デッドプール チームアップ! 月姫 前編

 デッドプールは頭を抱えていた。
「チクショウ、なんてこった。金がねえ。財布がスッカラカン……いっそ綿でも無理に詰めて、熊のぬいぐるみでも作るか。これぞ名付けてデッドのプーさん。このプーさんを切っ掛けにして、キャラクタービジネスに挑戦。やがて夢のデッドプールランド建設。大丈夫、あの会社だって最初は一匹のネズミから始まったんだ。熊から始まったってなんらおかしくない。ポルナレフランドには負けないぜ!」
 椅子から立ち上がるデッドプール。希望に燃える様を一瞬だけ見せてから、
「ダメだな。ダメ。今のマーベルの手綱を握っているのは、ネズ公だった。あのミッキーなんチャラが、デッドのプーさんを許すわけがねえ」
 再び席について、頭を抱えた。つい先日、マーベルコミックスはウォルト・ディズニー・カンパニーに買収された。いくら最強無敵のデッドプールでも、あのネズミには逆らえない。
「ギター買ったのが間違いだったなあ」
 デッドプールの足元に、ネックの折れたエレキギターが転がっていた。
「今の部員が卒業するって聞いたから、ギターの後釜として、軽音楽部に入部しようと思ったのに。まったくまいった、高校生じゃなきゃダメというのは盲点だった。ひょっとして、キーボードならばもっと早く乗っ取れたのか……?」
 タクワンをボリボリと齧り、とんでもねえことを言い出すデッドプール。そもそも、高校生でなければ部活に入部できないというのは、盲点でもなんでもない。
「まあアレだ。オレは高校生じゃない、だから大人だ。大人は、稼ぎの手段をきちんと持っているのさ」
 デッドプールは使い込まれた手帳を取り出し、ぱらぱらとめくる。手帳に書かれているのは、数多の仕事だ。合法非合法問わず、金になる代わりに、危険な仕事ばかりが載っている。一流の傭兵だからこそ、受けられる依頼ばかりだ。
 ところで、手帳の宛名のところに“タスクマスター”と書いてあるのは何故だろうか。
「借りたの! タスキーから借りたの! まったく、人を疑っちゃいけないって、親から習わなかったのか。無断で借りただけで、盗人扱いされちゃあ、たまんないぜ」
 ぶつくさ文句を言いながら、デッドプールはページを捲る。すると、ちょうどいい仕事が目に止まった。
「こいつぁスゲエ。三食昼寝付きの警備員で、この値段かよ! 吸血鬼、もしくはカレー好きで無ければ、誰でも応募可能。当然オレは、吸血鬼じゃないし、別にアニメでパスタ食っても苦情は来ない。早速応募してみよう」
 上機嫌のデッドプールは、ためらうこと無く電話を手にした。
 しかし、忘れてはならない。この手帳に、オイシイ仕事はあっても、安全な仕事はないことを。報酬が高い=危険度も高いということなのだ。無慈悲なほど正確に比例している。
「おいおい、マジかよ。薬の被験体になれば、さらにボーナスアップだって? 天職過ぎて怖いぜ。期間限定なのが惜しい惜しい。えーと、連絡先はトオノさんちのコハクさんね」
 危険度の高さや、怪しさを気にするのは周回遅れの心配だ。ベテランの傭兵に取って、それは当たり前のこと。デッドプールは平気の平左で電話をかけた。

 ぞわっと、強烈な悪寒が体を襲う。わざわざ、左右をキョロキョロと確認してしまうぐらいの。
「なんだ、今の……?」
「どうしたの、志貴? 風邪? 志貴なのに?」
 一緒に歩いていたアルクェイドが、彼女なりの心配をする。
「人をバカ扱いしないでくれ……」
「えへへ、いつもの仕返しー」
「全く、お前ってやつは」
 可愛らしいあーぱー吸血鬼の頭をひょいっと小突く。おかげで悪寒を忘れ去ることができた。なぜこう、吸血鬼なのに、時たまアルクェイドは暖かいのか。
