- 2008.01.23 Wednesday
- 小説 > Original > 近世百鬼夜行
わきあいあいと騒ぐ子供達を乗せ、幼稚園バスは一路牧場へと向かっていた。
みんなで楽しいお歌を歌い、レクリエーションでおおはしゃぎと、遠足らしくいい感じで盛り上がっている。途中、席を立つ子供をいさめたりしながら、何事も無く無事にたどりつけそうだと、新人保母の、岬は一人安堵した。
「そう不安がらなくても大丈夫さ。今日は、かなり良い感じだ。バスに酔う子もいないしね」
「ははは、子供達より先に、私が酔っちゃったらどうしようとか、考えていたんですよ」
一緒に引率している、ベテランの保父の安田と、笑いあうぐらいの余裕も生まれた。
バスはいよいよ危険な崖道へと入る。くねくね曲がっている上に、道も細く、車の通りも多いと危険際まり無い道だが、通らなければ目的地へは着かない。
安田が改めて子供達に席を立つなと、注意しようとした時、ガクンとつんのめるくらいの勢いで、急にバスが加速し始めた。安田がもんどりうって倒れ、子供達の何人かが席に頭でもぶつけたのか泣き始めた。たちまちバスは泣き声に包まれた。
「運転手さん! 運転手さんー!!」
岬は運転手の名を連呼するが、反応が無い。仕方なしに、捕まりながら、それで迅速に、彼女は運転手の元へと向かった。早くどうにかしなければ、崖から落ちてしまう。
運転手は、寝ていた。一見それほど穏やかに見えたのだ。しかし、幾ら呼びかけても、返事が無い。あまりの平穏さに騙されていたが、白くなっていく肌を見て、もしやと思い脈を取ってみると、脈は無かった。
「し、死んでる?」
ならば身体をどかしてアクセルから足を離さなければと、動いた岬の体が注に舞う。身体はそのまま、フロントガラスを突き破り道路の外に投げ出された。
血まみれで地面に這い蹲る、岬の目に映ったのは、トラックのフロントを半壊させ、崖下に落ちようとしている幼稚園バスの姿だった。バックガラスに、子供達が集まっている。個性豊かな子供達が、全員一丸となって訴えかけるのは、ただ助けての一言。岬は、手を伸ばす。どうにもならないのはわかっているのに、彼女はどうにかしてあげようとするが。
バスは崖下に転落した。
バスと衝突したトラックを避けようとした車が、壁面に衝突する。壁面で爆発した車を避けようとしたバイクが、崖下に転落する。負の連鎖が起こり、崖道は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
絶望と無力感と痛みに引き摺られ、岬の意識が薄弱とした物になる。
ふと、目に入ったのは、二人の黒衣の人間の姿。幽鬼のごとき姿で、事故現場を見下ろす姿は死神か。ならば何故こんなことをしたのかと、子供達を何故殺したと、死神を呪いながら岬は意識を失った。
「どうぞ」
「お? 良いお茶ですねー、透き通っている。煎れ方が良いんでしょうね。煎れ方が」
男は、那々が出した安いお茶を美味そうにすする。そのまま、ニコニコと饅頭も口にした。
「うむ。お饅頭も美味しい。高い材料を使っていないが、丁寧で作り手の愛情が伝わってきますね」
「この道五十年の爺さんが作った物だからな。無名の上に、店は小さいが、凡百の高級店よりまともな物を提供してくれる」
「結構結構。よきかな、よきかな、ですよ」
笑顔を絶やさぬ、この男。きっちりとスーツを着ているが、どうも怪しい。体格は細いの一言、なにより気配が希薄すぎる。鍛えられたアサシンの虚無の気配と違い、ただ希薄なだけ。本当に生きているのか、不思議に思うくらいの影の薄さだった。
これが本当に五木の言っていた、危険な来客なのだろうかと。那々は首をかしげた。
朝、那々が起きると、五木が珍しく占いをしていた。
占いなんて意味ねーよ、人の運命は自分で切り開くものだと公言している五木だが、六壬神課(りくじんしんか)の占術を裏では心得ていた。六壬神課とは、式盤を私用した式占いの一種で、古来京都の陰陽師の必修とまで言われた占術である。何故占い嫌いなのに、こんな占いの中でもトップクラスに面倒な物をマスターしているのかは、本人しか知らぬ事だ。
「朝っぱらから、辛気臭い事やってるな」
「なにか胸騒ぎがしたんで、久々にやってみたんだが、いやー久々だと上手くいかんねと。よし、出たか!」
天盤と地盤と言う二つの盤が組み合わさった式盤を、五木は読み始める。
