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近世百鬼夜行〜八〜

 普通神社や寺といったものは人が通えるところに作られるものだ。人が踏み込む事もできないような位置では、参拝もクソも無い。参拝客が居ない神社仏閣に意味があるのだろうか。
 だが、何かを封ずるのなら話は別だ。人界に近くてはB級ホラー映画のOPのように悪ガキが封印を解いて大変だーなんて話になりかねないし、なにより封印するような凶悪な物が近所に有る状況で日々の生活を営みたくないだろう。つまり、このお堂には何かが封じられていた。
「しかしなあ」
 変身したままのGは首を捻る。
 街一つ壊滅させるようなモノを封印するには、あまりにチンケすぎるしあまりに山奥すぎる。危険なシロモノを封印する場所としては、定期的に監視するため微妙に山奥で、しっかりと防護できる丈夫さを持った建物がベストなのだが。これでは、只たいした事のないシロモノを厄介払いしただけみたいで、危険度と矛盾しているように見える。
 しかし、状況的にどう見ても原因の一端はこのお堂にある。鬼が出るか蛇が出るか、意を決してGは扉を開けた。
「うぉぉぉぉぉ!! 読めぬっ!」
「せっかくそれらしき古文書を見つけたのに、難しくて読めぬとは。無学が恥ずかしいわぁぁぁッ!」
 お堂の中には鬼も蛇も居なかったが、自転車の身でありながら器用にのたうち回り号泣するバカ兄弟が居た。輪入道が自分らを温かい目で見るGの存在に気付くのは数分後の話である。

「偉い狐の妖怪が言っていた、『わからなかったら人に聞く』と。つまり、分からない事を恥じていても仕方が無い。ちゅーわけで落ち込むな、ウン」
「うう……ゴキブリに説教されるなど末代までの恥よ」
「この一件が落ち着いたら学校にでも通うとしようぞ、後輪の」
 車輪にチンピラの顔がついた妖怪を受け入れてくれる度量の広い学校は果たして存在するのか。一先ず大人しくなった輪入道達はヤンチャした事をすごく後悔していた。
「で、これが古文書か。なるほど、確かにこれは……」
 黒い炎や火車の失踪について大体の事情を聞いた後、Gは輪入道達が探し当てた古文書に目を通す。確かに、これは只の古文ではない。商業的価値は無いだろうが、学術的な価値は相当に見込める品物だ。つまり、ただ読みにくいだけのボロっちい古文書。
「ふん。読めぬだろう」
「虫の知能で読むには敷居が高すぎるわ。もし読めたら、鼻でソバをすすってやるわ」
 自分らも読めないのに、何故か偉そうな輪入道兄弟。
「基本的な古文の解釈に、妖怪文字と方言が混成されている事を見極めれば読めないレベルじゃない。えーと、古き御世にこの地に災厄現る……」
「読めとる!?」
「ど、どうする前輪の!? とりあえず美味いソバを用意した方がよいのか!?」
 動揺する輪入道兄弟を尻目に、着々とGは文章を解読していく。細かい言い回しで詰まる部分以外は正確に。古文書の内容は本筋と関係ない記述が多かったが、唯一輪入道兄弟の知識にもひっかかる危険な単語があった。
「焦熱地獄の炎、現界寸前となる」
「「焦熱地獄だとーー!?」」
 罪人の終着点である地獄。生前犯した罪により行き先は変わるが、どれもが苦痛残虐殺戮苦悶の極地とも呼べるシロモノ。焦熱地獄は生前、殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見の罪を犯したものが送られる地獄であり、送られた罪人は焦熱の名の通りに尽きぬ業火で身を焼かれる。炎の凄まじさは、焦熱地獄の炎に比べれば他の地獄の炎など霜か雪だと例えられるほど。その危険度は核兵器を軽くしのぐぐらいで。
「ど、どうする前輪の!?」
「まさか焦熱地獄の炎が封じられていたとは。だとしたらもう我らの手の出せるレベルの問題ではない。九尾、両面、酒呑……そのレベルの妖怪が関わるレベルの大事件だぞ!!」
「いや、そんなすげえ話じゃないみたいだぞ」
 焦熱地獄の単語が出てから興奮し、話を聞いていなかった輪入道達に全てを解読したGがツッコむ。本文を解読したGは二人とは対照的に至極落ち着いていた。