 ただまあ、志貴がここで悪寒をひしひしと感じて、何らかの対策を取っていれば、後の悲劇を回避することが出来たのだろうが。悪寒の元は、現在上機嫌で遠野家へと向かっていた。

 朝の空気が清涼ならば、夕方の空気は清廉。なんにせよ、遠野の屋敷を包む静寂に、紅茶は良く似合う。主である遠野秋葉は、紅茶を瀟洒に楽しんでいた。
「ささくれている心が、こうしていると多少は落ち着くわね。ところで琥珀、今日兄さんは?」
 ささくれの原因である兄、遠野志貴の行方を、秋葉は割烹着姿の女中、琥珀に尋ねた。
「帰ってきてませんねえ。翡翠ちゃんにだけは、今日は遅くなる、ひょっとしたら帰らないかもって言っておいたみたいですが。言わないと翡翠ちゃん、ずっと門で待ってるでしょうから」
「その心遣いを、私にも分けて欲しいわね」
 ずずっと音を立てて飲む不作法な仕草が、否が応にも秋葉の不機嫌さを感じさせた。
「心配ならば、志貴さんに迎えを出しますか?」
「迎え?」
「こんな事もあろうかと、志貴さんの手綱を握れる人材は確保済みです。カモン、プーさん!」
 パチンと指を鳴らす琥珀。待ってましたとばかりにズカズカと、いつも通り完全武装の赤タイツが秋葉の前へとやってきた。
「どうも。アメリカメジャーにその名を轟かす、自宅警備員のベテラン、デッドプールです。ヨロシク!」
 ビシィ!と、デッドプールは親指を立てた。
 ハイテンションかつ怪しすぎるデッドプールを、秋葉は訝しげな目で見ている。普通、初対面の人間は絶対デッドプールを訝しむ。
「確かに聞いてはいたわよ。最近、物騒になったし、手が足りないし、あの二人はやかましいし、人手を増やしましょうって話は。でも琥珀、一応名目上、警備員を雇ったのよね?」
 全身赤タイツというのは、捕まえる側の警備員と言うより、捕まる側のこそ泥に近い格好の気がする。
「はい。こう見えても、このデッドプールさんは凄腕の傭兵なんですよー。吸血鬼でも暗殺者でもなんでも来いって感じで」
「そうだぜ、オレは凄腕の傭兵。世界で五本の指に入るぐらいなんだぜ? 足の指で五本だけどな!」
 足の指の意味はわからないが、銃器や刀を背負っている辺り、全くの素人ではなさそうだ。気の触れた素人が、それっぽい格好をしているのかも知れないが。
「いいでしょう。琥珀、あなたの目を信じるわ」
 秋葉は寛大に努め、デッドプールを雇うことを認めた。
「ありがとう、ご主人様! じゃあオレは何をすればいいんだ? 自宅警備員らしく、日がな一日、どうでもいいTVでも見てればいいの?」
「とりあえず、自宅の二文字を抜いてください。あなたの仕事は、警備員と言うより手綱です。定期考査が近いというのに、フラフラ出回っている私の兄、遠野志貴の手綱になってください。まず第一の仕事は、兄さんを連れ戻すことですね」
 与えられた任務は護衛と監視、遠野志貴を確保せよ。こう言うと、傭兵の任務っぽい。ただし、木曜洋画劇場で愛されそうなB級映画の。
「なるほどなるほど。いいぜ、把握した。暗殺に護衛、まな板の研磨から絶壁登頂まで極めたデッドプールにお任せだぜ! じゃあ、ボンクラメガネを捕まえてくらぁ。ぺったん たった つるぺった~ん♪と」
 自宅警備ほどではないけど意外に簡単じゃねと、デッドプールは意気揚々と志貴を捕まえに出かける。電光石火でナイムネを揶揄され、怒りのタイミングが遅れた当主を置いて。秋葉の髪が紅くなった頃、すでにデッドプールは消えていた。
「いままで、散々ネタにされたけど、ここまで唐突かつ直接的にからかわれたのは初めてね……」
 根の張ったティーカップが、秋葉の怒りに気圧され割れている。瀟洒や清廉といった言葉は、一足早く逃げ出していた。
「類を見ない人ですよねー。わたしの知り合いのアンバーさんが、自分と同じ匂いがするって言ってましたよ」
「それはあなたと同じ匂いってことじゃないかしら?」
