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クビツリタヌキ

 ぶらぶらぶら。風に揺れる、身体。
 或る高層ビルの屋上から、彼が飛び降りたのは早朝の事だった。遺書は無いが、靴が綺麗に揃えられており、周りが清められていた事から自殺と判断された。
 彼の首には縄が巻きつけられていた。荒縄の先端はビルの自殺防止用の手すりに巻きつけられており、縄の長さは当然ビルの高さに劣る。つまりコレは、投身自殺ではなく、豪快な首吊りという事になる。あまりの落下時の衝撃に、首の骨が砕け、首が千切れんばかりに伸びきっている。第一発見者の勤勉なOLは、窓の外で朝日に照らされる彼と目が合ってしまい失神した。

「嫌な気分だ」
 髭を剃り、殆ど着る事の無いために、綺麗なスーツに袖を通しながら、五木はボヤいた。背後では那々が粛々と準備を進めている。行き先は違えど、まるで通夜にでも行くように両者は沈んでいた。
「私が、両方やろうか?」
 那々の申し出に対し、五木は首を横に振る。
「いや。俺がこっちはどうにかする。お前はそっちの仕事だけでいい」
「私の方はたいした事は無い。溜飲がまだ下げられる。しかし、お前は、お前の仕事で得られるのは嘔吐感だけだ……!」
 珍しい程に怒りを露にし、那々は勢い余り、研いでいた包丁を折ってしまう。五木はそんな那々に物悲しいほどに優しい笑みを浮かべてから、そっと那々の肩に手を乗せた。
「だから、俺がやる。それだけの気遣いが出来るようになった女に、任せられるかよ」
 そう言うと、五木は那々の脇を通り外へと向かった。那々にできる事は、塊根の情を捨て、後のことは気にせずに、自分の仕事を迅速にこなす事だけだった。


 件の自殺事件の処理にはだいぶ手間取った。なにせ、死体を回収するだけでも一苦労だ。ロープは落下の衝撃で千切れかけている。もし、上から引っ張って切れでもしたら台無しだ。かといってこまねいていれば、結局同じ結末となるだろう。作業には細心の注意が払われた。
「あ」
 引き上げの際に一人の警察官がふと漏らした。
「あ」
 同じく気づいた警官も、似たような声を上げる。そんな声が出るほどに、自殺者の正体は意外なものだった。
 自殺者の正体は著名なカウンセラーだった。著書も多く、特に自殺者の救済を得意としており、貴方のおかげで救われたという手紙は毎日のように事務所に届いている。講演会にも引っ張りダコ、そんな人間の衝撃的な自殺。弱者の救い手が、自殺とは笑えぬ話、世も末だとある軽いコメンテーターがTV番組中でしたり顔で語った。
 同じ番組で反対の席にいたコメンテーターはこれを聞き、こう語った。彼は自殺者に吸い込まれたのではないかと。カウンセラーとは他人の心に踏み入らざるを得ない職業、自殺者の心に踏み入るうちに己も深い絶望感に誘われ、このような結末を迎えたのではないかと――


 深い森の中に、那々は一人で居た。足元には死骸が一つ。死骸は殆ど損傷も無く、傍から見ると寝ているようにしか見えないくらいに穏やかなものだ。なにせ生前狂ったように派手な死に様、特に首吊りを望んだ。ならば、どうしても、つまならく平凡に殺すしかないではないか。
「これがヤツの戦果か」
 辺りを囲む首吊り死体。白骨化している物もあれば、死にたてなのか腐臭が僅かにしか漂わないものもある。当然、目を背けたくなるような腐敗進行中の代物も。白骨化したものはともかく、まだ肉が残っている死体の形相はどれもが、苦悶。無数の吊るされた死体に囲まれ、佇む美女の姿はもはや浮世離れしていた。


 那々が事務所へ帰った時、既に五木は戻っていた。
「あれだ」
 煙を吐き出し、煙草を灰皿に押し付ける五木。灰皿には、既に何本かの吸殻が捨てられていた。
「知った時点で既に手遅れ。どうにもならない話だったのは、理解していたんだがな」
 事務所屈指の高級品である、型落ちのTVでは『有名カウンセラー自殺!?』の記事が踊っていた。
「誰かがやらなきゃいけない事、だったんじゃないのか?」
「呪いの言霊。呪いは種となり相手に憑く。種の開花は人それぞれ、次の日に開花するものもいれば、10年後に開花するものもいる。花が咲いた人間の行き着く先は、首吊りの森。言った本人は自分が苗床であることさえ気付かずに、種をまき続け招き続ける。カウンセラーを苗床にしたのか、苗床がカウンセラーとなったのか。伝えなければ伝染は止められなかった、しかし……」
 死神の鎌を振り下ろしただけではないのか。勝手に断罪者となり。
 五木は新たな煙草に火を点け、窓に立ち、見たことの無い森の風景を幻視する。
 無数の首吊り死体の中に新たに加えられた、凄惨な首吊り死体。警察に回収された彼がココに居るはずもないのに。彼の脇には、未だ輪を作ったロープが用意されている。ふらふらと森に入る、新たな生贄。既に、生贄を求めていたモノもその疑似餌も死んだというに。
 森は永遠に鎮まらない――

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