邪神邂逅-エピローグ
ある日の早朝、門の前で出かける主を見送る二人の使用人。
「「いってらっしゃいませ」」
メイド服と割烹着の双子の声は綺麗に重なり、朝の澄み渡った空気にある種の緊張感を与える。
綺麗に垂れる頭、その頭は家人が門を出て姿が見えなくなるまで下げられていた。
「志貴さんはともかく秋葉様もよく続きますね、もう二週間ですよ? 」
「でも今日までです。明日は退院だそうですから」
「あの事件に関わった人間で一番の重傷でしたからねー」
あの事件と言う単語を聞いた瞬間に翡翠の顔が軽く曇る、最も自分が生贄にされかけた事件を思い出して気分の良い人間はいないだろうが。
「駄目ですよ翡翠ちゃん、終わったことは割り切りましょう、ハッスル! ハッスル! です」
対照的に琥珀は最近TVでプロレスラーがやっているポーズを真似て明るく振舞う。
「……そうですね。では姉さん、はっするはっするです」
その明るさは翡翠の心を少し晴らしたようだ、彼女には珍しく琥珀の先程したポーズを少し真似てから屋敷に入っていった。
妹の仕草をほほえましい目で見つめた後、少し空虚な笑顔となる琥珀、その眼には遠くまで透き通った空が映る。
「己を殺した者への復讐のための戦い……昔の私だったら是としたんでしょうけど今の私から見れば否ですね」
「姉さーん、レン様がお腹をすかせています」
屋敷の中から聞こえる愛しき妹の声。
「はーい、今行きますよー」
足取り軽く屋敷の中へと帰っていく、その仕草は昔の演技が入った明るい仕草ではなく純粋に心の底から出る明るい仕草。
復讐というフィルターが取れた世界はこんなにも楽しい。
あの人は私を生かすことで復讐という怨念の沼から救ってくれた。
だが彼は復讐という沼に呑まれたまま死んでしまった。
自分ももし出会う人間を間違えていたら沼で溺れていただろう、そう考えると少し背筋が寒くなる。
「姉さーん? 」
「あ、はいはい」
妹の声で思考の世界から抜け出す、背筋の寒さ等その時には忘れてしまった。
だって今はこんなに
――暖かい
「カレーまんにインディアンスパゲッテイにカレーコロッケ……」
今まで買った見舞いの品を反芻しながら街を歩く、二週間も通えばそろそろカレー関係のネタも限界に近い。
「兄さん……前々から言おうと思っていたんですが別にお見舞いの品はカレーから離れていてもいいのでは? 」
秋葉のため息交じりの言葉、確かに正論だ、だが……
「でも病院食に刺激の強いカレーはあんまり出ないからなあ、まえに病室で鍋で作ろうとして看護婦さんに止められたみたいだし。少しでも苦しみを緩和してあ
げないと」
「いい機会なんですからあの人もカレー断ちすればいいんです」
鼻先で先輩の希望を吹き飛ばそうとする我が愛妹、しかし先輩の見舞いの品の資金はその財布から出ている、なんでも変わりに気に喰わない人を叩きのめして
くれた礼だとか、まあ正直 万年金欠の俺にはありがたい。
あれから一週間が経った、秋葉は全てのケリが着いた朝に何事も無かったかのように眠りから覚め、アルクェイドも疲れたといって丸一日寝ただけで直ぐに復
活した。
俺も目を二日ばかし休めたらほぼ完治、そして街に渦巻いていた異様な空気は晴れ全ては平穏無事……とはいかなかった。
そう、先輩だ。
聞いた話によると両腕骨折に内蔵の一部破裂に全身の骨にヒビだのその他破壊的な傷が諸々、常人なら三回死んでもおかしくない程の重傷を負っていたらし
い。
もはや不死身では無い先輩、実際あの神父の応急処置が無かったら流石にヤバかったとか。
応急処置の後に教会の息がかかった病院に緊急入院、そして二週間経った今日、退院のくだりとなる。
……いや確かに回復が早いのは結構ですよ、でも二週間って早すぎるだろ! と突っ込む俺が心の中に居るのも事実。
そういえば俺たちが見舞いに持っていったカレー系食品を食べるたびに目に見えて元気になっていたような気がする。
『ロアの影響無くともカレーに漬け込めばシエルは無限に復活する』ああ、どこぞの吸血鬼のお姫様が言ってた仮説が本当に思えてきた。
「やっほー志貴♪」
デマであって欲しい仮説をばら撒いた女性が笑顔でこちらに歩いてくる、手に持っているのはカレー煎餅、そういやアレは初出だな。
「今日は私もいくわ」
毎日通ってる俺や秋葉とは違いアルクェイドは偶にしか来ない。
なんでも立場的に教会の息がかかったところには行きたくないんだとか、だけどそれなりに先輩の事を心配してるんだろう、嫌なら義理人情等関係なく見舞い
など来るタイプではない。
俺もいっしょに行くのは正直嬉しい、だけど……
「なんで私たちといっしょに来るんですか? 吸血鬼は吸血鬼らしく夜中にいけばいいものを」
明らかに秋葉の機嫌は悪くなる。
「んー? だって夜じゃ他の入院してる人達に迷惑じゃない、面会時間は守らなきゃ駄目だよ妹」
「ほお……良い事を聞きました、ならば私たちの安眠の妨げとなるので夜中に兄さんの部屋に忍び込むのはやめてください」
「ま、それはそれとして。行こう、志貴! 」
そう言って俺の手を掴み文字通り跳んで行くアルクェイド、なにか叫んでいる秋葉の声がどんどん遠くなりやがて聞こえなくなる。
「お、おい! アルクェイド! 」
「うーん? 何? 」
振り返った彼女の顔はいつもの無邪気な表情。
まるであの夜の尊大な姿は幻の様。
だがあれは紛れも無い現実、そうなっても俺は彼女の隣に居られるのだろうか?
