弓塚夢残




 ある日、急に飢えに襲われる身体になった。

 理由はもはや覚えていない、過去を思い出すより今はこの飢えの渇きを満たすほうが先だ。

 強烈な狩猟本能と殺戮衝動。自分の体を蝕むように身体の底から溢れ出て来る。

 熱く

 じわりと

 濡れるように

「あはははは!!」

 歓喜の笑いと共に目の前で怯える男の腕を引きちぎる。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 豚、羊、鶏…家畜のような悲鳴を上げ、不幸な獲物が転げまわる。

 不幸?夜中に一人で出歩いていた事が?なんとなく大通りを避け裏道へ入ってきた事が?

 違う、最も不幸なことは…

 私に出会ってしまった事だ。

 もはや彼の運命は不幸を享受し、私に喰われる事だけだと思う。

 だったらせめて彼の悔いという感情を生み出す理性を壊すまで、

 愉しんで殺そう。



 今日も幾度もあてなく町を彷徨う。

 昼間は衝動を抑えられる。

 暗がりに隠れ眠るようにして過ごせば時はいつの間にか過ぎて行く。

 しかし、夜はダメだ。

 どうやってもこの渇きを満たす事が出来ない。

 苦しい

 苦しい苦しい

 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい

 血が欲しい。

 赤く、狂おしく、怠惰的な血が欲しい。

 足が重い、身体が重い、意識が重い、早く血を飲まないと乾きで死んでしまいそうだ。

「はあ…はあ…はあ…」

 飢えた獣の様な息遣い、自分の喉から出る禍々しい空気に吐き気を催す。

 早く

 早く早く

 早く早く早く早く早く早く早く早く

 殺す

 喰らう

 吸い尽くす

 誰でもいい、誰でもいい、この苦しみから解き放って…



 今日は人が居ない、なので大通りに出てみる、なぜか居ない。

 おかしい、幾ら夜とは言え人が…獲物が…餌がいないなんて!!

 どうしよう。倒れて悶え、そのまま死んでしまいそう。

 そんなのやだ。

 家族も友達も、そしてあの人も居ない、こんなところで死ぬのはやだ。

 うつろな目で闇を見つめる。

 居た。

 獲物が。

 短く美しい金髪、華奢な身体、透き通るような白い肌…

 美しい、幻想的なまでに美しい獲物が。

 獲物は無防備にこちらに背を向け闇へと歩いて行く。

 喰らえる、満たせる、潤う、あの獲物を引き裂けば。

 なのに…足が何で動かないんだろう?

 疲れなんかじゃない、獲物を前にすればこの身体は意識で制御できないくらいに嶽狂う。

 震えてる、小刻みに身体全体が震えている。

 まさか、これって…恐怖?

