暁美ほむらは超人と成り得るのか
ふじい(以下F)「新編まどか☆マギカ、すげえ面白かった! もうなんつうか、スゴイねアレ! 今年度一番の、語りたい映画にして全てぶちまけたい映画!」
サイレン(以下S)「マミさんが超強いって聞いたけど、それはどれくらいだ? ドカベンで例えてみてくれるか」
F「真正面から勝負したら打たれるに決まってる山田太郎レベル」
S「やだ! 超強い!」
F「とりあえず、叛逆の物語を見てあっ!と気付いて、そして叛逆の物語で完成したことが一つあってだな。暁美ほむらとパニッシャー、容赦なき人間を並べた際の違いと同一性をね。果たしてほむらは、ホムッシャーとなるのかどうか。とりあえず、気付いたことはTV版でも分かる話だったので、前半部は隠さず載せてみるぞ」
暁美ほむらとパニッシャーの大きな違い。それは発端にあります。まどかを救いたいという“願い”。妻子を殺されたことへの“精算”。願いには先があり、希望は永遠につきまとう。精算は終わった後であり、希望がついてくることは決して無い。この二人の始まりの違いにより、後に生まれる違い。
ほむらは現れたまどかを、強引に救い秩序を壊した。
パニッシャーは復活した妻子を、己の手で殺し秩序を保った。
叶えられる希望を持つ少女と、何も残らなかった男。始まりから別れた両者の道は、全く互いの姿が見えぬ程に離れています。
F「そして此処から先は叛逆の物語の物語に関わる話! ネタバレ注意だ! ああ。お前もまだ、映画観に行ってないんだし、此処から先は見るなよ?」
S「ここの管理者なのに視聴制限!?」
そして叛逆の物語。新編の選択により、ほむらはパニッシャーやロールシャッハのような、妥協しない精神的超人の域に達しました。
確かにあの選択は、秩序よりも我欲を優先した物であり、妥協しない男たちが選ぶ選択肢ではないのですが……ここで先ほどの発端の話が関わってきます。彼女にとっての主軸は愛。つまり、まどかを救う、まどかの為、それ以外の選択肢を選ぶことが妥協となるのです。閉ざされた世界でまどかの悲しみに触れた瞬間、TV版の結末はほむらにとっての妥協となり、彼女は己のすべきことを見出してしまったのではないでしょうか。妥協しない少女の誕生です。
世界改変の結果奴隷として存在することとなったキュゥべえ。強烈な意趣返しにも見えますが、どんな形でも生物として生き残ったことは、ほむらにとっての感謝なのかもしれません。キュゥべえの企みがなければ、彼女は妥協していることに気づけなかったので。寝た子を起こしたお礼としての末路にも見えます。
発端は綺麗な我欲、愛する人の決意も覚悟も愛の為に踏みにじり、秩序を歪めつつ己一人で憂いなく歩く少女。やはり彼女に似合う言葉は悪魔なのでしょう。正しさを貫きながら間違っている。間違っていながらも正しい。仲間たちに若干の感情を残しつつも、妥協を忘れた少女の行く先は、果たして。