近世百鬼夜行~伍~

「おいカメラ廻せ!」
「おいスッゲエの出たぞ、ケータイで撮って送るから!」
 テカりのある黒い肌、複眼に長い触角に翅、いままで超人的な戦いをしていた二人は仮装で済むがコックローチGの外見はもはやSFXでも解せるレベルでは無い。野次馬やマスコミが一斉にカメラを構える。
 大小種類様々なカメラが映し出したのは、混色の砂嵐。あたり一面を突如極彩の微小な何かが覆い尽くす、金、黒、茶、赤……色とりどりのそれは群集の視界を完全にシャットアウトした。
 群集の何人が気付いただろうか、自分の髪の毛が各々数cmずつ切り取られたことに。

 炎を掻き分け現れたGの目の前に立ちふさがる火車。
「この間出たゴキブリは熱湯かけただけで死んだんだぜ」
「俺がこんな柔い炎で焼け死ぬか。俺を焼き殺したいんなら焦熱地獄から火でも借りて来い」
「無茶だなあ、なんせ俺様は葬式で死体かっさらうから閻魔には嫌われてんだ。たとえ切腹しながら土下座して靴を舐めながら頼もうとも……」
 振り下ろしのフック、Gの沈む上体を捕らえるアッパー、技巧を高めたボクサーのような洗練さは感じさせないが、喧嘩慣れした荒々しさが火車の拳にはある。無理やり浮き上がらせたGの胸倉を火車は掴む。怪我が完治していないとはいえ、Gと火車の実力差は埋めがたいものがある。
「聞いちゃあくれねえだろうさ!」
 大きく振りかぶっての頭突き、仰向けに倒れるGの片脚を捕まえる火車、捕まえた脚は先日カマイタチに断たれた側の脚。自身の片脚でGの頭を踏みつけ、捕まえた脚を両腕で引きちぎらんとする。この脚の状態での拷問式のエビ固めは流石にタフなGにも辛すぎた。
「ぐおおおおおおおおおおおお!?」
「まだまだぁ!!」
 火車は片腕で脚を固め、空いたほうに炎を宿らせる。炎の掌で脚を掴めば、Gも黒い消し炭へと姿を変えるしかないだろう。流石に直接点火には耐えられまい。
「へっ、燃えろよ?」
 業火が直接Gの体に流し込まれる。脚から燃え始めるGの体、数秒もすれば全身を炎が覆い尽くすだろう。だが燃え始めてから刹那、濃い極彩の嵐が二人を覆った。特に火車の回りを濃く。嵐の正体は色とりどりの毛髪、毛髪は火で燃える。Gの体の業火が嵐に燃え移り、火車の体まで炎が覆う。
「ぬお!?」
 自分で出した炎、熱くもなんともないが視界は遮られるしなんせ驚きもある。思わず、火車はGの体を放してしまう。瞬間、銀色の閃光が火車の目の前を横切った。パサリと落ちる火車の前髪、目の前でハサミを構える男に火車は見覚えがあった。
「カミキリか!?」
「お久しぶりです。まさかアナタがイタチ兄ぃと手を組んでいたとは、あれだけやり合ったのに」
 火車とカマイタチは過去に対峙した事がある。その勝負の見届け人の一人がカマイタチを義兄と慕うカミキリだった。
「強敵と書いて友と呼ぶって格言があるんだぜ!!」
 殴りかかってくる火車をカミキリは見事に避ける。だが、彼には避けるだけしか出来なかった。
 カミキリはそもそも髪を切る妖怪であって、人を斬る妖怪ではない。己を護るだけの技量は持ち合わせているが、攻めるための技術は持ち合わせていない。よくて相手の髪を切るぐらいだ。こちらに致命傷を与える手段の無い相手との対峙ほど気楽なものは無い。火車は悠々とカミキリを追い詰めていった。
 ついに大降りのストレートがカミキリの顔面を捉える。これだけの大降り、カウンターを喰らう恐れがあるが、なにせ相手に出来るのは髪を切ることだけ。こちらに別状は一切無い。相手がカミキリ一人なら。
 突如頭を下げたカミキリの頭上を飛び越え出現したのは燃え尽きたハズのG。体中が焦げているが、動きに衰えは無い。火車はいやがおうにも認めるしかなかった、己の炎ではGを焼き尽くせないことを。
「そんなに片脚ツブしたいならくれてやる!!」
 健康な方の脚で打てばいいのに、なぜか怪我をしている方の脚でGはレッグラリアットを仕掛ける。いや、火車が一瞬驚き動きを止めた時点で効果はあったか。