単なる胸騒ぎごときで、持ち出すような占いではない。花占いや、血液型占いとはケタが違う占いなのだ。よほど胸騒ぎが大きかったのか、確固たる予兆を感じたのか。とにかく、わざわざ式盤まで持ち出したのだ。ただごとではない。
「すげーなこりゃ。俺らの周りを死相が漂っているぞ」
「死相がか」
「ああ。こりゃすげえ、占いなんて予測以前のモンだが、ここまで連続して大量に死相が見えているとなると、予測や予報通り越して確定になってるかもな」
「ふーん。ところでパン焼けてるか? まだ何も食ってない」
「緊張感持とうなー死だぞ、死。怖いぞー」
「で、ジャム切らしていたんだが、買ってきたか?」
「うはははーすげえ冷淡な娘ッ子だな」
死相もクソも、死神なぞ実力でねじ伏せそうな那々こと人造人間セブンに、死神に見放されたと言われるほどの生命力を持つ五木ことゴキブリ人間コックローチG。どっちにしろ、死相からは程遠い人間だ。死ぬ心配よりか、今日の晩御飯のおかずの心配をしたほうが、ナンボか有益だ。
「わかった、わかった。私も父直伝の占いをしてやろう」
「父って、フランケン博士がかぁ?」
フランケン博士と言えば、妖怪の世界に科学と言う概念を持ち込んだほどのガッチガチの科学者だ。今までのホムンクルスとは全く違った製造法で、人造人間という生命を作り出した。そんな博士が占いとは。
「科学的な考察も含めたモノだ。この占いを知っているのは、きょうだい達の中でも、私ぐらいだろうな」
「おお」
人造人間の創造者と、彼の最高傑作しか知り得ない占い。どんなスゴイものなんだろうと、五木の興味も大きくなる。
「まずはタロットを用意する」
「ふむ」
ぱっと一瞬で那々は手にタロットを出現させた。妖怪ホームセンターの中には、こんなモノまで仕込まれているのだ。
「で、投げる」
「投げる!」
「地面に散らばったカードで」
「カードで!」
「表になっているものを見て、不吉そうなのが無かったら幸運。あったら不運と言うわけだ」
「よし、とりあえずお前ら占い師に土下座しろ」
「ちなみに星の白金は好きな絵柄なので、5点。世界は嫌いなので、−5点だ」
「ゲームか!? ゲームなんか!!」
真面目に聞いた俺が馬鹿だったと、五木は床に散らばったカードに目をやる。このゲームの何処が占いなのかと、関係者を問いただしたい気分だ。そもそも、フランケン博士も人が悪いと言うか、そもそもあの老人これくらいの悪ふざけなら普通にやりかねない人だということを忘れていた。
「父の真意はこうだろう。占いなんか、所詮この程度のもの。科学的に考察する事自体が、意味の無い事。ま、占い師をからかう為のモノさ。お前も本来こういう、からかいが好きだろ?……おい、どうしたんだ五木」
五木は再び、占いを始めていた。先程までの色々思い返しながらの、軽いやり方ではなく、至極真剣に式盤をいじくってだ。
「そんな事より、ジャムが欲しいんだが」
「悪い、気が散る。ジャムなら戸棚に入れてあるから自分で取ってきてくれ」
いったいなんなんだと、那々はジャムの前に散らかしたタロットを片付けようとするが。
「……なるほどな」
五木の真剣さの根源をそこで察した。
タロットは一枚を除き、全てが裏返っている。唯一表のタロットのカードは13番のカード。13番のカードの絵柄は死神、唯一表死神のカードを見ればそりゃあ真剣に占う気にもなる。
「来訪者。危険のカギは、そこに有り」
数十分後、五木が出した結論は、上記の物だった。
「来訪者ねえ」
四枚目の食パンを齧りながら、那々は言葉を反芻する。
何が来るのかは知らねど、きちんと腹に収める物を収めて、心積もりを決めておけば敗北は無い。五木の仕事が、この占いならば、占いの結果に立ち向かうのが那々の仕事だ。念には念をと、那々は5枚目の食パンに手を伸ばした。
その後、五木は所用でちょっと出かけた為、那々が一人で留守番する事となった。長時間の外出ではなく、ほんの十分ぐらいの話だが。何、五木は居ないよりは居たほうがいいかな?レベルである。居なければ居ないで思い切った戦い方が出来る。そう思って来客を待ち受けていたら。
「いやあー突然の来訪なのに、いたれりつくせり申し訳ないですね」
こんな温厚そうな人物がやって来た。五木の占いが外れていたのか、それとも本命はこの後に来るのか。とにかく、まともな客だったので、後ろ手に構えていたアイスピックを戻し、まともな接客に切り替え今に至る。本業の清掃会社目当ての客だろうか。ならば手を抜いたり、殺気に満ちた接客は出来ない。
「ただいま。お、お客さんか……」
