映画デッドプール感想~上映後ver~
「大変だ~大変だぞおい~。レディデッドプール」
「ん?」
「ヘッドプール」
「あ?」
「キッドプール」
「え?」
「エビルデッドプール」
「殺すぞボケ」
「デスウィッシュ」
「俺、デッドプール一族じゃないんだけど」
「ドッグプール……は喋れねえからボブ!」
「ハイル・ウェイド! ……痛い痛い! 出番取られたからって噛まないで!」
「「「「「「どうしたんだよ、デッドプール?」」」」」」
「俺ちゃんの映画が、日本でも大ヒットなんだってよ!」
「「「「「「えー!?」」」」」」
思わずこんなおそ松さんパロを挟んでしまうぐらい、日本でも記録的な初日興収を見せている、映画デッドプール。この文章を書いている段階では、未だ土日を迎えてない段階。週末興収はどうなるのか、これからどれだけ行けるのか。もはや不安はなく、あとは見守るだけです。
いやしかし、禁じられてもう中々元ネタを見れないおそ松さん第一話をパロってどうすんだオイ。
ついに映画デッドプールが公開となり、色々な人の感想を眺めているのですが、結構多くの人が“ヒーロー映画としてのまっとうさ”に驚いてますね。自分も最初観た時は、驚きました。第四の壁をぶっ壊すような演出や、らしい無茶苦茶さはあるのですが、ヒーロー映画としてはめっちゃ王道ですよね。しかも動機も、自分のため、そして惚れた女のためとすごくわかりやすい。そんなわかりやすい男が一途に戦う。それすなわち、爽快です。ここ最近、ヒーロー同士が矛を交えるVSモノも多かったので、いっそう爽やか。
そしてコレ、デッドプールの映画を作る上で正解なんですよね。しっかりと土台を固めた上で、デッドプールらしさをトッピングする。そうでないと、デッドプールのキャラの濃さに呑まれて、アカンことになるんですよ。デッドプールの特性である「軽口」も「第四の壁の破壊」、これらは物語を作る上で、非常に扱いにくく、滑りやすい特性です。当たればデカいのですが、当てるのがまず難しい。だからこそ、物語を動かす地力、すなわち基本が大切なのです。優れた実力と、バランス感覚が必須。
今現在、日本で読めるデッドプールの邦訳はライターがデッドプールを乗りこなしている作品が主なのですが、デッドプールは本来かなりの暴れ馬であり、乗ることにしくじったり滑ってしまった作品も無いわけではありません。梶原一騎風の誇張を入れるなら“デッドプールに挑んで、再起不能となったライター、発狂したライターもいる!”と纏めたいところですね。いやまあ、せいぜい疲れきってるなーぐらいで、廃業まではいかんですけど。
なので映画デッドプールの、観客に王道作品を観ているような爽快感を与えつつデッドプールらしさを追求する方針は、世界での観客動員数を見れば分かるように正答に近い方針です。一部で受ければいいカルトムービーじゃなくて、世界で勝負しなければいけないヒーロー映画ですからね。金とか撮影期間とか、めっちゃ絞られても、それで勝負しなければならない。
マーベルコミックスの映画は、新進気鋭の人材を監督やメインスタッフに据えることでの成功を続けておりますが、映画デッドプールの監督であるティム・ミラーを始めとするスタッフ一同もこの成功例に加えるべきでしょう。
今回の映画デッドプール、エピソードのベースとなっているのは連載初期のデッドプールです。デッドプールの初カノと言われるヴァネッサ(コピーキャット)。デッドプールを情報屋や同居人として支えたウィーゼルにブラインド・アル。デッドプールの生誕に関わるヴィラン、エイジャックス。初期における重大メンバーなものの、今では中々お目にかからないメンツです。
つまり、今回の映画はX-MENの枠内におり、ミュータントっぽかった初期のデッドプールをベースにしたんだよ! と言いたいトコですがちょっと違います。何故なら、この映画のデッドプールの性格が丸いからです。
初期連載よりはちょっと先なものの、現在出ている他の邦訳よりは前のシリーズ。今では名コンビ扱いなデッドプール&ケーブル、そんな彼らがコンビとして組み始める時期を描いたケーブル&デッドプール:青の洗礼。この本を読むと分かるのですが、デッドプールさん、けっこう荒れてます。他の邦訳や、アニメやゲームなどのイメージと較べても、ちと荒っぽいです。最初の頃のデッドプールは、今よりはるかに付き合いにくいサイコパス寄りだったんですよ。それが段々と丸くなって、なんとかアベンジャーズやX-MENの一員として活動できる今に至っているわけです。
