- 2007.09.25 Tuesday
- 小説 > Original > 近世百鬼夜行
「みんな、逃げるよー! 出遅れたら、普通に置いてくからね」
社長の先導を受け、用意された車に被災者ボランティア問わずどんどんと乗り込んでいく。連絡を受け作業を投げ出してきた現場監督を筆頭とした社長の部下や、有志である消防署長らが誘導を手伝っていた。
「社長、あっちで遺族の何人かがゴネてる。遺体も連れて行きたいと」
「死者を気にするヒマはない! ガタイのイイ連中で無理やりにでも引っ張って来な。恨み言言われたら、私の命令である事を強調していいよッ!」
「わかりました。ガンコもののツラでやって来ますよ、社長の名は絶対出しませんがね!」
「この忠節モノ! それが終わったらこっちも退くよ」
「了解でさあ!!」
監督は指示通りの連中をかき集め、指示通りに動く。入れ替わりに署長が社長の方へ寄ってくる。
「第一陣の用意が出来た。順次発車させるぞ」
「間に合ったねい。これなら、火が来る前に逃げられそうだね」
「ああ。十分に間に合うぞ」
社長が下した決断は逃亡だった。消せない上にワケのわからないもの相手なら無駄な抵抗をせずにさっさと逃げる、被害を最小限に抑えられる実に思い切りの良い決断だった。
「なあに署長さん達が協力してくれたからさ。余所者の私だけじゃ絶対ここまでスムーズに動かせなかっただろうね」
地元民の説得や安全なルートの確保等は署長が一手に引き受けてくれた。彼の協力がなければ、もっと手間取っていたに違いない。
社長は懐から携帯を取り出すと、カメラレンズをゆっくりと炎の方へ向けた。
「何をしている」
「カメラは用意できなかったからね。こうやって証拠を取っているのさ、あとでグタグタ言う連中もコレを見れば黙るだろうからね」
もはや講堂は異質の怪物と化していた。黒い炎に覆い尽くされ、触手のようにそこらじゅうがうねっている。延焼もどんどんと広がっていき、もはや講堂の周りの一帯全てが怪物になりかけている。社長達が居る場所も数分後には捕食範囲に入るだろう。
「この街で生まれ育ってきた者として、言ってはならないセリフなのだが」
署長が悲しげに、忌々しげに、様々な感情を入り混じらせた表情でようやく言葉を続ける。
「我が故郷は死んだ……ッ!」
だいぶ前の話となる。
雑踏から離れ、一人五木は路地裏を歩いていた。
服はボロボロ、体も所々が欠け、体の間接の中には千切れかけているものがある。それでも、彼はまだ生きていた。しかし流石に限界なのか、その場に倒れこんでしまう。人どころか猫の子一匹居ない裏路地、誰も彼の存在に気付くものなど居なかった。
「さ、流石にヤベエなこりゃあ……」
自分が頑丈ではあるが、たぶん不死ではないなとの実感が強まる。このまま体に任せて倒れこんでいれば、不死でないことを自ずから証明してしまうだろう。
息を荒げ空を見上げる、目に入ってきたのは細かなディティールが眩しい純白のパンツ、ほっそりとした足が眩しい。しかしガーターベルトとセットで穿いているなんて現実では始めて目にする――
「なんつうか、今わの際に息を荒げてスカート覗いているなんて最悪の死に様だよな」
よっこらせと五木は己の身を起こす。あせりも何も無い随分と冷静な仕草だった。そこで初めてスカートを覗かれる事をいとわずに自分を覗き込んでいた女性の姿を目視する。
作り物のように、美しい女だった。
何か曰くのありそうな洋館になら似合いそうなメイド服を着込み、全く似合わない裏路地で瀟洒にしている。女はスカートの中身を覗かれたのに全く無表情のまま。むしろあのシュチュエーションではむしろ見せたと解釈したほうが正しいのかもしれない。だがそれならそれで嫌らしく笑うとかの表情が必要だ。無表情という事は、スカートを覗かれた事を気にしていないと解釈するのが妥当か。
