バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 感想(ネタバレ無し)

 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生(BvsS)を観て来ました。
 マン・オブ・スティール(MOS)での、スーパーマンVSゾッド将軍の激戦。バットマンであるブルース・ウェインは、そこに居た。あくまで一般市民であるブルース・ウェイン目線でのMOSクライマックスは、きちんとMOSのタイムラインに沿っているので、BvsSに合わせての地上波MOSは最高の援護射撃でした。しっかりその光景を覚えていると、やはり没入感が違います。

 地球に現れた、正義の超人。戦いから一歩退いていたクライムファイターは、人類の一人として、再びケープを身に纏う。自らの、正義と意志の為に。
 マン・オブ・スティールから連なる一連の世界観である、DCエクステンディッド・ユニバース。ありていに言ってしまえば、映画アベンジャーズの属するマーベル・シネマティック・ユニバースのDC版です。この新ユニバースの作品は、今のところMOSのみ。このBvsSが二作目となり、この作品でデビューしたバットマンやレックス・ルーサーは、シリーズ初出演ともなっております。前作では、それぞれの会社のロゴがちらりと顔見世してましたが。
 そんな新キャラである彼らの作中における説明なのですが、わりとシンプルです。しっかり説明するというより、既存のキャラクターイメージをベースに、作中にそれとなくイメージを配置しておく感じでしょうか。観客の理解力や知識への期待値は高めです。

 MOSは「スーパーマンならこういうアクションをするだろう」というのを追求した映画ですが、BvsSにも、これは引き継がれています。スーパーマンの高速アクションとは、対比する形でのバットマンの用意周到なアクション。闇に潜み、相手の戦闘能力を奪う。多数の敵に真正面から突っ込むのではなく、虫の四肢を順繰りにもぎ取るような暗さで敵を倒していく。ゲームのバットマン:アーカムシリーズでプレイヤーが創りだす光景が、見事に実写化されております。バットマンといえば乗り物!ということで、バットモービルにも活躍の機会はありますが、こちらはこちらで普通の車や銃火器相手に無双するモービルのチートっぷりが楽しめます。最も、スーパーマンは更なるチートなのですが。あくまで人間でしか無いバットマンが、スーパーマンと戦うためには、どうすればいいのか。チートにチートで立ち向かうのではなく、自らを振り絞り立ち向かう。非常にバットマンらしい戦い方、そして簡単にチートを用意することでスーパーマンの無敵性を貶めない戦いが繰り広げられます。

 スーパーマンの正義とバットマンの正義。二人のヒーローが対決に至るまで。トリックスターとしてのレックス・ルーサー。もう一人のヒーロー、ワンダーウーマン。そしてこの映画としての結末と、エクステンデッド・ユニバースの未来。この映画は、これらのテーマが存分に描かれていますし、どのパーツも光り輝いております。ただ難点を上げるとしたら、その繋ぎにオマージュや事前の知識を使ってしまっていること。マニアにとってオマージュはサービスであり美しさなのですが、それを知らない人間にとっては、よく分からない粗雑さに見えてしまう可能性も孕んでおります。今は、スーパーヒーロー映画がライト層にも受け入れられている時代、この美しさがマニアの手を離れても受け入れられてもらえるのかは、少し不安なところがあります。

 BvsSの評価は、現状色々なところで語られており、そこには困惑も混ざっています。前作であるMOSと話は密接に繋がっているものの、作風が若干変わっているというのも困惑の源にあるかとは思いますが……。
 美点に難点、困惑も含めBvsSはアメコミらしい作品、むしろ原液と呼んで良いくらい、アメリカンコミックスな作品だと思います。シーン毎の美しさやテーマを消化する能力、新規層への不器用な接し方、路線や方針によるシリーズ作風へのゆらぎ。どれも、アメコミではよく見受けられる光景です。
 既存のスーパーヒーローとは違い、不器用なくらいに原典に沿って歩む道を選んだ、DCエクステンディッド・ユニバース。まずファンとしてそれは愛おしいですし、今後の成否は世界各国や本国で、どれだけDCコミックスやアメコミが映画と一体となり成長できるか。そこに、かかっているのでしょう。