東方大魔境 血戦 幻想郷~1~

ここは幻想の郷こと、幻想郷。世間での役割を失い幻想となったモノが辿り着く、平和な楽園。自然は豊か、気候も穏やか、生活を脅かすような存在も居ないと言う、妖怪にとって垂涎の土地であった。
そんな土地に似合わぬ、欲深い目をした男の妖怪が森を歩いている。
ボロイ布一枚だけを頭から被り身体に巻いた姿は、まるで薄汚れた身なりの典型のようで。裸足でぺたぺたと地面の上を歩いている。
鼠のようなげっ歯と、長い三本ひげが目立っている。鼠の妖怪と言えば、およそ三千年以上生きた鼠が変化する旧鼠が居るが、三千歳にしてはあるべき威厳を全く持っていなかった。
少女妖怪が大半を占める幻想郷を歩く男の妖怪。男であるだけで目立って当然であった。
彼をからかおうとする、三人のイタズラ妖精がこっそり樹上から覗いている。幻想郷の新参をからかおうとでも思っているのか、それともタダのヒマつぶしか。
木の下に男が辿り着き、さて動こうとした途端。強烈な臭気が彼女らを襲った。鼻が痛いどころか、目までツンツンする。魔女の調合が失敗しても、ここまでの臭いは作れまい。臭いの原因は目標の男から発せられていた、何をどうすればこんな臭いを出せるのか。
妖精が我先にと逃げ出す。相手が何もしていないのに、この被害。もし彼が本気になったら、鼻がもげてもおかしくない。こんな恐ろしい妖怪の相手なんかしていられるか。
「いやースゲえド田舎だ。別荘地にでもして売り出したいねえ」
男はそんな妖精の存在など知るよしも無く、独り言と共に道をぺったらぺったら歩き続けていた。

 

森を抜けた先には、薄い霧に包まれた荘厳な湖があった。霧の向こうに幻のようにチラチラ見える紅魔館が、どことない儚さを演出している。
「さてと、ここらへんにいるらしいんだけどよ」
男は懐から双眼鏡を出すと、空に向けて構えた。霧中の空を舞う、いくつかの閃光。その正体は、といえば。
「アンタみたいなバカ妖怪は氷付けになればいいのさ!」
「アンタにだけは言われたくないわー!」
弾幕ごっこに興じる、氷精チルノと昆虫妖怪リグル。
「いい、ルーミア。あくまで弾幕ごっごであって狩猟とか捕獲とか関係ないんだからね。OK?」
「うん、おーけー」
「って噛み付くなー! これだからルーミアの相手は嫌なのよ、てーか喰われるー!」
やけに殺伐とした弾幕ごっこしている、夜雀ミスティアと闇の妖怪ルーミア。
湖の閃光の正体は、この四人による弾幕ごっこであった。妖精に蟲に鳥によくわかんない妖怪という、どちらかというと小物にカテゴリーされる四人であったが、そこらをプラプラしている只の妖精や雑魚妖怪に比べれば随分と強力であった。ビュンビュンと空を飛び、激しい弾幕が次々と貼られる。静かな湖の空だけ、だいぶ派手であった。
「カーッ、幻想郷の妖怪は派手だねえ。しかしあんだけの実力があるのに、少しココが足りないだけでねえ」
男は己の頭を指差し、脳の辺りをコンコンと叩いた。
「ま。だから小生の出番があるのだがね。さあて、ビビビのネズミ男さまの腕の見せ所だぜ」
ふんと鼻息荒いネズミ男は、袖をまくってから空飛ぶ四人に向け叫ぶ。
頭は悪いが能力はそれなりの子供妖怪と、ずる賢いが能力は並み以下の半妖怪。ある意味しっくりくるモノ同士の出会いこそが、現世の妖怪と幻想郷の妖怪を巻き込んだ大騒乱のキッカケであった。

 

 

全てを包む紅い霧、奪われた春、終わらぬ夜、異常繁殖する花々、新たな神の来訪、幻想郷とて毎日が平和なわけではない。様々なモノの思惑により、大小様々な事件が起こっている。その全ての事件を解決に導いたといっても過言ではない、妖怪を超えた人間が幻想郷には存在した。
幻想郷を守る博麗大結界の護り巫女こと、博麗霊夢。日頃はのんべんだらりと日々を過ごしている暢気な少女であるが、持ち前の才能と幸運により、多種多様な妖怪をはんば力ずくでねじ伏せてきた。強大な妖怪は一目置き、弱い妖怪は恐れを抱く幻想郷の最終兵器。幻想郷の最強の一角を担ってもおかしくない人材である。
そんな博麗霊夢は今、人生最大の危機を迎えていた。