「なにい!? 貴様は地獄の恐ろしさを知らんのか」
「まああんま知りたい物ではないけどな。大体、焦熱地獄の炎は現界しかけただけで、結局当時の妖怪達に押さえ込まれているって、俺読んだだろうが」
「ふん! 興奮して我ら聞いてなかったわ!」
「威張るなバカチン共。大体、本気で焦熱地獄の炎が封印されて、それが解けたのだとしたら街どころか世界が焼けてるぜ」
 焦熱地獄の炎一つまみで世界が三回は焼けると言われている。実際に地獄の炎そのものが封印されていて、それが解けたとしたら街一つどころか日本ごと一瞬で焼き尽くされている筈だ。
「では、ここには何が封印されていたんだ?」
「当時の妖怪達が焦熱地獄の現界阻止に成功した際に、地獄から出てきた焦熱地獄の燃えカスだとさ、要はスミの塊だよ、地獄産の」
 すべからく高火力の炎は全てを焼き尽くすが、微量の燃えカスを絶対に残すモノ。焦熱地獄の炎も炎である以上、その定めからは逃れられない。数万人の罪人を数万年焼き続け生まれた微小の悪意の燃えカス。ダイヤモンドに勝る密度を誇る燃えカスがお堂には封印されていたのだ。
「だが燃えカスと言えど地獄の産物。何か凄まじき力があるというワケだな」
「いや。別に特に無いとよ。自我とかも特には、本気でタダのゴミ。ただ罪人の悪い魂の結晶みたいなものだから触んない方がいいって古文書には書いてある」
「なんじゃいそりゃあ」
 ガクっとする輪入道達。まあ、触れない方が良いものレベルなら、この封印のレベルも納得できる。ただ、そうなると。
「すると、兄ぃの失踪と火災とこのお堂は関係が無いってことで良いのか?」
 後輪の輪入道がわかりやすい安堵を見せる。ここに封印されていたものが本気で無害ならばそう解せるのだろうが、現実問題お堂の封印が解けている時点でそんな簡単に安心は出来ないだろう。実際、少しは賢い前輪の輪入道の顔は晴れていない。
「なあ、お前ら」
 浮かない顔のGが輪入道に何事かを語りかけようとした時、急に鼻が曲がるような異臭が漂ってきた。源は、お堂の外だ。
「グフフフフ……」
 異臭の主は自我を失いただ笑う。腐りかけ今にも裂けそうな口が限界まで見開かれる。その口から、汚濁した胃液と溶けかけた白骨がお堂を飲み込む勢いで吐き出された。


 胃液はお堂を飲み込み、溶解させる。同時に吐き出された白骨が溶けて弱くなった箇所を削り取る。お堂はGと輪入道を中に入れたまま、ぐずぐずに溶かされてしまった。
「グフフフフー♪」
 死体を喰らう存在であったのは生きていた時の話。もはや死した自分を喰らう事で満足を得だした狂いの存在。欠けた体から腐臭を漂わせながら、モウリョウは嬉しげに笑った。
 別に個人的な恨みがあるわけではない。ただ、のうのうと生を謳歌している存在が許せない。地獄の業火で己を蝕まれている死者に与えられる、生者への理不尽な嫉妬。
 溶けたお堂から飛び出してくる車体、無事なままであった輪入道達の突進がモウリョウの腹に突き刺さる。腐肉が弾け、骨が露出するがモウリョウは応えていない。笑ったまま、片手で自転車を弾き飛ばした。横転し、輪入道達はお堂のところまで押し戻される。
「大丈夫か前輪の!? アイツ、凄まじいニオイだ! 」
「正直、鼻がやられそうだ……しかし何故モウリョウが? ヤツの死体は我が自身の眼でしかと確認したのに」
 前輪の輪入道は火車が行方不明になった夜に、ズタズタにされたモウリョウの死体を確認している。あの状態から復活するのは、さしもの妖怪でも不可能。
「つまり……俺の予想が……当たった訳だ……」
 溶けたお堂から這い出てくるG。ところどころ肌が焼けているが、溶けてはいない。モウリョウの胃液も、彼を溶かすまでにはいたらなかった。
「うわあ! 生きてる!」
「我らの盾になって胃液を全て浴びた筈なのにい!?」
「なんで動く腐乱死体より、俺が無事な方へのリアクションが大きいんだよ? まあだがよくわかった、地獄の炎は形を変えて現界してるぞ」
「形を変えて?」
「地獄の炎に焼かれた生物は、数日後に再生する。たった一度の死で地獄が許すかよ。燃えカスになれるのは、数万年間焼き殺され続けたヤツだけだ。多分モウリョウは、地獄の炎もどきに殺られたから、あんなんに」