「ふふふ、まだ生けるみたいじゃないか。しかも中々に冷静だ、ひょっとして不能かね?」
背後から聞こえてくる老いた声。老いてはいるが言葉尻は至極聞きやすい、壮健という言葉が似合いそうな渋い声だ。
「先に言っておく。この下着でだいぶ生への活力を取り戻した。よって不能じゃない」
五木は男のプライドを保ちながら振り向く。背後に居たのは車椅子に腰掛けた白髪白髭の紳士。長い顎鬚をいじりながら、興味深そうな目でこちらをじっと見つめていた。背後には、先ほどの彼女より年長の瀟洒なメイドが控えている、知的な顔立ちと古臭い眼鏡が良く似合っていた。
「単刀直入に言おう。君に、その娘を預かって欲しい。私の最高傑作の人造人間であり、私を終着に導けるからっぽの娘に君の強靭でまっとうな精神を注ぎ込んで欲しいのだ」
「強靭でまっとうとは、買いかぶられたね」
「優れた精神を持っていなければ、君は今頃食い殺されているよ。身体能力などの数値では、確実に君に勝ち目はなかったからね。しかし今現実では、君は生き残り対戦相手の大妖怪は塵と消えた。私も年甲斐もなく、燃えさせてもらったよ」
「……お褒めに預かり恐悦至極」
ゆっくりと立ち上がる五木、しかしバランスを崩しよろけてしまう。彼の肩を件のメイドが支えた。振り払う理由もないし、おとなしく彼女を受け入れる。彼女の肌は、イメージ通りに冷たかった。
「自己紹介が遅れた。君の肩を支える娘の名はセブン。私の背後に控える娘はフィア。そして私は……」
くいっと己を誇らしげに指差す老人。ただの老いた知識人では到底出しえない活力が彼からは滲み出ていた。
「ヴィクター・フランケンシュタイン。フランケン博士とは私の事さ」
「うっ……!」
「がはあっ!」
セブンの拳は火車の喉元を、火車の拳はセブンの鳩尾を、お互いの拳が急所を貫く。両者意地でも倒れない。しかし確実に、ダメージは蓄積している。現に共に足元が揺らぎ始めていた。少しでも心が揺らいだ方が、負ける。
輪入道達もGもなにも言わずに、両者の戦いに見入っていた。他者の要素は既に不要、声援さえもはや邪魔なものだ。
「アレだよな……」
血が混ざったツバを吐き出し、頬を拭いながら、火車が語る。
「十回手ぇ繋ぐよりも、百回口づけするよりも、千回セックスするよりも。分かり合えるサイコーの営みだよな、コレ」
セブンは答えず、拳を握り締める。そんな事は気にせずに、火車は言葉を続けた。
「とりあえず俺に負けたら、オマエ、俺の女になれ。生きてる女は本来対象外だが、オマエならいいさ。アレだ……」
セブンの拳が火車の顔面を狙い打つ。しかし、火車は動かない。先ほどは顔面で受けたが、今の状態で受けたらまず倒れるだろう。そして、立ち上がれない。
セブンの拳が弾き飛ばされる。天高く突きあがった火車の片足が、セブンの一撃を蹴り飛ばしていた。
「こう宣言したからには、どうしても勝たせてもらうぜ!」
縦横無尽に動く蹴り足が、セブンの体をいたぶっていく。上下左右、片足で揺らぐことなく戻す事も無く火車は蹴り続ける。空手やテコンドーの足使いとは違った我流の足技、訓練皆無の実戦のみで鍛えられた技は苛烈だった。
「先に息を吐いたのは火車か……!」
Gが緊迫した表情で叫ぶ。こういう場合は息を先に吐いたほうが負けと相場が決まっているが、火車は己の全てをあの蹴り足に乗せている。先んじた意地で、セブンを倒しかねない。勝敗は今だ分からない。