 作品の壁なんか気にするな、面白ければこっちももんだ。そんなルール無用の痛快魔法少女、マジカルアンバー。彼女は、同一人物じゃないの?と疑われるくらいに、琥珀によく似ていた。あくまでまだ、一応疑惑だ。
「まあまあ、腕が立つ分、多少人格に問題があるのは世の常ですよ」
「あなたを見てると、本当にそう思うわ」
「それに、デッドプールさんはスゴいんですよ。トリカブトと青酸カリと硫酸をシェイクしたカクテルを飲んでも、気絶するだけで死なないんですよ。効かないわけじゃなく、効いた後の回復が超人クラスというのが素晴らしいです。被験体として、これほど優れた人材はいませんよ」
 効かないのでは、十分なデーターが取れない。効いた上で回復が早いというのは、被験体として素晴らしすぎる。琥珀は、薬剤師としての使命感に燃えていた。
「別にその辺りは、雇用条件に全く関係ないんだけど……」
 何時の間にそんな雇用条件が増えていたのか。主である秋葉としては、使用人としての使用感に燃えていてほしかった。

 人を探すには、人の多いところを探すに限る。コンビニ、スーパー、ゲームセンター、駅前。数時間の探索の後、デッドプールはあることに気がついた。
「そういや、ボンクラやメガネとは聞いていたけど……オレ、そいつの顔知らねーわ!」
 琥珀に話は聞いたものの、デッドプールは志貴の顔を知らなかった。なお、流石に琥珀が志貴をボンクラだと言ったわけではない。デッドプールが、効いた話で総合的にボンクラだと判断しただけである。
 既に日はとっぷりと暮れている。この段階まで気づかなかったのだからしょうがない。これではまるで、仕事名義でゲームセンターで遊んだり、遠野家名義で領収書を切りながらショッピングしていただけではないか。まるでというか、本気で遊んでいただけだ。
「どうしよう。あの絶壁、なんか怒らせたらヤバそうだしなあ。なんとか、メガネを見つけないと」
 キョロキョロ辺りを見渡すデッドプール、コンタクトが流行ったと言っても、未だにメガネ派は多い。メガネをかけた通行人は五指に余った。
「こりゃあ、どうしょもねえな!」
 あっさりと諦めたデッドプールの目が、とあるメガネに引き寄せられた。
 青髪の女子高生。まず髪色の珍しさに惹かれたが、身体といい顔立ちといい、中々魅惑的だ。多少地味なのともみ上げが長いのを除けば、最高級のメガネっ娘だ。
「ふむ。中々いい。女子高生(笑)な雰囲気も、胸を差し置いて上物な尻も、中々オレの好みだ。この際、ボンクラという要素は捨てよう。あのメガネでいいや」
 手段と目的がシャッフルされて六切りになったデッドプールは、裏路地へと向かった女子高生を追った。

 この街の裏路地は淀んでいる。今までにあった、悲惨や無惨や悲劇の残り香が漂っているからだ。果たして何人の無念がこの淀みに埋れているのか。
「おいおい、メガネさんいないぞ? ここ、巻かれるようなポイントあったかな」
 最も、そんな淀みを気にしない人間も中には居るのだが。デッドプールの場合は、淀みに慣れているというのが正しい。汚濁をジョッキで飲み干して平気な顔をしてこそのデッドプールだ。
 首をかしげながら歩くデッドプールの前に、千鳥足のサラリーマンが現れた。
「ちょどよかった、ヨッパライ。ちょっと聞きたいんだけどさあ、ってクサ! このヨッパライ、クサい! なんだよ、ゲロまみれでドブにでも落ちたのか。何も聞きたくないから、コインランドリーに行け!」
 鼻を摘むデッドプール。サラリーマンは何も答えず、唐突にデッドプールの顔面へと食らいついた。食いついたのは真正面、鼻のあたりを食い千切ろうとしている。男は腐っていた。当然人間ではない、彼は生きる死体、グールだ。
