近世百鬼夜行~弐~
人の世で生きるには偽名が必要だ。そう教えられた。
そもそも妖怪の名など名乗っていて、人とまともにつきあえるわけがない。ならば人らしい名を事前に用意しておくべきだろう。そう言われたセブンは、自分の名の意味を日本語に直訳した『ナナ』、それらしい漢字を当てて『那々』という名を創った。
随分に安直だとコックローチGという名の妖怪が笑ったが、彼の偽名もゴキブリの『ゴキ』にかけて『五木』。流石に読みは不自然にならないために『イツキ』としているが。まあ、安直な事に変わりは無いだろう。
そんな安直な妖怪二人は、会の片隅のそのまた片隅のボロいビルで、人として働きながら一緒に暮らしていた。
五木清掃会社。それがこのビルの名前だ。五木を社長とし、那々が社員として雇われている、対外的にはそういう事になっている。実際、妖怪としての格で比べるならば那々が百馬身差くらいで五木をぶっちぎっているのだが。
「那々、醤油とってくれ、醤油」
「ん」
食卓を囲む二人、レトルトやらコンビニの出来合いで占拠された座は少し物悲しい。
妖怪の格の差等はここでは関係ないとばかりに五木は那々をアゴで使い、那々も大人しくそれに従う。
「お、サンキュ」
「替わりにソース取ってきて」
「あいよ。ってソース切らしてるじゃねえか、買い置きあったかな……」
社員に命令され、ぶつくさ言いながらソースを探しに行く社長。
社会的地位も格の差も取っ払った関係、つまり二人は対等ということであった。
オバけにゃ学校も、試験も何にも無い。
こんな人も憧れる理想的な生活を送るにはそれなりの基盤やら実力やらが必要なワケで、それが無い妖怪は当然勤労せねば生きていけない。人界で生きるならなおさらだ。
今日の仕事は公園の清掃、ゴミの回収に遊具の研磨、そして芝生の草取りとやるべきことは無数に有る。那々は芝生周りのことを任されていた。五木は別の場所でセカセカと働いている。
那々の真の姿であるセブン。その妖怪としての能力は、無数の道具の内包と使用の術の熟知。道具の種類は工具を中心に一人ホームセンターと呼ばれるほどに様々。それだけならば、非常に生活に便利な妖怪として名を馳せていただろう。彼女が妖怪兇器と異名をとる理由はもうひとつの能力のせいだ。
術と言っても正しい使用法ではない、その使用の術は効率よく敵を葬るための使い方。チェンソーは木材を切るためでなく体を丸ごと切り裂く為に、金槌は釘を叩くのでなく頭蓋を砕く為に、そして草刈鎌は――
今は、草を刈るためにある。
術を使わなければ、何のことは無い唯の切れ味が以上に良い鎌。非常に便利だ。サクサクと雑草を刈り、仕事は順調に進んでいた。
刈った草や拾ったゴミを纏めて袋に入れ、所定の位置へ持っていく。何往復目か、数えては居ないがハッキリしている事はこれを運べば作業は終了である事だ。
袋を運ぶ那々。その先にある光景は、乱れた集積所。きちんと整えてあった筈なのに、置いてあった袋の端々が破れ中身が散乱している。袋自体もあちらこちらに放ってある。
「よーし、パスパス」
「いくよー」
確実に主犯な子供達が乱雑さの中で遊んでいる。小学生ぐらいだろうか? もうやってはいけない事の判別はつくだろうに。そんな彼らは小さいゴミ袋を使ってのサッカーに夢中なようだ。ゴミ袋を手に持った那々の姿をチラリと見ても、平然と遊び続けるその胆力と無邪気さには感心するしかない。きっと、その遊びを平然と放置し、井戸端会議にいそしむお母様方から受け継いだものだろう。
無言で那々はゴミ袋をその場に置き、子供達の方に駆け寄りパス回しされていたゴミ袋を手で掬い取る。那々の動きに目がついていけなかった子供達がボールが消えたと騒ぎ立てたが、彼らのボールを手にする那々を見て全てを悟り、彼女に抗議の目を向けた。
「……なんだ? その目は」
それだけ那々は呟くと、子供たちの方を睨み返す。大小などは関係無い。無垢な敵意を流せるほどに、那々は器用ではなかった。敵意を向けるなら有象無象も関係無い、有る意味では究極の平等主義者だった。