 地獄は人を裁くためにあるのでは無い、人の罪を痛みで贖罪させるためにあるのだ。
 ギリギリと歯を食い縛るGからは、とてつもない絶望感が漏れていた。これから先の展開を呪う、予測が完全に外れていればどれだけ良かったものか。
 再びモウリョウの口から吐き出される汚濁液。輪入道達は高速移動で、Gは軽い身のこなしで回避する。切り無く吐き出される胃液を避けながら、三人は会話を続ける。
「おい前輪! モウリョウの死体を見たのはいつだ!?」
「た、確か……火災があった日だったと思うが。街が燃えていたな」
「だとしたら、タイムリミットは数時間後かッ!!」
 Gはそう言って離脱を図るが、目の前に振ってきた白骨の雨に進路を遮られた。輪入道も急旋回でモウリョウの口から吐き出され続ける白骨を回避し続ける。モウリョウの猛攻の勢い、収まらず――


 麓の街では、災害復興の名の下に各員が己の責務を果たすため必死で働いていた。
「ほらーキリキリ働けーみんなー」
「「「はいーッス」」」
 女社長の激を受け、作業員達はペースを上げる。今日の作業内容は瓦礫の撤去、重機で一気に片付けるべき量なのだがなにせ行方不明扱いの人がひょっこり出てくるかもしれない。たとえもし死んでいようと骸を機械で蹴散らすなどあってはならないという社長の方針で、作業員達は額に汗をたらし働いていた。
「私はこれから葬儀に出るから、後はヨロシクねー」
「あ、その前に最後に社長。作業内容のチェックを」
 これから始まる葬儀の為に喪服を着た社長に現場監督が駆け寄ってくる。彼の手に持つ書類に印を入れながら社長は支持を出す。
「ここからここまでが今日のノルマでいいかい?」
「んーちょっと厳しいですかね。出来れば少し範囲を縮めて代わりに密度を濃くしておきたいところですね、今後のことを考えて」
「んー範囲と密度の両立は無理?」
「流石に厳しいですね……」
 話し合いに熱が入る両者、彼女らの注意力は図面に集中する。そして作業員達は己の作業に没頭する。だからなのだろうか、社長の足元から黒こげた手が這い出てきたのに誰も気付かないのは。手は静かに、社長の足首を狙う。あと数センチで到達するその時、手は突如飛んできた凶器に消し飛ばされた。
「社長」
「ん? おお! 那々ちゃん、早かったねえ」
「深夜に出たからな。そのぶん早い」
 自分で投げた凶器をこっそり足で隠しながら那々は社長に挨拶をする。タクシーや電車にヒッチハイクを駆使し、ようやくたどり着いた。ちょっとした小旅行記がかけそうだ。
「社長。那々ちゃん呼んでたんですか?」
 那々と顔見知りの現場監督が会釈し、那々もそれに合わせる。
「ああ。そういえば言ってなかったね」
「来ると言っていてくれれば……」
 現場監督は手に持っている図面に次々と印を付けていく。印が付けられた範囲は、先に社長が支持した範囲より広かった。
「今日中にこれだけやれます。当然、作業密度を落とさずにね」
「ホントかい? さっき厳しいって言ってなかったかい?」
「いやー那々ちゃんが来た時点で、アイツら目の色変わりますからね」
 クイクイと監督が作業員たちを指す。確かに作業員たちの動きは目に見えて変わっていた。先ほどまでは二人がかりで動かしていた残骸を、一人で軽々と持ち上げるくらいに。
「オメエ無理すんなよ! さっきまでサボってたんだ、体がついていかねえぞ!」
「ホラ言ってんじゃねえ、オマエこそ那々ちゃんにいいとこ見せたいからってハリキリすぎんなよ!?」
「燃えろ、俺の中の小宇宙ォッッッッ!!」
 金の為に働くのは当然のこと、女の為に働くのはバカだが粋なこと。作業員たちは粋の為に己のすべてを燃やし尽くしていた。すさまじいまでに彼らは粋でバカだ。
「いやー那々ちゃんはアイツらのアイドルですからねえ。彼女が来ただけで作業効率当社比3倍ですよ」
「さっき私が激励した時、あんなに燃えてなかったよねえ彼ら」
「はっはっは」
 笑いでごまかそうとする現場監督をジト目で睨んでから社長は黙している那々の肩を叩き、友の目線で話しかける。
