萌えよ! 闘魂!?
家に残っている人間で昼飯をすませた後の気だるい時間。このアンニュイさを解消するためになんとなしにチャンネルを回していく。特に見たい番組があるわけではないので、意味もなくチャンネルは次々と変わっていく。この無駄な行動がアンニュイさに拍車をかけているのも知らずに。
「シロウ。先程のチャンネルを……」
脇でそれを見ていたセイバーがチャンネルを止める。そのチャンネルでは珍しいことに真昼間からプロレスを放映していた。ランサーやアーチャーと並べても劣らない筋骨隆々の男達が汗を撒き散らしながらリングの中央でチョップを打ち合っている。
「シロウ。この格闘技はなんですか? 」
「ああ、プロレスっていう競技。ま、どんな物かは見れば解るさ」
セイバーはプロレス未見だったらしい。まあ、最近では深夜に放映時間が移っているしテレビで見る機会もかなり減っているスポーツだ。
ちなみに藤ねえにこの話題を振ると
『黒き猛虎が……歴代最強ともうたわれた二代目ブラックタイガーがあ……チクショー! なんで亡くなりやがったんだよう、エディゲレロ!! 』
と、最近亡くなった偉大なレスラーについてとくとくと語りだすのでなんとなしにお茶の間でもこの話題は封印されている。
しかし、藤ねえは桜と一緒に学校のほうへ出ているので、俺も安心して茶をすすりながら観戦を――
「なんでこんな格闘技が昼間平和な時間にやっているのよ。夜中で十分よ、こんな嘘くさい格闘技」
なんかプロレスの聖地である後楽園ホールで言ったら袋叩きにされそうなセリフが耳に。
留守番組最後の一人であり、そのセリフの主である遠坂はうつむきながらブツブツと言葉を続けている。ひょっとして例のロンドンでの一件が尾を引いて……?
その後も長々と続いていく試合、それに引き込まれているセイバーは気づいていないが遠坂の殺気が試合時間の延長と共に徐々に大きくなっている。そして、その殺気は金髪外人のレスラーに日本人レスラーが敗れた瞬間に爆発した。
「がぁーーーー! なに負けてるのよ、そんな技でKOされてー!!」
フイニッシュホールドは外人レスラーの綺麗なジャーマンスープレックスホールド。奇しくも遠坂がロンドンでルヴィアという女性に負けた時と同じ技だった。
「というわけでね。プロレスというか……アマレスなんだけど、それを駆使する相手を次回ロンドンに行ったときにはギタンギタンにしなきゃいけないわけよ」
「ギタンギタンって単語ひさびさに聞いた」
ずいぶんとレトロな。
「なるほど。それで凛は興奮していたのですね。あの金髪のレスラーを怨敵に見立てて」
流石に絶叫してはバツが悪かったのか遠坂は途切れ途切れでルヴィアに完敗した一件を話し始めた。大体俺に話した時と本筋は合っていたが、それで学生寮を追い出された一件などの都合の悪いあたりは微妙にはぐらかされていた。
「それならば是非に協力したいところなのですが。いかんせん私はレスリングというものはやったことがないのです」
「んーできれば至近距離での組み打ちだけでも教えて欲しいんだけど。セイバーだってそっちにまったく疎いわけでもないでしょ? 」
「少し具合が違うと思いますよ。レスリングの動きは無手で投げて極めることを目的とした物ですから。多分、武器や鎧の装着を前提とした、セイバーの組み打ちとは存在意義からして違うかと」
いきなり聞こえる冷静な声。いつの間に現れたのか不在のはずのライダーが茶をすすりながら会話に加わっていた。
「む、なら貴方はレスリングについて造形があるとでも? 」
セイバーが少し眉をひそめながらライダーに尋ねる。ライダーは日々本を読んでいるせいか、世間一般的な知識に関してはセイバーより秀でている。レスリングに関してもそれが功を奏したようだ。
「とりあえず相手のスタイルを分けることが重要です。レスリングのスタイルは多種多様ですから。凛、その宿敵は自分のスタイルについて何か言っていましたか? 」
「確か、ランカーシャーとかなんとか……」
「? それはイギリスの地方の名前では? 」
「なるほど、ランカーシャースタイルですか。それは難敵ですね」
「なに? 知っているのかライダー」