「ちょっとアンタなにしてんのよ!」
異常に気がついた保護者達がこちらに駆け寄ってくる。良いタイミングだった。あと数秒遅ければ、比喩でも成しに視線で射殺していた。子供たちは恐怖を超え、呆然としている。
「それはこっちのセリフだ。わかっていたんだろ?」
殺気を抑えずに、那々は保護者たちに問う。わかっていたのなら、止めるべきだと。あの位置で気づかぬはずがあるかと。
しかし、彼女らにもはや殺気やその問いに答えられる純粋さは残っていなかった。
「なにがよ。ワケわかんないわよ!」
「だいたいアンタ公園の職員でしょ? それが子供をイジめるなんて、大問題じゃない」
「そもそもこんな時間に清掃しているのがイケないのよ。邪魔にならない夜にでもやりなさいよ」
「やーねー、自分の事しか考えられない大人って」
自らを棚上げした抗議の音量最大なステレオ。那々はそれに対して無言だった。そもそも口を出す合間さえないのだが。
めんどくさい。
こう何か、ややこしく絡まった糸を根元から寸断してしまいたいような感情。腰の脇に括りつけてある鎌の自分的な正しい使い方を思い出せそうな。
すっと那々の手が、鎌の柄に触れた。
瞬時、のどかな公園に殺気が走った。単純な殺意とは比にならない、猛毒のごとき殺気。空を飛ぶ小鳥が泡を吹いて落下し、木々も何事かとざわめき始める。那々を取り囲んでいた主婦達も、立ちくらみを起こし親子共々次々とその場に倒れ付す。
「!」
那々は鎌を抜き放ち、縦に一閃する。何を断ったわけでも無い、宙を凪いだだけなのに、公園を包む殺気が一気に四散した。
「見事。拙者の殺気を撃ち払うとは、山から降りて来させただけはある」
いつからそこに居たのか。那々の数メートル目の前に、殺気の源であるカマイタチが居た。
「無駄に頭を下げ続けて居る姿を見た時は、不安を感じたが、なんのお主は十分にツワモノよ」
「……サムライか? 始めて見たな」
着流しに編み笠を被ったカマイタチの姿は、正に万人がイメージするところのサムライだった。最も、サムライは両脇に太刀を挿すという、妙にバランスの良い格好はとらないが。
「始めてか、そうだろうな、一昔前ならばこの国に溢れていたのだが、もはや――」
カマイタチが腰を落とし構える。那々がその構えの狙いを想像する間もなく、カマイタチは風となった。それは、風と評するしかない神速の動き。一の刃が那々の首を狙う。
寸前、那々は己の首の前に鎌を差し込む。ぎりぎりで交錯する鎌と刀、斬るというより、叩きつけるような一撃により、那々の体勢は完全に崩れた。
カマイタチの脇に挿したもう一方の刀が抜き放たれる。その狙いは、絶てば終となる首。体勢が崩れた那々にそれを防ぐ術は無かった。
「不意打ちコックローチキィックッッッ!!」
既にコックローチGへと変身を終えた五木の跳び蹴りがカマイタチの後頭部に直撃する。威力はさほどでは無いものの、いきなりの一撃はカマイタチの体勢を完全に崩壊させた上に、その狙いも反らせた。外れたカマイタチの刀とそれに合わせた那々の鎌がぶつかる、パキンと甲高い音と共に鎌の刃が競り負け割れた。鎌を投げ捨て、那々はカマイタチの横ッツラを思いっきり殴りつける。編み笠が弾け、カマイタチの体がバウンドしながら横へスッ飛ぶ。
那々の妖怪としての長所は、歩く日常雑貨店な部分のみでは無い。直径の兄らから脈々と繋がる、破壊的な怪力も十分に畏れるべき物であるのだ。
「五木、いいタイミングだ。狙ってたな」
功労者のGに労いを向けてから、那々は食肉包丁を手にする。その視線の先には立ち上がろうとするカマイタチの姿があった。編み笠は無くなり、その精悍な素顔が露になっている。頬の刀傷と、肉が削がれた顔があまりにそれらしすぎた。
「すばらしい拳、そして機転。話に聞いたとおりの強者よ! ハハハハハ!! 」
