映画アントマン感想

 映像の進化により、今まででは想像もできなかった巨大な怪物や広大な戦場を撮れるようになった昨今。でもこの技術を、全く別の発想。ミクロの決死圏を始めとする、小さな世界への描写につぎ込んでみたらどうなるのか? 結果は、大きな世界に劣らぬどころか、大きな世界では決して出せぬ迫力やアイディアがてんこ盛りの映像の完成でした。そしてその答えこそ、映画アントマンです。
 アイアンマンより始まり数々の作品を経て、アベンジャーズを総決算とするマーベル・シネマティック・ユニバース。アントマンもまたその一遍でありながら、非常にバランス感覚に優れた一作。繋がる世界の旨味を残しつつ、壮大になり過ぎないよう、上手く調整済み。気楽に今まで観たことのない映像と、親と娘にテーマを据えた物語を楽しめます。未知の映像+スコット的には1から始まるヒーローのオリジンとして、映画第一作のアイアンマンに通ずるところもあるんじゃないかな。
 書きたいことは幾つもあるのですが、今日は一先ず、二人のセカンド・チャンスマンとクロス・ダーレンの正体と、他のマーベル・シネマティック・ユニバースでない映画も関わってくる小話を書いてみます。

 なお、今回はネタバレ無しなので、フルオープンでいかせていただきます。

 過ちを犯さない人なんていない。そして人間は誰でもやり直す機会、“セカンド・チャンス”を持っているんだ――
 刑務所から出所後、職すらマトモに就けない元犯罪者。離婚した結果、愛する娘とは離れ離れ。にっちもさっちもいかなくなった男、スコット・ラングがこの映画の主人公なのですが……彼を支える先代のアントマンであるハンク・ピムもまた、彼に似た男でした。様々なところから追い出される形で世捨て人となり、自身で作り出してしまった物に戦々恐々とする天才科学者。妻の死を経た結果、愛する娘と心は離れ。にっちもさっちもいかない状況だったのは、ピムもまた同じ。自身と似た状況にあり欲する才能を持っている男をピムは求め、追い詰められていたスコットは自分が使い捨て同然だと知りつつ受け入れる。スコットと出会うことで、ピムもまた最後のやり直す機会を得たのです。
 偏屈な老人と短慮な若者。二人のアントマンの元に訪れる、セカンド・チャンス。彼らがその機会をどう活かして、やり直していくか。それがこの映画のテーマの一つだったのではないかと。

 今回ヴィランとして選出されたのは、ダレン・クロス。率直に言って、マイナーなヴィランです。そもそも二代目アントマンであるスコット自体、かなりのマイナー寄りなのですが。原作のダレン・クロスと映画のダレン・クロスは、ビジネスマンという下地は同じでも、能力や動機は全く別で……完璧超人な新世界の神と、ドルオタになった新世界の神レベルで違います。映画の下地の一つである、コミックスにおけるスコット・ラングVSダレン・クロス。これはその決戦回の表紙ですが、アントマンと対峙しているこの男こそがダレン・クロス。一目見ただけで、その違いがわかるかと思います。

スコット・ラングVSダレン・クロス

 そんな彼が選ばれた理由があるとしたら、ダレンはスコットが二代目アントマンになった切っ掛けとなる男であったこと。二代目アントマンの数少ないライバルヴィランであること。今までの映画のヒーローとは違い、スコットのライバルは少なめです。ライバル駄々余りでローグスギャラリーもマンモス化しているバットマンやスパイダーマンと比べると、本当に少ないです。消去法でダレンが選ばれたというと、元も子もないのですが。
 ただ、ダレン・クロスの名はあくまで一要素でしかなく。この映画のダレン・クロス、イエロージャケットは原作で形作られたアントマンという存在に対抗できる要素を一纏めにした結晶です。まず名前であるイエロージャケットは、初代ハンク・ピムが追いつめられた際に生み出したもう一人の人格にしてヒーロー。そして、破綻や暴走の象徴ともなった存在。そのスーツのハイテクさと攻撃的なデザインは三代目アントマンであるエリック・オグレディのスーツのライン。

映画版イエロージャケット

アントマン3(エリック・オグレディ)

 二代目アントマンのヴィランであるダレン・クロス+ハンク・ピムの破綻の象徴としてのイエロージャケット+今までのアントマンの性能を超える三代目アントマンのスーツ=映画のダレン・クロス(イエロージャケット)
 こうやって数式っぽくしてみると、ただのダレン・クロスの実写化でないことが、わかっていただけるかと。マーベル映画には複数の原作要素を組み合わせたキャラが多数出てきましたが、ダレンの設計思想と映画ヴィランとしての完成度は、五指にいれたいところです。
 
 アントマンがとっつきのよい作品というのは先程述べましたが、このアントマンに期待されているもう一つの役割は、新たな入り口なのだと思うのですよ。アイコン化しているアイアンマンやキャプテン・アメリカとは違う、別の全く新しい入り口。コミックスでの知名度に頼っていない入り口。おそらく同じカテゴリーに入るのは、数年前まで無名キャラだったスターロードをリーダーに再編成したガーディアンズ・オブ・ギャラクシー。マイナーチーム止まりであったビッグヒーロー6(ベイマックス)辺りです。
 実のところ、本国のアメコミ業界も新規参入層の不足やファン層の高齢化に先鋭化と、規模は大きいながらも、日本と同じ悩みを抱えているんですよね……いやなんか向こうでスゲエ流行っているイメージありますが、市場規模は徐々に下がり気味かつどんどんマニア化しているのが現実です。そもそも日本みたいに、老若男女がみんな漫画を読む国のほうが珍しく。メインの客層は、子供かマニアです。そもそもコミックスの人気を映画に持ってくる流れだとしたら、主人公はハンク・ピムでしたでしょうしね。スコット・ラング、確かアントマン制作第一報の時点で、原作だと絶賛死亡中でしたし。これもすごいし不遇な話だ。
 コミックスで不遇気味だったキャラの抜擢は、この現状を打破するための映画側の挑戦なんじゃないかと。コミックス側としては、優良顧客を切り捨てるのは難しいでしょうが、広い層に訴えかけていかないと詰み確定の映画側としては四の五の言ってられないですからね。有名キャラを使ってめんどくさいことになるよりは、手垢のついていないキャラを使って新鮮味を演出、そして今まで引っかからなかった層の掘り出しにかかる。
 これからしばらく、マーベル・シネマティック・ユニバースは有名キャラの映画が続くのですが……そのうちまた、こういう覚悟を決めた入り口を改めて作ってほしいところです。正統派もいいけど、やはり破天荒なキャラの映画も……あ。来年は、マーベルの核弾頭にして映画X-MENシリーズの最終兵器デッドプールがあったわ。よし! まだこういう予想だにしない面白い入り口、たんとあるぞ!