日々雑談~3526~
カードゲームでカードを持っていれば持っているほど好きにいろいろデッキを組めるように、学校問わず様々な知識に触れれば触れるほど、様々な可能性を模索できるようになるわけで。ルールの変更や、組み合わせにより、いらないと思っていたカードが生きるのも、また同じ。
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年1月5日
学生時代「英語なんていらん……滅びろ……」と思ってた人間が、いろいろあって海外コミックスの仕事に関わるようになったりするようなオモシロ経歴もあり得るんだから、早いうちに捨てたり要らんと判断すると、勿体無いよ!(英和辞典を片手に半泣きで
— 藤井三打 (@nikuzousui) 2019年1月5日
Twitterで、サイン・コサイン・タンジェントは義務教育に入れなくていいのでは?みたいな話を見て、なんとなく考えてみた結果です。◯◯だからいらないみたいな感じで学校の勉強を削り始めたら、たぶん読み書きと簡単な計算以外残らないんじゃないかな。それは、近代国家に必要な「教養」と「教育」の放棄だけど。
最終的に知識の取捨選択は必要なものの、小・中学校辺りの教育は必要最低限の基礎レベルですからね。高校あたりからは、世界史と日本史のように、選択がちらほらと。大学はもう、完全に自分で選ぶ学問です。成長とともに、取捨選択も自分の手でしていけばいい。
たとえその道を選ばなくても、ほんの僅かでもその分野に理解があるかどうかで、理解度はだいぶかわるわけで。美術を知らなかったら、芸術家の凄さはわからないし、家庭科が無かったら、日々家事をしてくれる人への感謝も薄くなると思うのですよ。こういうことを、ざっと教えてくれるのが学校。ほんとに、あくまで基礎。
とりあえず、学べることはガンガン好きなように学んでいけばいいんですよ。役に立つか立たないかは、天命が知るのみ。ただ、無けりゃあそこまでだけど、持っていたら何かに使えるかもしれない。それだったら、持ってたほうがいいですな。