「五木ちゃんはまだ見つかんないんだけど、ここでボーっとしてても無駄だから私と葬儀に出ない? もしかしたらあっちで情報が拾えるかもしれないし。那々ちゃん喪服じゃないけど、地味な格好だからさ、大丈夫よ」
 元来那々は華美な服装を好まない。今も急な出立ということもあり、ジーンズにジャケットを羽織っただけというラフな格好だ。那々本来のそっけない感じが相まって微妙に似合っているが。
「え? マジですか社長。那々ちゃん連れて行かれると、今無茶してる後遺症も含めて作業効率マイナス50%なんですが」
「はっはっは、私の女心を傷つけた報いと知りねい。きちんと図面どおりにやっておくようにね。さ、那々ちゃん行こうか」
「ああ」
 困り顔の現場監督と未だ事実を知らず燃え続ける作業員を尻目に、那々と社長は現場を後にする。那々は社長と並んで歩き、珍しく寡黙な彼女が多弁な社長に先駆けて話し始めた。
「しかし酷い光景だ。思わず、吐きそうになるな」
「ホント?」
「なんだ。その疑問符は」
「いやーだって那々ちゃんの目に恐れが無いんだもん。那々ちゃんのこういうものに対しての肝の据わりっぷりはベトコンのジミーとロンドンのジャックを抑えて、私の中で歴代ナンバー1だからねえ」
「褒められているのか褒められていないのか」
「褒められていると考えれば、世の中幸せさー」
 性格的に陰陽で対照的だが、二人の仲は何故か良かった。似通っているより、むしろ真逆なほうが上手くいくのかもという好例だ。
 だがその友情は偽者だったのか。那々の手がこっそりと社長のポケットに伸びる。社長に気づかれぬように財布をポケットからスリとり、那々は歩きながら盗品を作業現場の陰に投げ捨てた。


 モウリョウは唸りながら、見失った獲物を探し山中をうろつく。腐臭はより一層臭いを強くし、空を飛ぶ鳥が泡を吹いて墜落する。堕ちた鳥をモウリョウは鷲掴みにしてムシャムシャと喰らった。
「ぬう、もはや食欲か持たぬバケモノか」
「まあ待て。元々彼奴めは死骸を食らう妖怪。死んだ鳥を喰らっても別におかしくは」
「騒ぐなオマエら……気付かれるだろうが」
 樹上に隠れながら、モウリョウの様子を探るGと輪入道達。黒い表皮を持つGに自転車の体を持つ輪入道達はどう考えても葉の中に隠れるのには向いていない、見つかるのも時間の問題だった。
「ところで先程のタイムリミットとは何のことだ?」
「……下の街で、死んだ人間が甦るまでのタイムリミットだ」
「甦る?」
「黒い炎で殺された生物がモウリョウみたいになるとしたら、黒い炎に街が焼かれていたのなら……回収された死体や、瓦礫の下の死体も甦る」
 火に巻かれ、行き場をなくした人々が見るものは、死に別れた友や親族が死に切れず己を失いさまよう姿。末期の世界でもここまでの絶望が与えられるものか。輪入道達も流石に察し、口をつむぐ。しばしの無言の後、前輪の輪入道が意を決し、Gの身体を木の上から突き落とした。
「な、何を!?」
 Gはふいをつかれ受身も取れず派手に落下する。落下したGの姿を見たモウリョウがジリジリと近寄ってきた。しかしモウリョウの行き先を塞ぐ様に、樹上から続けて降りてきた輪入道達が立ちふさがる。
「ここは我らにまかせて行け!」
「モウリョウ、あの夜のリベンジをさせてもらうぞ!」
 輪入道達は辺りを走り回り、モウリョウの注目を集める。我らに任せろとの言葉通りに、モウリョウの意識は完全にGから外れた。
「早く行け! お前ならば、兄貴を止める手を思いつく筈だ。ここは死ぬ気で食い止める」
「お前ら、気付いてたのか……」
「流石に、頭の悪い俺でもわかっちまったよ。チクショウ!!」
 後輪の輪入道は号泣する。火車に殺されたらしきモウリョウのゾンビ化が、黒い炎の源は火車であることを決定付けた。燃えカスと火車がどうなれば地獄の炎もどきが作れるのかはわからないが。現実問題、火車は黒い炎を出す力を手に入れているのは決定事項だ。
「我らはお前を未だ虫ケラとして見ているが」
「その知能と決断力と生命力には感服させられたぜ」
「だからお前にすべてを託す」
「頼む。兄ィを、救ってくれ!! 兄ィは絶対騙されてるんだよう!」
