Escape play of a wolverine

 極寒の雪原を、少女が歩いていた。吹きすさぶ風も冷気もものともせず、ただひたすらに、一直線に歩いて行く。寒い、冷たいを通り越した、痛い吹雪。それでも黒髪の少女は、構わず前へ前へと進んでいく。
 ふと、少女は足を止める。彼女の周りを、白い獣が取り囲んでいた。狼の群れが牙を剥き出しにして、わざわざこちらにやって来た獲物を待ち構えていた。
 狼の存在に気づいた少女は歩みを止め、逆にその鋭い瞳で狼を睨みつけた。狼以上に獣らしい目に見据えられ、群れの若い狼が自然と退いて行く。だが、ボスを始めとした歴戦の狼は耐え切り、包囲が瓦解するまでにはいかなかった。
 突如、空気が切り裂かれる。切り裂いたのは、爪。少女の手から出現した二本の鉄の爪が、狼を逆に威嚇していた。
「……やるかい?」
 脅しではなく、本気。彼女は獲物ではなく、同じ獣として狼達に立ち向かおうとしている。少女の強烈な殺気に当てられた瞬間、包囲は崩れ、狼は三々五々に散らばっていった。
「ふん。つまらない」
 勝者となった少女が、逃げる狼を追うことはなかった。
「てっきり、このまま追っていくのかと思った。あの人なら、そうしてるだろうしね」
 少女の後ろから出てきた、これまた別の少女。ピンク色の大きなゴーグルを上げ下げしながら、気安く語りかける。
「私は、そこまで獣じゃないから」
「確かにね。ローラは、臭くないから。オッサンでもなく動物でもなく、女の子の匂いがするもの」
「アンタと比べて、付き合いが長くないからね。逆に付き合いが長いだけあって……そっちは時折臭うよ、ジュビリー。ニオイが、移ってるんじゃない?」
「嘘!」
 クンクンと自分の身体を嗅ぎ始めるジュビリーを見て、ローラ、別名X-23が苦笑する。同じ東洋人の少女であり、超人種ミュータントである二人。X-MENにも名を連ねる二人は、きちんとした目的と行き着く手段を持って、この雪原を歩いていた。
「行こう。もうそろそろ、目的地だ」
 ローラが鼻をひくひくとさせ、雪原に残る僅かな臭いを嗅ぎ当てる。獣性だけでなく、獣以上の優れた嗅覚と直感を持つローラこそ、目的の物を探し当てる手段だった。
 しばらく歩く二人、やがて先行するローラの足が止まった。
「ここだね。アイツは、この先に居る」
「なるほどね」
 二人の目の前にある、白い壁。うず高く積もった雪が、行き先を覆い隠していた。ローラは爪で雪を削るものの、その壁はいかんせん厚かった。
 カリカリとネコの爪とぎのように雪を削るローラを、ジュビリーがどける。
「よかった。ここまでローラにおんぶにだっこだったからさ」
 ジュビリーの開いた両手の間で、火花が散る。虹色のカラフルな火花は、吹雪に負けずずっとスパークし続けていた。
「最後ぐらい、私の見せ場があってもいいよね!」
 弾ける火花が、熱気となり目の前一帯の雪を溶かす。ジュビリーの能力である、爆発性の火花の放出。威力ならば目眩ましから爆発まで、範囲ならば一人から集団まで、ジュビリーの火花には華麗な見た目以上の器用さがあった。
 雪が溶けた先に、ぽっかり空いた黒い穴。二人は警戒しつつ、目の前の洞窟に足を踏み入れる。灯り代わりの火花を出そうとするジュビリーを、ローラが止める。無言の抗議をするジュビリーに対し、ローラもまた無言で洞窟の先にある灯りを指し示した。
 音を立てず、灯りに向かって歩く二人。やがて、灯りの正体も明らかになる。
 煌々と燃えさかる焚き火。切り分けられ、串刺しとなった鳥肉が焼かれ、良い匂いを醸し出している。ちょうど良く焼けた一本を、焚き火の前に陣取る小柄で毛むくじゃらな男が、むしゃむしゃと食べていた。
「お前ら、来たのか」
 二人に背を向けているのに、男は誰が来たのか察していた。彼の鼻は、ローラ以上だ。
「ようやく見つけたよ、ローガン」
 ジュビリーが男の名を呼ぶ。
 ローガン。コードネームをウルヴァリン。X-MENの重鎮でありながら、アベンジャーズにも所属している、不老のミュータント。アダマンチウム製の爪に獣性、不死身の再生能力ヒーリングファクター。その闘志で、強力な相手や苛烈な戦場に挑み続けてきた、歴戦の勇士だ。
 ジュビリーは長い間、ウルヴァリンと共にあり、ローラはウルヴァリンの遺伝子を継いだ者。この二人の少女は、ウルヴァリンと縁深い二人でもあった。
「X-MENのみんなが、アンタを探している」
 ローラはウルヴァリンが逃げぬよう牽制しつつ、ウルヴァリンが追われていることを告げる。
「そうだろうな」
 仲間である筈の、ヒーローたちに追われている。そんな裏切りとしか思えない状況でも、ウルヴァリンは平然としていた。平然と、過酷に見える現状を受け入れている。