 

カッチカッチと時計の音がいやに響くほどに静かな香霜堂店内。ゴクリと、霊夢がツバを飲む音が聞こえ、同時に彼女からダラダラと冷や汗が流れる。
「思うにだ」
ヤマザナドゥも感心するほどに冷徹な口調で、香霜堂店主こと森近霜之介は判決を告げた。
「今までのツケを全て払えなんてヤボかつ無茶な事は言わないが、もし払わない場合、君はチルノ以下ということになるね」
チルノ以下=⑨以下=バカ以下。今まで数々の異変を解決し、泣く子も逃げ出すとまで噂された霊夢がバカ以下と罵られている。すわ香霜堂は今日でながらく閉店かと思われたが、霊夢は何も出来ず、か弱い声で反論するのが精一杯だった。
「ほ、本当に、チルノがお金を払って商品を買っていったの……?」
「ああ。氷と相性がいいよと僕が冗談で薦めたカキ氷機をポンと買っていったよ」
確かに相性は良いのかもしれないが、チルノに使えるかどうかは微妙だ。
「チルノがお金の勘定できるわけがないじゃない。1ケタならともかく、2ケタ以上は問答無用でアウトなのに」
「リグルとミスティアがついていたからねえ。彼女達はお金の勘定ぐらいはできるよ」
「うぐう。つまり、本当に」
「ああ。チルノはお金を払って商品を買っていった。間違いない。ところで、君たちはお金を払ったことがあったっけかな……」
ツケOKというか、値札が付いていないので無料とか無理やり思い込んで、けっこう香霜堂の品をタダで頂いてきたツケが急にいまここで。
重圧感に耐え切れず、ついに霊夢は膝を付いた。なんという敗北感か、つまり一人の社会人として今の自分の立ち位置は、森の愉快な仲間達以下なのだ。
「そうだ、魔理沙、魔理沙はどうなの!?」
騒動解決の不変のパートナーである魔理沙の名を霊夢はあげる。ぶっちゃけ、自分はちょっとぐらい罪悪感を持ってますが、あの女は絶対持ってませんよ、自覚無しの泥棒稼業が副業のあっちの方がヒデエだろというアピール。簡単に言えば、下には下がいるというアピールだ。
「うん。数時間前に来て、君のようにへこんでいた。いやあ、魔理沙との付き合いは長いがあんなに取り乱したのは初めて見たよ。うふとかきゃは♪とか一人称が俺になったりとかで大混乱さ」
「それはまた危険なまでに大混乱ね」
ホントいろいろと危険だ。
「それでとりあえず手持ちが無いから、アリスかパチュリーに借りてくるぜと言って出て行ったよ」
「よりによって後々刺されそうな選択肢を選んだわね」
いつの間に普通の魔法使いから、ヒモに転職したのだろうか。しかも二股。
「ってことは、ひょっとしてウチにも催促に。入れ違ったかしら」
「ああ、本人が『霊夢だけは無いぜ』とか言ってたから、それは無いと思うよ」
「なんでよ!?」
なんでよもなにも、今までのこのやり取りが答えであった。
異常は香霜堂だけにとどまっていない、人里の商店もチラリと覗いてみたが、値段がことごとく上がっていた。というか、もう神社にお米残ってないんですが。ついにお供えに捧げてある白米の出番が来てしまったか。
あと噂によると永遠亭の診療所も薬代や診療代を上げる予定らしい。まあ、基本病気はしないので、こっちは命にかかわらないが。お米が無いのはマジでやばい。
「かつてない異変が、幻想郷に起ころうとしているのね……!」
「山の上の神社はいつも現金一括払いだよ」
余計な事をぬかした霜之介に、腹立ちまぎれの巫女式シャイニングウィザードをぶちかましてから、霊夢は忍び寄る恐怖と飢餓感に戦慄した。

 

