- 2008.04.23 Wednesday
- 小説 > TYPE-MOON > ザ・サムライ
柳洞寺へ向う石段を強引に避け、山を踏み入った中ほどにある小洞窟。ここに全ての悪意は集結し、聖杯現出の場としての体裁を着々と整えている。
現在この入り口には、当面のターゲットを見失ったオメガマンが陣取っていた。ようは、ていの良い見張りだ。彼にしては珍しく気が抜けた状態だ。
しかしカサリと枯れ枝を踏む音が聞こえた途端、すぐに彼は気を取り戻し侵入者へと構える。この闇夜でオメガマンの異形の外見を見ても、侵入者は不敵な笑みを絶やさなかった。
「誰だ!」
「私は神父です、中に控えている方に差し入れを持ってきました」
おかもちから漂ってくる、鋭い唐辛子の香り。
侵入者は聖杯戦争監視役の言峰神父だった。寺と言う信仰の真逆の建物があるそばに居ても、彼は意にも介していない様子だ。
「差し入れだと? 怪しいが、神に仕える神父の言う事だ、信頼してもいいだろう」
この男に見張りの意味があるのだろうか。罪なのはオメガマンではなく、神父や牧師は信用できるといった超人界の常識なのだろうが。
だが、オメガマンはなんとか見張りとしての職務をギリギリで思い出した。
「ちょっと待ってもらおうか。まだやはり、完全に信頼は出来ない」
さっさと言峰の体をチェックするオメガマン。とりあえず武器の類は持っていないようだが、触っているうちに違和感を感じ始めていた。
「フフ、神父さま。えらく筋肉が発達していらっしゃる。どこで、鍛えられたんですかい?」
服の上から触ってもハッキリわかるほどに、言峰の体は鍛え抜かれていた。質は違えど、密度や錬度は超人の筋肉にまさるとも劣らない。明らかに、並みの聖職者が持ち合わせるものではない。
「テメエ! ちょう……」
『手を出すな』
ライフルを持ち出そうとしたオメガマンを止めたのは、洞窟から響いてきた声であった。尊大な物言いだが、オメガマンは文句一つ言わず慌てて声に従う。
「どうやら、許可が出たようだな」
このやり取りの中でも平穏を崩さなかった言峰を、オメガマンは舌打ちをしてから通す。そんな不満げな彼に、言峰はおかもちを差し出した。
「なんのマネだ」
「この食べ物は君に持ってきたものだ、この中に居る悪魔は、食べ物を必要としないからな」
オメガマンの返答も待たず、言峰はおかもちを置いて洞窟の中に入っていった。
「あの男……何者なんだ」
オメガマンは、自分や強豪悪行超人にも勝る負のオーラを持った神父に、僅かな恐怖を感じていた。アレに勝るのは、不死鳥か完璧の長かこの中に居る悪魔ぐらいしか思い当たらない。
とりあえずおかもちの中身を確認する。おかもちの中に入っていたのは、真っ赤な麻婆豆腐、おかもちを空けた瞬間に漂うツーンとした匂いがオメガマンの目を潰した。
「うお!?」
思わず目を押さえるオメガマンの背後を、青い影が駆け抜けた。
聖杯とは、聖なるものではなかったのか?
この洞窟で口を開けた杯は、明らかに邪なる気を放っていた。洞窟の中心部にポッカリ開いた穴から黒い邪悪なモノが溢れている。
この穴の前に、言峰にとっての目的の人物は居た。
「神父よ、聖杯戦争の監視役という職分を忘れ、悪魔祓いにでも来たのか」
穴の前に立つのは間桐桜。黒と赤のストライプ状の衣を纏う姿は確かに悪魔思い起こさせたが、口調と言い動きといい此度の彼女は何かがおかしい。
「既に私は教会から離れた身、悪魔祓いなどは他人のすべき事です」
「ならば何故この地に来た。私を止めに来たのではないのか?」
言峰はこの問いに答えず、神父服を脱ぎ捨てた。長年の鍛錬と経験を感じさせる傷だらけの鍛え上げられた肉体が露となる。