「でも、わたしたちが一番最初に見つけて、良かったよ」
 優しい笑みを浮かべるジュビリー。ローラとジュビリーも、大多数のX-MENと同じ、ウルヴァリンの追跡者だった。
「ああ。お前たちでよかったよ」
 ウルヴァリンは苦笑し、抵抗すること無く、二人が求めるものを捧げた――

 
 数日後、ウルヴァリンはお気に入りのバーのカウンターで、目もくらむほどキツいウォッカのスピリタスを、ストレートで飲んでいた。
「飲み過ぎるなよ、ローガン」
 隣りに座るのは、スティーブ・ロジャース。コスチュームもシールドも家に置いてきた、素顔のキャプテン・アメリカだ。スティーブもまた、スピリッツのエバークリアをストレートで飲んでいる。スピリタスとエバークリア、双方アルコール度数95度突発の強烈すぎる酒である。
「お前は超人血清の力で、俺はヒーリングファクターで酒に強いし酔いにくいんだよな?」
「だからと言って、飲み過ぎれば泥酔するぞ」
「経験で知ってらあ。つまり、俺らが酔うには強い酒と時間と量が必要が必要なハズなんだよ。でもよお……」
 ウルヴァリンは、ちらりと後ろに目をやる。そこでは若者の集団が、突如乱入してきた謎の赤タイツと一緒にはしゃいでいた。
「よぉし、この酒はお前たちにくれてやる。好きにしろッ!」
「さっすが~、デップー様は話がわかるッ!」
 オレちゃんのおごりだと、酒をボトルごと投げまくるデッドプール。若者も嬉しそうに、ボトルをキャッチしている。一人、ボトルが顔面に直撃して気絶したが。それでもともかく、酒席は盛り上がりまくっていた。デッドプールの片手には、オシャレで度数も薄そうなカクテルが握られている。
「アイツもヒーリングファクター持ちなのに、なんであんなにすぐ酔えるんだろうな」
 昔からの飲み友達である、ウルヴァリンとスティーブ。ここにデッドプールも加えた三人組が、最近の飲み仲間一同だった。
「デッドプールは私たち老人と、飲むペースが違うのさ。それに……」
「それに?」
「そもそも今、デッドプールは酔っているのか?」
「……ああ。そりゃそうだな」
 アイツ、常日頃からあんな感じだよな。スティーブに言われ納得したウルヴァリンは、グラスに残るスピリタスをあおる。胃の中がカーっと燃えたのも一瞬のこと、どうやらまだ酔うには時間がかかりそうだった。
「これでしばらく断酒だ。せめて今日は、酔いたいぜ」
「断酒? いったいどうして」
「いい年だし、健康のことを考えて、とでも言えりゃあ普通の大人なんだろうけどな。いかんせん、金がねえんだ」
 ヒラヒラと、手を振るウルヴァリン。
「アベンジャーズからの給料が遅延しているのなら、すぐにでも手配するが」
「いや。給料はちゃんともらっている」
「……女か?」
「チーズフォンデュ野郎が言うぜ、全く。俺が金を使うつったら、女絡みしか無いとでも思ってるのか」
「おい、その呼び名、誰から聞いたんだ」
「ただまあ、女絡みってえのは、間違いないけどよ。半分だけな」
 スティーブの抗議を聞き流し、ウルヴァリンは数日前のこと、今となっては去年末のことを語り始めた。
「スティーブ、お年玉って知ってるか?」
「OTOSHIDAMA? 確か、日本の風習だな。目上の者、例えば親が子の手のひらに玉を落として、コレがホントの落とし玉と……」
「前半しか合ってねえよ。誰だよ、後半吹き込んだの。目上が目下に、金銭を与えるんだよ。玉じゃなくて。とにかく、そんな風習が日本にはあるんだけどよ……誰が何処で聞きつけたのか知らないが、年長者で日本の風習も知っているウルヴァリンはお年玉を払うべきだ! なんて話がX-MENの中で出てきやがって」
「……アベンジャーズにお年玉の話が広まらなくて、本当に良かったよ」
 アベンジャーズの年長者であるスティーブが胸を撫で下ろす。
「ジュビリーが騒いだと思えば、日本人のヒサコやノリコもノってきやがってよ。流石に悪乗りしたアイスマンがローガンおじさん、お年玉ちょうだい! って言ってきた時には蹴りくれてやったけど。俺も、やること自体はやぶさかじゃあ無かったんだが、いかんせんX-MENは対象が多すぎてな」
 恵まれし子らの学園で学ぶ生徒たちを始め、派生チームの若者たち、ミュータントとしてのウルヴァリンの関係者だけでも、お年玉の対象となりそうな相手は数十人を越える。
「だから言ったわけだよ、ただやるんじゃ芸が無いから、“俺からのお年玉か? 欲しけりゃくれてやる。探せ! この世の全てをそこにおいてきた”ってな」
「なんだいその、処刑寸前の海賊みたいな宣言は」
「要するにだ、日本で言う正月三が日のうちに、世界のどっかにいる俺を見つけたらお年玉くれてやるよ! ってコトだよ」