所変わってここは現世。人が浮世を謳歌し、浮世の影で妖怪たちがひっそり暮らす無機質な世界。ビルに囲まれた繁華街の通りの一角に人だかりが出来ていた。
「さあさあ、よってらっしゃいみてらっしゃい! 本日限りのバーゲンセールだよん」
人だかりの原因はネズミ男が開く露天商であった。明日をも知れぬ露天商のクセに本日限りとはしたたかかついい加減だ。
「いやはや、最近の世の中はね、自分の口に入れているモンが信用できねえような世の中なんですよ。アッシみたいに胃が丈夫な人間ならともかく、普通の方々は残りモンや薬物餃子なんて食った日にはお腹どころか命に関わりますからね。で、ここからが本題だ! 今日オススメしますのは、幻想郷印の健康食品でございます。甘くて美味しいハチミツに、目にも優しいヤツメウナギの蒲焼に、完全天然水製のギンギンに冷えたアイスロックだ! ちょいとそこのお兄さん、一口どうだい?」
ネズミ男に指名された眼鏡で出っ歯のサラリーマンが、恐る恐る出されたハチミツを口にする。一回、二回、咀嚼した途端に急に彼の鼻息が荒くなった。
「フハー! コイツはうめえや」
「でしょでしょ。ささ、そこの利発そうなぼっちゃんと若奥様も是非どうぞ」
「うわあ、おいしい!」
「ホント、こんなの初めてザマス」
何人に出しても好評しか答えが返ってこず、サクラかと疑っていた人々もあまりの好評の多さにどんどんと減っていき、ついには群集全部がネズミ男の弁舌を信じ始めた。
「これ以外にもたくさんの品物を用意しております。さ、この幻想郷印の健康食品、はやいもの勝ちだあ、持ってけドロボウ!」
商売道具のハリセンを音良くネズミ男が叩いた途端、群集が一気にネズミ男へと殺到した。

 

露天商のネズミ男が各地で売りさばく、掛け値なしで美味い健康食品は、すぐに口コミで街に広まりマスコミも嗅ぎつけるに至った。メーカー名の真の意味には誰も気付かず、幻想郷という単語が各地で囁かれるようになった。

 

