- 2007.04.22 Sunday
- 小説 > Original > 近世百鬼夜行
切手も貼られず住所も記載されず。宛名だけ書かれた手紙を見て部下が首をかしげるが、構わず店のポストに入れてくることを指示する。怪訝そうな顔の部下が居なくなった事を確認してから、彼は呟いた。
「これで連絡はつく筈だが。彼らに会って自分はどうしたらいいのか。仲裁すべきなのか、それとも……」
喧騒のある街は多々あれど、目に毒なほどに華やかに若さに溢れた喧騒はこの街独特のものだろう。若者の街、渋谷。シンボル的な鋼のハチ公が中座する目の前に陣取る那々と五木の姿があった。
「そろそろ時間か。しかし恋人と待ち合わせるならともかく、まさか妖怪との待ち合わせに使われるとは生前のハチも思うまいよ」
「そもそも自分の銅像が立てられる事自体が思うまいだと思うが」
「そりゃそうだ」
カラカラと笑う五木。退屈しのぎに体を揺すらせるが、しばらくして顔を軽く歪めた。
「まだ治っていないのか。めずらしい」
「お前なあ、俺だって不死身じゃないんだ。ただ単に回復速度やデタラメな治療への適合率が高いだけなんだよ」
「高すぎるんだ、オマエの場合は……」
先日カマイタチにスッパリと斬られた五木の足首は、もはや八割がた回復していた。ホチキスで強引に止めたまま寝て、起きたときには神経や筋が繋がりかけていた。ゴキブリの化身妖怪である彼の面目躍如というか、もはやその体のデタラメさはかくはヒュドラだ。
「ま、流石に走れないんでもしもの時は頼むぜ」
ヒラヒラと五木の手で紙が踊る。それには簡易に『カマイタチの件で話有り。』という一文と、日時とハチ公前という場所だけが書いてあった。単純に罠の可能性もあるが、武士を気取るカマイタチが好む手法にも思えないし、なにせ二人の主義は虎穴にいらずんば。罠ならそこから攻め込むだけだ。
「わざわざ妖怪通信録を使って送ってきた手紙だ。きっと何かあるだろうさ」
妖怪通信録とは妖怪間にのみ通じるネットワークである。深夜宛名を書いて自宅のポストに投函するだけで、早朝にはあて先のポストに投函されているという便利なシステムだ。実は詳しい仕組みは不明なのだが、便利なので誰も文句は言わずに長年存続し続けている。八百万の神の一人が運営していると言われてはいるが、それも定かではない。相手の妖怪が住所不定だったり、手紙に悪戯や明確な呪い等の悪意があった場合は届かなかったりするのだが。
「何かある事を祈る。正直、私とこの街の空気は相性が悪い」
「うん? そうか? 俺なんかは結構こういう雑踏、好きだけどな」
「そこが私との相違だ。なんせ雑踏には」
急に那々が言葉を止め、ワナワナと震える。その原因は、
「ああ、なんと素晴らしい髪なんだ……こんな髪を見ては理性など吹き飛ぶ……」
恍惚した表情で那々の黒髪を撫でる男だった。那々と五木、双方共に見覚えが無い。見覚えがあったらあったで逆に困るだろうが。
「こういうヘンなヤツが多いからな!」
振り向きざまの一撃。いつの間にか那々の手にはスパナが握られていた。しかし男は懐から取り出した二丁の散髪用の細いハサミでそれを挟み止めた。
「ハッ! ぼ、僕は何を?」
無意識に受け止めた直後に、正気を取り戻した様子の男。慌てた様子で言葉をつなげていく。
「申し訳ない。余りの彼女の髪の美しさに我を失ってしまいました! 私がその待ち合わせの相手です、申し訳ありません! だからそのスパナを一旦収めて下さい!」
「人を呼びつけておいて謝罪のそれで済むとでも……?」
那々に引く気はあらず。むしろどんどんと力が入っている、ハサミが軋みを上げ始めた。後一歩で弾けたザクロの完成だ。
「ちょ! 待て! 衆人環視でそれはマズいから止めとけ!」
五木が慌てて那々に組み付き動きを止める。スパナとハサミを使ったパフォーマンスは人の目を引くのに十分だった。二人は既にハチ公以上の注目度を得ていた。
「チッ!」
舌打ちしてから那々はスパナを懐に仕舞う。男もホッと一息ついてからハサミを懐に仕舞い、頭を深く下げた。
「本当にすみませんでした。とりあえずここで話すのもなんですので、店の方でお話します。あんな事をやっておいて信用もクソもないとは思うんですが、是非に」
茶色に染めた髪に、耳のピアス。着こなしもラフで、この街に似合った服装。見たことも無い男の筈だが、何故か二人にはこの顔に見覚えがあった。そして、男から漂う微量の妖気にも。
二人が案内されたのは喫茶店の類では無く、こ洒落た感じの美容院だった。もう今日はクローズの看板がかかっているが、男は遠慮無しに中へと入る。すると、掃除やらの閉店作業をしていた店員が整列して男を出迎えた。