「アニキー!」
「俺ら、俺ら、やっぱ一生付いて行きますッ! たとえ兄ぃが来るなと言っても強引に付いて行きます!」
輪入道達も感極まり絶叫する。もはや無言ではいられない。無粋になろうがなんだろうが、こんなところまで到達したモノを見せ付けられて無言でいられるか。
火車のつま先がセブンのアゴを蹴り飛ばす。上向きになった顔を穿とうとする、火車のカカト。第一戦でも見せた火車の踵落とし、この一撃で火車はセブンの意識をとばしている。あの時次手の為に火車が抱きとめていなければセブンは倒れていただろう。今これをくらったら、勝敗はそこで決する。
振り下ろされるカカト、しかしセブンの足は動かない。動かないのか、動けないのか、他人には分からない。ただ、結果的にセブンはこの一撃を受け止めるしかない状況。
カカトが一直線に振り下ろされる。避ける仕草もせずに、セブンはそれを受け止めた。微動だにしない両者、輪入道達がアニキの勝利を確信し駆け寄ろうとするが、慌ててGが彼らを引き止めた。
カカトを突き刺したまま、火車は顔をひきつらせてセブンに問う。
「教えてくれ、これは偶然か? それとも狙ったのか」
火車のカカトはセブンの頭ではなく、肩に突き刺さっていた。
「狙ったと言いたいが、思惑通りならもっと器用にやってる」
つまりこれは偶然と引かぬ意思が合わさってできた産物。ゆっくりとセブンは火車の足首を手のひらで捕まえ、一気に力を加えた。強烈なアイアンクローは骨と血管と神経全てを一緒くたに握りつぶした。
「……思惑どおりじゃないと、ここまで上手く事を運んでおいて言うか?」
「言うさ。もっとあっさりした戦いが本当は好みなんだ」
狂いそうな痛みをむりやり男の矜持で押さえ込む火車の瞳をセブンはマスクを通ししっかりと見つめる。思いを伝えるなどと言う甘い事ではない、じっと見つめるのは狙いをはずさない為。
足を捕らえたまま火車を己の方に引き寄せ、セブンは火車に頭突きをみまう。一発、二発、三発……火車の意識がどんどんと薄くなっていくが、セブンに片足をつかまれたままの為倒れられない。否、彼は倒れないのだ。証拠に残った片足はしっかりと地面に根付いている。
五発目の頭突きをぶち込んでから、突如セブンは捕まえていた片足を解き放つ。うつろな意識と足の怪我が相まり、今までに無いほど火車の体が揺らぐ。よたよたと火車は無意識に後ずさっていく、セブンは左腕を突き上げうつろな火車に狙いを定めた。
火車が意識を取り戻した瞬間目に入ったのは、片腕を構え己に突っ込んでくるセブンの姿。
「正調ウエスタンラリアット!?」
Gが輪入道達を必死に抑えながら叫んだ。
セブンの左腕が火車の首を薙ぐ。本来ラリアットはただ叩くだけの小技ではない、設立当初は開発者の馬力と相まり首をへし折る必殺の一撃として猛威を振るっていたのだ。火車の体が前面から地面に叩きつけられる。ただ前に倒れたのではない、空中で数回転し地面に叩きつけられたのだ。まるでトラックにでも跳ねられたかのような光景。火車の眼帯が外れ宙に舞った。
火車は倒れたまま、動かない。輪入道達が号泣し、Gを突き飛ばし火車の元へ駆け寄る、慌てていたせいか何度も転ぶ。Gも力尽きたようにその場にへたりこんだ。
「もうこれ以上は付き合えない……」
息を荒げながらも、セブンはしっかりとここにいる者の中で唯一己の両の足でしっかと立っていた。眼帯が、主の敗北を示すように倒れた火車の上に落ちた。
火車が目を覚ました時に目に入ったのはムサ苦しい愛すべき義弟達。彼らは兄弟そろって鼻水を流しながら、汚く泣きじゃくっている。だが今の火車には、彼らの涙が愛おしかった。顔にかけられていた湿ったタオルをゆっくり取る、冷やしただけなのに殴り合いで腫れあがっていた顔はだいぶマシになっていた。