「ああ。だから君、アベンジャーズのニューイヤーパーティーに顔出さなかったのか。君狙いで乱入してきた、セイバートゥースやオメガレッドが困ってたぞ。気の抜けている内に、叩きのめさせてもらったけどね」
「正月からご苦労なこった」
 果たして、自身の宿敵たちに言っているのか、働くはめになったヒーローたちに言っているのか。
「最初は苦し紛れだったが、段々俺もノッてきてよ。結構本気で逃げたんだが……」
「あっさり見つかったと。何人ぐらいに見つかったんだい?」
「ジュビリーとローラに見つかったのを皮切りに、キティとヒサコがやって来て、キッドオメガとエヴァンに捕まって、サージやロックスライドのヤングX-MENの連中に囲まれて、悪乗りしてやって来たアイスマンとガンビットは張っ倒して……」
「ああ。それは財布が軽くなるわけだ。今日は、奢ろうか?」
「すまねえな。でもよ、悔しいし、自分が衰えたんじゃないかって気もするんだが……今の気分は、悪くねえんだ」
 仏頂面のウルヴァリンだったが、声色には確かな嬉しさがあった。そこには照れくささも混じっている。
「アイツらが、こうも俺をちゃんと追跡できるとはなあ。確かに全員ミュータント能力をフルに使ったんだろうが、それにしたって使い方ってモンがある。当てずっぽうにただ使うだけじゃ、俺は見つけられねえ。しっかりと、追跡の仕方を学んでないとな」
 ミュータントの能力は強力無比であるが、使いにくい面もある。そして、普通の人間ではないというだけで、敵意にさらされることもある。だからこそ、若いミュータントは学園にて様々な技術を学ぶ。生き延びるために。
 彼らに技術を教えるのは、その技術で生き延びてきたベテランのミュータントたち。追跡術と逃亡術を教えているのは、ミュータント最高の狩人。他ならぬ、ウルヴァリンだった。
「君は優秀な兵士にして、指導者だったと言うことだよ」
 スティーブは、空となったウルヴァリンのグラスにスピリタスを注ぎ、自分のグラスにもエバークリアを足した。
「成長する若者たちに」
「乾杯ってか」
 若々しい老人二人は、本物の若人に乾杯する。グラスを重ねあわせ、それぞれ酒を一気に飲み干す。内蔵に染み渡る、アルコールと感情。自然と無言になる二人、僅かな静寂をバーの喧騒が包み込んだ。

 
「それにしても、こんなに奢ってもらっていいんですか?」
「気にしない、気にしない。今、オレちゃんお金持ちだからね。大富豪の革命ナシモードみたいなあ!? それもこれも、お年玉20%還元セールのおかげだね!」
 喧騒の中でも、ひときわ大きな声。後ろで、若者に大盤振る舞いを続けているデッドプールの声は、取り分けよく聞こえた。
「還元セール?」
「逃げるクズリを捕まえたら、ボーナスゲット! ってイベントがあったんだけどさー。みんなアタリをつけるのに困ってるから、狩猟免許で家が建つオレちゃんが、逃げてそうなところアドバイスしてあげたわけよ。お年玉の20%をオレちゃんに渡すっていう、ギブ・アンド・テーイク! で。元々、お年玉の話を学園で振りまいたのもオレちゃんでねー、結果ちりも積もれば山となるで、小金持ちー!」
 崖の上に追い詰められたサスペンスドラマの犯人でも、そこまで喋らねえよという勢いで、ネタバレをまくし立てているデッドプール。
 ウルヴァリンは、まだ中身が入っているスピリタスの瓶を一気飲みした後、空になった瓶をぶんぶんと棍棒のように振るい始めた。
「ちょっと、失ったものを取り返しに行ってくる」
「血は残さない、周りの人を巻き込まない、バーを営業不能にしない。これだけ守ってくれれば、止めには入らない」
「わかってらあ。俺は人にお年玉をやるくらいの、“大人”だからな」
 席を立つウルヴァリン。やがて聞こえてくる、喧騒や愉快な悲鳴。スティーブは喧騒から完全に背を向け、一人静かに残ったエバークリアを楽しんでいた。
「来年は、予算を申請した上で、お年玉をアベンジャーズでも訓練として取り入れてみてもいいか……それにしても、玉を落とすからオトシダマじゃないのか……どうりで日本に居た時、玉を貰ったアキラやクリスが変な顔をしていたわけだ……」
 殺人的なアルコール度数を持つ酒を飲み続け、いい加減酔いが回ってきたスティーブが無規則に言葉を垂れ流し始める。超人血清の効果で、たとえこうして酔っても早く覚める。だからこその、僅かなたゆたう時間だった。
 殴りあう音と、ガラスのボトルで頭をかち割ったかのような音が、背後で聞こえる。
 今年もまた、良い年になるに違いない。酔いが覚める寸前、スティーブは彼にしては無責任がすぎる感想を抱いていた。