名札にチーフと書かれた店員が一歩前に出る。
「お疲れ様です! 店長、水前寺様が明日急遽ヘアカットを頼みたいと」
「明日は予約が満杯だから申し訳ありませんと。丁寧に言えば判ってくれる人だから。どうしてもというなら早出で対応するしかないな」
「わかりました。あと……」
「引継ぎは電話で良いから、今日は皆帰っていいよ。僕はちょっと彼らと大事な話があるんでね」
お疲れ様でしたとそれぞれ言い、店員達は去っていく。彼らが休憩室に入ったのを見計らってから、五木が話し始めた。
「あんた、この店の店長なのか?」
「はい。小さな店ですがご贔屓にしてくれるお客様のおかげでなんとか切り盛りしてまして」
「おいおい、ここが小さな店なら俺の会社は存在も認められないぜ」
先ほど整列した従業員だけで10人以上は居た。そして店の広さも人数に合った規模を誇っている。道具も全てが手入れの行き届いた様相を持っている。この立地でこの店作り、間違いなくこの店は繁盛していた。従業員数二人でボロビルな清掃業者とはエライ違いだ。
「まあ、私の特技は髪を切る事ですから。それを最大限に利用できるのがこの職業なんですよ」
チョキチョキとハサミを鳴らす店長の顔は、恍惚に満ちていた。視線の先が那々の黒髪であることには言及すまい。
「……お前、カミキリか」
カミキリとはその名の通りに人の髪を切ることを生業とする妖怪である。江戸時代頃に人知れずマゲや櫛を落とされた人間は数知れず。カミを切る事にかけてなら右に出るものはおるまい、まさに美容院は天職としか言いようが無い。
「まあ積もる話は店長室でお願いします。万が一店員に聞かれてしまっては困りますから、彼らは自分の技術に惹かれて集まってきたただの人間ですし」
カミキリの先導に従う五木。そこで先ほどから那々が何も言っていない事に気がつき、そして先導にも従っていないことに気がつく。
那々は店に置かれた散髪ハサミに見惚れていた。刃を指で撫で、ふうと息を吹きかける。その惚れ具合は先ほどのカミキリの様子に負けず劣らず。
「お前、なにしてんの?」
「素晴らしいエモノに見惚れていた。それだけだ」
それだけと言いつつ、那々は一向に動く気配が無い。
「いやそのハサミがスゴいのはなんとなくわかるが、そこまで見惚れるものか? 素人目だが、お前のハサミも結構研ぎがいいじゃないか」
様々な道具を瞬時に取り出し武器とする那々。そのカテゴリーには当然ハサミも含まれている。大小さまざまなハサミ、特大のハサミで相手の首を断ち切ったり、小型のハサミで相手の血管を狙う姿を五木は何度も見てきていた。
「このハサミの鋭さがわからないのか? 私のはあくまで断ち切るハサミ、力が合わさってようやくモノを断てるシロモノだ。それに対してこのハサミは正に切るハサミ。力など不要、サッと入れるだけで目標は綺麗に切れる筈。日本刀の思想に通ずるシロモノなんだよ」
そして那々は再び刃の鑑賞へと移る。その目の輝きは、まるで恋する少女。テコでもその場から動きそうに無かった。
「アレ、ボクのハサミなんですよ」
「まあ、カミキリの散髪ハサミじゃあ確かに極みだな。仕方ない、話は俺が聞くよ」
「彼女はあのままで?」
「まあしばらくは動くまい。てえか止めなきゃ2〜3時間はああやってるんじゃないか?」
「僕に負けず劣らずのフェチですねえ。じゃあとりあえずこちらへ」
那々をとりあえず放って置くことにして移動する二人。そんな二人の移動も無視し、那々はハサミに恋し続けていた。
「ではカマイタチと僕の関係についてお話。いや、見てもらったほうが早いですね」
仕切りなおし、本題に入るカミキリ。男二人での休憩室のイスに座っての談話。既製品のロッカーや地味な冷蔵庫にパイプ椅子と簡素な机と、地味にしかできない筈の設備なのに何故か部屋は少し洒落て感じられた。
カミキリは髪を後ろに束ねて目を細める、それだけで先ほどのデジャヴの正体がハッキリとわかった。その顔はカマイタチにそっくり、今風の格好で誤魔化されていたがこうすると双子と違えんほどに似ていることが判る。
「兄弟なのか?」
「いいえ。でも親戚です。昔は僕も同じ服を着てイタチ兄ぃと弟と三人でつるんでいた物です」
しみじみと語るカマイタチ、弟の事はわからないが彼がもしあの格好をしたらもはや見分けがつかないだろう。弟も二人に似ているのならばもはや三つ子のレベル。もしやカマイタチが三兄弟であるという伝承が生まれたのは、カミキリとその弟のせいではなかろうか。