「悪い……しばらく自分を見失っていた」
「兄ぃ、兄ぃ、兄ぃ……!!」
「いいんでさあ! 兄貴が無事でいてくれれば、俺らは……!」
輪入道達の頭をなでる火車、枕元に合った眼帯を付けながら立ち上がる。頭上に見えるのは、古ぼけた天井ではなくねっとりとした厚い雲。どうやら寝ている間に講堂の外に出されたらしい。周りには体育館や公民館の建物が有る。被災者達はなぜか一人も居なくなっていた。そして少し離れた所に激戦を繰り広げた講堂が、
「……なんだありゃあ」
もはや講堂は建物と呼べるシロモノでは無かった。黒い炎を表皮とし、大きな二つの出窓は爛々と輝かせた眼、講堂の広い入り口は馬鹿みたいに大きく広がった口。髪の様に全身から黒い触手をうねらせた、巨大な顔面の化け物と成っていた。もはや比喩ではない、真の怪物。
「それは俺が聞きたい話だ」
火車の近くに寄ってきたGが逆に尋ねた。火車は己の手に炎を滾らせる、彼の炎は以前の様に赤く鮮烈な炎へと戻っていた。両手両足に炎を宿らせ、徒手空拳を振るう。かつてより炎に勢いがある、胸を覗くと曖昧だった頃に付いた黒い炎の刺青が赤くなりながらも未だ残っていた。
「俺を利用しつくして、怪物に成ったってか。ハハハ、中々に人をナメきった話じゃねえか」
火車はスーツをはだけ上半身を露にする。刺青の炎が、肌の上で激しく燃え上がった。
「ま、物事そうそう上手くはいかねえ、きっちりツケは払ってもらうぜ」
『できるかな、今の俺達に勝つ事が、貴様に?』
「……!」
顔面の化け物が喋った。きちんと講堂の門を歪ませながら人が喋るように。
『俺達はー……もはや貴様を必要としない。触媒として、貴様を利用させて貰ったが、それも今まで。俺たちの意思を無視して、無謀に戦う貴様に用は無い。ここで消えてもらうとしよう』
辺りの建物が一気に黒い炎に包まれる。炎をかき分けるように現れる死人の群れ、黒い炎で焼き殺された被災者が死に切れずに怪物の走狗となり現れる。全く持って、社長の逃げるという判断は正しかった。無理に留まっていれば、必要以上の地獄が展開されていたに違いない。
『ふはははは、どうだ? 全員が地獄の民同様の不死、さらにまだまだ居るぞ。あの体育館の中にな』
今現れたのは、瓦礫の下から召還された死骸たち。そして瓦礫の下から救い出された死骸は体育館に安置されていた。数としては侮れない上に、有る程度修復されているため今出ている連中以上にしぶとい。
体育館の扉が開き、死骸が姿を現す。だが、その数は一体のみ。中年男性の死骸はよたよたと歩き、一気にズタズタに裂け崩れ落ちた。彼以外の死骸の出てくる気配は一切無い。
体育館の全体に入る亀裂、亀裂は一瞬で広がり体育館は爆発を起こしたように派手に崩壊した。瓦礫と中々復活できないレベルにまで細切れにされた死骸の雨の中でチェンソーを掲げ雄々しく立つのは……
「まったくよ、俺自信無くすぜ、マジ。俺より回復が早かったってかー?」
「気にすんな。アイツが凶悪すぎるだけだ」
落ち込む仕草を見せた火車の肩をGが慰めるように叩く。
『ば、化け物だ……』
怯える怪物が自分の前に死骸達を集め盾とする。所詮は地獄に落ちた小悪党の結晶、人智を超えた妖怪と相対する度胸も器量も無いのだ。化け物はチェンソーをゆっくりと引きずり、怪物と真正面から対峙する。
「さあ、これで仕上げといこうか」
チェンソーに火が入り、全ての鎖を弾け飛ばしそうな程に唸りを上げる。セブンは怪物と従者の群れに臆すことなく飛び込んでいった。