帰ってきた五木は、客を見てこう言った。なんだかんだで占いの結果が気になっているのだろう。そして、このリアクションからして、五木に心当たりの無い客らしい。
「どうも。小時間不在とのことで、厚かましい話ですがこちらで待たせていただきました」
那々から五木が不在と聞いた客は、なら少し待たせてくださいと言ってきた。名前は社長さんに挨拶するときにまとめて名乗ると。名乗りなどタダなのだからまとめる必要も無い気がするが、向こうが言うなら別に逆らう必要も無いなと、那々は判断した。本命でも無さそうだし。
客が取り出した名刺をきちんと受け取り、五木も返しで名刺を渡す。どう見ても一般的なサラリーマン同士のやり取り。自分の出番は無いなと、那々が引っ込もうとした時、ようやく異変が起こった。
「え? あ? コレ……?」
五木が無様なほどに動揺している。言葉が上手く言えないほどの動揺を、五木が出すとは。那々は急いで五木の元へ駆けつける。こんな緊迫した状況になっても、客はニコニコとしていた。
「どうした?」
「いや、ちょっと待て、上手く説明できない」
「名刺の名。偽者ではないですよ」
客の指摘を受けた五木は、ツバを他人に聞こえるぐらいの音でゴクリと飲む。那々がひょいっと名刺を覗くと。名刺には会社名も役職名も無く、ただ仰々しい名前が一つ書いてあった。思わず条件反射的に読んでしまう。
「秦広王……?」
「はい」
客、秦広王は名前を呼ばれ返事をした。
秦広王。地獄の主である閻魔大王に仕え、亡者の初審判である初七日の裁判を担当する裁判官である。頂点の閻魔大王も入れて、彼らを十王と呼ぶ。つまり、このにこやかなリーマンは悪人も泣き叫ぶ地獄の重鎮の一人なのだ。
「あのーお土産にしたいので、このお饅頭屋の場所、後で教えてください」
秦広王は自分の食べ残しの饅頭を指差し、やけに穏やかな事を依頼してきた。
お前に死の芸術を見せてやるという、魅力的な言葉に強引に魅かれて地獄を出奔してきたが、目の前で広がる光景は、予想以上に魅力的で蟲惑と呼べるほどの代物だった。
「どうだ。俺の言った事は間違ってなかっただろう?」
この惨劇を作り出した芸術家が満足げに言う。
究極に穏やかな死である安楽死で、焼死・轢死・追突死と様々な死を連鎖させて見せた。崖に面した通りにくいだけの道は、彼により阿鼻叫喚の地獄道と化した。もう、こちらができる事は、首を縦に振ることのみ。
遅ればせて、救急車が駆けつけてくる。既に、消防車は駆けつけて消火に当たっているが、火は一向に収まらなかった。あと数日間、この道は不通の見通しだ。
「救急車など無駄だろうに、怪我人は0、残りは全て死者。100%の致死率を出せてこその死神なのだからな」
この惨劇を作り出した死神の笑い声が、死人達に降りかかる。
彼らが何をしたのか。罪悪も、善行も、入る余地は無い。ただ、死神に魅入られこんな事となってしまった。多数の人生を、指一本で操る姿には憧れるしかなかった。これが、彼が誘い文句に出した死神の本質なのだ。
「む?」
「どうしました」
「あの女、生きている」
それは、作品に入っていた一筋の傷か。
一人だけストレッチャーに乗せられて、救急車へと担ぎこまれる女性が居た。諦めの雰囲気の中に差し込んできた、唯一の希望を見て、人々に活気が戻る。必死の蘇生活動が功を奏し、女性も息を吹き返す。消防隊員たちも必死に消火活動を再開する。一人の消防隊員が、燃え盛る車から男性を引きずり出した。彼もまた、生きている。
致死率100%の芸術は完全に崩壊した。一人の女の存命が、死神の芸術的な死から芸術と言う言葉を奪い去り、代わりに芸術の出来に酔っていた死神に滑稽と言う言葉を与えたのだ。絶望の空気では助からなかったであろう人も、希望の空気の元では存分に生きながらえる。彼女の早い発見と生還は、多数の人々を助けたのだ。
「芸術の初めにあやをつけられたか。ならば、この始末は、より一層に華麗な技でつけなければな」
蛇蝎のごとき執念を垣間見せる姿は、人が畏怖すべき死神そのもの。これほどの執念が無ければ、十王候補にはなれなかったであろう。だが、この死は美学であると言う信念を貫き通したから、彼は空位となった泰山王の地位を、自らが無能と蔑んでいた男に取られてしまった。
「逝くぞ」
立ち去っていく背中を、必死で追いかける。
この死の連鎖が正しいのかどうかはわからない、ただもはや自分には、彼に付いて行く事しか許されなかった。
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