まあ……たとえいやだと言われても付いて行くだけの想いはあるが。
「早いのはいいがビルの屋上を跳んで行くんじゃない! ばか! 」
「いいじゃない、落すなんてへまはしないわよ」
「いやそれは大丈夫だと信頼している! だけど……」
言い終わる間もなく炎上するアルクェイドの体、遥か下の地面に紅い髪の秋葉が見える。
「攻撃されたらどうするんだよって……遅かったか」
秋葉……確かに頭にきているのは解るが俺の事も一応気にしてくれ。
妙に冷静に自分の状況を考え見る、ちょっと服は焦げて手を引いていてくれたお姫様は軽く気絶している。
徐々に近づいてくる地面、ふと思う、もしかして変な奴が襲ってこなくても俺の日常って十分騒がしいんじゃないか?
まあ、変な奴がいなければ十分に楽しい日常だ。
グキ! バキ! グシャ!!
……痛みも伴うが。
目の前に積まれているのは紙の山、できる事なら全てを窓から投げ捨ててしまいたい。
だがそれはできない、立場と責任感がこれほど邪魔に思えた事は……
「マスター、少しずつでも片付けていかないと……」
ああ、現実から逃げたいのに駄馬が引き戻す。
「ええ、わかってますよセブン。ただ私は怪我人なんです、それなのにこの書類の山はなんなんですか? いじめですか? 」
「えーとコッチの山が魔術協会に人員派遣を頼んだ事に関する物でソッチの山がアンリ=カルロックに関する提出レポートでアッチの山が……」
「……もういいです」
逃げ場は無い、あきらめて身近な山から一枚書類を取り出す。
「はあ!? 貴重なアステカ太陽神資料の賃貸に関する書類ぃぃぃ!? コレはメレムがアルクエイドに渡した資料でしょうが! なんでここにありやがるんで
すか!? 」
「えーとなんでも本人いわく『めんどくさいから事件の当事者に全部押し付けちゃおう』との事でして」
……奴が教会の代行者などではなく只の二十七租なら今すぐにでもくびり殺しに行くのに、世の中とはなんと不条理な。
「そんなに怖い顔しないでくださいよマスター、コッチの山は私が読んでおきますからー」
私が口を出す間もなく書類を読み始めるセブン、いや手がヒズメの貴女では書類にサインも書けないでしょうが。
まあ彼女も私を思っての事です、ありがたく好意は受け取っておきましょう。
最近妙に懐いているセブン、よっぽど百年越しの仇を討ったのが嬉しいのでしょう、屋上から落ちたショックで外れてしまったパイルバンカー型にする為の外
装を再び着ける事をあっさりと了承してくれましたし。
もしかしたら今なら前々から考えていたレーザーポインターを付ける事も、いやいやフレイムランチャー……ドリルなんかも定番で……
「マスター? どうしたんですかボーっとして」
「いえ、なんでもありませんよ」
とりあえずさっきのふざけた書類は本人に叩き返すとして一番手間がかかりそうなアンリ=カルロックに関するレポートを書いてしまいますか。
……しかしホントに手強い死徒でした、もし彼が最初から私達を死滅させる事を優先していたら勝ち目は無かったかもしれません、なんだかんだ言って結果的
には被害は最小限に食い止められたので結果オーライですが。
一つ不安なのは彼の消滅を私自身の眼で確認していない事、まああの麻婆狂いの神父も元々は代行者です、とりあえず彼のアンリ=カルロック消滅を確認した
という報告を信じましょう。
……ぬ! これはカレーのほのかな香り! 病院の入り口辺りからです、私の感覚はカレーに対してならセブンセンスズが働くので間違いありません!!
カレーの来訪、すなわち退屈な入院生活唯一のお楽しみイベント遠野君のお見舞いです!! まさに盆と正月が一緒に……
「兄さんを放しなさい! この人外!! 」
「やだよーだ。ねえ志貴、カレーの見舞いなんかこのさい忘れてさ、このままデートに行かない? 」
階下から聞こえる病院に似つかわしくない大声に破壊音、大凶と仏滅まで付いて来ましたか。
まあ盆と正月のありがたさから見れば大凶と仏滅など忘れられるレベル、ここは笑顔で来客を迎えるとしましょう――
神は還り亡霊は再び死へと堕ちた
全ては幻
この街にはびこる幻影の如き災難の一つ
現れては消え、消えた後には何も残らぬ幻影がごとき災難
終われば後に残るは只平穏
騒がしいが幸せな日々、何事にも変えがたい日々――
END