 あの月の夜からか、この街には吸血鬼が似合うようになった。グールにリビングデッドに死者に使徒に真祖。最下級品から最高級品まで揃っている。騒動が収まった今でも、残りカスが時々現れる。残りカスに出会った人間は、彼らに喰われ、また自分も残りカスになる。
 グールはデッドプールの肉を鼻とマスクの生地ごと引きちぎった。むしゃむしゃと肉の咀嚼音がして、直後グールは嘔吐した。人の生きざまを失ったグールが、新橋のサラリーマンのように吐いていた。
「……オレって、そんなに不味いのかよ」
 顔面が血まみれなのに、デッドプールは平気そうだった。
 グールは言葉を喋れない。しかし世の中には、意思があり、言葉を喋れるゾンビもいる。かつてそんなゾンビがデッドプールに食らいついた後、嘔吐しながら叫んだ。「オェェェ! マズ! こんなヤツ食えないから!」と。どうやら全身癌細胞まみれのデッドプールは、ゾンビも断るマズさらしい。
「あーあ、マスクも食いちぎっちゃって」
 マスクを脱ぎ、デッドプールは素顔を晒す。毛が一切なく、爛れた皮膚の顔。まるでグールのような顔だ。しかも今回、鼻がなく血まみれで、いつもより酷い。
 嘔吐するグールとグール顔のデッドプール。遠目には、二匹のグールがいるようにしか見えなかった。
 グサリと二回音がして。刃の長い投擲用の剣、黒鍵がデッドプールとグールの頭に突き刺さっていた。グールは倒れ、デッドプールは眉間に黒鍵を刺したままつっ立っている。
 この街には吸血鬼がよく似合う。ただこの街には、吸血鬼を退治する者も似合うのだ。
「報告より、一人多いようですが。しかも、妙な格好ですし……」
 先程、デッドプールが後を追っていたメガネことシエルが暗闇から現れた。メガネを外して、服は修道服へと変わり。もはや、メガネっ娘でもなんでもない。埋葬機関第七位の代行者シエル、この名が今の彼女だ。
「妙な格好? イカして素敵な格好と言ってほしいね。元メガネ」
「え?」
 黒鍵が頭に刺さったままで話す、デッドプール。自分で黒鍵を抜いて、スペアのマスクをかぶり直して。その間に、グールは灰となって消滅していた。
「まったく。オレじゃなければ死んでたぞ。オレはこの、クソミソなカニバリズム野郎とは違うんだぜ。よく見ろよ。オレは全米№8のヒーローのデッドプールさんだ!」
 よく見たから、問答無用で黒鍵をぶっぱなしたのだが。
「は、はあ……それは申し訳なかったです」
 デッドプールが何者かは分からないが、とりあえずシエルは頭を下げた。
「今回は、そのモミアゲとデカ尻に免じて許してやるけど、今度同じことをしたら」
 スコーンと、再びデッドプールの眉間に黒鍵が突き刺さった。
「グールでなければ、リビングデッド、もしくは死徒ですか? なんにせよ……多少過激な調査が必要なようですね」
 カレーや地味っ娘など、まだ軽い蔑称でしか無い。尻に関することだけは、シエルに言ってはいけない。秋葉とは別の方向で長年虐げられたシエルの、トラウマである。
「今回っていうのは、一回だけだぜ? つまりだ、もうサービスタイムはオシマイってことさ!」
 今度は頭の黒鍵を抜かず。代わりにデッドプールは、背中に背負った二本の刀を抜いた。
 少しだけ両者は睨み合って、
「行きます!」
「戦いの時間だー♪ 久々の戦いー♪ サイコー!」
 四本の黒鍵を指に挟んだシエルの一撃と、デッドプールのオーバーモーションな斬撃が、激しく交差した。

 もはや裏路地では足りず。二人は空を飛んでいた。正確には、ビルの谷間を跳んでいた。わずかな出っ張りを足場にして、お互い跳んでいる。両者の素早さは互角だった。下から見れば、二つの閃光がぶつかり合っているようにしか見えない。
「イヤッハー!」