 Gの片脚が火車の喉仏の辺りに突き刺さる。普段ならばGの攻撃など蚊に刺されたほどのレベルだが、タイミングがこの一撃は余りに良すぎた。思わず火車が片ヒザを付く。火車の頭頂部に、カミキリのハサミの先端が触れた。
「流石に、この状態なら貴方を殺せますよ」
「……」
 無言の火車、まさか自分がここまで追い詰められるとは戦前予想していなかったのだろう。だが、カミキリはハサミを引いた。
「なんのつもりだ?」
「目的は知りませんが、貴方のおかげでイタチ兄ィは満足している。あんな楽しそうなイタチ兄ィの顔なんか見たことがありませんよ。だからこれは親戚としての礼です」
 セブンと戦っている間、カマイタチの顔は愉悦にあふれていた。他人から見れば変わらぬぶっちょう面だが、カミキリには彼の愉悦を読み取ることが出来た。今なら言い切れる。カマイタチは山を降りてきて、セブンという強敵とであって幸せだったと。たとえ結果がどうなろうと。
「礼なら素直に受けとってやるぜ」
 ニヤリと笑う火車、カミキリの手に携えていたハサミが炎上し一瞬で溶解する。それは追い詰められはしたが、絶体絶命ではなかったとのアピールか。火車は指を口に当て甲高い口笛を鳴らす、エンジン音がそれにかぶり、人垣を飛び越え一台のバイクが姿を現す。
「兄ぃ!!」
「お待たせしました!!」
 バイクの前輪と後輪となる輪入道兄弟が喋る。今は髪の毛の渦で野次馬の視界は遮られているが、もし彼らがこれを見たらどれだけ驚いただろうか。
「今日は俺は引くぜ、まあアレだ、次ぎの機会、今度こそ燃やし尽くしてやんよ」
 ヒザを付きこちらを見やるGを指差し、拳銃を撃つような仕草をとる火車。
「カッチョイイです! 兄貴!」
「まさに漢の仕草でさあ!!」
 やいのやいのと騒ぐ輪入道を尻目に、狙い撃ちされたGは妙に冷めていた。その原因は、きっと火車がまたがるバイクにある。
「いや……なんでお前ら、原付なの?」
「……」
 前回のバイクは、アメリカンスタイルの大型だった。火車が着ているライダースジャケットとの相性もとても良く、二人と一人の妖怪は無駄に絵になった。だが、何故か今回のバイクは原付。50CCの、おばちゃんとかが買い物カゴをつけて運用しているタイプ。火車のライダーズジャケットと相まって、無駄にカッコ悪い。
「前の車体は崖から落ちて使い物にならなくなったわ!!」
「あのボディだって高かったんだぞ、兄ぃの貯金のレベルでホイホイ用意できるかー!!」
「この原付だって駅前に放置されてたのを、パクってきてペンキ塗っ」
「ちょ、お前らフォローしてくれてるのは分かるが、逆効果だから!!」
「ゴメンな、その場の勢いでバイク破壊しちゃって……」
「とりあえずそこの食堂のランチタイムサービス券です、どうぞ」
「中途半端な同情なんかいらねー!! 帰るぞおまえら!!」
 フォローを重ねるほど駄目になっていくのに耐え切れなくなった火車がアクセルを吹かす。バイクは急加速し群集を一気に飛び越え、ビルの壁面に張り付き走っていく。たとえ元の由来やスペックがたいしたこと無いバイクでも、タイヤが輪入道になるだけでここまで人外の動きを披露できるのだ。
 火車が消えた後、徐々に毛髪の目隠しが薄れていく。人々が視界を取り戻す前に、Gは人間の姿である五木へと変身した。野次馬やマスコミが視界を完全に取り戻したときには、二人は群集に埋没していた。その視線の先は、セブンとカマイタチが消えた109ビル――

 カマイタチが意識を取り戻した時、脇に奇妙な格好をした女性が寝ていた。
「ぬお!?」
 慌てて火車は身を起こす。女性の正体は精巧なマネキン、流行の服を着たマネキンも山に篭もっていた火車にとっては奇妙奇天烈な人形にしか見えない。 カマイタチが突っ込んだのはビル内のブティック、色とりどりの衣装を掻き分けて見晴らしが利く所に移動する。そこで見えたものは、弾道型に一直線に壊された店内。自分がその弾道を作った張本人であることに火車が気付くには少しの時間を要した。一体、どれだけの力で投げられればこんなふざけた勢いで吹き飛ばされるのか。始点であるビル壁面の大穴から、月の明かりが照らしている。
