日々雑談~5778~
「平和になると顕れるという麒麟がくる世」
駒を通して語られた父の言葉が、麒麟がくる世を求める明智光秀を作りつつ、自らが麒麟となろうとする克己心を追いやってしまったのでは。そんな、麒麟がくるの光秀。— 藤井三打 (@nikuzousui) February 7, 2021
麒麟がくる、最終回を観ました。まだ途中に抜けはあるし、最終回も途中からだったものの、ひとまず感想としてはこんな感じ。
間違いなく光秀は優秀な武将であり、天下人を担げるだけの器量はあるものの、その一方で、徹頭徹尾「この人は三日天下の人だ」と思わせる無垢さもあった感じで。水と油みたいに適正の有無がハッキリ伝わってきたよ。
— 藤井三打 (@nikuzousui) February 7, 2021
道三も光秀の可能性を見出しその理想を語ったものの、その理想の継承者は信長であり、光秀のことを大きな国を自ら作れる男としては見てなかった気もする。共に作れる男ではあったんだろうけど。
— 藤井三打 (@nikuzousui) February 7, 2021
斎藤道三、朝倉義景、織田信長、徳川家康……国主であり、集団の頭であった者たちが持っていた胆力や妖気、自分が方針を決める気概。これらの部分が、光秀には本当に無かったなあと。光秀自身の理想を、理想のビジョンが浮かんでなかった信長に託してしまったのが、悲劇の切っ掛けだったのかも知れない。そりゃ、本能寺は成功しても、秀吉には勝てねえよ。最終回で歩き出した男と、初登場時からとにかくがむしゃらに走っていた男じゃ、勝負になりゃしない。
戦国時代のドラマで忘れられがちな京都や公家に朝廷に天皇を真ん中においたドラマ作りは斬新でした。コロナ禍で大変な中、やりとげたことをお祝いしつつ、抜けてたところを再度見直すつもりです。実際、コロナが無かったら、あっさり滅んだ朝倉家周りがもうちょっと厚かった可能性は高いな。