 高速のスピードについて行けないモウリョウの脇をすり抜け輪入道達は山奥へと消える。激高したモウリョウはGに目もくれず彼らを追いかけていった。
「ここは任せて後は頼むか。良いセリフだなあ」
 良い言葉と褒めていながら、何故かGは歯軋りし彼らが消えた山奥のほうをじいっと睨みつけていた。


 ただひたひらに獲物を狙うモウリョウの追跡は崖に突き当たりようやく止まった。急斜面の崖、人どころか妖怪でも上るに苦心する急角度の崖のてっぺんに輪入道達は居た。
「これから我ら……」
「死地へと突入する!!」
 前輪と後輪が大きく燃え上がり、自転車全体が火の玉のごとき様相を表す。絶叫と共に、崖から飛び降りる輪入道達。否、飛び降りるのではない、彼らは重力を押さえ込むように急斜面を下っている。病的なまでに加速した火の玉はモウリョウに突撃する。しかしモウリョウは彼らの特攻を真正面から受け止めてしまった。
「な」
「なんだとお!?」
 燃え盛る車体をモウリョウは両腕でぎりぎりと締め上げる。車体が徐々に歪んでいき、纏う炎も目に見えて弱くなっていく。
「前輪の、ど、どうしよう?」
「弱音を吐くな後輪のぉ! 我ら二人の魂を燃焼させるのだ、そしてこの悪鬼を燃やし尽くす!」
 前輪の激が飛ぶが、火勢は一向に弱まるばかり、このままでは自転車ごと彼らが捻りつぶされるのも時間の問題だった。
「二人の魂で足りぬなら、三人の魂で燃やせばいいさ」
「!?」
「ば、馬鹿な。なんでお前がここに!?」
 二人が駆け下りた崖の上で逆行を浴び凛々しく立つ男。命を賭けて逃がしたはずのコックローチGがそこには居た。
「とう!」
 Gは崖から飛び降り、己の羽を広げ飛ぶ。着地点は、モウリョウと揉みあう自転車のサドル。無理やり自転車に腰を下ろし、ペダルを高速で回し始める。弱まっていた輪入道達に回転の力が加わり、炎がじょじょに勢いを取り戻す。モウリョウが低いうなり声をあげた。
「やはり地獄の炎で甦ったヤツは、人をまっとうに焼死させるまともな炎がお嫌いか」
「ふざけるなあ!」
「貴様、我らの思いを踏みにじる気か?」
「あん?」
 自分に炎が燃え移り始めているにも関わらずペダルを必死でこぐGに輪入道達が激怒する。
「お前にはアニキを助ける事を頼んだ筈だ」
「だからさっさと兄ィを助けに行けよ! コイツはこっちでどうにかするからよ!」
「ふざけてんのはオメエらだろうがぁっ!!」
「「!?」」
 いつもどこか飄々とした雰囲気を持っているGが激高し、思わず輪入道達も押し黙る。ただの虫には見合わぬほどの気迫。この男が持ち合わせているとは思いもよらなかったほどの感情の爆発だった。
「あとは頼むだぁ? 男気のあるカッコいいセリフに酔ってるなよ。自分達は玉砕して厄介ごとを生き残りに押し付けているだけだぜ、そりゃあ。お前らアニキがどうなろうと見届けるって言ってたじゃないか、玉砕してちゃ見届けられねえよなあ?」
「そ、それは」
「確かに」
「だったらコイツ倒して、火車を三人で救いに行こうじゃないか。死に逃げて目を逸らすな、真の道はモウリョウを倒した先にある。うぉぉぉぉぉ!!」
 Gはいっそう気合を込めてペダルを回す、いよいよモウリョウの体に炎が伸びて来た。Gという虫けら一匹で、戦いのバランスの天秤を傾ける力があきらかにこちらに動いた。
「前輪の」
「言葉はこれより無用。うぉぉぉぉぉぉ!!」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 輪入道達も絶叫し、己の魂を芯まで燃やし尽くす。まさに魂の燃焼、情熱の炎。熱き火炎はモウリョウも完全に飲み込み、その腐敗した体を隅々まで焼き尽くす。
「ウア? オォォォォ……」
 炎に飲まれたモウリョウの体が徐々にうめき声を上げながら崩壊していく。崩れ落ちるモウリョウの体を押し倒し、三人はウイリー状態で着地する。仰向けに倒れたモウリョウは最初はもがく様に動いていたが、やがて動きを止めた。黒い煙がその体から立ち上がる。
「終わったな」
 物語の終幕らしく呟くGに、後輪の輪入道が尋ねる。
「これでモウリョウは死んだのか?」