 薄闇の明かり無きビル。昔ならば、一つづつ灯りをつけて回るのだろうが今は現代、スイッチ一つ押すだけで一瞬で全ての灯りが灯される。
 フロアが光を取り戻し、一人の人間が歩み出てくる。それは当然、
「決着をつけよう」
「ここまでやっておいて決着がまだとは、女の妖ほど残酷なものはない」
 マントを脱ぎ捨て、素顔も露となったセブン。狂気の具現化とも言えるデザインのマントを羽織っていないのに、彼女の姿は何故か心底恐ろしいものがあった。
 無言で刀を構えるカマイタチ。刃に欠は無い、永劫に近い美を放つ実用に耐えうる刀こそがカマイタチが作り出したモノ。この刀だけには、セブンの持つ数多の武器も叶うまい。
 対するセブンは無手。だが、彼女は一瞬で武器を選別し己の手にする、無手を侮るのはあまりに危険。
 カマイタチが歯を鳴らす、アゴを締め上げられたがまだ十分に動く。技の根源を見切られた事から隠し球である意味は無くなったが、まだ不可視の刃としての価値は十分にある。
 放たれる隠しの刃、数は三、見えない刃を避けるのは武神でも不可能。だが、見えてしまえば――
「な!?」
 カマイタチの目にも見えた、明かりに照らされる3つの刃が。先程までは夜の街頭と見えにくいことこの上ない場所だったが、今の戦場は明るい室内。それだけならば見えるはずも無いが、店内はカマイタチが吹き飛ばされたせいで埃がそこらに舞っている。このホコリと明かりが、純粋な真空刃であるカマイタチの刃を浮き上がらせる。
 いともたやすく刃を避けたセブンが、懐から小さいハサミを二つ取り出しカマイタチに投げつける。ブーメランのような見にくい起動で飛ぶハサミを、左右それぞれの刀でカマイタチは打ち落とした。瞬間、セブンがハサミを追いかけるようにカマイタチへと突撃した。手に握られているのは大降りのハンマー、速のカマイタチに対し力で対抗する気だ。力と速、普段ならば拮抗し分からぬ勝負となるが、カマイタチの速には全てを断ち切る鋭敏さが付いている。たとえ怪力の主が付いていようと、カマイタチが刀を振るえば一瞬でそれは鉄塊と化す。
 抜き放たれる二刀、真正面から迎え撃つハンマー。ハンマーの頭を狙い済ました刀は、双方真っ二つに折れた。
 打ち合った衝撃でカマイタチの体が退く、だがセブンの追撃は止まない。横殴りの一撃をカマイタチは跳んで避けた。侍としての刀が折れようとも、まだカマイタチとしての口からの刃は残っている。セブンにはハンマーを振り切った事による隙ができており、たとえ不可視の意味を見失おうとも鋭さは健在。この距離ならば外すことはない。
 其の時、カマイタチの目に入ったのは、返って来るハンマーの頭。信じられないタイミングでの引き戻し、剣術で似た技を探すならば巌流の奥義であるツバメ返し。だがあの技は長柄の細身の刀を用いることで叶うもの、どれだけの技量と腕力があればこんな重くバランスの悪い武器でそんな芸当が可能になるのか。
 カマイタチの口から漏れる空気。カマイタチの腹を穿つハンマーは、上半身の半分以上を吹き飛ばす大穴を作っていた。肺を消し飛ばされてしまってはもはやカマイタチとしての刃も死んだ。重力に任せ落下するカマイタチの体、その光景をセブンは冷静な目で見つめていた。

「そうか……カミキリの……ハサミ……それならば……拙者の刀と互角か……」
 セブンはカミキリの理容室から飛び出す時に、何本かのハサミを懐に入れていた。同じ思想で鍛えられた刃物ならば互角とは言わずとも多少の傷をつけることは可能。最も、セブンと打ち合うことで刀の刃が疲れていなければカミキリのハサミではカマイタチの刀に到底及ばなかっただろうが。
「喋るな。辛いだけだ」
 仰向けに倒れるカマイタチ、その腹には大穴が開いている。いかに妖怪といえども、もはや瀕死。常日頃気遣いが足りないと五木に言われるセブンにも、看取るという礼儀は存在した。
「ふっ……山で暮らしていて……言葉を発する機会も無かったのだ……今わの際ぐらい喋らせてもらう……ゲホッ!!」
 カマイタチは吐血するが、変わりに言葉遣いが息絶え絶えのものから流暢なものになる。回復したのでは無い、例えるなら蝋燭の消える前の最後の大きな炎のようなものだ。