とりあえずお約束的な合いの手を入れてみる。
「ええ、イギリスのランカーシャー地方を起源とする伝統的かつ実践的なスタイルです。有名な使い手としては“人間風車“ことビル=ロビンソンがいますね、彼はイギリスの出身ですし。老体となった今は日本に在住し、若者へのそれの普及に努めています」
妙に詳しいライダー。
乱読の読書家とはこういう豆知識もあまなく吸収してしまうから末恐ろしい。
「伝統的。あの古ぼけた一族にはぴったりの言葉ね」
ハンと吐き捨てる遠坂。どうやらジャーマンの遺恨は俺達の想像以上に深いもののようだ。
「ふむ。ライダー、そこまで詳しいのならリンに対策を教えてあげてはどうですか? 」
「教えてあげたいのは山々なのですが、私のレスリングの知識は所詮机上の物ですので。英霊でそちらに詳しい者といえば……ヘラクレスであるバーサーカーなら知っているかもいれません。彼は生前は武芸百般のはずですから」
「「それは無理だから」」
あまりにデンジャラスなライダーの提案に遠坂と同時にツッコむ。アレが色々教えるだけの知性をまだ持っているかは妖しい物だし、万が一可能だったとしても、あの肉弾重戦車にタックルでもされた日にはマウントに持ち込まれるどころか身体が粉みじんに吹き飛ぶ。そりゃもう派手に。
「しかしバーサーカー以外にそっちに長けている人物は知りませんし。なら、アーチャーはどうですか? 彼なら器用に何でもこなせそうですが」
「アーチャーなら確かにできそうだけど。でも、『君がレスリングを学ぶ? 良い事だ。天狗の鼻をへし折られてようやく他所の技術を学ぶ気になったのはな』とか言われそうで」
うわ、笑顔で嬉々としてこのセリフを言う光景が容易に想像できた。確かにそれを想像した上では教えを請いに行くのも二の足を踏む。
「ふむ。そうなると後はランサーぐらいしかいませんね。しかし彼も無手専門ではありませんから。いっそのこと無手の実戦経験豊富なバゼットにでも……あ」
ライダーが何かを思い出したかの用に言葉を止める。そして少し逡巡してから言いにくそうに口を開いた。
「一人心当たりが。彼ならレスリングに対して造形が深いはずですし、教えるのも上手いはずです」
「へえ、いい人がいたのか。でもなんでそんなに言いにくそうにしてるんだ」
「いえ。私もそれを実際に確認したわけではないのです。聞いた話ではそれに長けているはずなんですが」
へー、そんな適した人がいたとは。でも、そんな人物をなかなか思い出せなかったってことはライダーとは縁遠い人なんだろうか?
「もし凛がよろしいのでしたら連絡をとってみますが」
「いいわよ。どうせならきちんとした人物に教えをこいたいし」
「士郎。道場を使用していいでしょうか」
「ああ、いいよ。ただ、できれば俺も参加させて欲しいって事を伝えてくれるかな」
知っていて損をするものは無い。レスリングの技術を知ることも悪いことではないだろう。
「ならば私もお願いします。未知の技術という物を是非この眼で見たい」
セイバーも乗り気のようだ。もともと己のためになることならどんな鍛錬も苦にしない性格だし。
「わかりました。では連絡を取ってみるので待っていてください」
電話をかけるためか居間を去っていくライダー。自然と話はその教えてくれる人物の正体へとなっていく。
「しかし英霊じゃないみたいだな。キャスターはそっちの方に疎そうだし、アサシンだったらこっちの方にこれないものな」
もし柳洞寺関係だとしたら、レスリングと同じ系統の柔道に長けている零観さんという人物もいるが。
「だとしたら何処の誰なのかしら? ライダーってそんなに交友関係広かったっけ」
「意外に広いようですよ。マウント深山でバイトをしていると自然と人の交流にぶつかるようですし」
謎は深まるばかりだったが、正体探しをしてもしょうがない。その人物に合うまでのお楽しみとしておこう。
思えばここでその正体に言及しておけば後の悲劇は避けられただろうに。
数時間後に衛宮邸の道場に現れた人物は俺達の予想をはるかに超えた人物だったのだ……!!
「来たか……エミヤシロウにトオサカリンにセイバー。まず最初に」
ピシャン!と勢い良く道場の扉を閉める。
――なんだ、あれ?