この映画のデッドプールは今現在の連載のイメージに併せてか、殺ることは殺るものの、害悪となる狂人のレベルには達していません。マスコット的狂人。なので映画デッドプールは、デッドプールの初期ストーリーをモチーフにしつつ、今のデッドプールのキャラクターや、今までの設定の美味しいトコロを利用し、映画に収まるラインでいいとこ取りした、ハイブリットプールとなります。
ぶっちゃけると、原作におけるデッドプールのウィーゼルやブラインド・アルへの対応は映画に比べ相当ハードというか、デッドプールがガキ大将すぎるとこがありまして。例えるならば、ジャイアンとのび太とスネオの関係。時々劇場版仕様のごとく、いい話が入ってくるけど、基本ヒドい。いやあ、映画における三人の関係は、マイルドだよホント。
あと、ヴァネッサが気になった方は、7月に発売されるデッドプール Vol.5:ウェディング・オブ・デッドプールをチェックしてみてください。この本には、コミックスにおけるデッドプールとヴァネッサの恋愛関係をテーマにした描き下ろしの短編が収録されています。あと、出番自体は少ないものの、ブラインド・アルもえらいことやらかします。えらいこっちゃ。
映画デッドプールに自分がキャッチコピーを付けるとしたら“あまりものの大逆襲”です。
日本映画と比較すれば垂涎なものの、巨大化著しいアメコミ映画の中では少ない予算に短い撮影期間。他の映画が2億ドル超で3ヶ月以上撮影している中、デッドプールは5千万ドルの一ヶ月半です。こうして数字としてみてみると、最初ということを差っ引いてもかなり絞られており、企業側からの高い期待値は感じられません。同じX-MENスピンオフなウルヴァリン: SAMURAI。制作会社は違えども、比較的近い時期かつ風変わりなヒーローポジションなアントマン。この2作も制作費は1億ドル超えてますしね。デッドプールは、かなりコンパクトに抑えております。
そして出演しているキャラクターも、X-MEN本編ではおそらく使わないキャラクターたち。名前が面白いから使われたネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッドに、X-MENを知る人間でも中々顔が浮かんでこずネット上の資料も少ないエンジェルダスト。X-MENの主要メンバーであるコロッサスも、新作映画であるX-MEN:アポカリプスではお休み。正直言って、2軍所属もしくはファーム落ちで休養中なメンツです。直近の関連作であるX-MEN:アポカリプスと繋がるどころか、なるべく邪魔にならないよう勤めたかのような人事です。
予算の都合とR15という制限で宣伝もままならず、追加のカメラや予算が必要な3D映像も無し。身の丈にあった収入をだしてくれれば、まあいいか。そんな公式からの期待値の低さをひしひしと感じる映画デッドプール。だが実際、蓋を開けてみたら平均値どころか、もっと期待されていた映画をもぶっこ抜く大ヒット作に。これぞまさに、大逆襲。
この従来の常識や予測を真正面からひっくり返す姿、リアルにデッドプールですよね。デッドプールが作中で見せる、大どんでん返し。誰も予測してなかった! ヒーローもヴィランも予測してなかった! 読者も予測できなかった!
もっとも、この大逆襲が生じた理由には、デッドプールが抱えている独自のファン層という事情もあります。デッドプールはジャンル外への波及力が強い結果、公式の観測範囲外で隆盛を極めるという、マーケティング泣かせのファン層を持ってます。だからこそ、従来のやり方で測った期待値は低めになってしまう。
まあアレだ、デッドプールの大ヒットは、山でサンマが大漁ぐらいの、わけのわからん話だ。
ここ最近の流れを見て薄々感じてはおりましたが、いま世界中にて、アメコミのファン層の形やベストとなる薦め方が変わってきているのではと感じております。従来の感覚では当たると思われていなかったヒーローが、続々と這い上がってきているんですよね……。コミックスの人気やそのヒーローのブランド力や歴史が、映画の動員数や興行収入とリンクしているかと聞かれれば、してないと答えるしかないですし。
例えるならば、幕末の洋学者。オランダ語が西洋のスタンダードだと思っていたら、実はこれからのスタンダードは英語だった。これぐらいの波が、世界各国を襲っているように思えます。オランダ語を極めるのもよし、英語を学び直すのもよし。ただ、変化を認めないまま行動した場合は、おそらくどちらもアウトです。
何も変わっていないように見えて、実はとんでもない分岐点に居る。映画デッドプールのヒットは、それぐらい大きな変化が起こっていることを、内外に示すシグナルなのではないでしょうか。