「この体を捧げにきました。マキリの聖杯は聖杯の依り代としては十分な物、しかし貴方には合わぬ物です。貴方には、魔力なり何より鍛え上げられた肉体こそが最高の供物」
「フハ、フハハハハ!」
桜は大きく笑った。
「まさか私と対極の位置にあるものが、私の真意を汲み取るとはな。そうだ、この無駄な肉が多い体は私の肉体として不十分だ」
一見自己批判に見える桜の嘲笑を聞いた言峰は、一匹の淫蟲を取り出し投げ捨てた。
「貴方はこの腐老に使われるほど、安い存在ではない筈」
ぐしゃりと、蟲が踏み潰される。これはただの一匹の蟲にあらず。この蟲こそオメガマンを雇い、桜を悪魔の現身とし、この面白おかしく狂った戦争で勝利を得ようとしたいた間桐臓硯の最後の一匹。老魔術師の執念はあっさりと潰された。
「実に素晴らしい男だ。いいだろう、お前の体を使わせてもらうぞ」
聖杯より飛び出した金色のマスクが、言峰めがけ飛んでいく。マスクは飛んで行くうちに姿を変えていき、言峰の手元に着いたときには大きく様変わりしていた。
「さあ、その仮面を被るのだ」
白銀に輝く仮面。目のみ四角型の露出部があり、鼻や口があるべき場所は溶接されていた。顔の正中線に連なり打たれているリベットが物々しい。両脇の角と頭頂部の角、三本の角が雄々しく輝いていた。
この物々しいデスマスクに対して、臆すことも無く。言峰はマスクを被った。
「いざ!」
桜の体から放たれる6つの霊魂。霊魂は言峰の周りを一周すると、順繰りに彼の体に入っていった。霊魂が入るたびに、言峰の体の各所を白銀の鎧が覆っていく。
「仕上げだ」
桜の身を包む暗闇の衣が、数匹の蛇に分裂し桜から離れていく。蛇は次々と言峰に巻き付いて行く。
全裸の桜が倒れた時には、完全に蛇たちは言峰の全身を覆っていた。蛇は鎧にどんどんと同化していき、全ての蛇が鎧に飲み込まれた後に生まれたのは悪の一つの到達点にも数えられる邪悪な魔人。
「バゴア! バゴア!」
魔人は奇怪な笑い声をあげる。この笑い声を聞くたびに、幾人の正義超人が悪夢にさいなまれたか。
地獄の閻魔と並ぶ、悪行超人最強の男にして最後の刺客。かつて熾烈な争いの結果滅んだはずの男がこの冬木市に復活した。
彼の名は悪魔将軍――
悪魔に身を捧げた主の姿を、じいっと見ていた従者が居た。
「ランサーか、ちょうど良い。ここに呼ぼうと思っていたところだ」
「オマエは言峰か? それとも別のモノか。別のモノなら、偉そうに命令するんじゃねえよ」
「別のモノであり、言峰綺礼でもある。証拠はコレだ」
悪魔将軍の声は間違いなく言峰の声と同一の物であった。
岩陰から出てきたランサーに、悪魔将軍は手の甲にある令呪を見せた。デザインは元のままの上に、きちんと残り一つと数も合っている。
「間違いねえみたいだな」
「どうしたランサー? 不満そうだな」
不満かと尋ねられたランサーは、肯定するように忌々しくツバを吐き捨てた。
「当然不満だ。全ての戦いにオマエの思惑が入っていたのかと思うと、忌々しくてヘドがでるぜ。そしてヘドが凝り固まったようなモノになりやがって。そんなモンのために、俺たち英霊は召還されたんじゃねえ」
「お前達の無念も苦痛も全てここに行き着く。救いようの無い感情を拾うのも、我が勤め」
令呪が光り輝き、最後の命令を解き放つ。令呪が0となれば主とサーヴァントの主従の絆も消えると言うに。綱が消えた瞬間に、青い犬は主に襲い掛かるだろう。
「ランサー、私と戦え」
しかし主は、己に牙を突き立てることを飼い犬に命じた。
「……正気か?」
本来どうやっても人間である主は英霊に勝てない。だがもし、主が人を捨てていたならば?