「ねえ士郎。今、道場には先生が来ているはずよね? 私には薄暗い道場に浮かぶ白骸骨の仮面が見えたんだけど」
「奇遇だな。俺にもそれが見えた。きっと幻覚だろ、最近文化祭関連のことで忙しいから疲れているんだ、お互い」
「そうよね、アレは幻覚、きっと先生はまだ到着して」
「いえ、幻覚ではないかと。アレは間違いなく真なるアサシン、ハサン=サーバッハでした」
現実逃避しようとした俺と遠坂に、現実主義上等のセイバーのツッコミがはいる。
セイバー、世の中には触れないほうがいい事もあるんだよ。
つーかマジでなんでココにいるんだ、アイツ。
「時間に律儀な暗殺者だけのことはありますね、集合時間ちょうどにはすでに道場に進入しているとは。臓硯の介護で腕前が鈍っていると思っていましたが、結界をいとも容易く抜ける腕前は流石と言って良いでしょう」
ライダーが満足そうにつぶやく。
確かに結界の反応どころか、セイバーやライダーに気配を感じさせずにいともたやすく衛宮邸の深部の道場に侵入した辺りは流石と言うしかないだろう。
いや。流石とかそういう問題ではなくてだ。
「ライダー。アレ、というかアサシン、というかハサンが先生なのか? どう考えてもおかしくないかそれ」
何が来ても驚かないつもりではいたが、ここでのハサン投入は想像をロケットでぶっちぎっている。
「いえ。間違いなく私が呼んだのは彼ですよ。臓硯の介護をわかめに任せて、その空いた時間をぬって駆けつけてくれました」
と言うか、介護担当はハサンなのか間桐邸。もしかして桜が家政婦さんを首にしたしわ寄せが来たりしていますか。というか暗殺者と蟲爺とワカメが住まう屋敷ってすごく嫌な響きですね。
「ライダー……私が嫌いならそう言ってくれればいいのに。私は私なりに桜を大切に思っているのよ。確かに身体のスペックとかは正直忌々しいけど、それを除けば可愛い? 妹として」
そこに疑問符はいらんだろ、遠坂。
「いえいえ。私はリンに恨みなどありませんよ、とりあえずは。まあ、百聞は一見にしかずです。まず、彼を交えて説明するとしましょう」
後々の戦乱を予感させる語句が混じっていたようだが、ライダーは遠坂の邪推を流して、道場の扉を開ける。
「ふ。出番があると思い喜び勇んできてみればこの仕打ち。こうなれば妄想心音で片っ端からレギュラーキャラの心臓をえぐりとってくれようか。まずは寺の門で人の称号を掠め取った侍を第一の目標にして……」
そこには物騒なことを呟きながら、体育座りで床に『の』の字を書く山の翁の姿があった。
かつて暗殺教団の首魁として存在していたハサン=サーバッハ。彼は数々の暗殺者をその手で育て、数々の殺害を成功に導いてきた。その暗殺者の卵を育てる際に彼が基礎修練として取り入れた物、それがレスリングだった――
「ライダー。それはどこの民明書房からの引用ですか? 」
「全然信じていないようですね、セイバー。元々中東でもレスリングはさかんなんですよ。古くはバビロニアの時代からその手の競技はあったようですし。もしかしたら王であったギルガメッシュもそれをやっていた可能性がありますね。ひょっとして講師は彼のほうが良かったですか? 」
「いえ。全く」
他人事ながら可哀想なほどに脈が一切ない。あっても困るが。それにギルガメッシュとレスリングの組み合わせは危険だ。その、なんかエロイというか深夜放送的というか。
「本当にアサシンがそっち方面に長けているなら、私からは文句は一切無いけど。ただし、麻薬とかそっち方面の指導はお断りよ。鉄砲玉の暗殺技術しこまれても使いようが無いし」
「安心しろ、トオサカ。私とてそれぐらいは心得ている」
キキキと笑うハサン。しかし、俺は見た。こっそり毒々しい色の液体をあわてて隠すハサンの動きを。
「しかし、アサシン自身はランカーシャーというものに対して知識があるのですか? いくらレスリングに優れているとはいえ、流儀が違えば動きも変わるはずだ」
「安心しろ。所詮は伝統と言ったとて簒奪の島国の技能。我らが山の技からみれば恐るに足らず」
「ほう、簒奪の島国ですか。我が母国をそのような異名で私の前で呼ぶとは。アサシン、私は勘違いしていた。てっきり貴方は人を闇夜で襲うことしか出来ない腰抜けだと思っていましたが、思ったより勇気があるようだ。認識を改めなければなりませんね」
「ちょ、ちょっと待て。セイバー! 」
殺気を孕み始めたセイバーをあわてて身体で止める。忘れていた。セイバーとハサンは聖杯戦争の時に因縁があったんだった……。しかも結果は色々あったとは言え、セイバーの完敗。負けることが嫌いなセイバーにとっては絶対に忘れられない記憶――
「とりあえずハサンの技術を見よう! ここまで言うんだから自信があってのことだろうし」
「その通りだ、エミヤシロウ。我らが手段の前には他の流儀も沈黙せざるを得まい。当然、その件のランカーシャの使い手とやらの末路も悲惨なものとなるだろう」
「それ、すごくいいわ……」
ライバルの敗北した姿でも思い浮かべているのか遠坂が恍惚に震える。
俺の説得とあまりに自信満々なハサンの姿を受けて、セイバーもとりあえずは剣を収める。あくまでもとりあえずなのが恐ろしい、下手なことをハサンがしでかしたら道場に血の雨が降るぞ、こりゃあ……
「これで準備運動は終わりだな。では、我が秘伝を伝えることにしよう」
準備運動を終えた俺たち三人に向けてハサンが高らかに告げる。ちなみにライダーは体育の見学者よろしく俺たちを道場の端でじーっと見ている。
「まず、コレを見てほしい」
ハサンが腰みのから、なにかドロっとした液体の入ったビンを取り出す。なんてデンジャラスな物のしまい方してやがるんだ。
「コレは……」
「……油? 」
蓋を開けた瞬間に漂う油の香り。流石は中東近辺の英霊、持ちだした油も高品質な物だ。アレを使えばきっと炒め物や焼き物の炎を使う料理はワンランク上の出来にって、突っ込むところはそこじゃない。まさか、ついさっきの深夜放送の幻視が現実に……?