現世にも妖怪たちの隠れ家は存在する。迷い込むか招待されるかさらわれるか以外に入る手が無い、人の侵入を拒む小結界。幻想郷と大きさのケタが違うが、あり方は同じであった。あと違うのは、ほぼ永遠にあり続ける幻想郷と違い、日々人間の文明の進捗に種族や領土ごと追い込まれている事ぐらいか。
そのような小結界の一つ、ゲゲゲの森には、これまた巫女と同じく異変が起こるとき以外はのんべんだらりと暮らしている妖怪がいた。ただ、この妖怪の守備範囲は自分の結界内だけではなく、至極広く――
「ふわぁ……」
もう何回目の欠伸か忘れるぐらいにヒマだった。もとより回数なぞ数えていないが。どうでもいいニュースを流している妖怪テレビが恨めしい。もっとマシなモンを流せばよいのに。
「ヒマですねえ、父さん」
この一見ただのぐーたら少年に見える妖怪こそが、かつて人類より先に文明を築いていた幽霊族の最後の末裔、鬼太郎である。しかし彼の名は、少数民族最後の生き残りでは終わらない。通称『ゲゲゲの鬼太郎』と呼ばれる彼は、人間に助けを求められれば東へ西へ、日本の妖怪に危機が迫れば先頭に立ち解決と、八面六臂の正義の味方をおこなっていた。いつも彼が着ている黄色と黒の縞々のチャンチャンコを見、木のゲタの音を聞いただけで怯える妖怪は数数多だ。
八面六臂のワリには、こうしてヒマな時間が長いのだが。
「ヒマなら学問でもせい。力だけでなく、頭と品格に諸々のモノを備えていないと現代社会では生きてけんぞ」
茶碗風呂に浸かり小言をいうのは、鬼太郎のブレーンであり実の父親の目玉の親父である。体はもはや虫サイズではあるが、れっきとした鬼太郎の父親であり、豊富な知識と経験により鬼太郎を常日頃から支えている。そして未だに親としての息子への愛情を持ち続けている。
「イヤですよ。めんどくさい」
親の愛、届かず。
「何を言っておる!」
「だいいちお化けとして生きるのに学は必要ないでしょう」
「そんな事だから人間になめられるんじゃ。そもそもお化けという物は元々神として」
『いやーやっぱね、学というかオツムが良くないと生きていけませんよ』
「ほれ、TVもそう言っておるじゃろ」
ちょうどいいところに流れてきたTVのインタビューが、親父の意見を後押しするが。
「父さん、コレ」
「ん? なんと、ネズミ男ではないか」
インタビューを受けていたのはネズミ男であった。キャプションとして『カリスマ露天商のヒミツ?』とかついている。ずいぶんとまたカリスマの称号が似合わぬ商売だ。
鬼太郎親子も口論を止め思わずTVに見入る。ネズミ男とは旧知の仲であり、彼がそれなりにずる賢いのはよく知っている。そして、ネズミ男が成功しているときは、なんらかの悪事に手を染めている事も。どうせまた何かにそそのかされたか、利用しているかのどちらかしかないのだ。
しかし、今回のネズミ男はまともそうであった。少なくともブラウン管からの情報に妖しい兆しは無かった。
「どうやら珍しくまともに商売しているみたいですね」
鬼太郎はこう言ったが、親父は少し怪訝そうな顔をしていた。
「父さん?」
「幻想郷印の健康食品じゃと、またとんでもないぞ」
親父はネズミ男がうたっている幻想郷という言葉に反応していた。
「そもそも幻想郷ってなんですか? 僕も知らないんですが」
「幻想郷とは役割を失ったモノが辿り着く最後の土地にして、妖怪にとっての楽園じゃよ。自然に溢れており、人々も穏やか。妖怪と人が住まう平和な土地じゃ」
「そんな素晴らしいところ、聞いたことありませんよ」
「あそこは日本妖怪の中でも古参の者しか知らぬ、いわば封印された土地じゃからの。 妖怪が幻想としての価値を失い始め、幻想郷自体が崩壊しかけたときに、常識の結界をはり、世間と幻想郷を隔離したのじゃよ。そのため幻想郷は護られたものの、外の世界との行き来の手段をほぼ完全に失ってしまった。あれから長い年月が流れた。もはや幻想郷の妖怪とワシら日本の妖怪は別物と化しているじゃろうて」
しみじみと語る目玉の親父とは対照的に、TVではネズミ男が熱っぽく己の成功の秘訣を語っていた。
「でも父さん。ネズミ男は、なんでそこの名前を使っているんでしょうか」
「たぶんハッタリじゃろ。さっきも言ったとおりに、幻想郷と現世との行き来の手段はほぼ無い。地獄に行くより難しいかもしれん。そんな所にネズミ男のような欲深い半妖怪に行けるワケがない。かくいうワシとて、お前が生まれる前に母さんと一度だけ新婚旅行に行っただけなのだから。それも旧知の妖怪の手助けあっての事よ」
「そうなんですか」
どうせそのうちネズミ男本人が、最近儲けていることを自慢しに来るだろうから、そのとき問い詰めればいいやと考えた鬼太郎は再び欠伸する。
頭頂部の毛が、久々に強烈に天を突いた。
鬼太郎はあわてて飛び上がり、辺りを見回す。いつもどおりにゲゲゲハウスにボロい以外の異常は無かったが、それが逆に恐ろしい。見えぬ恐怖ほど警戒せねばならぬ物はない。
鬼太郎の頭頂部の毛は妖怪アンテナとなっており、妖気を感じると逆立つが、毛の立ち方でおおよその相手の妖気を計れる。
西洋妖怪首領バックベアード。中国妖怪を率いる邪老チー。鬼太郎の宿敵でもあり日本妖怪影の頭でもある、ぬらりひょん。これら強豪妖怪と並べても遜色無い妖気がゲゲゲの森を覆っていた。ここまで己をアピールしておいて、目に見える異変が無いとは……
「鬼太郎! 上じゃ!」
親父の合図に気付いた時には、既に鬼太郎は真上に出来ていた謎の穴に喰われてしまっていた。穴は鬼太郎を喰らった途端に消失する。穴が食い損ねた二足のゲタが寂しく残っていた。
「ま、まさか今のは……」
あの空間に出来た穴、いやスキマに目玉の親父は見覚えがあった。古い記憶を掘り出し、いそいで行き方を思い出す。なんとか入り口となる場所を思い出し、急いで出立の準備を整え、カラスに連絡を飛ばす。
あのスキマが彼女の意思であるなら、鬼太郎はただ連れて行かれたのではない、神隠しにあったのだ。
神隠しの行き先、それは当然――