「正気も何も、お前は私と戦いたいのだろう。自決を命じてもよかったが、それでは面白くない。お前の足掻きを見せてみろ、ランサー」
すうっと悪魔将軍が構えを取る。それは、将軍本来の構えではなく、中国拳法の流れを組んだ言峰自身の構え。将軍は依り代としたモノの能力も己の一部とするのだ。
かつての悪魔将軍に比べて、今の悪魔将軍の体躯は小さい。依り代であった言峰も人としては長身であったが、流石にバーサーカークラスの超人達には劣る。替わりと言ってはなんだが、この将軍の体は細身で洗練されていた。かつての将軍に比べシャープなイメージを持っている。
「足掻きねえ……気にいらねえな、その見下した態度がよお!」
ランサーの槍が、将軍の眉間を狙う。一直線に獲物めがける姿は、一本の蒼槍。この槍に触れれば、いかなる物も破砕されるだろう。だが将軍は場から一歩も動かず、この槍を真正面から迎え撃った。
将軍の両手から飛び出す剣。剣は容易くランサーの突撃を押しとどめた。剣の硬度が大抵では、このような芸当は不可能だ。
ランサーはすぐに一歩退き、穂先を神速で繰り出す。人であれば視認も出来ぬ乱撃を将軍はあっさりと見切っていた。
「テクニックはアーチャー!」
将軍は両手の剣でランサーの攻撃を弾いていく。ランサーと双剣で渡り合う技は、言葉通りにアーチャーに劣らぬ芸当であった。あのかつての校庭の戦いと、同じ光景が薄暗い地下洞窟で再現されていた。
「宝具はライダー!」
一進一退の戦いが動いた。将軍の中から呼び出された六本の腕が、ランサーを捕縛する。全ての腕は異形であり、ランサーを捕らえるほどの敏捷性と腕力を持っている。威力はともかく、汎用性はかなり高い召還宝具だ。
捕らえられたまま招きよせられたランサーの頭を、将軍の片手が捕まえる。
「ぐあああああ!?」
「力はバーサーカー!」
ランサーが絶叫するほどに凶悪な力であった。気を抜けばすぐにでも、抜かなくても数十秒後にはランサーの頭蓋は砕け散る。魔のショーグンクローと呼ばれるこのアイアンクローの力は確かに暴虐と呼ぶに相応しい。
将軍の手と頭のスキマに無理やり槍を突っ込み、ランサーはなんとか必死にショウグンクローを外した。しかし、将軍の攻撃はいまだ止まず。
「魔力はキャスター!」
八極拳式の掌打がランサーの鳩尾を貫く。それで終わればよかったものの、将軍の掌がインパクトの瞬間に爆発した。打撃と魔法攻撃を兼ね備えた一撃。ランサーのタイツの上半身が焼け焦げ、半身が露となる。ギリギリで身を逸らさなければ、この一撃で上半身が消し飛んでいた。
「残虐性はアサシン!」
ランサーの両目を狙う将軍の指。しかしランサーは退かずに、逆に体を抱え込み将軍に向け突貫する。腕をかいくぐりランサーは将軍に肉薄する。がら空きの心臓めがけ、ランサーの槍が突き立てられる。
しかし、切っ先は空を切っていた。将軍はまるで霞のように消失していた。
「そして敏捷性はランサー……」
将軍はランサーの背後に一瞬で回りこんでいた。そのままランサーを抱え上げると、彼の両膝を掴み、己の構えた膝に向け叩き落した。
「ダブルニークラッシャー!」
火花が散るほどの強烈な衝突。技から解き放たれたランサーは、急いで転がり将軍から距離を取るが、中腰以上に立てない。動かぬランサーの両膝は真っ黒く染まっていた。
「クソ……! 脚をやられたか」
「足がくっついているだけありがたく思え。本当ならば、お前の両足はヘシ折れていた」
圧倒的な実力を見せ付ける悪魔将軍。その能力は全てのサーヴァントの長所を本気で持っているのではないかと、幻想させる程だ。現に今、敏捷性でランサーを上回っていた。
「よくやったランサー。お前のおかげで、全てのサーヴァントを凌駕した自分の性能を確認できた。褒美として、このまま捨て置いておいてやろう」
動けぬ男など殺すまでも無い。この舐めきった態度が原因だったのか。
それ以前に、脚が死んだぐらいで諦めを抱くような魂は英雄へと成れぬ。脚を殺したぐらいで勝利を確信した強者の怠慢が、彼を甦らせる。
「うおおおおおおおお!」
ランサーは使えぬはずの脚で立ち上がった。槍を支えにするなどの逃げも打たずに、己の死んだ脚のみで立ち上がった。
「ぬ。技をしくじったか?」
将軍は己のしくじりを確信するが、彼の技に過ちは無かった。過ちが合ったのはランサーという男に対しての認識のみ。クランの猛犬は、首のみでも敵を食いちぎるのだ。
ランサーは己のベルトを引きちぎり、焼け残っていた上半身のタイツも千切り捨てる。投げ捨てたベルトが軽々しく鳴った。
悪魔将軍に勝つには、余計な重石は不要。1グラムの錘でさえ邪魔となる。全てを捨て、流星と化し将軍の急所を穿つ。これを成功させるには、将軍を凌駕する速度が必要となる。
聖杯と直結し魔力を常に十分に蓄えた悪魔将軍を超える敏捷性を、主も居ないランサーが出せるのか? 出せる出せないの問題ではない。出さなければならないのだ。
「いくぜ、言峰」
音を置き、光をも乗り越える速さで、ランサーは将軍めがけ突進する。もはや人でも英霊でも神でも、彼を捕らえることは出来ぬ。
ランサーが足を止め、将軍の背後に姿を現す。将軍の右に生えた角にゆっくりとヒビが入り、やがて根元から折れた。破壊など、光と音の前に出れば遅い物だ。
「で。誰の敏捷性が、誰を越えたって?」
魔力を込めたゲイボルグを抱え、今度はランサーが悪魔将軍を見下す。
悪魔将軍でもあり言峰でもある男は、至極不機嫌そうであった。
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