 ワケも解らずに汗が身体から吹き出てくる、息遣いも咆哮から萎縮の細々しい吐息へと変わる。

 間違い無い、私はあの獲物に怯えている。

 いや獲物なんかじゃない、あれはむしろ、

 捕食者だ。

 食物連鎖のピラミッドの頂点に立つべき存在。

 どうしよう、とんでもない物に出会ってしまった。

 アレが私に気付いたら、私は死ぬ。

 昨日殺した獲物のように、凄惨に、醜く、死ぬ。

 気付けば、捕食者は首を軽く曲げ、こちらを真紅の瞳で見つめていた。

 私なんか比べ物にならないレベルの真っ赤で美しく淫猥な瞳が。

 なにをしても無駄だと知りながらも足を後ろへとずらす。

 しかし捕食者はこちらへ近づく事無く、一瞥しそのまま歩を進め去ってしまった。

「見逃すとは彼女らしくない。まあ確かにこの先で待っている混沌に比べれば見逃してもいい相手でしょうが。」

 安堵の間もなく、いきなり後ろから声が響く。

 急いで振り返る、それと同時に私の肩に何か剣の様な物が突き刺さる。

「くっ!あ、あつ…」

 熱い!とてつもなく熱い!急いで肩から剣を引き抜く。

 ジュワ…と言う肉の焼ける音と共に剣は地面へと落ちた。

「拙いながらも理性を持つとは、なるほど霊的ポテンシャルが想像以上に高い。」

 暗がりから影が現れる。

 黒い法衣を着た青髪の峻烈な目を持った女性、先程の捕食者にも劣らない美人がそこにいた。

 しかし初対面の捕食者とは違い、私はこの人を知っている。

 確か学校で会った。

 有彦君が御執心の3年生の先輩、シエル先輩。

 いや眼鏡をかけた知的で清楚な雰囲気は人気があり、もっと大勢のファンが付いていた。

 …そういえば遠野君も先輩の事、眩しそうに見つめてたな…

 それはともかく、その先輩は今、そのファンたちが見たら恐れをなしそうな視線で私を見つめている。

 制服と眼鏡を外し、代わりに黒い法衣と幾つもの剣。

 なぜ?なんて愚かな問いはしない。

「私も放って置きたい所ですが…立場的にそれは無理ですしね。彼女はそれを見越して足止めとして貴方を放置して言ったのかもしれませんね。弓塚さん?」

 悩んだ仕草の直後、そう言って私に笑みを投げかける先輩。

 学校で浮かべていた優しげな笑みとは次元の違う笑み。

 アレはまさに礼鬢と哀酷に殺戮性を加えた、

 殺す笑みだ。
 
 あの笑みの前では会話や問答なんて無駄な事がひしひしと身にしみる。

 そうか、そういう事なんだ。

 やっと理解する。

 あの人は私たちみたいなのの天敵なんだ。

「では早速ですが…」

 笑顔で言葉を紡ごうとする。

 ははは、どうせ『死んでください』とか『滅します』とかろくな事じゃないんだろうなー

「死んでください。」

 当たった。

 今まで賭け事とかに当たった事ほとんど無いのに、こういう時は当たるんだよね。

 空虚な笑みが思わず浮かぶ。

 そんな事はお構い無しに、天敵は両手に無数の剣を携え、こちらへ突っ込んできた。



「意外とてこずりましたね。」

 汗一つ掻かずに天敵は呟く。

「誇っても構いませんよ、なって三日も経たない吸血鬼でここまで動ける人は早々いませんでしたから。」

 マングースを噛み殺すコブラ、ライオンを蹴り殺すシマウマ、やっぱりそんな珍しい事早々無いんだなぁ…

「さてと。」

 思い出したかのように天敵は呟き、私の喉元に剣を突き立てる。

 まだ差し込んではいない。

 払いたい、払いたいけど、

 腕も、足も、身体の何処も動かないや。

「なにか最後に希望はありますか?」

 死にたくない。

 無理か、これは死を前提にした問いだ。

 なんだろう?最後に出来る願いって?

 第一に私はこの人の事をほとんど知らない。

 知ってる事といえば…

 私と同じ学校に居て
 
 学食で何時もカレーを食べてて

 そして…

 そうだ、大事な事があった。

 これは多分この人に頼める最大の事だ。

「お、お願い…と、遠野君には…い、言わないで…」

 途切れ途切れながらも言葉を伝える。

 結局思いを伝えられなかった思い人。

 もし天敵が彼にそれとなく伝え、

 そのことにより彼の中で醜い存在となるのはいやだ。

 それだけで死ぬことが恐ろしくなる。

 天敵は一瞬驚いた顔をして、こちらを見つめた後に一変し優しげな顔で語り始めた。

「言いません、絶対に。」

 それは先程の笑みとは違い、優しさと慈しみで構成された、あの人がいつも学校で見せている笑みだった。

 その笑みを見ただけで、なんかこう重石が一つ減ったような気がする。

 死ぬ前に何かやりたい事は十指に余る。

 でも天敵…いや、先輩のおかげで取り合えず思い人に対しての重石は一つ消えた。

 このまま消えればあの人の中でただの同級生として消える事が出来る。

 ただの同級生、これはいつか忘れられる存在だと思う。

 でもいい、汚く一生あの人の中に残るならこのまま風化してしまったほうがいい。

 取るに足らない存在となって。

 そう考えると人らしくない自分の赤い瞳から涙が出て来た。

「それでは弓塚さん…さようなら。」

 笑みから先程の慄然とした表情に戻った先輩が私の喉元に剣を押し付ける。

 不思議と痛みは無い、先程の感触からするとこの剣には焼ける様な痛みが付いてくるのに。

 そのまま安らかに私の意識は闇へと飲まれていく。

 不思議と喉から血が流れたはずなのに、もはや渇きは無かった。






 黒鍵から血を払い、砂となった下級生を見つめる。

 てっきり最後の願いは命への哀願だと思っていた。しかし彼女の最後の願いは

「遠野君には言わないで。」

 その愚かしいまでに優しい願いをただかなえるには、ここで感傷にふけっていれば良い。

 彼は今、なぜか真祖と混沌の争いの中に居る。

 放って置けば彼は同級生の変貌を知らぬまま、彼女の後を追うように命を落とすだろう。

 だが、それではあの世で彼女に泣かれてしまう。

 彼女が死する寸前に見せたあの涙は深すぎた。

 どうせ死ぬことが無い身、もはや彼女に会うことは無いだろうが、あんな涙を流している彼女を想像するだけで苛立つ。

 何か宿命とか常識とかこの世界に存在する物に一撃を喰らわせたくなって来る。

 この苛立ちを押さえるために跳ぶ、戦場である公園に向かい。

 高速で跳ぶ、間に合うように。

 身を切る風はいつもと違い何故かとても優しげだった。





 後書き

 これは場面的にはアルクorシエルルートの対ネロ=カオス戦直前です。

 正ルートでの弓塚さつき行方不明事件の顛末を個人的解釈で書いてみました。

 拙いところもありますがそこら辺はご容赦していただけるとありがたいです


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