「いや、地獄の炎に憑かれたら死ねないさ。ただ、これならしばらく再生はできないだろう。ヤツが復活する前に元凶を抑えれば、成仏するだろう」
 元凶即ち火車を止める事。どっちにしろ、残り数時間で下の街に地獄のごとき様が現界する。もはや立ち止まっている暇はない。
「……盛り上がっているところすまないが、降りてもらおうか」
「あ?」
 前輪が静かに話す。降りろとは自転車からか、先ほど倒した勢いでGは輪入道達の自転車に乗ったままだ。
「我らが騎乗を許すのは、兄貴のみ。すまないがサドルから降りてもらおう」
「そんな、緊急事態だしそれぐらい」
「後輪の。これはケジメだ、黙っていてもらおう」
 とりなそうとする後輪を無碍に黙らせる前輪。Gは前輪の要求に無言のまま答え、自転車を降りようとするが。
「だが、立ちこぎでならば許さんでもない。なにせ緊急事態だからな」
 当の前輪の言葉がGを引きとめた。
「いいねえ、こういう漢らしさ。いつもは女と組んでるが、こういうのも悪くない」
 清清しいまでの前輪のケジメの取り方にGは笑う。後輪もニヤついている。前輪が照れ隠しのためか、大声で叫んだ。
「で! これからどこに向かえばいいのだ!?」
「行き先は、コイツが示してくれている」
 Gが指差すのはモウリョウからたつ煙。黒煙は不自然に天井で曲がり、もくもくと街の方へと伸びていた。


「あれ? おっかしいなあ」
 必死に己のポケットを探る社長を尻目に、那々の目は空に釘付けとなっていた。山から伸びてきている謎の煙は、目の前の葬儀会場に繋がっていた。もはや常人の目では見えないほど薄くなっているが、アヤカシであれば気付かざるをえない死臭を発している。そもそも、もはやこの街自体がおかしい。災害の跡地には、どうしても不幸な気が憑くが、この地を覆う気は異常。かつて出会った三つ首の犬が発していた気配に似ている、彼の住処である地獄の門の移り香の気がこの街を覆っている。
「いやーごめん那々ちゃん、私サイフ落としちゃったみたいでさ。ちょっと現場に戻って探してくるわ。那々ちゃんここで待ってる?」
「ああ。葬儀が始まるまでまだ時間があるから、そこいらブラついて時間でも潰すよ」
 財布を投げ込んだあの位置なら探すのに時間がかかるだろう。社長が再びココに着く頃には全てが終わっている筈だ。
「うーん、ちょっと早く着きすぎてアチャーって感じだったけど、まさか戻るハメになるなんて人事塞翁が馬だねい」
 タハハと笑い社長は今歩いてきた道を探りながら戻って行く。彼女が去ったのを確認してから、那々は葬儀会場である街最大の公共建築物の講堂を見据えた。


 人々があくせく働いた結果が、この立派な祭壇だ。講堂のステージに白菊で作られた段々の祭壇、合同葬儀のため棺桶は置いていないが下に焼香の台がいくつも作られている。災害復興と平行して創った割には立派なシロモノだった。ただ祭壇だけではまだ足りず。白黒の幕を張ったり、椅子の設置とやるべきことはたくさん有る。だから、こんな困ったチャンに構っているヒマは無いわけで。
「なあ、教えてくれ。なんで俺はここにいるんだ」
 焼香台に腰を下ろす無礼な男の問いに取り囲む人々は誰も答えない。あんな事故もあった後、精神的に不安定な人が居てもおかしくはないが場所が悪すぎる。代表格の男が、優しく腫れ物を触るように慎重に彼の問いに答えた。
「いいですか、ここは葬儀会場ですけど、まだ準備中なんです。医療テントから迎えの人間をよこしますので、とりあえずそこから降りてもらえますか」
 問うた男は、呆けた表情で答えを聞き、数秒後に合点したと手を叩いた。
「ああ、そうだ思い出したよ」
 男の体のあちこちから黒炎が噴出す。炎はまるで蛇のようにのた打ち回り、男を囲む人々をズタズタに引き裂いた。葬儀場に散らばった赤い血が、炎の高温に負け泡立ちながら蒸発する。
「俺の名は火車で、この葬式をぶっ壊しに来たんだ」
 もはや自我も拙く。ようやく拾い集めた己も、崩壊の時を徐々に刻んでいた――

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