「うむ。まずは上半身裸となり油を塗りたくることから始める。オイルを全身に塗ることで相手はこちらの身体を捕らえにくくなり、己の戦略の幅を狭めることとなる。これこそ我らが必勝の」
「ダッシャー! 」
「せんじゅつぅ!? 」
直立不動のハサンに遠坂の延髄切りが見事に決まる。そして倒れようとするハサンの身体をとどめてコブラツイストの体勢に移行する。
「な・ん・で エロレスリング仕込まれなきゃいけないのよー!! 」
「エロレスリングとは失敬な話。この技は我らが伝統ギャァァァァ! 」
あ、あれはまさしくバッキンガムバックブリーカー。相手の両足と首を固め抱え上げてから自らが回転すると言う無駄に派手な大技だ。イギリス行きの成果がこんな所で出るなんて。最も、技の名前がバッキンガムってイギリスっぽいだけで技自体はルチャ発祥だが。
「確かに油を塗ればレスリングの大半の動きは防げる。無敗を気取るわけだ」
「そりゃそうだよなー。滑って技の大半がかからないもの」
セイバーと遠く離れて、遠坂の技の数々を鑑賞する。つーか出来るじゃんレスリング、と言うかプロレス。
「いえ、そうとは限らないです。実力差が大きければ関節を極める事も不可能ではありません。実際やりにくいのは事実ですが……」
いつの間にか俺たちのほうに移動してきたライダーのセリフ。だが、今の言い方ではまるで。
「ライダー。ひょっとしてオイルレスリング経験したことが……? 」
「間桐邸に居る時にアサシンから話を聞いた慎二が私とやりたいと。令呪を使いかねない勢いだったので従いました。一片の良心が残っていたのか一応水着は認められました」
そうかー慎二のヤツもなかなかスミにおけないな、ウン。あとで潰そう。
「最も開始十秒、腕ひしぎ十字固めで慎二の腕をへし折ったところで試合は終わりましたが」
前言撤回。俺が下さずとも、天誅は既に下っていたのだった。
その後、58の関節技と42の殺人技を繰り出してハサンをマットに沈めた遠坂だったが。
「甘いですわよミス・トオサカ! バックががら空きですわ!! 」
「ルヴィア敗れたりぃ! くらえ!」
遠坂は油を取り出し、ルヴィアに投げつけた。
それだけでヌルヌルになって嫌な気分だが、それ以上の効果が油にはあった。それは。
「あ、油で滑ってクラッチが出来ない!? 」
油をかぶることで滑って関節は極められなくなるのだが、逆に自分の手も滑ってしまい関節を極める事も難しくなる。油をかぶるということは自分の守りが固くなる代わりに自分の技も極めにくくなるという、レスラーにとっては諸刃の剣の戦法なのだ。
しかし、本当に油投げるとは思わんかった……本気で手段選んでないな、遠坂。
「はは! 既に貴女の勝ちはなくなったわ。おとなしく私にひれふすがいい!」
悪役全開のセリフで拳を振るうFate正ヒロインが一人。この戦法に備えて服に耐油の魔術をかけておく辺りはしっかりとしているが。
「そんな屈辱をうけるくらいなら……ッ」
「ちょ、ちょっとルヴィア!? ひっつかないでよ! 」
ルヴィアの特攻を受けて遠坂の勝ちの方程式が崩壊する。まあ、簡単に言えばルヴィアは遠坂に抱きついたのだ。服には油への対抗策を付けていたのだが、身体にまでは考えていなかったらしい。いや、ほんとに遠坂らしいなあ。
「あー、ぬるぬるする! 士郎、影で見ていないで助けなさいよ!」
「え。シェロ……!? 」
「いや。引き離したいのは山々なのだがね、男性としてこんな垂涎の光景を止めるのは惜しいことこの上ないのだよ」
美少女二人のオイルレスリングなんて最近では深夜放送でも見れないし。
「そんなアーチャーみたいな口調と顔でこっち見んなー!! 」
その後、この一件はしっかりと時計塔の歴史に刻まれ、後世で『8月のギルガメッシュナイト』として名を残すことになったのは言うまでもない。