「でも今は三人とも道を違えてしまいました。僕はこうして人の世界で生きながら欲求を満たし、イタチ兄ぃは欲求を抑える隠遁生活に入った。僕は多分一番幸運でしょう、なんせ髪を切るという欲求を満たす職業があるのですから」
五木が弟さんはどうした?と聞いた瞬間、カマイタチもかくやの目でカミキリは黙ってしまった。理由はわからないがどうやらそこは触れてはいけない箇所だったらしい。それはともかくとして。
「しかし隠遁生活に入った人間がなんで俺らに喧嘩売ってきたのかね?」
「それは判りません。ただ、イタチ兄ぃは他人にはサムライの居場所が無くなったとかカッコいい事を言ってますが、本音では自分の相手になる妖怪や人間が近代開化で引っ込んでしまったのでじゃあ俺もと山に無理に篭ったんですよ」
「中学生じゃあるまいし、みんなと一緒じゃなきゃヤなのか?」
「いやそうゆーんじゃ無くてですね、自分の相手になるモノが出てくるまで待つって感じで」
「それがセブンってワケか……」
確かにセブンならば十分に強者の資格がある。そもそもサムライが居た時代には存在しない妖怪の上に外来種だ。待った甲斐があったと思わせるぐらいに美味しい存在だろう。先日の邂逅の際もカマイタチは満足げだった。
「で、カミキリさんよ。アンタは俺らにどうして欲しいんだ?」
本題はそれだった。まさか親戚自慢の為に呼びつけたのではあるまい。何か目的があるからこうして二人を呼んだ、ならば本題はそれだろう。
「昨日の時点では争いを止める気でした」
カマイタチが窓の外へと視線を移す、その仕草はきっと顔色を伺われたくないのだろう。自然とそう思わせた。
「今日の朝は、いっそイタチ兄ぃに協力して騙まし討ちをと考えていました。昼にはイタチ兄ぃの願いは純粋な闘争なのだからそもそも僕の行動自体が無粋なのではと思いました」
「結論は?」
「……わかりません。ただ、貴方達に会ったこと自体は間違ってなかった。そう思います」
「そうか」
この出会いが正しいかどうかは知らないが、何かしらの益にはなるはずだと。五木もカミキリに並んで窓の外を見る。眼下の景色は華やかで騒がしい街並み、妖怪等の存在は許されないのではないかと思えるほどに夜は人に侵食されていた。
「おかしい」
「え?」
カマイタチがポツリと呟いた。
「この時間は幾らなんでももうちょっと静かになっている筈です。サイレンの音も途切れ途切れに聞こえますし、なにかあったのでは……」
コンコン
「うぇぃ!?」
何かあったという言葉とノックの音が同時に聞こえ五木が驚く。ノックの主は先ほど帰ったはずのこの店の店員達だった。チーフが深刻そうな顔でカミキリに相談を持ちかける。
「店長。今日店に止めてもらえないですかね?」
「ひょっとして電車が止まった?」
それならばこの騒ぎも頷けると付け加える。しかしチーフは首を横に振った。
「いえ、駅までの道が封鎖されているんですよ」
「封鎖? なんだ何か事件があったのか」
「自分達も良くわからないんですが、なんでもヘンな格好をした人が駅前の109前の交差点の中央で陣取っているらしくて」
「ヘンな格好ねえ」
「ええ、なんでもお侍さんだとか」
思わず見つめあう二人、どちらともなくチャンネルを手にしTVを点ける。渋谷駅前が封鎖されている事態なら、速報を何処の局も入れているはずだ。
「ムーミンやってますね」
「そこは駄目だ!!」
チャンネルを変えると、そこの局は空撮で渋谷駅前を映していた。いつも以上に人で埋まった駅前交差点、奇怪なのはその中心部から半径10Mぐらいがポッカリと空いていること、その中央に誰かが座しているのがいやがおうにもわかった。周りの人々は彼を見るために集まった野次馬だろうか。
「わかった、今日はここに泊まっていい、その代わり留守番を頼んだよ。あとけっして外には出ないように」
かけてあったコートを手に取りカミキリが駆け出す、五木もそれに倣い休憩室を出た所で異変に気がついた。そして休憩室の店員達に声をかける。
「アンタら、帰ってくる時に店に誰か居なかったか?」
店でハサミに恋焦がれていた筈の那々の姿が無い。単純に考えるならば……
「ええ、あのお綺麗な方ですよね? 僕らが店に入るのと入れ違いで外に駆け出していきましたが」
聞くや否や五木とカミキリは駅前へ目掛けて駆け出した。足の痛みを気にしている場合では無いと、五木も無理を押して走る。先の展開は判らないがハッキリしていることは唯一つ。カマイタチとセブンが人の集まったあんなところで闘えば、絶対に無事にはすまないと。
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