日々雑談~1524~
>ケーブルは何時から性格が大雑把になって、元ニューミュータンツ勢から嫌われたんですか?
ケーブルが持つ「明日の友は今日の敵、今日の敵は明日の友」と割り切った思想を受け継いだ末、また指導者でありながら部下や仲間の切り捨てが出来るケーブルへの愛憎など、様々な感情が入り混じった結果による教師と生徒の距離感かと。ケーブルは、独自の未来的な価値観を持っているので……199X年で生きるラオウやケンシロウを現代社会にいきなりブチ込むような物です。無法や非情に見えて、本人的には筋が通っているから、なんとも困るわけでして。
発売から一ヶ月近く経ってしまいましたが、ロビン:イヤーワンを読んでみました。ポップな絵柄で、帯や宣材でも「ディック・グレイソンの冒険をとくとご覧あれ!」と明るさを前に押し出しておりますが、困ったことにロビンがバットマンの相棒である以上、この作品はバットマンなのです。比較的明るめですが、暴行に殺人に児童買春や児童による殺傷行為等の苛烈なシーンはてんこ盛りです。裏表紙をよく見ると、首吊りで窒息死寸前のバットマンやボコボコにされて鼻血を流しているロビンがいるので、明るさの影でそういう作品だというアピールもきちんとされております。
バットマンの一遍であると先ほど言いましたが、一遍でありながらも主人公がロビンであることで、話の展開や内容には差異があります。バットマンやアルフレッドのような見守る大人、トゥーフェイスやシュライクのような歪めようとする大人、大人の視線や世界を飛び回る少年は、何を見出し何を選択するのか。決定的な経験により道を自ら定めてしまったバットマンとは別の迷いや可能性が、ロビンには秘められているのです。
バットマンの作風を貫きながらも、バットマンでないロビンの物語。運命を切り拓く、少年の姿。このラインで行くのならば、少年に続く少女の物語も期待したいところですが、はてさて。