カマイタチは高らかに笑い、刀をしまった。先ほどと同じように、居合いを混ぜた突撃を仕掛ける気なのか。しかし、カマイタチに先ほどのような殺気は無かった。そしてそのまま踵を返す。
「……逃げるのか?」
カマイタチの意思に感づいた那々が、殺気を放ちながら問う。
「果し合いの場所がここではあまりに惜しい。場を改めようぞ。我が名はカマイタチ、覚えておくがいい」
追撃を意にも介せずと言わんばかりに、カマイタチは完全に背を向けその場を後にする。那々は包丁を振りかざし、その背中を狙うが。
「何故止める?」
うずくまったままのGが、那々の服の袖を掴みそれを止めた。
だいたいに、先ほどからGの行動はおかしい。奇襲が成功した日には大騒ぎして勝ち誇る筈なのに、ずっと無言のままだ。
「カマイタチは三人兄弟だと俗に言われている……」
「む?」
いきなり、Gがカマイタチの解説を始めた。那々もその詳細は知らなかったので、それに聞き入る。
「曰く、一人目が転ばし、二人目が斬る、そして三人目が止血の薬を塗るという三人一組の辻斬り妖怪。切り傷の大きさのわりに血が流れない事から、この三人目の塗薬説は伝えられている」
「一人目が転ばし、二人目が斬るという辺りは合っているな」
カマイタチは一撃目でこちらの体勢を崩し、二撃目でこちらの首を斬ろうとしてきた。ならあのまま放っておけば、薬でも塗ってくれたのだろうか。
「しかしそりゃあ嘘だったんだよ。カマイタチは見ての通り一人だ。あの三連の動きを三人兄弟にたとえた訳だな」
「三連? おい、アイツの動きは二連止まりだぞ。薬を塗るなんて気のいい動きは無かった」
那々が軽く笑う。Gの顔は対照的に曇っていた。
「そりゃ薬なんて塗るわけがない。三人目の真の意味は、血も流さずに斬る事。お前の目にも留まらなかったんだ、もはや神の域の技だぜ」
Gが手を離し、傷口を披露する。Gの足首は千切れそうな程に深く切れていた。皮一枚、比喩ではなくそれだけで足首を残していた。それだけ深い傷なのに、血の一滴も出ていない。まるで薬でも塗ったかのように。三人目の真実は神と並ぶところに居たのだ。
「……オマエが来なかったら、私がそうなっていたな」
「いや、もっとイイとこ斬られてたんじゃないかな。三人目の正体、見極めないと負けるぜお前。ところで、なんかいいもんないかな、抑えてないと千切れちまう」
無言で那々は極太のホッチキスを懐から取り出した。
「え? ちょま、お前。それで? それでやんのか?」
思わず後ずさるG、その姿をニヤニヤと見ながら那々がにじり寄る。
「あいにく私は医者じゃあない。なんせこの状況をごまかすには時間が無い。なあに、上手くやるさ」
気絶した人々の快方や荒れた公園をゴマかすくらいのことはやらねばならないだろう。それにはそれなりに時間が必要だ。
バチンバチンとホッチキッスの針が弾け飛ぶ。数秒後、ギャーと断末魔のごとき悲鳴が公園から聞こえた。
その日の晩。
「おもしろい!」
お猪口の酒を飲み干し、カマイタチが吼えた。
「だろう? しかもいい女ときたもんだ! たまんねよなあ」
火車はビール缶片手にケタケタ笑う。二人とも、ほろ酔い気分で上機嫌だった。
「いやあ、あっちの油虫の妖怪もすこぶる良いぞ。こっちの殺気に当てられて卒倒したときはダメ妖怪めと思ったものだが、なんのスグに復活しよった。アレもそれなりの傑物よ」
「おうおうおう、じゃあ俺がセブンちゃん俺がもらっていいのかな?」
「いや、それは駄目だ。ヤツはこちらで果たしあう。油虫はそっちへ渡そう。油だけあってよおく燃えるのではないか」
「ところがアイツ、燃やしても死なねーの! ゴキブリよりマジしぶといってえの」
そう言って笑い続ける火車。自分の右手の炎で焼き鳥を焼きながら、左手でビールを飲み続ける。まったくもって器用な男だ。
「……本当に、やりがいのある相手だ。ならば、果し合いには相応の場所を用意しなければならないだろうな」
火車の笑い声をBGMに、カマイタチは月を仰ぎ酒をあおった。