女の不和や将来の少子化も囁かれるようになった頃、我が国初の女性総理は決断を下した。次々と湧いてくる美少女たちは人間ではなく、当然人権もない。理解し合えぬ怪物を殺すことは、正義であると。
上司の前に、空のグラスが転がる。バーテンは、男の敵とも言えるこちらから、距離を取っていた。男の本能の敵だ。
「人をエデンに誘いに来た天の使いか、人を減らすため現れた神の代理者か」
「宇宙人や異次元人、最近は世界を巻き込んだ集団幻覚、なんて言っている人もいますね」
美少女達の発生源に関しては諸説様々入り交じっているが、未だどの説が正しいかの答えは出ていない。
美少女を殺す仕事に就いています。数年前であれば、鼻で笑われるどころか、檻付きの病院に放り込まれる発言である。だが今は、まともな仕事。公務員の仕事なのだ。
「最近、周りに女が増えてきたな」
「仕方ないですよ。男自体が、信用を失いかけているんですから」
理性では分かっていても、本能が拒めない。自然と社会は、本能を顕にする機会がない、女社会となっていた。社会の原動力は、男を奪われた女の怒りである。
「今の総理、元ファーストレディですよね」
「ああ。旦那は卵になって消えたからな。正に置いて行かれた女の執念だね」
このままでは、近い将来、世界には女とゲイしか残らないのでは。それか、もしくは。
「おい。この写真見ろよ。俺の息子、デカくなっただろ」
上司が手にした携帯には、犬の写真が写っていた。息子は連れて行かれ、息子の妻は自分の嫁と共に心中して。残された上司に残ったのは、犬だけであった。比喩ではなく、上司は本当に犬を息子と思い込んでいる。家族を大事にする男にとって、積み木よりも容易く崩れた絆の様は、直視するに残酷すぎた。
「いやあ、大きくなりましたね」
「だろ? だろ? 息子がいる限り、俺はどんな美女にもなびかんよ」
適当に相槌を返しながら、思う。犬を息子と思う上司に比べ、自分はどうなのか。割り切りとして、美少女に欲情を抱かず、彼女達を処理した後に吐き出すことを続けている。だがこのやり方ではまるで、人間に告示した生物を殺すことで、快感を得ているように見えてしまう。何より救えないのは、この行為に卑しさを全く感じていないことにある。
上司の携帯が震え、メールの着信を知らせる。
「仕事だ」
「何処ですかね」
「寄宿制の男子校の寮。もはや、乱交だよ、乱交。性の乱れ、親の涙、ここに極まれり」
携帯をしまうと、上司は席を立ち会計に向かう。さて飲んでしまった以上、どうやって現場に向かうか。美少女を処理する道具は、車以外では持ち運びが出来ない。誰か、運転手を寄越してもらうか。
ぶるりと体が震え、慌ててトイレの個室に駆け込む。どうにも既に、いきり立っているらしい。一度ほとばしらなければ、収まりそうにない。
このまま世界が続けば、残るのは女性と女に興味が無いゲイと、精神異常者と変態だけ。女でありながら性的に美少女を欲する存在、率直に言ってしまえばレズと呼ばれる連中は今後どう動くのか、今後の鍵となりそうでどうにもならなそうな事に関しても、少しだけ考えを巡らす。そして飽きた。
変態目線の判断ではあるものの、どうやらこの世は終わるらしい。少なくともこの社会の近日中の崩壊は、確信せざるを得なかった。