 頭にまだ黒鍵を刺したままのデッドプールが、宙で二丁拳銃を振り回す。廃ビルの窓が割れ、室外機が弾ける。構わずシエルは、銃弾の嵐へと飛び込んだ。乱射を潜り接敵したシエルは、デッドプールの眉間、黒鍵の柄を握り、ぐりぐりとかき回した。
「オホー!」
 脳を直にシェイクされたデッドプールは、なんとも言いがたい悲鳴を上げる。悲鳴を上げたまま、自ら頭を振り回し、シエルの手を振り払った。そして頭突き。頭に刺さった黒鍵の柄の先を、シエルのデコにぶつけた。今度はシエルが、衝撃で前後不覚となる。
 そのまま空中で縺れ合う両者。シエルがデッドプールの手を掴み、デッドプールはシエルの首根っこを掴む。投げ合った両者は離れ、それぞれが別のビルの屋上に着地した。ビルの谷間を挟んで、シエルとデッドプールは向きあう。
「中々やりますね。ここまで出来る人は、教会にも中々いませんよ」
「そういうオマエは、カレーのにおいがするな」
 黒鍵を抜いたデッドプールは、片手に抜いた黒鍵、片手に拳銃を持ち、シエルへと飛びかかった。シエルは動かず、デッドプールを待ち構える。
 上空、絶妙な距離で銃弾を放つデッドプール。シエルは最小限の動きで、弾を避ける。その僅かな隙を狙い、デッドプールは黒鍵を突き出す。シエルはなんと、黒鍵を素手で掴んだ。突くことや貫くことに長けていても、黒鍵の刃は鋭くない。黒鍵を知り尽くしているからこその、シエルの断行だ。
 逆に、隙だらけとなったデッドプールの顎を、シエルのつま先が捉える。ムーンサルトキック。通称、シエルサマー。バク宙し弧を描くシエルサマーはデッドプールを迎撃、ビルの谷間へと蹴り落とした。
 ひゅーという落ちる音がして、最後にグシャ!という激しい音。デッドプールは地面へと間違いなく落下した。流石に、戦闘不能な筈だ。シエルは手の血を振り払う。切れ味が悪いとはいえ、刃。黒鍵を掴めば、指は切り落とされなくても、切り傷ぐらいは手に出来る。
「昔は、こんな傷、一瞬で治ったんですけどね。流石にもう、治らない」
 シエルもかつては、不死だった。デッドプールに負けないくらいの再生能力を持ち、死をいくら願っても死ねなかった。原因を排除した今となっては、懐かしい話である。大事なモノが出来た今は、絶対に死ねない。死ねない時は死にたがって、死ねるようになってからは死にたくなくなる。なんという、矛盾――。
「彼は、歪みを受け入れた、わたしだったのかもしれませんね」
 ふぅとため息をつくシエル。終わったと、爽やかに夜空を眺めた時、
「ロケットパーンチ!」
 飛んできた血まみれのコブシが、今度はシエルの顎に直撃した。
「げふぅ!?」
 漢らしい断末魔を上げて、シエルは倒れた。不死身でも頑丈でも、顎をやられれば、倒れて気絶するしかない。
「あー死ぬかと思った。てーかうん、オレの人生、コンテニューまみれだ。コインが投入口の脇に詰んであるんだ。聞こえるぜ、チャリンチャリンという音が」
 血まみれで半死半生のデッドプールが笑っていた。足はひん曲がって、首もカクンと折れている。そして片腕が千切れていた。今のロケットパンチは、千切れた腕を自ら投げたのだ。
「ち、違う……」
 アレは自分とは違う。いくらなんでも、あそこまで不死身を冒涜する人間には、絶対になれない。不死身を悔いてた自分と違い、あの男は不死身を楽しみ、弄んでいるのだ。
 そんなことを考えて、シエルは気絶した。

「あったあったと」
 自分で投げた腕を拾い、くっつけるデッドプール。腕はあっという間にくっついた。曲がった足も折れた首も、すでに回復していた。およそ数分、ケタ違いの再生能力だ。
「強敵だった。あのネコの励ましがなければ、流石に追撃出来なかったな」
 地面に落ちて意識不明のデッドプールを応援する、謎の声。
“ガンバレー! 知得留を殺せー! そうすりゃ、このコーナはアチシのものー!”