「お前の出自が知りたい。拙者に幸福を与えてくれた妖怪の種族くらい知っておきたいからな」
「幸福?」
「ああ、幸福だ。己の全てを出し切った上で最後を迎えられるなぞ、まさに本懐よ」
 満足げな笑みを浮かべるカマイタチ、言葉に嘘偽りは無い。この男こそ、己が命を磨耗させ本懐を遂げようとする武士の理想の具現者なのか。セブンは彼の顔をそっと撫でてから語り始めた。
「私は人造人間だ」
「じんぞうにんげん?」
 西欧産である人造人間の名は、カマイタチにはピンと来ないらしい。
「死体をベースに作り出した人間のことだ。私の父のフランケン博士が創始者であり、未だに第一人者だ」
 もはや西洋の妖怪内で伝説の一人に数えられる人間、フランケンシュタイン博士。それまで主流だったホムンクルスとは違うアプローチで生命を造った偉大な科学者。己で編み出した技術を利用しているのか、不老となった彼は娘の一人を連れ隠遁生活をおくっている。今の彼は人造人間を造ってはいない、現時点での彼の最終傑作の人造人間、それがセブンだ。
「なるほど、日本で言う反魂の術か。しかしアレで生み出された怪物と比べると、お前は強いし賢いし、美しいなあ……」
 カマイタチは己の刀折れた刀を手にし、一本を己の胸に置き、一本をセブン向けて差し出す。
「これを貰って欲しい。折れてしまってはいるが、拙者の最高傑作だ」
「私は武器は使わない」
 セブンは様々な道具を武器として使用するが、純然たる武器を用いる事は無い。
「我慢するな。カミキリのハサミに惚れた女が、この刃の美しさを解せぬものか。使う気が無いなら、棚の奥底にでも仕舞ってくれてもいい。だから貰ってくれ」
 無言でセブンは刀を懐へと仕舞う。ここで無下に断って得をする者が居るものか。
「介錯という言葉、知っているか?」
「ああ。時代劇で見た」
「ならそれを頼む、言いたいことは言い尽くした」
 スッとカマイタチは目をつぶる。荒い息が口から漏れる、もはやカマイタチの最後の炎は細々と燃えるだけしか残っていなかった。もはや腹を切る必要も無い。
 セブンは鉈を取り出し、振りかぶる。狙いはカマイタチの首。スッと息を吐いてから、鉈は一気に降ろされた――

 辺りを囲む喧騒、先程二人が死闘を繰り広げた109ビルにも警察が突入する。明かりが点けっぱなしなのだから、ここで何かがあったことぐらい戦いの推移を見ていない者でも分かる。だが、既に戦いの張本人は場所を移動し近くのビルの屋上に一人佇んでいた。足元には幾重の布に包まれた、ボール大の物体が。
「セブン! 無事だったか!」
 五木とカミキリがセブンに駆け寄る。静粛な面持ちで、セブンは足元の物をカミキリに差し出した。
「これは……?」
「カマイタチの首だ。死体は既に処理したが、こちらは持ってきた。首は近親者が葬るものなんだろ?」
「お前、結構残酷な勝ち方したんだな」
「違う。これはカマイタチに頼まれた介錯の結果だ」
「そうですか、イタチ兄ぃは侍として死にましたか……」
 感慨深げなカミキリは、兄と呼ぶ人物に止めを刺したセブンに頭を下げた。山に篭もって朽ち果てるより、遥かに満足な最後をカマイタチは遂げた。それに対してのせめてもの礼だった。
「あとコレも頼む。墓に埋めてやってくれ」
 折れた刀の一振りを取り出し、カミキリに渡す。これはセブンに託された方ではなく、カマイタチが死んだときに胸に抱いていたもの。死体と一緒に消し去るより、こちらの方が数倍マシだろう。
「明日、休みを取ってイタチ兄ぃが住んでいた山に埋めてこようと思います」
「それが良い……」
「俺達も行こうか?」
「いえ、ここは自分だけで。それでは。暇な時、店に遊びに来てください歓迎します」
 ペコリと頭を下げて、カミキリは去っていった。警察がうろついている中、生首と刀を抱えて大丈夫なのだろうか。
「俺らも帰るか、那々」
「そうだな。今日は疲れた、肉食べよう、肉」
 肩をコキコキ鳴らす五木と扮装を完全に解き伸びをする那々。二人が去った後に、ビルの隙間を吹く風が物憂げに鳴いた。