肝を試す
古くから、度胸試しという物は存在する。蔦を足に結んでのバンジージャンプ、壁を目指してのチキンレース、崖に向かってのムーンウォーク。どれも、死というリスクを肴にすることにより、自身の性根の強さをアピールしているのだ。
だが、死というリスクを背負うということは、実際に死ぬ可能性もあるということだ。こんなやらなくても良いことをわざわざして死んでしまったら、見送る人間も悲しみよりも馬鹿らしさが先に来る。賞賛を受けようとして、嘲笑される、全く馬鹿らしい話だ。
ならば、自身の心の強さをアピールでき、なおかつ命を失う危険性が殆ど無い度胸試し。そんな都合の良いものがあるのかと聞かれれば、1つだけある。それは、肝試しだ。幽霊といういるかいないか分からない物を相手に、自分をさらけ出し度胸と肝を試す。幽霊なんてものがその場にいなければ、平穏無事なまま皆の賞賛を惜しみなく浴びられる。命を必ずベットしなければいけない度胸試しと違い、なんとローリスクでハイリターン。賞賛なんて無形の自己満足と言われれば、元も子もないが。
「だから、いい場所見つけたんだって! みんな誘って、肝試し行こうぜ!」
そんなにローリスクだからこそ、ローリスクでハイリターンなものを手に入れて、さらに上の報酬を狙おうとする欲深い輩もいるわけで。
彼はいないと考えているから、こういうことが言えるのだろう。だがもしも、幽霊なんてものがその場にいた時、おそらく肝試しは崖の下や硬い壁よりもおぞましい物に、全てを支払うことになるのに。
それが、分かっていない。
車の通りが多い大きな車道に面した場所に、目的の廃屋はあった。
「どうよ!」
自信満々でアピールされても困るのだが。割れた窓、傾いた門塀、落書きだらけの壁、ぼうぼうに伸びた庭の雑草。どう見ても、立派な廃屋です。ありがとうございました。
今まで知らなかったが、こんな街の中心部に、いかにも出そうな廃屋があったとは。そりゃあ、聞きつけた身としては、ドヤ顔で肝試しを企画してもおかしくはないよな。
「だからと言って、既に随分な人数に声をかけてるって言うのはなあ」
「思い立ったがなんとかと言うじゃないか!」
自信満々に胸を張る、腐れ縁の我が友。なんでも、あと30分後に、大概な人数が来るらしい。僕も出来ることなら、その大概に加わりたかった。なんで一人だけ、30分前に呼び出されてしまったんだ。
「一人だと寂しいじゃん!」
お前に例え、寂しいと死ぬというウサギのようなマイナススキルがついていても、今後は無視してやる。
「なんでも、俺の調べた所によると、昔、同じように肝試しをした高校生がこの家で一晩明かしてエラいことになったらしい」
「エラいこと?」
「発狂数名、行方不明一人、無事だったのは直前で逃げた女性一人。一人残って、ちゃんと語り部がいるのがミソだよね」
「そんなところで肝試ししたくないよ!?」
明らかに二次被害が起きようとしてるじゃないか。頼むから、一人で逝ってくれ。
「あー大丈夫、大丈夫。ここで俺、昨日一晩過ごしたから」
「はい?」
「いやー、だってさ、みんな呼んでホントにそうだったらマズイじゃん。だから昨日の晩、一人で寝袋持ちこんで泊まったんだよ」
それお前、不法侵入だから……。まあ、肝試ししようぜ!という時点で不法侵入しようとしているんだけどな。
「家の中、あばら屋なのにスゲエ静かでさ。正直、家で寝るよりぐっすりだよ。おかげで今日はテンションバリ高!」
こいつ、ひょっとして発狂してないか? でもまあ、昔からこんな感じだったというのはよく知っている。悲しいことに、この自由奔放さはこの廃屋が原因ではないらしい。
でも、人体実験済みならば、肝試しをアトラクションとして存分に楽しめるわけか。それならば、企画としてはアリだな。うん。適当に楽しんだあと、夜がふけない内に解散すればいい。物音もなにもしないんじゃ、ただ退屈なだけかもしれないけどな。
「じゃあさっそく……!」
「そこで何をしているの?」
「げっ」
いきり立った友人は、突如現れた女性に止められた。スーツ姿の女性は、まるで最初から咎めるような態度でこちらに話しかけてきた。
「私はこの家の持ち主の親戚ですが、一体貴方たちは人の家の前で何をしているのですか?」
「あの、そのぉ」
「まさか、肝試しじゃないでしょうね? 困るんですよね、根も葉もない噂で度胸試しに家を使われるのは」
「ま、まさかあ!」