 応援の声がなければ、地面から落ちた後、しばらく気絶していたに違いない。この街の死神は、ずいぶんとはっちゃけているようだ。オレ好みだなーと、デッドプールも気に入っていた。
「ところで……オレ、何をしてたんだっけか? トオノのお屋敷に戻るのだけは覚えているんだけれども」
 もう完全に、デッドプールは目的を見失っていた。脳を物理的にかき混ぜられたのだから、仕方ないのかも知れない。
「えーと、確かメガネをと。ああ」
 メガネを連れてこい。シエルはメガネ。これだけは覚えていた。
 デッドプールは気絶したシエルを担ぎ、遠野家へと向かった。

「ちょっと、床に座ってください」
「どっこいしょと」
「正座ー!」
 ご当主は、外人に無理を言う。でもデッドプールは、器用に正座した。
 遠野家に帰ってきたデッドプールを出迎えたのは、秋葉の怒声だった。
「まったく! 兄さんを連れ戻しに出かけて、シエル先輩を連れてくるだなんて……何をどうすれば、そういう展開になるんですか!」
「それが分かれば、今頃オレは、スパイディみたいな人気者だよ!」
「まあまあ、秋葉さま。考えて見れば、志貴さんの顔を教えなかった、わたしたちも悪いんですし」
「そうですよ。わたしも久々の真剣勝負でスッキリと出来たので、もう怒ってないですよ。もしこの人が、秋葉さんの命令で、わたしの暗殺に来た。そういう話なら、怒りますけど」
 琥珀と、復活したシエルが秋葉を宥めた。不死身ではないものの、タフ。実際のところ、再生能力があろうがなかろうが、シエルは丈夫だった。既に回復して、出された緑茶をすすっている。十分この人も、人外だ。
「違いますっ! ああもう、今日は厄日だわ。結局まだ、兄さんも帰ってきていないし」
 もう夜なのに、志貴はまだ帰宅していなかった。
「分かった! もう一回探しに行ってくる! ボンクラメガネ、ボンクラメガネ。大事なことなので二回言いました!」
 だっと駆け出そうとするデッドプールを秋葉が止めた。
「待ちなさい! 顔も知らないで出かけたら、また同じことの繰り返しでしょうが! だいたい、なんで兄さんがボンクラ呼ばわりされているんですか」
「秋葉さん、いくらなんでも遠野くんをボンクラ呼ばわりはよくないんじゃないかと」
 流石のシエルも、ちょっと引いていた。
「私じゃありません! 兄さんの話をこの人にしたのは……琥珀ー!」
「い、言ってませんよ! わたしはただ、志貴さんの話を細々としただけで」
 琥珀が必死で否定する。秋葉の怒りは、頂点に達しようとしていた。髪が、めっちゃ紅い。
「そういや、ボンクラって知ってても、顔が分かるわけじゃねえな。じゃあちょっと、写真でもって、おや?」
 デッドプールが部屋の入口に目をやる。そこにいたのは、
「兄さん!?」
「志貴さん。お帰りなさいませ」
「遠野くん、お邪魔してます」
 帰ってきた志貴だった。なぜか今日は、物凄く居心地が悪そうにしている。門限破りで謝る顔とは違った、微妙な表情。そしてやけに落ち込んでいる。
「あの、兄さん。ひょっとして、聞いてました?」
「うん。なんかさ、こっそり帰ってきたら、居間から、ボンクラメガネって何度も聞こえたからさ。ゴメンな、秋葉。ダメな兄貴で……」
 どうやら、最悪の部分を聞きかじりしてしまったらしい。どうやら、みんなで志貴のことを、ボンクラメガネ呼ばわりしていたと勘違いしているようだ。
「違います、兄さん。あのですね」
 秋葉が慌てて誤解を解こうとするが、
「スゲエ! ボンクラメガネが服着て歩いてる! これが噂のボンクラメガネか! いやー、聞いてたとおりだ」
 デッドプールが最悪のダメ押しをしてくれやがった。