「どうにも、怪しいですね。そろそろ、警察に本格的に叱って欲しいと思っていたところです。一緒に、近くの派出所まで来てもらえますか?」
「ゲーッ!?」
おそらく、彼奴めは警察を前にして、不法侵入をふくらませてあることないこと全て話してしまうだろう。虚言癖ではなくて、追い詰められるとテンパるタイプというか。
仕方ない。
「あの、俺が代表して警察に行くんで、コイツは勘弁してもらえないですかね」
「おい!?」
僕が犠牲になれば、全て丸く収まる。
「これから来るって連中に、連絡しないまま二人で行くわけにはいかないだろ?」
「すまねえ、すまねえ……!」
「すまないと思うなら、もっと堅実に人生を歩んでくれ」
おそらく、無理だろうけどな。
ふうむと女性は考えるふりをしてから、僕の手をがっしりと掴んだ。
「なら、君を連れていくとしよう」
ぐいぐいと引っ張られ、廃屋のある大通りから一本入った裏路地へ。我が友は僕が消えるまでずっと手を合わせていた。すまないという謝意なのだろうが、なんか拝まれているようで嫌だな。
そして個人的に、忠告させて欲しい。友人よ、地元民ならこちらの方角に派出所なんて無いことに気づけ。
「なんで、アンタらあそこにいるのよ?」
「それは僕の方が聞きたい」
謎の女性改め姉は、自分がいた事の唐突さも忘れ、弟の僕を問い詰めてきた。
「いやいや。気づきなさいよ」
電話をしながら友人が去って行ったのを見計らい、姉さんと僕は廃屋の前に戻ってきていた。とりあえず、僕の携帯も鳴っているがスルーしておく。
僕から洗いざらい聞いた姉さんは、気づけと言っている。分かっている、冷静になってみたら、アイツの話は一つおかしい所があったんだ。
廃屋が面している車道は、ひっきりなしに車が走っている。こんな場所で、一晩中静寂で、静かに寝られたという時点でおかしい。僕の記憶では、アイツは別に高架下や線路脇に住んでいるわけではなかった。
「息を潜めて獲物の様子を見守ってたのかもね。それか、無駄に平穏な様を見せつけることで、後日馬鹿面下げてノコノコやって来たお友達ごと、一網打尽にするつもりだったのかも」
はいはい、どうせ僕もその馬鹿面の一員ですよ。まあ、実のところ、この建物が怪しいのは分かった、十分に理解した。そしてまだ、残っている謎が一つある。
「で。なんで姉さんは、こんなところにいるんだよ」
仕事帰りなのだろうが、この辺りは家とは逆方向だし、特に寄るべき店もない。なんでこの人、この辺りに。正確にはこの廃屋に来たのだろうか。
「ちょっとね」
そう言って姉さんは持っていた手提げ袋から白い花束を出すと、家の前に置いて手を合わせた。
「まさか本当に親戚!?」
「そんなわけないでしょうが。昔、知り合いがこの家で亡くなった。だからこうして、命日に花を置きに来ているのよ」
なむなむと祈る姉さん。知り合いと言っても、この家は相当古い。下手すると、姉さんが生まれた頃には廃屋になっているくらいに。いくらなんでも、住人とは関係なさそうなんだけど。
“発狂数名、行方不明一人、無事だったのは直前で逃げた女性一人。一人残って、ちゃんと語り部がいるのがミソだよね”
なんで今、あいつの言葉が浮かんでくるんだ。そんな都合のいい展開、あるわけないじゃないか。だいいち、この飄々とした強い人が、逃げるなんて選択肢、選ぶものかよ。
「さて、帰ろうか」
「う、うん」
姉さんはそう言って、廃屋に背を向ける。残る理由なんて一切ない。僕も姉さんの後ろを着いて行くように、廃屋に背を向ける。
「ねえ」
「なんだよ」
「さっきの私、どうだった?」
「ああ、さっきのね」
「本当に、この家の関係者に見えたでしょ?」
「うん」
「まったくね。今は知恵がついたから、逃がせる。あの頃は若かったから、逃げることしか出来なかったの」
僕は姉さんに、以前不幸な結末を迎えた高校生のことも話していた。実感と悲しみの込められたセリフは、僕の背筋をぐっと冷やしてくれた。
「でもね。あの頃は、もっとこの家、怖さが分かりやすかったのよ。ガタガタと、家ごと震えてて、叫び声が中から聞こえて。ひょっとしたら私以上に、知恵をつけているのかもしれない」
年月を経て人は成長する。だがそれは、人だけの特権なのだろうか。生物はみんな形は違えど成長する。生物という枠から外れたものが成長して、誰が咎められるものか。
ふと、僕だけが後ろを振り返る。廃屋の窓から、少しだけ古い型の制服を来た高校生男女複数人。みんな、姉さんを見て、嫌な笑いをニタリと浮かべていた。